【8】
そんな風にヴァイドと友達になった翌日。
私はソファに寝そべったり小難しい本を読んだりと退屈な日々を送っていた。
そういえば異世界トリップにありがちな言語の壁とかはなかったな。言葉もすんなり通じるし、文字だって読める。目と耳に翻訳フィルターでもかかってるんだろうか、すごいな神様。
とか何とか考えていると、いきなり部屋のドアが開いた。こんな時間にどうしたんだろう、ご飯は食べたし、お風呂はまだだし、ヴァイドはまだ仕事中だろうし。
そうこうしている間に怒涛の勢いでたくさんの侍女たちがなだれ込んできた。
え? え?
混乱している内に服を引っぺがされて色んなところを巻尺で計られて、それから湯殿へ連れていかれた。いつもより念入りにあちこち洗いまくられて、いい匂いのする香水とかも振りまかれて、戻ってきたら戻ってきたでコルセットやらなんやらを装着させられた。
「痛い痛い痛い痛いちょっと待ってそんな締め上げたら内臓出ちゃうぅぅぅぅぅぅ!」
私の悲鳴も虚しくギッチリ締め上げられると、今度はきらびやかな深い青のドレスが出てきた。さっき採寸して微調整したんだろう、コルセットで引き絞られた私の体にピッタリとフィットした。
他にもアクセサリーやら何やらをごってり乗せられて、髪をきれいにセットされて、メイクもばっちり施されて、約三時間ほどの苦行が続いた。
何? 何なの? 一体何が起こってるの?
私の疑問をよそに支度を終えた侍女たちはさーっと潮が引くように消えていき、代わりに衛兵が二人やってきた。外に出てくださいと言う。
まさか、念願のお外脱出!?
……と思いきや、衛兵二人にガッチリ両脇を抱えられてのお出かけだった。どうやらヴァイドはまだ逃がしてくれる気はないらしい。
衛兵二人に連行されて塔を降りて、ほど近い王宮の前までやってきた。改めて見るとデカい。それから先は右へ左へ鏡張りのような廊下を歩いてきて来た道は覚えきれなかった。脱出ルートの確保に失敗。っていうか、マンガみたいに衛兵二人をささっと機転で倒してエスケープなんてことはモブの私には許されていないマネだけど。
ほどなくして、大きな扉の前にたどり着いた。衛兵が扉を開けると、そこには……
「……うわあ」
思わず口からでろんとエクトプラズムが出そうになった。
着飾った男女、飛び交うおしゃべり、流れる優雅な音楽、たくさんのご馳走、アルコールと香水のにおい。
……パーティだ。
なにこのアウェー感。空中に花でも飛んでそうだ。こんなの小学校のお誕生会以来だ。
私をエスコートした衛兵二人は会場のそこらじゅうにいる黒服の男の内の一人に何やら耳打ちして去っていった。黒服の男たちは私には近づかず、かといって離れすぎずこっちを観察してくる。この会場でも逃げ場なしか。
こういう場所でのマナーも何も分かってないので、とりあえずテーブルの上の飲み物を取って壁際まで歩く。コルセットが内臓を押し上げて気持ち悪いし、ヒールの高い靴を履いてるから足が痛い。どこか椅子か何かないだろうか。
ささめき笑って談笑する人たちの間を抜けるたびに、一瞬だけおしゃべりが止まった。そのあとは背後からひそひそと内緒話が聞こえてくる。何を言ってるかは聞こえないけど、おおよその見当はつく。何あいつ? なんであんなモブオーラ丸出しのわけわかんない女がこんなところにいるの? 場違いじゃない? とか何とかだろう。
しまいにはクスクスと嘲笑まで飛んでくる。もういい、私は壁の花になろう。パーティーなんて場違いなところはやり過ごすに限る。空気と一体化する技術に関しては私は他の人には負けない自信がある。
大体、ヴァイドはどこ? 一体何を考えてこんな場所に呼び出したの?
