宴の帰り道 2
「くっそ!」
吠えたルーンの腕を鋭い閃光がかすめ飛んでゆく。
そこから飛び散る血飛沫。バランスを崩した体はよろめいて破片が飛び散った石畳の上へと倒れ込んだ。
「これがアンザネイスの大元帥の息子か?」
小馬鹿にしたような口調で近づく長い髪を後ろでまとめた長身痩躯の男。リーダー格らしい青白い相貌をルーンは浅い呼吸で睨み上げた。
「卑怯な不意打ちしておいて、よく言うぜ」
ふらつき立ち上がる足元には2人の男が白目をむいて転がっている。最初の混乱に乗じて実力が低そうな奴を先にぶっ倒す作戦は成功したが、全身に怪我を負うルーンに対して3人の敵は無傷で残ったままだ。
「ふん。卑劣な王国に飼われている犬がなにをほざくか」
表情を歪ませながら言う長髪男の手に光が発生し、その球体はみるみると膨らんでゆく。
魔法を戦闘に使用する場合、このように魔法力を具現化するものと、物体に魔法力を注ぎ武器として使う二種類がある。具現化は魔法力の消費は大きいが自在に操ることができ、武器は強化した道具を少ない魔法力で使うことが出来る。
代々軍人の家系であるユーヴィリー家の男子は運動神経や武術には優れた才を発揮するが、魔法力はあまり多くない。従って魔法と武器を併用し戦う前提で訓練を積んでおり、愛剣があれば一対一で負けることはほぼ無い。裏を返せば、こんな場所で素手のまま戦闘に突入してしまったルーンは考えうる最悪の状況ということだった。
「さっさと殺せ! 次はあの女だ」
飛来する具現化された魔法力。これ自体はエネルギーの塊に過ぎないが、重量や攻撃性、威力は魔法を使役する者の能力や才覚にあわせ修練により無限に変化する。
「こんな場所で、ふざけんなよ」
向かい来る白光に呟いたルーンはその衝撃を引きつけてギリギリでかわす。同時に自らも掌で作った具現魔法を敵側へ飛ばしながら牽制するが、その繰り返しだけでは距離をとって攻撃を回避するのが精一杯であった。
「この国の軍人は逃げ足ばかり教わるのか?」
にたりと笑う長髪男の前で、確かにその全身は傷つき肩で大きな呼吸を繰り返していた。
「このまま遠くから魔法で削っていけば、そのうち力尽きるんじゃないか?」
「武術の達人なんだろ。わざわざ近づく危険を冒さなくても……」
額から流れる血を拭うルーンの耳に、敵同士がひそひそと話し合う声が聞こえる。
「そんな隙を与えて、逃げられたり救援が来たらどうする。さっさと確実に息の根を止めろ」
圧倒的に有利な状況でも抜かりなく命ずる男の声には憎悪が見え隠れしている。
「そうだぜ。ビビッてねえで、さっさと来いよ」
重苦しい上着を脱ぎ捨て白いシャツだけの装いになったルーンは挑発するように笑った。
「このガキが」
顔色の変わった3人の男が腰に差していた剣を抜き放つと、月の光を反射した刃が白く不気味に輝いた。同時に駆け出す相手を迎え撃つため手に力を集中させようとしたルーンだったが。
「……っ」
最初に斬りこんできた太刀をどうにか避けながら街路樹の影に逃げ込む。
胸の前でかざした両手の中には、今にも消えそうな白い光が微かに浮かんでいるだけだった。
「とうとう魔法力が尽きたようだな」
嘲笑う長髪の声が静寂を取り戻した夜に響く。それが真実であるルーンは木に寄りかかり、天を仰いで大きく息を吐き出した。
「お前ら。こんなことして、何が目的なんだ?」
息を整えながら尋ねた声に、街路樹を挟んだ敵の3人は顔を見合わせる。
「そんな時間稼ぎには……」
「てめえら、ラスヒビアの人間なんだろ?」
会話を打ち切ろうとした長髪を遮るルーンの声に、男達の表情は途端に曇った。
「……それに気づいたなら、自分が惨たらしく殺される理由も分かるな?」
低い声が剣を構え直し、重苦しい軍靴の音が慎重に距離を詰める。
「知るかよ。負け犬共の遠吠えなんか」
