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ヴァルキリーの恋夜  作者: 木津 ツキ
19/36

7廻目の秋 2

 「ここで結構です。あと、このメッセージをお願いします」

王宮の門前で乗っていた馬車を降りたココレアは、賃金を払うついでに返信のメッセージを御者に託した。

「デンサー伯爵家のレンオ様まで」

「かしこまりました」

馬車代と手間賃を受取った御者は馬車を操り去って行く。帰りがけに郵便所へ寄るか自らデンサー家へ届けてくれるだろう。

 今夜の約束には了承と回答をした。それに間に合わせるには、マントを取り戻したら買い出しをして帰りすぐに夕食の仕込みに掛からなければならない。

そんな算段をしながら王宮の巨大な門扉の前に歩み寄ったココレアは、横に設置されている受付の列の最後尾へと並んだ。生誕祭の期間のせいか、その時点で数十人が入場の申請をしており、順番がやって来たのはそれから1時間も経った頃だった。

 「あの、王宮内にいらっしゃるルーン・ユーヴィリー様に用事があるのですが」

石造りの窓口に声をかけると、中にいた女性に胡散臭そうな目を向けられる。

「本日、ユーヴィリー家の方がいらっしゃっている記録はありません」

「あ、恐らくセレン王子の私邸にいらっしゃるのだと思います。確かめていただけませんか?」

 王の子供達には王宮の敷地内にそれぞれ別邸が与えられている。王族の紋様のはいった馬車での出入りは衛兵に止められることがないので、ルーンがセレンと共に入城したなら記録に残ってない可能性もある。

そう思い事務的な担当者に食らいつくが

「入場は許可できません。はい、次の方」

その態度は取り付く島もないものだった。

「あ、あの。そこをなんとか」

「ほら、邪魔だよ。お嬢ちゃん」

窓口に手をついたココレアの体は後ろに並んでいた小太りの男に突き飛ばされる。あの不愛想な担当者も彼にはにこやかな笑みを向け、もう貧乏貴族の小娘になど興味はないようだ。

「…………」

むかっ腹に両手を握りしめたが、ここで喧嘩をしても仕方ない。それどころか王城の前でトラブルなど起こしたらどうなるか分からない。

仕方ない、また出直すか。いや、折角ここまで来たのに。馬車代だって馬鹿にはならない。それに今夜は冷え込むらしい。レンオと会うのにたった一つしか持っていないマントがないのは困る。

しばらくの間、ココレアは俗っぽい事情に頭を悩ませた。

「……あ」

そして、晴れ渡った空の下 その閃きが頭上に降ってきたのだった。


 「確か、このへんに」

記憶を辿り、ココレアはぴったりと組み合わされた煉瓦の壁をぺたぺたとまさぐる。

 来訪者を拒む白亜の巨大な二つの門。許可が出た人間は、本来その間を通り王城の中へと入ってゆく。いまココレアがいるのはあの受付があるのとは反対側の門の側壁、周囲からは死角になっている場所だった。

とはいえ、いつ見回りの衛兵がやって来てもおかしくはない。焦る心地で手を動かしていたが。

「あっ」

探り当てたそこだけ手ごたえのない空間。高い草に覆われて一見しただけでは分からないが、その場所だけは煉瓦が崩れぽっかりとスペースができている。

キョロキョロと周りを見回し、意を決したココレアは地面に膝をついた。今の自分の体型でここを通り抜けられるかは、見る限り絶妙に微妙な気がする。

「えいっ」

けれど、何とかなるだろう。そう信じて頭から突っ込むと肩が引っかかったがなんとか穴に入り込むことが出来た。五、六歩匍匐前進(ほふくぜんしん)をしたところで汚れた顔に日光が差し掛かり、向こう側に出れたことを知った。最後に少しお尻が引っかかったが、這い出た先は別世界のような美しい花々が咲き乱れる場所。記憶の通りの、王宮内の庭園であった。

