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3   時折、彼はお節介になる。

「ほれ、髪だけでも拭いとけ」


「ん。どうも」


 タオルを持って玄関に戻ってきた一秋が陽にタオルを渡すと、彼女は小さく礼を言って髪を拭き始めた。


「靴下も濡れてるんなら、脱いでから上がってくれ。それと洗面所は――って、言わなくてもわかるか」


「うん」


「あと、カバンはそこら辺に置いとけ」


「……うん」


 ――調子狂うな……。


 普段は鬱陶しいぐらい元気な彼女だが、今はどういうわけか彼の言葉に小さく頷くばかり。そんな光景に、彼はどこかやりにくさを覚えていた。


 ――ま、俺には関係ないか。


「じゃ、シャワーは好きなように使っていいからな」


「あっ」


 リビングに戻ろうと彼が後ろを向くと、不意に彼女が声を上げた。


「あ?」


「えっと……ごめん、何でもない。ちょっと虫がいただけ」


「……ま、もう三月だしな。そんじゃ俺はリビングにいるから、何かあったら言えよ」


「うん……」


 両者ともに沈黙し、少しばかり気まずい雰囲気が流れる。ついに彼はその空気に耐えられなくなって、さっさと廊下を歩いて行ってしまった。




 それから十分ほど経った。


 陽のカバンと廊下についた水滴を乾いた布で拭き取り終えた一秋は、脱衣所の扉の前で聞き耳を立てながら、中の様子を伺っていた。

 耳を扉にぴったりとくっつけて、脱衣所の中の音を盗み聞くことに全神経を集中させる。そんな彼の姿は、傍から見れば変質者そのもの――だが、そうまでしても、彼の耳には何も聞こえてこなかった。

 多分彼女は既に服を脱ぎ終えていて、今は浴室に入っているのだろう。


 ――それなら好都合だけど、さすがに静かすぎじゃないか……?


 浴室の中折れ戸の開閉音が聞こえたのは、今からおよそ五分前のこと。その時点で彼女が浴室に入っていたとすると、シャワーの音が全く聞こえてこないというのはいささか妙な話だ。

 もっとも、彼女が中で何をしていようが彼には関係のないこと。ゆえに普段なら気にも留めずにスルーするところだが、あいにく今はそういうわけにも行かなかった。


 ――とりあえず、声だけは掛けておくべき……だよな。


「桐山、ちょっと入っていいか?」


 そう彼が問うた。しかし、彼女の返事はない。


「入っていいのか? ……沈黙は肯定とみなすからな? 文句があるならさっさと言えよ?」


 再度問う彼に、彼女が再び沈黙を返す。

 数秒待ってから、彼は意を決したように扉に手を掛けた。


「入るぞ。俺はちゃんと警告したからな」


 三度目の警告とともに彼が扉を開くと、やはりそこに彼女の姿はなく、代わりに浴室の灯りがついていた。彼は内心安堵しつつ、入り口付近に立ったまま目当ての物を視線で探す。


 ――やっぱり床に放置ですか……。


 がっくりと肩を落とした彼の目線の先――脱衣所の床には、雨で濡れた制服が乱雑に脱ぎ捨てられていた。制服の山からは雨水と砂でできた薄い泥水が染み出ており、それが床を濡らしている。

 それだけならまだ良いのだが、制服の山には、比較的被害の少なかったワイシャツや下着類も一緒に入っているようだった。今はまだ何ともないように見えるが、床に垂れた泥水でそれらが汚れるのも時間の問題だろう。


 ――いくら幼馴染とは言え少しは気にしてほしい……が、そんな余裕も無いってことかね。


 一応彼女から『変態』と罵られた場合の反論も何種類か考えていたのだが、どうやら不要だったらしい。

 彼はやれやれと脱衣所に足を踏み入れると、中折れ戸の前に立って口を開いた。


「桐山、制服は干しとくぞ」


「……うん」


 やや遅れて、彼女が小さく返事をした。


「あと、ワイシャツと下着は洗っとくから。洗濯機で構わないよな?」


「……うん」


「……あの、聞いてます?」


「……聞いてる。洗っといてくれるんでしょ」


 ――ああ、なるほど。こりゃ重症だわ。


 彼女の声はいかにも上の空といった感じで、その上先ほどからシャワーの音が全く聞こえない。きっと彼女は、今も浴室内で何をするでもなくぼうっと突っ立っているか、あるいは座っているかのどちらかだろう。……どちらにせよ、彼女が“重症”なのには変わりないが。


 ――ところで、“重症”って一体何の症状なんだろうな。


 そんな下らないことを考えながら、彼は黙々と制服を回収するのだった。




 数分後。


 濡れた制服をハンガーに掛けて干し、下着類をネットに入れて洗濯機にぶち込むという任務を()()()()終えた一秋は、再び中折れ戸の前に立っていた。

 陽も先ほど彼に話しかけられて我に返ったのか、浴室内からはシャワーの音が聞こえてきている。


「桐山、着替えは俺のジャージでいいか?」


 彼が問いかけるとシャワーの音が止まり、間もなく彼女の声が聞こえてきた。


「うん、それで大丈夫」


 ――さっきよりはいくらかマシになった……のか?


 返事の声音から彼女の調子を伺いつつ、彼は続ける。


「オーケー、準備しとく。タオルも出しとくから使ってくれ」


「ん、ありがと」


 これと言って明確な違いは無いものの、先ほどと比べて彼女の声音がどことなく明るくなったように聞こえた。


 ――……どうせ暇してたところだ、できる範囲でやってみるか。


 彼女に何があったのかは依然としてわからないままだが、わからないままでも、彼女が助けを求めるならそれに最大限応えよう、と。彼は密かにそう決心するのだった。

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