JACK POT
「世界を救ってほしい」
ブライアンを名乗った初老に差し掛かる黒人が、自分が乗るはずだったセダンの後部座席に座り、そんなことを言い出した。なぜここにいるのか。車の持ち主であるシキ・ワトソンはタバコを咥え考える。
彼女は、考えるのは得意なのだ。特定の分野に特化しているあたり、ギフテッドに似ている。その知恵で金も湯水の如くある。
なぜこうなったのか。彼女はここ二か月のことを思い出す。
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米国、ラスベガス『リオ・オールスイートホテル&カジノ』にて、毎年、世界最高峰のポーカーの大会『WSOP』が二か月間にわたり開催される。
世界中からギャンブラーの集う空気はまさに異様の一言である。それもそのはずだ。なにせ優勝賞金は九億円。少ないように聞こえるかもしれないが、一度の勝負で九億を得るのだ。基本ルールであるテキサスホールデム以外のゲームやWSOP開催期間中に行われるサイドイベントなどの収益を合わせたら、とれだけの額になるのか。
大噴火の様に燃え上がる熱狂と、絶対零度の様に冷たく研ぎ澄まされるギャンブラーたちの心理戦。
自らの選択に賭けるか、賭けきれるか。騙し、逃げ、奪い、奪われ、奪い返し、勝利をもぎ取り大金を手にできるか。
参加者は世界中から集まり一万人を越え、売上は七十億を超えるビッグイベントは、歓喜と狂気とありったけの金と欲望をミキサーにかけてぶちまけたかのように盛大だった。
しかし、そんなカードとチップが欲望の渦に巻かれて飛び交うWSOPも、終わってみればあっという間だと、シキ・ワトソンは物思う。
祭りの後のような静けさの中、アタッシュケースを手に、リオ・スイートホテルを後にしていった。
優雅にドレスで歩くスレンダーなその姿は、ギャンブラーというよりモデルのようだった。白く染めた髪と同じように、顔も化粧で白い美しさを兼ね備えている。年は二十七であり、手に持つアタッシュケースには、同年代の女性が一生働いても手にできないだろう大金が詰まっている。
シキはサングラスをかけると、スマートフォンを取り出し、何度か頷きながら通話を切った。それから三分とかからず、よく黒く磨かれたセダンが走ってくる。
その後部座席の扉を開けると、ブライアンはいたのだ。
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「……それで? ボクにどうしろって?」
タバコを一本吸い終えると、ブライアンに問う。まずは座れと急かされるが、車はシキの物だ。人の車に無許可で乗っておきながら、ずいぶん勝手な事を言っている。
シキは追い出そうかとも思ったが、突拍子もないことを言う割にはブライアンは真剣な面持ちだった。シキは肩をすくめ、ブライアンの隣に座り、運転手に車を出すよう指示した。
この状況でなにから話すべきか。シキは数舜考えた後、気になることをそのまま訊いた。
「世界がどうたら言ってたけど、何のジョークかな」
「ジョークじゃない。君のような一介のギャンブラーでは想像もつかないところで、世界の危機が迫っている――これを見てくれ」
ドサッと、カバンから紙の束が差し出された。
「今どきルーズリーフをピン止めして渡すかな」
「紙なら燃やせば消去できるからな。読むのが億劫なら、私が要点だけでもまとめて話すが……」
ブライアンはそう提案したが、シキはパラパラと捲って、なるほどと呟いた。
「へぇ、AIが運の要素が強いゲームで人間相手に勝ち続けているんだね。それで、今度はポーカーに挑むときた」
真っ先に疑問が一つ湧く。これのどこが世界の危機なのか。問うと、とある研究機関が、人間を超えたAI搭載のアンドロイドの製造を計画していると言う。
「私は、それに対し真っ向から立ち向かっている組織のリーダーだ。君も話くらいなら聞いたことがあるだろう。AIの過剰な発達は人類に対し危害を加えると」
ブライアンは続けた。製造に成功すれば、多くの国や大企業が挙って投資する準備はできていると。それを見越し、量産体制は整っているとも。ここまで踏ん張ってきたブライアンも、とうとう追い詰められたらしい。
「で、読み進める分には、ボクにそのAIと戦えってことみたいだね。ふむふむ、もしもボクが勝ったら製造は止める、ね――それなら他に適任がいるんじゃないかな。WSOP優勝者とかさ」
シキは大金こそ手に入れたが優勝はしていない。それに上を見れば、いくらでも自分より強い奴はいる。
なぜ自分なのか。シキは問うと、男はこの二か月を監視していたと話す。
「可能な限りすべての選手を記録してきた。君はまず、ポーカーそのものの腕がいい。用心深く、裏で手を組んだ相手を平気で裏切るような真似もした。当然、運もいい。だが何よりも、君のポーカーは……支離滅裂だ」
わかっているじゃないか。シキは内心、監視されていたことを忘れて悪い笑みを浮かべた。