 「あっ」

そんな場所なら当然ながら衛兵も多く巡回をしている。王宮の衛兵のみが身に着ける赤と黄色の制服を着た男が自分には気づかず遠くを横切ってゆく姿に慌てて近くの生垣の影に身を隠した。

 複雑な庭園の造りを利用し、その泥にまみれたドレスは王宮の中を駆け抜ける。花園の奥にある今は枯れた井戸、そこから忘れられた地下道へ。もう一度地上へ出て、今は使われていない旧王宮と現王宮を繋ぐ蔦に覆われた朽ちかけた回廊を歩く。老人がうたた寝をする史書室の窓下を身を屈めてやり過ごし、その先は。

 ……ああ、同じだ。

目の前に広がったまるで海のような広大な人口池の青色を目にした途端、ココレアの髪を快い風が乱した。導かれるようにその水際まで丘を下る。おろしたばかりの靴が汚れてしまっているが、何だかそんなことはどうでも良い気がした。

 池は人の手で管理がされていて、1日に1度入れ替えのため水が全て抜かれる。運よくその時間に当たったようで、下がり出した水位の中から白い飛び石があらわれた。

こんなヒールのある靴じゃ跳べない。そう判断したココレアの頬は自然と緩んでいた。脱いだ靴を右手に持ち、素足が間隔のある石と石の間を助走をつけて飛ぶ。

それは、堪らなく懐かしくて楽しい感触。ドレスのスカートがまくれるのなんて気にならない。額の汗を冷やす風が気持ちよくて、今ならこのままもう一度……。

そんなどこか恍惚とした感覚に身を任せてしまいそうになった時だった。

 「ぎ、ぎゃああああ」

爽やかな緑の中に轟く女性の悲鳴。

「……あ」

視線を向けたココレアは、陶器のカップを芝生の上に落としへたり込む品の良さそうな婦人の姿を見た。

「どうされましたか!?」

「衛兵を呼べ」

よくよく見れば、池を渡った先のガーデンで茶会でも開かれていたらしい。その後ろからも続々と人が集まってくる。

「あ、あそこに侵入者が……っ」

腰が抜けて動けぬ婦人が薄汚れたココレアを指さして震える声を出す。

「い、いえ。私は……」

なんとか言い繕う言葉を探すが、ドレスは擦り切れ、髪は乱れ、素足をさらけ出した容貌は確かに野生の猿でも現れたと思われて仕方ないだろう。

「ジューネ様のご住居に侵入者が!」

「そこから動くな!」

勇ましい男性陣に怒鳴られココレアは途方に暮れた。自分の記憶ではこの先は第一王子の別邸しかなかったはずだった。それがこの七年の間に、どうやら第三王女であるジューネもこちらに移ってきたらしい。ここまで順調だったのに、最後の最後でやらかしてしまった。

王女の住む場所にこんな怪しい人間が忍び込んだら、それはもう言い訳などは出来はしまい。さっきまでの天衣無縫な気持ちはあっという間に消え去り、靴をぶら下げたまま冷え冷えとした絶望に打ちひしがれたココレアだったが。

 「ああ、彼女は私が呼んだのです」

この秋の日のような穏やかな声がふいに人々の喧噪を差し止める。安堵感と困惑。そろそろと陽光の中に目を向ければ、尤もらしい笑みを浮かべたテオドーラ・カバネッサが悠然とその姿を現した。

「え、テオドーラ様の?」

この国の経済を一身に担うカバネッサ家。若干17歳とはいえ、その跡継ぎである彼は大人達からも当然一目を置かれる存在だった。

「ええ。ここに案内する途中で従者とはぐれてしまったらしく、心配していたのです」

人当たりの良い声が平然と嘘をつく。

「どうやら転んでしまったようですが、大丈夫ですか?」

よくもまあ次から次に出まかせを言えるものだと感心していたココレアは、お膳立てされた言葉を向けられ一瞬固まった。

「……あ。そ、そうなんです」

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