フリ
電子音が鳴る。腋に挟んでいた体温計を取り出し、体温を見る。
「ああ、やっぱり」
落胆し、私は布団に潜り込み、うずくまる。
怠い。風邪のせいだ。
いや、風邪のせいのつもりである。
熱はなかった。
会社に行きたくなかったのだ。サボりである。
風邪という口実で会社を休んだ。上司はすんなりと受け入れてくれた。休むことができた。
ちなみに会社自体はブラックなどということはない。単純に休みたかった気持ちだった。
社会人でもサボりたいという気持ちがあっていいではないかと思う。
なんとなく会社に行きたくなかった。なので風邪という口実を作って休んだ。それだけの話だ。
しかし私は根が真面目らしい。会社に風邪という口実で休んだ以上、風邪のフリをしなければと思い至ったのである。
自分でも馬鹿だと思う。せっかく健康な身であるのなら堂々とサボって外出するなりしてもいいだろうと思う。
しかし外出する気にもならない。どこかで後ろめたさもあるのかもしれない。
風邪と言った以上、風邪のフリをして過ごすことにしたのだ。
「うーん、頭が痛い」
口に出してみるが痛いわけではない。言葉にすれば少しは風邪っぽい症状でも出るかと思ったが頭はハッキリとしている。
風邪特有の症状は全くない。背筋の悪寒もないし、関節の節々も痛くはないし、目の奥が痛いわけでもない。喉も痛くないし、鼻水も出ていない。咳もくしゃみもない。
風邪などひいていないから当然である。
それでも私は寝る。布団に横になる。
寝れば良くなるだろう。風邪は寝るのが一番だ。
しかし何が良くなるのだ。私は風邪のフリをしているだけなのだ。
悶々とした気持ちが頭をよぎる。これでは会社に行ったほうがマシだったようにも思う。
それでも寝る。幸いなことに風邪のフリをして休んだことで眠ることだけはできた。日頃は残業などもあり(残業代は貰っている)睡眠時間は一定ではない。寝溜めではないがこのフリの利用して日頃の疲れを眠って過ごすのもいいだろう。
そう、疲れてはいたのかもしれない。だから会社を休もうとしたのかもしれない。
実際に休んだのだが。いや、サボったのだが。
それからどれだけ眠ったのか、寝た時刻がいつなのかもわからないし、目が覚めた時の時間も分からない。覚醒した原因は空腹感だった。
その日、会社に休みの電話をし、軽い朝食を取った以外ではほとんどをベッドの中で過ごしている。それでも腹は減るのだなと思った。
何を食べようかと思う。私はベッドから起き、キッチンへと向かう。
物置の中には即席のラーメンがあり、冷蔵庫を開けると肉も魚も野菜もなんでもある。腹は減っているので食べようと思えばなんでも食べられそうだ。かなりのボリュームでも平気で食べられる自信がある。
しかし私は風邪のフリをしている身である。ここでラーメンなど食べられる身分だろうか。背徳感が脳裏をよぎる。
冷蔵庫には冷やご飯が入っている。私はそれを取り出すと鍋に放り込み、水を入れて火にかける。塩をふり、沸騰してきたら溶いた卵をまわし入れてお粥を拵えた。
こんなに腹が減っているのにお粥か…
器に入れて部屋に戻り、スプーンで口に運ぶ。
物悲しい。
腹が減っていたこともあり、あっという間に食べ終わる。何が悲しいってちっとも腹が満足していないのである。しかし私は風邪のフリをしている身だ。ここはお粥で満足しなければならない。
フリとはいえ風邪なのだ。胃に優しいものを食べてじっくり休まねばならない。
使った食器を洗って私はまたベッドに横になる。
風邪を治さねば。
フリだけど。
私は馬鹿ではなかろうか。
クソ真面目もいいところだ。