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ヴァルキリーの恋夜  作者: 木津 ツキ
10/36

前夜祭 5

「さすがティア様はお優しい。だが捻じ曲がった性根を叩き直すのは私の役目。こんな女と縁続きにでもなったら、由緒ある我がデンサー家の恥です!」

 足元から聞こえる歓声や野次は、ほとんどココレアの耳には入ってこなかった。

一体どうしてこんな状況になってしまったのか。朝、家を出た時は少なからず婚約者と参加するパーティーを楽しみにしていた。大切な大切なネックレスを取り出し、レンオが褒めてくれるだろうかと鏡の前で楽しい想像をしたりもした。

目の前の視界が狭まり、体に力が入らない。いよいよ今にも気を失ってしまいそうだ。

 「さあ、己の卑劣な行いを皆の前で告白し、許しを乞いなさい」

そんなレンオの強い言葉が、ふらりとココレアの足を動かす。

そうか、ここで謝ってしまえばいいのか。

それが真実でも嘘でも、自分がティアのネックレスを盗んだ犯人にされることは覆らない。この世界はそういう風に出来ている。

このままずっとこうしている訳にもいかないのだから、さっさと謝罪して終わらせてしまえ。

「……私、は」

もう疲れた。その後がどうなろうと、この地獄のような状況から逃げ出せるのならなんでもいい……。

そんな考えに支配され、舞台のへりまで進み出たココレアを大衆からの憎悪が迎える。まるで断頭台の上にでも立っているようだと、やけに冷静な頭でそんなことを考える。

「私は、ティア様の、ネックレスを……」

さあ、言ってしまえ。認めてしまえば、とりあえずは楽になれる。

脳内で誰かが囁く声が聞こえる。

そうだ。元々自分には失うようなものは何ひとつない。今更罵られる理由が増えたところで……。

「私は、盗んでなどいません」

無意識に、ココレアはきっぱりと宣言していた。

途端に沸き起こるヒステリックな怒声や叫び声。

「……あ」

こうなることは分かりきっていたのに、自分がとった行動にココレア自身が一番驚いていた。

けれど、どうしても認められない。嘘の汚名を受け入れることを、自分ではない自分がどこかで拒絶したようだった。

 「見苦しいぞ!」

「せめて潔く詫びろ」

さすれば強烈な反発は当然。四方からは謝罪を要求する声で満たされ、目の前には憤怒に顔を赤黒くさせるレンオと扇で陰湿な笑みを隠すティア。

自分で起こした事態とはいえ、決定的に逃げ場すらなくしてしまった。

ここから、どう立ち回ればいいのか、何を語るべきなのか。為すすべなく立ち尽くすしか出来ないココレアが途方に暮れかけた時。

 「これは何の騒ぎだ」

厳然たる声が響き渡り、集まった者達は反射的にその口を閉ざす。

それは彼が普段から担っている役割のせいもあるが、決して反論など許さぬ威圧感を感じたからに他ならない。

「生徒総鑑」

その名を呼ばれたノヴァ・トゥンドゥーザが、いつものしかつめらしい面持ちで大広間の入り口に姿をみせたのだった。

「パーティーはとっくに始まっている時間じゃないのか?」

その背後から憮然と言い放ったのは、軍大元帥の子息であるルーン・ユーヴィリー。

「ルーン様まで」

女子生徒の誰かが思わず声を漏らす。

「親衛隊の方がお二人も?」

「ということは……」

その場に集まった数百人ほどの生徒や関係者達は、自然と直立不動の姿勢をとっていた。

 不機嫌そうな表情。ダークブラウンの髪に黄金色の瞳。最高位の者しかまとうことを許されぬ黒の礼服が窓からの陽射しに照らされる。

皆が自分に道を開けることを疑問にすら感じぬ存在。王国の王太子、セレン・アンザネイスがこの場に来臨したからであった。

「セレン様」

「王太子殿下」