鼻で笑うルーンの台詞は男達の怒りの奇声でかき消される。醜悪な顔つきで斬りかかる3人の敵に、覚悟を決めたように丸腰のルーンが木影から身を晒した時だった。
「ルーン、使って!」
叫ぶ声と同時に飛んできた細長い物体。
反射的にそれを右手で受け取ったルーンは、ぜいぜいと息を切らせ全身を泥で汚したココレアの姿を見た。
「遅いっつーの」
笑いながら手にしにした武器を構えるモーションに、駆け出していた男達は咄嗟に動きを止める。
「あいつ、武具を」
「いや」
しかし、すぐさま冷静になったのは長髪の男。
「あいつの魔法力はもうない。ただのはったりだ!」
そうだったと慌てふためいていた他の二人にも余裕の笑みが戻る。魔法が使えなければ変哲ない武器を振り回しているのと同じ。いくら達人とはいえ飛び道具である魔法には勝てるはずがない。
「それに」
月明りの下に露になった情景に、敵達は思わず吹き出す。剣か槍でも渡されたのかと警戒したルーンの手が握っていたのは、貴婦人が持っていそうなフリルのついた白い日傘であった。
「由緒あるユーヴィリー家の息子が、最後に握って死ぬのがそんな代物とはなあ」
嬉しそうに憐みの言葉をかける長髪にルーン自身も苦い顔をする。
「本当だぜ、もうちょっとマシな武器なかったのかよ」
「見つけてやったんだから感謝しなさいよ!」
「まあ、なんとかやってみる」
横から怒鳴るココレアを見て、その口元がつり上がった。
「そんな傘一本あったところで……」
悠然と何かを言いかけた敵の言葉はふいに途切れる。飛来した白い衝撃が彼の上半身へ激突し、瞬きの間もなく石畳の上へと激しく叩きつけたのだった。
「……なっ」
振り返り見れば、その光は間違いなくルーンの手元から発せられたもの。
「馬鹿な、もう魔法は使えぬはず」
握った傘からは魔法のオーラが闇の中に浮かび上がり、その光に照らされたルーンの顔も何故か当惑しているように見えた。
「どうなってるんだ。話が違う……」
「ここは一度退散を」
戸惑う男共へ考える時間を与えず、傷だらけのルーンの足は動き出した。
「逃がすかよ!」
我に返ったように再度ルーンが振り上げた傘から横一線に煌めく光の衝撃波が敵を襲う。
「くっ」
その攻撃はかろうじて避けたものの、距離を縮めたルーンの体が目の前に迫っている。
捕らえた!
戦闘を見つめていたココレアが思わず心の中で叫ぶ。次の一撃で二人ともを仕留められる確実な距離。
「……っ!」
しかし、日傘からの衝撃を受け低い呻き声をあげたのは一人きりであった。あの長髪男が仲間の体を盾のように差出し、自分だけ攻撃から逃れたのだった。
「この野郎っ」
その光景に舌打ちし、更にもう一歩を切り込もうとしたルーンは目の前で弾ける急の眩しさに顔を背けた。
「うわっ」
同時に視界を奪われたココレアも無意識に腕で両目を覆う。
「あいつ……っ」
視力が回復するまで間に目くらましの閃光手榴弾を使われたと気づいたが、瞼をこじ開けルーンの元に駆け寄った時には既に敵は姿をくらませた後だった。
「くそっ」
同じように乱暴に目をこすりながら歯噛みするルーン。長髪の後を追って走り出してしまいそうな勢いだったがその背中は至る箇所から血が流れ白いシャツを赤く染めていた。
「深追いは駄目よ」
「お前」
まだ興奮している肩にココレアが手を置くと、夢から覚めたように茫然とルーンはその顔を見返す。
「大丈夫?」
「……いや、なんでもねえ」
取り出したハンカチで顔の血を拭いてあげるとふいっと横を向かれてしまったが、その表情はもう冷静さを取り戻しているようだった。
「でも、ひどい」
「ああ」
気が抜けてやっと周囲に目を向けた2人の前には、戦闘の爪痕が月の光の下に横たわっていた。火はすでに消えかけだが、倒れた街路樹、無残に割れた石畳、倒れた敵の男達。そんな光景はとても現実のものとは思えなかった。