心の中で姿の見えない王子様に毒づいていると、ようやく壁際の椅子が見えてきた。一刻も早く座りたい。靴が拷問具になってる。
そんな時、誰かがドンとぶつかってきた。それとともに、ドレスにワインのシミができる。あーあ、やっちゃった……
「あらー、ごめんなさい」
全然ごめんなさいと思ってないカンジの声で、緑のドレスを着た女が謝ってきた。これは明らかにわざとだ、悪意に鈍感な私にだって分かる。
むっとして、けど言い返さずに我慢した。ここでは私は多分ヴァイドの賓客扱いだ。ヘタに動いたら友達の顔に泥を塗ることになる。
それに、ヘラヘラするのは慣れてるし。
緑のドレスの女に会釈を返して、とにかく壁際の椅子を目指す。そこで目立たなくしていれば何とかなるだろう。
そう思っていたものの、甘かった。すぐに次の嫌がらせがやってくる。
「おっっっっとぉぉぉぉぉぉっ!?」
何かにつまずいて、ただでさえHP残りわずかだった私の足がふらついた。誰かに足をかけられたらしい。飲み物を持ったままふらりとその場に倒れようとしていたら……
がしっと誰かに腕をつかまれて助けられた。そのまま寄りかかるように体勢を立て直す。ああ、こんな王室のいじめが横行するパーティー会場で、一体どんな紳士が?
「案の定だな、アン」
……すべての元凶がそこにいた。
「ヴァイド!」
「まったく、のろくさいことをしている。どうせ壁の花になればどうにかなるとでも思っていたのだろう。そこまで甘くないぞ」
「う……! だ、大体、なんでこんなところにこんなカッコまでさせて呼び寄せたの!? もうホント、今すぐにでも帰りたい気分なんだから! 監禁していながら強制連行とか、どういう敗残兵扱いなの私は!?」
腕をつかんでいた手を振りほどくと、勢い良くヴァイドに詰め寄る。よく見ればパーティー用の礼装なのか、いつもよりカッチリとした服に身を包んでいた。ヴァイドは、ふむ、と私を上から下まで見つめまわして、
「なかなかのものではないか。俺の見立てに狂いはなかったな、アン。美しいぞ」
「そういうのいいから! なんで! 私を! ここに! 呼んだのか! ちゃんと説明して!」
「今夜は内輪のパーティーだ。お前をお披露目しておこうと思ってな、俺の妃候補として」
妃、の一言が出た途端、会場がざわついた。誰も彼も不穏な表情で言葉を交し合っている。その渦中にいるのは……私だ。
「あの女が妃候補?」
「なんとまあ、冴えない女だな」
「一体どこの家の出身なのかしら?」
「どうせロクな出自ではないだろうな」
「頭も良くはなさそうだ。見ろあの間抜け面を」
「殿下は一体何を考えていらっしゃるんだ?」
「あんな子より私の方がずっとマシよ」
などなどなど。あの、みなさん腹の内のどす黒い部分が丸出しになってますよ。
しかもそれは全部私に向けられている。
長いモブ人生、人から好かれたこともなければ嫌われたこともない私にとって、こんな悪意の真っただ中にいるのはひどく居心地が悪かった。ヴァイドの陰に隠れたくなるのをぐっとこらえる。
「ちょっとあなた、殿下に何て口を利くのよ」
その群衆の内の一人、赤いドレスを着た女が一歩歩み出て鋭い口調で私に言った。私の点数を落とそうとしているのがまるわかりの、勝ち誇ったような顔をしている。
何か言おうとして言いあぐねている間に、ヴァイドが先に口を開いた。
「いい。俺が許している。それより、アンを転ばせたのはお前か?」
女は、え、と顔をひきつらせた。それでもヴァイドは近くにいた別の人物に視線をやり、
「それともお前か? お前か?」
一人一人、冷えた視線で睨みつけていく。犯人捜しをしている間、会場はしんと静まり返っていた。ヘタなことは言えない緊張感がピリピリと張りつめている。
「誰でもいい、名乗り出ろ。そして手を突いて謝れ」
「い、いや、手なんて突かなくていいから!」
「では、普通に謝れ」
私のとりなしで、何とか普通に謝るということに落ち着いた。けど、こんなことで犯人なんて出てくるわけがないし、そもそも謝ってもらってもどうしていいか分からない。
「ねえ、ヴァイド、もういいよ。私そんなに気にしてないから。どうせ私なんて転んだところでどうってことないし」