「ワンペアどころかブタだというのにオールイン。かと思いきや、フルハウスが入っているというのに降りもした。その結果、君は優勝を逃している」
「悪い癖でね。ついつい遊びたくなるんだ」
「そう、その『癖』だ。一流に名を連ねながらも不合理で意味不明な戦い方をする癖ならば、AIでも測りかねるだろう」
なるほどなるほど。シキは繰り返しながら、口角を上げてみせた。
「面白そうだ。条件次第なら、このゲームに乗ってもいい」
しかし、ブライアンは首を振った。
「これはただのゲームじゃない。これから先、AIが支配する世界の基礎を砕けるかを賭けた決闘だ」
「それって、名誉がどうたらとか気にしろってこと?」
「その通りだ。負けたら金を失ってさようならじゃない。最初に言った通り、世界を救ってほしい事を忘れないでもらいたい。いいか、もしも負けたら、数年としないうちにターミネーターもどきが人間を殺し始める」
「なーるほど。わざわざ決闘なんて言い出すあたり、本当のことなんだろうね。じゃあ本気でやるにして……ああ、本気かぁ……」
肩を落としたシキは、「決闘」と呟いた。
「この二か月みたいに遊び半分でやるわけにはいかないわけだ。本気を出してボクが負けたら、ギャンブラー一筋で生きてきたボク自身の名誉がボロッボロだ」
「まさか、それが嫌でやらないのか」。ブライアンが身を乗り出してきたが、シキは「ギャンブラーとは」と、タバコに火を付けながら口にする。
「ギャンブラーにとっての名誉っていうのは、すなわち、本気の勝負でどれだけ勝ち星があるかでね。負けて傷ついた名誉を回復するには再戦して勝てばいいんだけど、今回は一回限りの勝負ときた」
フゥ、と煙を吐き出し、シキは考える。決闘という形になる以上、精神的にいつもより気を張らなくてはならない。
いつもの気が抜けた遊び感覚のポーカーはできない。決闘と名乗っても恥のない戦略を立てる必要がある。
しかしだ。シキは頬杖をついてルーズリーフを助手席の方へ放り投げた。
「今回みたいに絶対に負けられない本気でやるギャンブルっていうのはね、ギャンブラーっていう名のガンマンが、夕日じゃなくてタバコの煙を背景に、運と実力で勝負をすることなんだ。負けても命は失わないけど、誇りはズタボロさ。ボクとしては、気楽にポーカーをしたい……さぁて、そういう時に、ボクみたいなギャンブラーを本気にするにはどうしたらいいか。わからないことはないだろう?」
「金か」。ブライアンはため息交じりにそう言うと、カバンから小切手を取り出した。そこに、普段の勝負で勝つ金額より、ゼロがいくつか多い数字が並ぶ。
「前払いはなし。無論、負けたら一銭も払わない。だが勝ったら、これをそのままくれてやろう」
シキが頷くのに、数秒とかからなかった。
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決闘の定義上、シキは正しい決闘をしているのか少々疑問に思っていた。
シキが呼ばれた研究施設のテーブルでは、ルールは了解し合っている。名誉の獲得という点でも、シキはギャンブラーとしての名誉と大金がある。少々違うのが、決闘で白黒つけるのが具体的にはAIを作った研究者たちとブライアン率いるアンチAI派閥ということだ。
シキは中途半端ながら責任を背負って、テーブルの先にあるAIの詰まった機材を目にする。
「それじゃ、始めようか」
ルールはテキサスホールデムだ。持ち点は五万。最初にカードが二枚配られ、その後に一枚ずつ山札から引いてテーブルに表にし、テーブルの五枚と手元の二枚でより高い役を作る。本来なら勝負を進める時間によって賭けるチップが多くなるが、今回は一対一ということもあり、最初から勝負に出るだけで二千五百チップ支払うことになる。レイズ――倍賭けには五千枚使い、一枚ずつ捲られていくたびに二千五百の倍数分チップを賭けられる。
アンティと呼ばれる勝負に出なくても支払うチップも本来ならあるが、今回はなしということになった。
AI研究者たちとブライアン率いるアンチAI派閥は固唾を飲んで見守っているが、シキはAIについてブライアンから詳しい説明を聞いてから、どうにも気が乗らない。
勝負に出ても、小さく勝ったり小さく負けたり。シキ本人も身の入っていない勝負をしている自覚があった。しかし、AIは一ゲームでも早くシキのチップをすべて奪おうとしてくる。その勝負に乗るか否かは、シキ次第。手が入っていればレイズをし、無理そうならすぐに降りる。
これは、ブライアンがシキに求めていた戦い方ではない。ただ上手く運と流れを考えながら勝負をしているだけだ。
そうやってしばらく一対一での勝負が続くにつれ、シキは内心つまらないと感じていた。
このAIがやるポーカーは、運の要素を無理やり数値化して、一定以上の数値を超えれば勝負に出て、下回ればあっさり降りる。攻め時と引き時を完璧に限りなく近く計算したやり方だ。通常、それは正しい。負けのリスクを極限にまで減らし、勝てる勝負で多く賭ける。だが、どうやらAIにできるのは『そこまで』だ。自分の手と相手の手の強さを、『濃い』か『薄い』でしか判別できていない。
