7廻目の秋 3
しかし、頭の回転を総動員しその意図をどうにか汲みとる。
「迷った途中でヒールが折れて転んでしまって、こんな泥だらけのドレスで本当にお恥ずかしい」
悲しそうな顔を作ってみせれば、周囲からの目は途端に同情的なものへと変わった。
「まあ、そうだったの」
「早くこちらへ来て休みなさい」
さっきまでまるで化け物でも見るようだった人々に優し気な言葉をかけられてしまいココレアの心は密かに痛む。
「今日はちょうどジューネ様のサロンも催されていてね。私達もご一緒していたんだ」
さも当然に差し出してくるテオドーラの手に不本意ながら掴まり、裸足のまま生垣を越えた先にある中庭へと導かれた。
その風景は思い出の中とほとんど変わってはいなかった。花の咲く庭園、樹齢1000年の大きな木、陽射しを受けた美しい温室。
記憶と違うのは、今日は開け放たれた温室の中に茶会の用意がなされていること。中心に座る高貴な女性とそれを取り囲む上品そうな貴族達。そして……。
「ココ……!?」
「皆、ココレア嬢をお連れしたよ」
同じ温室の中で最初にココレアに気づいたのは頬にガーゼを貼ったルーンだったが、気安く呼びかけそうになった声をテオドーラが自然に遮る。
「……ああ、待ってたよ。大変だったみたいだね」
その向かいに立っていたノヴァはそれだけで状況を理解したらしい。目の笑っていない笑顔で話をあわせてくれた。
そして、その間で一人だけ脚を組み不愛想な顔をする男。
「…………」
「…………」
近づくボロボロな姿のココレアを、王国の王太子セレン・アンザネイスはゴミでも見るような目つきで眺めていた。
「まあ、一体どうしたの?」
引き攣る顔で王子と睨みあっていたココレアの元に、温室の中からた華麗なドレスの裾が翻り駆け寄る。皆の中央にいたあの若く美しい人……考えるまでもなく第3王女のジューネ・アンザネイスだ。
「来る途中で従者とはぐれて転んでしまったとか」
「そうなの。ああ、ドレスも汚れてしまっているじゃない」
透き通るような白い手が泥だらけのドレスに触れる。
「お、王女様。いけませんっ」
そんな厚意を向けられると思ってもみなかったココレアは素っ頓狂な声を出した。
8人いる王女の中でもジューネ姫は芸術を愛する物静かな人物として知られる。アーティストの支援やチャリティ活動にも積極的で国民からの人気も高い。そのような貴人から優しくされてしまい、どうしたら良いか分からないというのが正直な気持ちだった。
「ねえ、セレン。私のドレスを貸して差し上げて」
王女が振り向くだけでふわりと良い香りが鼻をかすめる。
「……分かった」
座したまま返事をする相変わらず不愛想な王子。それはいつものことなのか、微笑んだだけでジューネはまたココレアへと目をあわせた。
「え、そんな。いけません」
「いいのよ。こんな可愛らしい方に着てもらえたら光栄だわ」
天使のような微笑で言われ、王宮に忍び込む大罪を犯したうえ勝手に汚れたなどとはもう本格的に言い出せなかった。
「でも、セレン達とどこでお友達になったのかしら?」
正面から不思議そうな顔を向けられ、はっとココレアの表情は強張る。
セレンがいわゆる親衛隊と呼ばれるメンバー、ノヴァ・トゥンドゥーザ、テオドーラ・カバネッサ、ルーン・ユーヴィリーの3人以外とつるまないことは有名で、他の人間と共に行動することは皆無に等しい。こんな身なりの悪い女が急に登場したら誰もが訝しむのは当然だろう。
「ええ、と。それは……」
「ほら、あれだよ。あれ」
