前夜祭 3
「はあ」
「だって、レンオ様には結婚するべき相手がいたのにねえ」
そんな一言に、ココレアは手にしたバッグを落としかけていた。
「え……」
どれもが全て初耳。それなのに、誰もがそれが当たり前のような顔をしている。
「……あ、あの」
蚊帳の外に置かれたココレアは、ついレンオの正面へ回り込もうとしたが。
「レンオ、久しぶりね」
サンマン伯爵令嬢に連れられた人物の声が、その動きを止めた。
「……メイサ」
長い髪と大人しそうな面長の顔。年は自分達と同じくらいか。物静かな見た目とは裏腹に、緑色を基調としたドレスは胸元にリボンがデザインされ、装飾も大きな宝石をあしらった派手派手しいもの。そんな人の目を引く彼女を、レンオは感極まったようにただ見つめていた。
「婚約、したと聞いたわ。そちらがその方かしら?」
優し気な顔がレンオを見上げ、それからココレアへと向けられる。
「あ、ココレア・シェトーと申します」
軽く礼の姿勢をとるとメイサと呼ばれた少女も同じようにして微笑んだ。
「私はメイサ・ネル。レンオとは、家が隣同士の……幼馴染なの」
「そう、なんですか」
そんな存在がいたことを知らぬココレアはレンオを見るが、その視線が絡むことはない。
「父の仕事の都合で外国に行っていたのだけれど私だけ帰国して。レンオ共々仲良くしてね」
「あ、はい」
状況が掴めぬまま返事をしたココレアの前に、ずいっと礼服の背中が割り込む。
「メイサ、少し……話がしたい」
ココレアへは一瞥もくれず、レンオの熱っぽい口調はメイサへのみ向けられていた。
「私は、いいけれど」
「ラウンジがある。行こう」
言うが早いか手を取り歩き出す後ろ姿。当のメイサはといえば「少し婚約者をお借りするわ」と悪戯っぽく微笑み、レンオと手を繋ぎ軽やかに立ち去って行った。
「メイサとレンオ様はね、生まれた時から一緒だったの」
あまりの急な出来事にまだ茫然と突っ立ったままだったココレアに、意味ありげな笑いを浮かべたティアの取り巻き達が近寄る。
「そう、だったんですね」
「婚約はしてなかったけど、誰もが将来二人は結婚するものと思ってた」
自分の知らない過去が次々に明かされるのに、ココレアにはまるで現実味がない。
「でも、3年前メイサの父上が属国の総督に任じられて、ご家族はその国へ」
「それでも、メイサが帰って来たらレンオ様と結ばれるものと思っていたのに」
その先は、聞かずとも何を言いたいのかよく分かった。
「この泥棒猫が」
彼女達に攻撃されるのなんて慣れている。もっと意地悪をされたことだってある。それなのに……。
「レンオ様が心から好きなのは、あんたじゃなくてメイサなのよ」
その言葉が真実であると分かってしまうだけに、どんな罵声よりそれはココレアの心をズタズタに切り裂いた。
「レンオ様も、こんな人を婚約者にしてしまって後悔しているでしょうね」
「メイサが帰ってきたのだから、捨てられるのは確定よ」
「ああ、それもそうね」
周囲で交わされる会話もココレアの頭にはあまり入ってこなかった。
レンオが自分に冷たいのは、婚約者として期待をしてくれているから。将来は妻とするつもりだから。私を好きでいてくれるから……。
なのに、そんなものは最初からなかった。彼が愛しているのは別な人。
薄々は感じていた絶望がはっきり形となったココレアは、染みついた愛想笑いさえ浮かべることが出来なかった。
「……気分がすぐれないので、少し外の空気を吸ってきます」
ふらつきながら、やっとそれだけ告げる姿に令嬢達は満足したらしい。
「あら、大変。ゆっくりしてくるといいわ」
「荷物は私達が預かってあげる」
ツカツカと近づき、乱暴にココレアのバッグやマントに手をかける。
「せいぜい逃げ出さず、ちゃんと帰ってきてね」
されるがままの体からマントを脱がし高笑いを響かせた少女達だったが、その手がぴたりと止まる。
「……失礼します」
そんな態度にも気づかぬまま、ココレアはその場から駆け出しゆく。
「……見た?」
「嘘でしょ」
走り去る杏色のドレスの背中を、3人は信じられないものを見てしまったというように見送った。
「それ本当なの!?」
あと1時間でパーティーが始まろうという中、一番上等な控室で真っ赤なドレスを来たティア・コンドラッドが金切り声をあげる。
「それが、この目で確かに」
「侯爵家のものと比べても遜色ない代物でした」
ココレアが立ち去った後、取り巻き達は大急ぎでティアへお伺いをたてねばならなかった。
「なんで、あんな娘が特級装飾なんて持っているのよ!」
その怒りの矛先は、ココレアがマントの下で身につけていた美しいネックレスやブレスレットについてだった。彼女達の考えでは、貧乏男爵家の娘が特級装飾など持っているはずがない。前日にお触れを出せばどこかから借りてくる余裕もなく大勢の前で恥をかかせることが出来る。そんな作戦だったのに、実際にはココレアはそれは見事な装飾品を持っていた。これでは恥どころか、下手をしたらあの女が周囲から見直されてしまう。
「なんてこと。これじゃ私が王妃に指名される舞台が台無しだわ」
ティアの企みでは、ココレアを無様な姿で辱めた後、華々しく自分がセレン王子の婚約者としてお披露目される。以前から身分が低いくせ自分に媚びず、鼻につくココレアを貶める絶好の機会だったというのに。
「あんな女が特級装飾を持っていたところで、ティア様の足元にも及びませんわ」
「メイサが戻ってきてレンオ様にも捨てられるのですし、放っておいてもよいのでは……」
苛々と爪を噛みながら歩き回るティアに恐る恐る進言するが、当然そんな提案は受け入れられるはずがない。
「それでは私の気がすまないわ!」
即座に怒鳴りつけられて小さく竦みあがる。嫌な予感を感じつつも、あと数日でこの国の王妃になるだろう彼女に逆らうことなど誰にも出来なかった。
「……そうだ、良い方法を思いついたわ」
太陽を隠した雲が、窓からその姿に影を落とす。
真っ赤な唇をつり上げて振り向くティアを、取り巻き達は不安そうに見返した。
「レンオ様」
漸くその姿を見つけたココレアは息をきらせて呼びかけた。
大広間の入口付近は大勢の生徒や教員、王宮から派遣された貴族、給仕のスタッフなどが入り乱れ大層な混雑具合だったが、その中にレンオはぽつりと立っていた。
「……ああ」
「探しました」
しばらく建物の裏で一人気持ちを静めていたココレアだったが、気を取り直し元の場所に戻るもレンオはいつまで経っても戻ってこなかった。まさか行き違いになってしまったかと思い会場中を探し回り、こうして会えたのはもうパーティーが始まる5分ほど前だった。
形式ばっていない前夜祭では、開始とともに音楽とダンスが始まる。その時にはパートナーである婚約者と一緒にいなければならない。
「大丈夫ですか?」
そっと隣に並んでみたけれど、呆けたように遠くを見つめたままのレンオから返事はない。
「あの、メイサ様とは……」
彼女の姿はないが、いま考えているのはその存在だと言わずとも分かってしまう。だから、意を決して尋ねたココレアだったが。
「お前がその名を口にするな」
返ってきたのは、静かだが怒りをはらんだ一言だった。