6 良くも悪くも、彼はいつでも彼らしい。
それからおよそ十分後。
リビングの扉が再び開いて、照れたように笑う陽が入ってきた。
「えへ、ただいま」
「……はいはい。おかえり」
適当にあしらう一秋にも嫌な顔一つせず、彼女はつい先ほどと同じように彼の隣に腰かける。
「ごめんね、私がいなくて寂しかった?」
「いや、別に全然全く……ひょっとして俺のことウサギか何かだと思ってる?」
眉をひそめてそう問う彼に、彼女が小首を傾げる。
「確かにカズは可愛いけど、ウサギみたいな可愛さじゃないよ?」
「そういうことじゃねえよ……」
彼が鬱陶しそうに言うと、彼女は、今度は逆の方向に首を傾げて――
「じゃあ年中発情期ってこと?」
彼女の台詞に、彼は一瞬固まってから、こめかみを手で押さえて唸った。
「……いや、そりゃ俺も人類だし、大体合ってるんだけどさ」
「そっか……あ、ごめん。ちょっと近すぎたよね。離れるね」
そう言ってから、人一人分――五十センチメートル弱ほど離れた位置に座りなおした彼女に、彼が不満げな声を上げる。
「おい。離れるのはいいけど、このタイミングはやめてくれ」
「ごめんごめん、冗談だって」
楽しそうに笑って、彼女は元の位置――よりもやや近い位置に座りなおした。
「……近くない?」
「え、だって離れてほしくないみたいだったから……」
「だからタイミングの問題だっての……」
呆れたように彼が言うと、彼女は「まあまあ、そういう事もあるよ」と笑って誤魔化した。微妙に誤魔化せていないような気もするが、そこに関してはとりあえず無視しておく。
そのまま数秒ほど沈黙が流れ、彼女が唐突に口を開いた。
「あのね」
「ん?」
「その……あ、ありがと」
突然もじもじしながら礼を言う彼女に、彼が怪訝そうに問う。
「いや、何が?」
「……何でもない!」
――ええ……。
いきなり礼を言ったかと思えば、急に拗ねたようになってそっぽを向く彼女に、彼は終始困惑させられるのだった。
そのまま特にこれといって何をするでもなく、およそ一時間ほど経過した。
外では依然として雨が降り続いており、その雨が今も絶えずリビングの窓に打ち付けている。一秋はそれを横目に見ながら、近い将来の可能性について真剣な顔つきで考えていた。
――“雨で砂埃が綺麗に落ちる”か“水垢がついて汚くなる”のどっちかだな……。
要するに彼は、週末の窓掃除の手間について考えていたのである。
その一方で、陽は何やら彼に話しかけるタイミングを窺っているようだった。
ちなみに彼は彼女の動きに気づいており、先ほどからそれとなく暇そうな態度を演じていた――というか実際に暇を持て余していたのだが、この一時間で彼女が話しかけてくることは一度もなかった。
かくして、彼ら二人の間には、およそ一時間もの間沈黙が流れ続けていた。
しかし、彼らも伊達に十数年間幼馴染をやっているわけではない。
確かに長い沈黙ではあったが、それは決して気まずさを伴う沈黙ではなかった。……もっとも、彼らの場合は「全く気まずくないからこそ一言も発さなかった」の方が正確ではあるのだが。
そこに突然、そんな長い沈黙を打ち破るように、遠くの方からアラーム音が響いてきた。
その音に反応して、彼女が声を発する。
「あ、洗濯終わったみたい」
「ん? ああ、そうだな」
やや遅れて反応した彼に、彼女がふと思い出したように呟いた。
「あれ、そういえば、下着も洗ってるのよね……」
「まあな。それがどうした?」
彼がそう訊くと、彼女は真剣な声音で続けた。
「雨の中突然押しかけて、理由も言わずにお風呂場借りて、あまつさえ下着まで洗わせるって……どうなの?」
「ほう、今更そこに気付くとはな……やはりバカか」
「うっ……今回ばかりは何も言い返せない……」
小さく呻いてから、彼女は急に立ち上がった。
「洗濯物干してくるね」
「おう、浴室のアレ使っていいぞ。あの、何だっけ。エアコンみたいなやつ」
一応補足しておくと、彼が言っているのは浴室乾燥機のことである。
「ああ、アレね。りょーかい」
彼の台詞に軽い調子で答えてから、彼女は歩いて廊下へと出て行った。
「――我ながら、なかなか上手くできたもんだな」
陽がリビングを出て行ってから少し経った頃。
ソファーに座る一秋は小さく独り言ち、ふうっと息を吐いた。
それからゆっくり立ち上がって、キッチンへと向かっていった。
彼は食器棚からガラスのコップを取り出すと、そこに水道水を半分ほど注いで、乾いた喉へと一気に流し込む。
「まさか桐山相手に緊張する日が来るなんてな……」
しみじみと、まるで達観したような口調で、誰にともなくそう呟いた。そんな彼の顔には、ほんの僅かに――だが明確に、自嘲の色が滲んでいた。
――考えるまでもない。緊張したのは、そこに期待が、未練があったからだ。
「はあ……散々目を逸らしておいて、失敗だったと知れば安堵して、それで今さら“未練”か」
何かを責めるような口調で、彼は小さく言い放ち――それから、ニヤリと笑った。
「なるほど、ようやく気付いた時には資格がないってわけだ。……まったく、最高の気分だよ」
冷ややかな、歪んだ微笑みを口元に浮かべて、彼は――