何とか上手い話を作り出そうと中途半端に口を開けば、後ろからもルーンのしどろもどろな声が聞こえてくる。これでは怪しさが増すばかりだろうと、自分のことは棚に上げてココレアの頭は余計に真っ白になってしまう。
「彼女はシェトー大佐のお嬢さんなのです」
そんな時、やはりピンチを救ってくれたのは大人びた口ぶりのテオドーラだった。
「え、あの大佐の?」
ジューネ王女や周囲の貴族達の間に僅かなざわつきのようなものが起こる。
「ええ、あの戦闘から10年。風化を防ぐ意味でも彼女から詳しい話を聞きたいと思っていました」
「そこにきて昨夜ルーンが襲撃された件もあり、こうしておいでいただいたのです」
テオドーラ、ノヴァと優等生コンビがそう締めくくれば、集まった大人達の顔は一様に感動したようなものに変わっていた。
「そう、あの時はお辛かったわね」
「今の私達があるのはシェトー大佐のお陰よ」
特に年配の男女からは次々に抱擁を求められ、逆にココレアのほうが恐縮してしまう。
「いえ、そんな」
「……それでは、私達はこのへんで」
そんな貴族達とココレアの感動のシーンを見守っていたノヴァが、見計らったように誰にともなく告げた。
「よろしいですか、殿下?」
「ああ」
ノヴァの声に気怠そうに立ち上がったセレンに、それまで和気あいあいとしていた雰囲気張りつめその場の全員が姿勢を正す。
「セレン様におかれましては、よい生誕祭を」
「お会いできて光栄でしたわ」
自分よりひと回りもふた回りも年上の大人達からの恭しい言葉にも最低限の仕草で返し、セレンはこの場所から立ち去ってゆく。
「おま……、君もこっちだろ?」
他人事のようにその様子を見守っていたココレアにルーンが小さく声をかける。
「あ……。は、はい」
ジューネとその周りの貴族達に深々と礼をして、先に行ったセレン達の後を慌てて追いかけた。
「殿下、どこへ行かれるおつもりですか?」
先頭を歩くセレンは温室のある中庭を抜け、真っすぐに自分の屋敷のエントランスへと入って行った。
王宮の入口ほどの仰々しさはないが、やはり衛兵やドアマンが両側に立ち主人とその友人達に次々と頭を下げる。
「演習場だ」
テオドーラの問いへの答えは素っ気ない。だが、それを聞いたココレアの少し前を歩くルーンの横顔は少し輝いた気がした。
「あ、どこでも良いのでバスルームの用意をお願いします。あと飲み物を5人分」
ノヴァが途中で出会ったメイド長の制服を着た女性に声をかける。5人分……ということは自分もここにいて良いのだと、勢いでついて来ていたココレアはほっと胸を撫で下ろした。
屋敷を真っすぐに横切り裏口へ抜けると、また午後の明るい太陽が皆の上降り注ぐ。相変わらず先頭のセレンは無口で何を考えているのか分からない。
けれど、この道筋はココレアもとてもよく知っているものだった。
裏口から王宮の北側に出る林の中を通り抜けると途端に辺りは寂しくなる。あまり使われていないであろう舗装された道を10分ほど上ると、ブナの木にぶら下がった“演習場”と書かれた古びた看板が見えてくる。
「まだ、使っているのね」
その先にはあの頃と何一つ変わっていない円形の壁に囲まれた演習場の建物が五人を待ち構えていた。
「セレン様、やっと見つけましたぞ」
入口の分厚い扉をルーンが取り出した鍵で開けていると、背後からよく通る声が聞こえてきた。
「どうされました、ジャヴェックさん」
振り返ると息をきらせた60歳くらいの小太りの男性がこちらに駆けてくる。ココレアもその名は聞いたことがあり、確かセレンに仕える筆頭執事のはずだ。
「いえ、急にどこかへ行かれてしまったと聞いたもので」
どんな人物かは知らないが、あのノヴァが笑顔を向けているのだから悪い人ではないのだろう。