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ヴァルキリーの恋夜  作者: 木津 ツキ
15/36

宴の帰り道 1

 

 ルーンという名は、古くからアンザネイスでは女性に使われる名前であった。男女兼用という訳でも曖昧な印象という訳でもない、正しく女にのみ名づけられるもの。

 「お前、さっきから笑いたいの我慢してるだろ」

帰りの馬車の中、度々顔を背けるココレアにルーンが忌々し気に言う。

「そんなこと……」

否定しようとしつつも頬が緩んでしまうのをどうしても止められなかった。

 初代アンザネイス王の時代から常に軍閥の頂点に君臨してきた名門ユーヴィリー家。現当主であり大元帥であるロージ・ユーヴィリーは妻との間に4人の男児をもうけた。軍人を輩出する家としては実にめでたいことだが、長いこと彼は可愛い娘が一人は欲しいと願っていたという。そんなところに久々に妻が五人目の子を妊娠した。これは神から念願の末娘を授かったに違いない、そうだ名前は女の子らしいルーンにしよう、きっと世界一可愛い少女になる。そう信じて疑わず、生まれる前から役所に名前の届け出までした結果はこうなった。

 「次に笑ったらぶん殴るからな!」

少しつり目気味な瞳を更に怒らせるユーヴィリー家の五男に、ココレアはますます可笑しさを噛み殺すしかなかった。

「セレンみたいな言葉遣いしないでよ」

普段は避けているはずの名がついココレアの唇から漏れると、初めて車内には静けさが訪れる。

けれど、行きの時にレンオに感じたような嫌な沈黙ではない。窓から徐々に暮れ行く王都を共に眺める時間は、気楽でどこか懐かしいものだった。

 「なんで、今日のパーティーに参加してたの?」

少ししてから先に口を開いたのは、藍色に染まる空を眺めるのに飽きたココレア。何気ない世間話のつもりだったが、よくよく考えればどうして公爵家の息子であるルーンがあの場にいたのだろうか。

「昨日、あの女達3人にたまたま声かけられてさ。まあ、俺も暇だったし」

「あの中に好きな子でもいるの?」

「そんな訳ねえだろ!」

予想通り怒鳴り返してくる姿にまたもや苦笑してしまう。

「それに、ちょっと気になることもあったし」

そんなルーンの意味深な物言いに違和感を感じたものの、その問いは飲み込んだ。今のココレアには彼らの行動に関わる理由も権利もないのだから。

「……お前こそ馬鹿じゃねえの。あの婚約者のアリバイ作りのためにほいほい着いてくるとか」

棘のある口調でルーンが言うのはメイサが教えてくれたのと同じことだろう。今日自分を婚約者としてパーティーに同伴すれば、レンオとしては世間に関係修復をアピールできる。今まで一度も誘ってもらえなかった伯爵家の集まりに顔を出せたのにはそんな事情があった。

「でもウェリーさん達とお友達になれて、他の方々も良い人ばかりで楽しかったし。まあ、良いかな、って」

「本当、馬鹿がつくお人良しだよな」

ぶっきらぼうに横を向くルーンに、何か言い返してやろうとしたココレアだったが。

「……だから、俺の嫁にしてやってもいいって言ったのに」

小さく呟かれた一言に、その動きを止めたが

「本当、なに生意気言ってんの」

ほんの少しの間があった後、ルーンの額を軽くはじきながら今度こそ大きく笑った。

「いってぇな」

「そんな言葉は、それこそ良いお家のお嬢さんにとっておきなさいよ」

睨みつけてくるつり目に説教のように言い聞かせる。

「一才しか違わないのに年上ぶるな」

「……でも、まあ。ありがとうね」

静かに微笑んだココレアに、ルーンは口を尖らせただけで黙り込んだ。

 窓から空に見える月はくっきり形をなし、いつもより人の少ない王都の大通りを静かに照らしている。

「俺達はさ、離れてもお前が幸せでやってるならそれでいいと思ってたんだよ」

車輪の音に混じる拗ねたようなルーンの声をココレアは外へ目を向けたまま聞く。

「それなのに、今のお前は……」

どこか苦し気で苛立ちを含んだ感情。最後まで言わなくても、それはココレア自身が一番分かっていた。

きっとセレンもノヴァもテオもルーンも、昨日のレンオとの顛末を見ていただろう。身に覚えのない盗みの罪をきせられても何も言えず、理解者であるはずの婚約者にも捨てられた惨めで愚かな女。そんな情けない自分は彼らの目にどんなふうに映ったのか。いや……。

