7廻目の秋 1
“マントは預かってやっているから取りに来い”とルーンから連絡があったのは、翌日の午前中だった。
生誕祭二日目は昨日に続き晴天で、洗濯物を干していたココレアの元へすっかり顔見知りなったあの御者がメッセージを届けてくれた。
「ユーヴィリー家からのお遣いだって!?」
「何か失礼でもしたんじゃないだろうな」
御者が帰った後、下の妹と弟からは白い目を向けられたが祖母と母がいたらこんな追及では済まなかっただろうからまだ幸運だった。
午後になりやっと家事が一段落したココレアは、失くしたマントの代わりにショールを羽織りようやくユーヴィリー家へ出掛けることが出来たのだが。
「ルーン様はつい先ほど外出されてしまいまして」
せっかく辿り着いた懐かしい邸宅の前で出迎えてくれたのはまたしてもあの御者だった。
「……一体、どこへ?」
代々の軍人の住処らしく重厚で無骨な造りの前玄関。その前で乗ってきた馬車を降りたココレアは嫌な予感を抑え聞き返す。
「お仲間の方々とお会いになると」
「あ、でもマントはここにあるのでしょう?」
だが、この際ルーンがどこに居ようと関係ない。この家に保管されているはずのマントを受け取れれば、自分はそれで良いのだから。
「それが、マントもルーン様が持ち出されたそうで」
申し訳なさそうに答える御者の言葉に、なんで そんなことを……。と心の中で悪態をついたが、それをいま彼に言っても仕方がない。
「……それでは、私もそちらへ向かってみますわ。どちらへ行けばいいのでしょう」
かろうじてよそ行きの笑顔を作ったココレアに、御者は当たって欲しくなかった予感を最悪の形で的中させてくれた。
「王宮です」
「おや、君は」
御者と別れ、待たせていた馬車に再び乗り込もうとしていたココレアはかけられた声に振り返る。
ユーヴィリー家の広い車寄せに現れたのは、青みがかった髪と瞳の背の高い青年。その初対面の顔をまじまじと見つめてしまっていたが。
「これは、失礼しました」
それが誰か理解した途端、慌てて礼の姿勢をとった。
「ああ、そんな堅苦しくならないで」
「おい、エルネ。どうした」
「あれ? その子って」
首を垂れる頭上に更に聞こえる二つの声。
「ご、ご機嫌よう。皆様」
それは何度かだか遠目から見たことのある、ユーヴィリー家の次男、三男、四男。つまりはルーンの兄達であった。
どうやらこれからどこかへ出掛ける様子だった彼等は、既に名門ユーヴィリー家の男子としてそれぞれが軍の中で重要なポストに就いている。同じ軍人の家系といえど、ココレアなどは普通ならば一生関わることのない人々なのだ。
ああ、こんな時はどういう風に挨拶をすればいいのだろう。馬車を早くどけなくては。でも、どのタイミングで頭を上げれば……。
悲しいかな学校以外で上級の貴族とほとんど接したことのないココレアは混乱して頭痛までしてくる。
「例のシェトー家のお嬢さんじゃないか」
それが突然両手を掴まれ驚いて顔を上げる。
「え、あの……?」
「ああ、そうだ。昨日は弟を助けてくれたんだって?」
ルーンは年の離れた末っ子のため、ここにいる兄達は皆がココレアより十歳は年上。そんな年長者のしかも殿上人に突然取り囲まれたのだから、面食らわないほうが無理というものだろう。
「い、いえ。私は何も」
どうやら彼等は昨夜のことで自分に感謝をしてくれているらしい。しかしこんな扱いをされることに慣れていない身としてはますます困り果ててしまった。
「いやいや、君がいなければ弟は死んでいたかもしれないと聞いている」
「それに、反逆者を捕らえられたのも貴女のお陰だ」
「ルーンの兄として、ユーヴィリー家の軍人として礼を言うよ」
そう順番に求められる握手に遠慮がちに応えつつ、ココレアの心はどこか温かいものを感じていた。
「ルーン……様は、こんな兄君がいて幸せですね」
つい呟いた気持ちの裏側に、先ほど自分を疎ましく睨んできた弟達の存在がちらついてしまったのはどうしても否めないが。
「ああ、あの子は我が家のアイドルだからな」
「これからも仲良くしてやってくれ」
「……はい」
少し寂しい気持ちから目を逸らし、ココレアはにっこりと微笑んだ。
「そうだ、これが君宛てに回されてきたそうだ」
そろそろこの場を辞して王宮へ向かおうとしていた目の前に、四つ折りの紙が差し出された。
「私に?」
「ああ、君の自宅からだそうだ」
ユーヴィリー家の三男、ディオナ・ユーヴィリーから礼を述べてそれをココレアは受け取った。
アンザネイス王国のメッセージサービスは、受取人が不在の場合は出掛け先が分かっていればそこまで要件を届けてくれる。このように他人の家でメッセージを渡されるというのもごく一般的な光景であった。
「それじゃあ、気をつけて」
「あ、はい」
爽やかに手を上げ、それぞれが豪奢な馬車に乗り込んでゆく三人の兄達。
それまで気づかなかったが、軍の要職にある彼等が誕生祭の最中に同じタイミングで揃って出掛けるなど通常ならあり得ない。馬車が去って行った方角は、恐らく王宮の川向いに置かれた軍本部。
漠然とした不安に見ないふりをしながら、ココレアは借りてきた馬車へと足をかけた。
届いたメッセージはレンオからであった。
“今夜、9時”
内容はそれだけ。これは今日の夜9時に彼がココレアの家に来るということだ。味気ない文面はいつも通りだから今更なにも思うことはない。
けれど、自分を道具としか考えていない、他の女を愛している婚約者。昨日置き去りにされた苦い記憶がよみがえり憂鬱な気持ちが戻ってくる。
確かに彼に救われたこともあった。互いにとってつきあいを続けるメリットもある。けれど、いつまでこの宙に浮いたような関係を続けるべきなのだろうか。
手の中の紙を握りしめた頃、ココレアを乗せた馬車は王宮の堀へと差し掛かっていた。
アンザネイス王国の王宮は、豊かな水をたたえた2つの堀と秀麗な3つの城壁を越えなければ入口まで辿り着けない。一つ目の堀とその先に広がる庭園までは開放されているため一般市民でも出入りできるが、二つ目の堀の先は貴族の身分を持たぬ者は基本的に立入り禁止だ。更に進み王宮に入るには当然正規の許可証を得ていないとならなかった。
そうだ。スズにも連絡をしなければ……。
庭園で寛ぐ人々を横目に見ながらココレアは思った。昨日はせっかく来てくれたのに自分に用事が出来て帰らせてしまった。それにユーヴィリー家の子息への襲撃事件が段々広まり王都には徐々に不安が漂い始めているようだ。互いに近況の報告がてらまたお茶にでも誘おう。
けれど……。本当に気になっているのは、あのルーンに言われた言葉。
『女や子供をスパイに使う』
あれではまるでスズがスパイだと言いたいみたいではないか。昨日の襲撃は、彼女と会っていたのと襲われたタイミングがたまたま重なってしまっただけ。あのスズが自分に危害を加えるなんて有り得ない。それを確認するためにも……。
そう自らの考えを確かめたところで、ココレアは馬車の窓から顔をのぞかせた。
青い空の下、その目の前にはアンザネイスの荘厳たる王宮が聳え立っていた。