歩む度に捧げられる礼や挨拶などは聞こえてすらないように、両側にノヴァとルーンを引き連れ真っすぐにその足が向かう先。

「こ、これはこれは」

舞台下でさっきまで囃し立ての中心だったティアの取り巻き令嬢達がそそくさと集まってゆく。

「セレン様が学生のパーティーにいらっしゃるなんて」

「とても光栄ですわ」

「ささ、ティア様はこちらに」

口々にかけられる声には目もくれず、埃ひとつない黒い革靴は舞台へと上がる階段へとかかった。

 ああ、最悪だ。

ついさっきまで人生最大のピンチに置かれていたというのに、ココレアにはそれすらもどうでもいいように思えた。

「まあ、セレン様!」

ノヴァとルーンを残し独り舞台上へと上がったセレンを、耳鳴りがしそうなほど甲高い声でティアがはしゃぎ出迎える。

しかし、その目が射るように見据えていたのはこの状況に戸惑うばかりのレンオへであった。

其方(そなた)の名は?」

冷やかな声音が尋ねた。

「……はっ。デンサー伯爵家の三男、レンオ・デンサーと申します」

「そうか。ここで、何をしている」

「……そ、それは」

 本来、まだ学生という身分であるセレンには王族として礼遇する必要はないとされる。しかしそれは建前で、未来の国王たる人物に馴れ馴れしく接することが出来るのは、よほど高貴な家の生まれの者か厚顔無恥なうつけ者のどちらかだ。

 「はっ。恐れながら、私の愚かな婚約者がティア様に大変な無礼をはたらいてしまい……」

「あっ」

咄嗟に体を退かせその場に膝をつくレンオ。その肩にぶつかられ体勢を崩したココレアは強かに舞台の床に倒れ込むはめになった。

どっと沸きあがる周囲からの嘲笑。

そんな状況に更にカッとなったレンオは隣で座り込むココレアの頭を更に押さえつける。

「セレン様の前で、このような醜態、申し訳ございません」

少しだけ上げた顔で茫然とレンオを見つめたココレアだったが、その白い頬からは感情が消え、言われるがままに体はその力に従い這いつくばる。

 世界に訪れる静寂。しばしの間、セレンは舞台の高見から集まった人間達を見下ろしていたが

「随分と無様な姿だな」

やがてつまらなそうに呟き、動けぬままだったプラチナブロンドの髪の持ち主へとゆったり歩み寄った。

更に委縮するレンオ。笑いをこらえるティア。そして、これからこの泥棒女にどんな罰が下されるのかと誰もが待ち望む。

 しかし、乱れた前髪の下で俯いていた紫色の瞳が僅かに上向く。

将来の絶対君主、世界の皇帝となる神聖なる王太子を……ココレアだけが臆せず睨みつけていた。

それを階下から見ていたノヴァとルーンは呆れたように肩をすくめ、そして当のセレンは初めて微かに口角をつり上げる。

 「王太子殿下。ティア様への失敬はこの女が勝手にしでかしたこと。我がデンサー家は何の関与もございませぬ」

「そうなんです、セレン様。私、この女に酷い侮辱を受けたのです」

平伏して必死の弁明を続けるレンオと、泣き出しそうな演技を始めるティア。ほんの少し崩れたセレンの顔貌はすぐさま仏頂面へと立ち戻った。

「さっきから、お前達が言っている」

セレンが一言を発するたび、大広間は瞬時に静まり返り、次の御言葉を待つ。

「ティアとは、一体誰のことだ」

不快そうに言い放たれると、会場には水を打ったような静けさとそれに続く混乱がいっきに押し寄せてきた。

「え、そ、それはっ」

「セレン様、私です。ほら、コンドラッド家の……」

狼狽で右往左往するレンオとティアの前を通り過ぎ、礼服の膝が惜しげもなく床につく。

「俺とダンスをしろ」

無遠慮に差し出された右手に、今度こそ集まった人々からは絶叫が沸き起った。

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