「何を言っている。俺の友達が侮辱されたのだ。しかるべき報いを受けさせなければならない」
まるで自分のことのように厳しい顔をするヴァイドに、不覚にも私はじーんとしてしまった。先日まで誰も寄せ付けず孤高の王子様だったヴァイドが、私のことを友達だと言って名誉を守ってくれようとしている。これは大きな前進なんじゃないか。孤独から抜け出すための。
けど、やっぱりここで犯人捜しは違うような気がした。再度もういいよと言おうとしていたその時、
「……暴君め。おだててやれば調子に乗りおって」
ぼそっと、けどはっきりと、誰かが口にしたのが聞こえた。
その言葉は棘より鋭く私の耳に飛び込んできて、ぐさっと心に刺さった。
これはきっと、ヴァイドが一番聞き飽きていて、一番聞きたくない言葉だ。
私の友達がバカにされた。それだけで私の頭の温度は一気に沸点まで到達して、次の瞬間には衝動的に動いてしまっていた。
「まあまあ、そこのおじさん」
悪口を言っていた紳士、いや、オッサンに向けて静かな口調で告げる。キノアの時は直情的に動いたけど、怒りが別ベクトルだとこういう内側から煮え立つような怒り方もできるらしい。
人垣が割れ、オッサンが群衆の中からはじき出されてくる。しまった、と青い顔をしていた。
「ここはひとつ、一杯お酒でも飲んで落ち着きましょうよ」
引き続き声だけは穏やかに告げる私は、はいていたヒールの高い靴を脱ぎ、料理やお酒が乗っているテーブルに叩きつけた。それからワインの瓶を手に取って、そのヒールにだくだくとお酒を注ぐ。ワインでいっぱいになったヒールをオッサンに突き付けて、
「はい、どうぞ。クソマズいお酒をたんと召し上がれ」
ニッコリ笑うと、真っ青だったオッサンの顔が真っ赤に変わった。
こっちの世界の本で読んだけど、靴に注いだ酒を差し出すことはこの世界では最大限の侮辱に当たるらしい。向こうの世界だったら中指立ててファックユーと言ってやるんだけど。
オッサンはわなわな震えながらお酒の入ったヒールを振り払った。
「小娘が!」
「ああそうですよ小娘ですよ! けどな、私の友達をバカにすんな! 謝れ!」
穏やかな声もそこで種切れだった。私も同様に声を荒らげてオッサンに突っかかる。このままでは殴り合いになるんじゃないかといった空気が流れていると、
「そこまでだ」
ヴァイドの凛とした声がその場を取りなした。オッサンは顔を真っ赤にしたまま渋々下がる。
けど、私は引き下がらなかった。今度はヴァイドに食って掛かる。
「何で! 悔しくないの!?」
「慣れている。なのでもうやめろ」
「慣れている、じゃねえっつーの! あのね、友達が侮辱されたらしかるべき報いを受けさせなきゃいけないんでしょ!? さっきヴァイド言ってたよね! 一緒だよ、私も同じ気持ちなんだよ! 友達なんだから!」
思うに、ヴァイドにはこれまでこうして陰口から守ってくれるのは王子としての権力だけだったんじゃないだろうか。だから権力に寄りかかって、誰も信じずにやってきた。自分一人で、誰にも頼らず。
それって、かなり悲しいことじゃない?
まだカッカしている私の肩を叩き、ヴァイドは何でもないような顔をして言った。
「なるほどな。しかし、俺もお前と同じ気持ちだ。お前が悪者になってまで俺の名誉などというものを守る必要はない」
「そ、それは……」
そうだった。私も『別に私なんかのために犯人捜しなんてしなくていいよ』とか言ったんだった。立場が逆になっただけだ。
口ごもっていると、ヴァイドは良く通る声で周囲の人たちに告げた。
「白けた。もういい、今夜はお開きだ」
辺りから呆れたようなため息が次々上がる。いつもの気まぐれワガママだと思っているらしい。けど、これ以上空気の悪いパーティーなんて続けたって意味がない。主催者的にはここで終わらせた方が無難だと判断したんだろう。
周りがのろのろと帰り支度を始める中、ヴァイドは私にだけ聞こえる声でつぶやいた。
「まったく、お前は突撃槍のような女だな」
その顔がちょっと嬉しそうに笑っていたのを、私は見逃さなかった。
なんだ、そんな顔もできるんじゃん。
ニンマリ笑って肩を小突くと、私は黒服の男たちに連れられてヴァイドの前を後にした。