「この手は勝率九十%を超えるから強く出よう」「この手は勝率五十%を下回るから降りよう」
シキはその選択の結果にできた手と降りた手を、持ち前のギフテッドに並ぶような記憶力で頭に刻む。その上で、AIの手を読み始めていた。
シキは濃い薄いではなく、勝てるか勝てないか、つまりは、『ある』か『なし』の二択だけしか考えていなかった。
シキからすれば、一度の読みが完璧に当たればいいのだ。ポーカーとは性質上、十回の勝ちが一回の負けで消し飛ぶことなどザラにある。シキはAIの手の内を読み切ると、勝負手が入るのを待った。お行儀のいいポーカーを続け、AIが勝負に踏み込んできて、尚且つこちらも『勝る』ではなく『拮抗する』手が同時に入るのを待つ。
そうやって二時間が経つと、機は熟した。
テーブルに四枚開かれた時点で、スペードの三、四、六、七が並ぶ。そしてAIはレイズを繰り返し、もう退けないところまで――手持ちの半数近い二万五千チップを積んだ。
あの四枚が開かれた状態で強く出るということは、三、四、六、七に手札の五が入ったストレート。もしくはスペードが手に一枚ありフラッシュということになる。手の高さではフラッシュが上であるが、手を作る上でストレートと比べても難易度の違いはない。そして、どちらの手も、入れば勝利が約束されたようなもの。
シキの思惑通り、AIは強気のレイズを続けた。これ以上長引かせるのが危険だと気付いたのかもしれないが――もう遅い。
「オールイン」
シキは残っている四万五千のチップ全てをこの勝負に賭けた。この一手に、AIの反応が止まった。オールインを受ければ、AIは手持ちの五万五千から四万五千を勝負に使わなくてはならない。テーブルにあるカードが同じな以上、シキにもストレートかフラッシュが入っていてもおかしくない。
そしてAIだからこそ想定してしまう。人間なら「あり得ない」の一言で思考から排除する最悪の場合――シキの手にスペードの五がある手。つまりはポーカーで最強の『ストレートフラッシュ』が入っていると。
もし負ければ、シキが九万点対AIが一万点となる。そこまで突き放されては、勝ち目はない。シキは手が入るまで待ち、入ったら一万を超えるレイズを吹っ掛ければいい。それに負けたら、正真正銘すべて持っていかれる。すなわち、AIは負ける。ここで退いても、レイズした二万五千を失う。
AIが判断を下せなくなったのを不審に思ってか、研究者たちがざわつき始める。その反対では、シキがタバコを咥えて一服していた。
「もともと間違ってるのさ、ポーカーに確率なんかで挑むなんてこと……さらに言うなら、時に大切な決断を下す『蛮勇』を排除したんじゃ、ここらが限界だよ」
確立、パターン、手の強さ、弱さ、相手の手の予測――AIではシキの手を百%読むことはできない。そもそも物事に百%はないというのが、AIないし、確率論者の言い分だ。
それに対し、シキは百%を装うことができる。この手は必ず勝てると断言することができる。そして勝負する。それこそが運であり、流れであり、実力なのだ。
シキがタバコを一本吸い終える前に、AIを搭載した機材がガーガーと音を立てた。研究者たちは慌てふためきコンソールを叩くが、再起は不可能だろう。
人間の目ですら見ることのできない運だの流れだのを、計算と膨大なデータから弾き出そうとしているのだ。ならどうすれば、見えない何かを信じて戦ってきた人間のデータから瞳すらないAIが答えを見つけられるのだろう。
無理というものだ。
そして今現在、自分たちが信じて作り出したAIが下すことのできない判断を、作った研究者たちが決められるだろうか。
これもまた、無理だろう。
シキは席を立った。そして告げる。白黒はっきりつけたければ、手を開けたらいいと。
研究者たちは、一同に肩を落とした。ここまでやられて、今更知識でしか知らないポーカーなどできるはずもない。悔しそうに震えながら、AIを積んだ機材は運ばれていった。
シキはそれを見送ると、ブライアンが駆け寄ってきた。
「驚いたな! いや予想以上だ! まさか戦わずして勝つとは」
「たいしたことじゃないよ。相手が人間だったら負けてたかもしれない――いや、最後の勝負に関しちゃ、確実に負けてたね」
そんな謙遜するなと、ご機嫌のブライアンはシキの手札二枚を捲る。
「なっ!」
そこにはストレートもフラッシュも成立しないブタが並んでいた。
言葉を無くしたブライアンに、シキはタバコを吸いながら口にする。
「別に普通にポーカーしても勝てたんだけどね。他のプロでも勝てたと思うよ? 無理やりこういうやり方で勝たせてもらったのは、あなたがこういうやり方を望んでいたからだし」
どういうことかわかっていないブライアンだが、とりあえず決闘には勝った。約束の小切手を受け取りながら、ポロイ勝負だと振り返る。
「所詮は機械。あんなのじゃ、量産して囲まれても勝てるよ。世界は安泰だね」