8 きっと、彼らはこんなどうしようもない日常を。
それから数十分後。
一秋と陽の二人は、食卓でやや遅めの夕食をとっていた。
今晩の献立はカップラーメン――キッチンの収納に仕舞われたまま忘れ去られ、二か月ほど前に賞味期限が切れた、ジャンクな醤油味のカップラーメンである。
時刻は午後九時半を回ったが、雨風が止む気配は一向に見受けられない。天井の方から聞こえてくる雨音を聞きながら、彼がふと呟いた。
「本当に止むのか? これ……」
やや不安げなその声に反応して、はす向かいの席に座る彼女が口を開く。
「あ、お母さんもそれ言ってた」
「おばさんが?」
「うん。真上からだったり横殴りだったりで、傘を差しててもかなり濡れたってさ」
彼女の台詞に、彼は納得した風になるほどと頷いた。
いくら春とはいえ、常に強い風が吹き続けるわけではない。この日の風もその強さは常に刻一刻と変化しており、それに伴って、部屋に響く雨音も強くなったり弱くなったりを不規則に繰り返していた。
「それじゃ、雨が止むまではここで待機か?」
「お願いしていい?」
「ま、俺とて雨の中歩いて帰らせるほど鬼じゃないからな……って、それどういう顔だよ」
――どういうわけか、彼女は失笑していた。
「いや、何でもないのよ? ただ……くふっ」
「せめてあと三秒堪えてくれよ。そこで吹き出されると余計に気になるから」
さして興味のなさそうな態度で彼が言うと、彼女は疎略に「ごめんごめん」と謝ってから続けた。
「いやー……怒られそうだから言わないけどさ、『俺とて鬼じゃない』って言う人が本当に鬼じゃないパターンってあるんだなあ、って思って」
彼女のそんな台詞に、彼は呆れた風に嘆息を漏らす。
「一行で矛盾してるし……ってか、怒るような要素あったか?」
「うーん……ま、そうかもね」
彼女は何やら含みのありそうな返しをしたが、彼はとりあえずそれを無視して、再び食事に意識を戻した。
そんな彼に、彼女がふと思い出したように言った。
「――ところで、このラーメン何かお線香みたいな匂いしない?」
彼は顔を上げると、口の中身を飲み込んで首を傾げた。
「え、そうか?」
「うん、多分……ちょっと食べてみて?」
差し出されたカップを受け取ったものの、彼は、内心では彼女の言葉を怪訝に思っていた。
確かに、彼女のラーメンは推定一年以上もの間引き出しの奥深くに仕舞われていたもので、移り香があってもおかしくはない――が、それは彼のラーメンも同じこと。
そもそもこの家にあるカップラーメンは全て同じ場所に仕舞われているのだから、彼女のラーメンに移り香があるなら、彼のラーメンにも同様に移り香があるはずなのだ。
しかし一度受け取ってしまった手前、彼女の訴えを一蹴して突き返すわけにもいかない。
そう考えて、彼は言われるがまま中身を一口啜った。
「うわ、線香臭ッ‼ 何だこれ⁉」
「やっぱりそうだよね! カズが目の前で平気な顔して食べてるもんだから、私がおかしいだけかと思ってたよ!」
「よく文句言わずに食ってたな……」
賞味期限を二か月ほど過ぎたそれは、強烈な安っぽい醤油味の中で、微かに、だが確かに、古くなった線香のような臭いが自己主張していた。
もっともラーメンの匂いと比べれば微々たるもので、決して食べられないほどではない――が、仮に「食べたいか」と問われれば十人中七人が「別に食べたくはない」と答えるであろう、そんな味だ。
「変なもん食わせてごめんな。とりあえずそれは俺が食うとして……あー、食べかけだけど、これで平気か?」
「え?」
彼の提案を聞いて、彼女は一瞬顔をしかめた。
「『え?』ってお前……そりゃあ俺の食べかけは嫌だろうけどさ、移り香って結構危険な場合もあってだな――」
「いや、そうじゃなくて……カズって、さらっとそういうこと言えたの?」
「…………」
彼女の台詞に、彼は思わず閉口した。
そんな彼のことは無視して、彼女が続ける。
「食べかけがどうとか今さらどうとも思わないわ。一体何年幼馴染やってると思ってるのよ――っていうか、危ないかもって理由なら、それをアンタに食べさせるわけにもいかないじゃない。……それとも、私を悪者にしたいわけ?」
そう言って、彼女は値踏みするような目で彼の顔を覗き込む。
「……あ、確かに」
「本当に気付いてなかったのね……」
彼女は小さくため息を吐いて、それから笑顔で言った。
「まあカズのことだし、どうせ深く考えないで言ったんでしょ? 可愛いやつめ」
「…………」
やけに上機嫌になった彼女に、彼は再び閉口するのだった。
多分この真下あたりに星が5つか6つかぐらい並んでるので、押したことないよって人は、ぜひ好きなやつをタップしてみてください。
ちなみに、個人的には右端がオススメです。