宴の帰り道 3
「これはこれは、ユーヴィリー家のご子息ではないですか」
その頃になって王都の警察隊が到着したようだった。深い黄土色の帽子と制服を身に着けた男達が続々と集まり、2人の前で大声で指示を出したり現場を調べ始めている。
「ああ、ご苦労」
近寄って来た一番偉そうな警察官の男にルーンが言うと、相手の表情が少し強張った。
立場的には公爵家の称号を持ち大元帥の息子であるルーンはこの場の誰よりも身分は高い。上から目線の態度も当然ではあるのだが、アンザネイスでは軍と警察は元々仲が悪いこともありこんな子供に居丈高にされれば面白くはないのは当然であった。
「賊はこの四人だけだったのですか?」
わざとらしい質問に、手にしていた傘をやっと手放したルーンは警察を見上げる。
「いや、全部で五人だ。リーダー格の男は取り逃した」
「なんと! それは大変ではないですか」
大袈裟な声にココレアは眉をしかめたが、周囲では仲間の警官達がくすくすと笑いあう。
「大元帥の息子殿ともあろう方が」
「これは大失態ですなあ」
そんな嫌味を浴びせられてもルーンは押し黙って何も言わない。普段はすぐにむきになる子供っぽい性格のくせ、戦うことに関しては誰より責任感が強いことをココレアは知っている。この状況に一番自分を許せないのはルーン自身なのだ。
「お言葉ですが」
だからこそ、ずいっとその場に割り込んでいった少女に誰もが驚いたように目を向けた。
「ココレア」
「私はシェトー男爵家の長女、ココレアと申します」
ルーンと警察官、両方を薙ぎ払うような力強い声が夜の王都に響く。
「あの、シェトー大佐の?」
誰かの声には答えず、その紫色の瞳は警官達や集まってきた市井の人々に向けられる。
「ル……ユーヴィリー様は武器もない状態で五人もの敵に襲撃され、それをたった一人で撃退しました」
それがルーンを庇う発言だと分かった警察官は、鼻白んだ目で闖入してきた小娘を見下ろした。
「しかし、軍人や警官は失敗したら罰を受けなければならないんだよ。君みたいなお嬢さんには分からないだろうがね」
「警官殿は、ここがどこだとお思いですか?」
「ココ。いいって」
にやつく警察に食ってかかるココレアをルーンが制すが、そんなものは無視して右腕を高々と掲げてみせた。その先にあるのは、まだ煙があがる街路樹や破壊された道、ユーヴィリー家の馬車は御者が起こしたものの車輪が外れ馬は逃げてしまっている。
「どこって、そりゃ王都の4番通り……」
そこまで言いかけた警察官の口が止まる。
「そう、ここは市民が住む市街地。ほんの少しでも攻撃が逸れれば、誰かの家が破壊されてしまうような、そんな場所です」
横でルーン渋い顔をするのは分かっているが、ココレアは言わずにいられなかった。
「彼は敵の攻撃を全てその体で受け止めていました、そして自らの反撃は脅し程度にしか使わなかった。そんなハンデを追えば自分が死ぬかもしれないのに」
放っておけば言い訳をすることもなく、きっと敵を逃したことを自らのせいと受け入れてしまう。だから、ここで自分がおせっかいを焼かなくてはならない。
「それは偏に街にや市民に被害を出さないため。本来の力を封じて身を犠牲にして、この国を守ったのです」
そんな訴えに警官達は唖然とし、ルーンは拗ねたように下を向く。
「そ、そうよ。ルーン様が戦っている間、私達の家はどこも壊れなかった」
「俺達を守ってくださっていたんだ」
警察の外側に集まった者、家々の窓から顔をのぞかせる者。その中から誰ともなくそんな声が聞こえ始める。
「分かった分かった。この件は俺達からも上にそう報告しておくよ」
周囲からの非難の声に耐えきれなくなったのか、警官の男は困り果てたようにココレアを見た。
「ありがとうございます!」
ようやく安心して大きく頭を下げたその横で、ルーンは複雑そうな顔をしていた。
「本当、お節介なところ変わってねえな」
はめただけの馬車の車輪はガタガタと大きく音をたてて、向かいあった相手が何事かを喋っても煩くて聞き取れなかった。