「今の姿を見たら、あの頃のお前は何て言うだろうな」

見た目は大人びても中身はまだまだ生意気な子供だと思っていたルーン。そんな彼の初めて聞く冷静な言葉に、ココレアは何も言い返すことができなかった。

「……悪い。余計なことを言った」

なので、らしくなくルーンが謝る姿に首を横に振ろうとしたココレアだったが。

「きゃっ!」

次の瞬間、大きく揺れた震動によりその体は馬車の内壁に叩きつけられていた。

「なんだ」

同じように座席に倒れ込んだルーンが素早く起き上がり馬車の扉に手をかける。

「なに?」

痛みを堪えながら後に続いて這い出したココレアは、薄闇の街を赤く照らす炎を見た。

「これ、は」

場所は大通りから一つ路地に入ったあたり。普段は変哲のない住宅地の一画のはずが、街路樹は燃え道の石畳は中央が黒く焦げて陥没している。

「き、急に爆発が……!」

横倒しになった馬車の横で、馬を操っていた御者が震えながら煙が上がる前方を指し示した。

「ココ、下がってろ」

濛々(もうもう)とたちこめる黒煙を見つめたまま、こちらに背中を向けたルーンが言う。

「おい、はずれたじゃねえか」

その視線の先から現れた、ゆらりと揺れる影。

「爆撃なんて精度が悪いのに」

「奇襲がいいって言ったのはお前だろ」

月明りの下、互いに罵りながら姿をみせたのは柄の悪そうな壮年の男達5人。

彼らのことは知らない。だがココレアには、その顔つきやアンザネイスのものでない民族衣装にはどこか見覚えがあった。

「じゃあ、絶対にここでターゲットを殺さないといけねえわけだ」

まだ頭の考えがまとまらないのに、襲撃者の1人の手からは眩い光が生ずる。

「逃げろ!」

その光景を立ち尽くし眺めるだけだったココレアの体をルーンの強い力が突き飛ばす。

「ルーン!」

馬車の影に倒れ込んだ目が見たのは、自らも両手に光を宿し駆け出す後ろ姿だった。

「ひいい、こんな街中で魔法だなんて……!」

同じように馬車の影に逃げ込んだ御者が頭を抱え込みで叫ぶ。

そう、これは現実。この目の前で魔法と魔法での戦いが始まろうとしていた。

そんな事実に愕然として馬車に後頭部をつけると、背後では閃光が夜空を白く染め、遅れて激しい爆発音が聞こえてくる。

「どど、どうしましょう……」

気の弱そうな御者に縋りつかれるが、言われたココレアとて今になってから手が震えていることに気がついた。一歩間違えば、一瞬で命を失ってしまうような状況。それを怖くないと言えば嘘になる。下手をしたらここで泣き出してしまうくらいに。

かつては、何も考えずに走り出せていたというのに……。

「お前達は早く逃げろ! 俺がなんとかする」

見えない背後からの破壊音に混じり、ルーンの怒鳴り声が途切れ途切れ届く。

「そ、そうしましょう。早く救援を呼ばないと」

御者とはいえユーヴィリー家の家来は、怯えながらも主人を助けるためこの場から脱出を試みる決意をしたようだった。

「そう、ね……」

確かにそれが一番正しい。自分に状況を好転させる力がないのなら、他人に助けを求める以外にできることはない。

心臓の音が速く煩い。緊張で忘れていた呼吸を落ち着かせるため、夜空を見上げてココレアは頷きかけるが

「……だめよ」

「え?」

予想外の声に、走り出そうとしていた御者は当惑し後ろを振り返った。

「敵は武装した5人。いくらルーンでも、武器なしの丸腰じゃ長くはもたない」

ゆらりと立ち上がった姿は、先ほどまで恐怖と絶望に(おのの)いていた少女とは別人に見えた。

「し、しかし」

薄紅色のマントを脱ぎ捨てたココレアに御者が駆け寄る。

「でも、こんな住宅地に都合よく剣や刀なんてあるはずない」

「それが分かっているなら、早く救援をっ」

「それじゃ間に合わない」

矛盾を語るココレアに苛つく御者だったが、薄闇の中で強い意志を放ち輝く紫の瞳にはっと口をつぐむ。

頬を煤で汚し高価とは言えぬドレスをまとった貧乏男爵家の娘。主人であるルーンとは釣り合わないと内心侮っていた彼はその考えを改めた。

確信などはない。しかし、この人ならばユーヴィリー家の大切な末の弟君を助けてくれるかもしれない。

「一緒に、武器になるものを探してください」

こちらへ向き直ったココレアに御者は自然と力強く頷いていた。

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