「え、なにっ?」
「なんでもねえよ!」
冗談のように激しく揺れる馬車で正面に座るルーンに聞き返したココレアだったが、何故か怒ったような返事が戻ってくるのみだ。
あの後、御者が逃げた馬を見つけ、即席で直した馬車はいつ壊れてもおかしくないような出来栄えであった。しかしユーヴィリー家から代わりの馬車を待つのは時間がかかるし、あの場にいつまでも居る訳にもいかない。そんな理由から、ココレアとルーンはこのおんぼろ馬車で帰路の続きについていた。
「ねえ。さっきの連中って……」
しばらく無言で大きな揺れに身を任せていたココレアの遠慮がちな呟きに、ルーンは聞こえないふりをする。
「もしかして、アンザネイスが攻撃されるかもしれないってことと関係がある?」
屋敷を出る時に少女達が教えてくれた情報。冷静になって考えてみれば、タイミング的にもとても無関係とは思えなかった。
そんなココレアにやっとルーンは向き直る。
「それ聞いて、どうするつもりだよ」
その声はやかましいはずの馬車の中で、やけにはっきりと聞こえた。
「……え?」
素っ気なさすら感じさせる態度にココレアは当惑する。
「……なあ、お前が今日のパーティーに出席するっていつ決まったんだ?」
そして、ルーンからの返事は回答になっていない ちぐはぐなものだった。
「いつ、って……出かける直前にレンオ様が迎えに来て」
意味の掴めぬままに答えると、更に鋭い視線が向けられる。
「それを知ってる奴は?」
「家族には伝えて出て来たわ。あ、あとレンオ様がいらっしゃった時はスズがいた」
「スズ?」
「ほら、留学生の子。黒い髪と黒い目の」
なるべく普段通りのように喋るが、何故ルーンが真剣な眼差しでこんなことを聞くのか理解が出来ない。
「ココ、よく聞け」
ふいにルーンの顔が耳元に近づいたのは、馬車がココレアの家の敷地に差し掛かった頃だ。
「ちょ、どうしたの」
「奴等は、昔はまだまともだった。戦うにしても馬鹿正直に正面から挑んできてた」
何か重大なことを伝えようとしているのだと感じ取ったココレアは、ほんの鼻先の距離の血で汚れた顔を見つめる。
「でも、今は勝つためならどんなことだってやってくる。さっきみたいな奇襲や民間人への攻撃、それに……スパイを送りこんだり」
二つの体が大きく揺れて止まり、馬車は家の玄関前に辿り着いていた。
「それ、って」
「それだって前は訓練された男だった。けど、今のあいつらは……平気で女や子供をスパイに使う」
「到着しました」
その先を問いただそうとしていたココレアの真横で扉が開く。視線を向ければ、一緒に傘を探してくれた御者がランタンを持って立っている。
「あ、ありがとうございます」
先ほどの共闘ですっかり打ち解けた笑みをみせる彼に会釈をし、馬車のステップにおずおずと足をかけた。
「じゃあな」
地面に降りた背中にかかるルーンの静かな声。
「ええ。今日は、ありがとう」
消化不良のココレアだったが、扉を閉めた馬車はガタガタと走り出し、やがて暗闇の中へと消えてゆく。
しばらく彼等が去った方向を眺めていたが、吹いた風の冷たさにまるで夢から覚めたように我に返った。
「ただいま帰りました」
まだ現実味のないまま静かに灯りの灯っていない玄関を開ければ、予想通り返事はない。こんな時間だ、家族は皆寝てしまっているのだろう。
廊下を通り蝋燭に灯りをつけ、キッチンの粗末な椅子に座りこんだココレアの頭にルーンは言葉が蘇った。
奴等……。
その言葉が一瞬よみがえったが、そんなものは振り払うように乱暴に頭を振った。
ルーンと一緒にいたせいで勘違いしそうになったけれど、もう自分などが口を挟める次元の問題ではない。こんな何も持たない者が出しゃばろうなんて、思いあがりも甚だしい。
それが例え、父の仇でも、自分が力を失ったきっかけでも……。
しばらく闇夜の中で佇んでいたココレアが一枚しかないマントを失くしたことに気づいたのは、更に月が傾いた頃であった。