【7】
連れていかれたのは王宮の奥まったところにある一室だった。来賓館であてがわれた部屋の更に数倍は広くて調度品も豪華だけど、出入口には鍵がかけられていて門番が立てられ、窓から出られるバルコニーも空高い絶壁の上。脱出不能な完全要塞だ。ラプンツェル気分を味わえた。うれしくない。
食事も入浴も着替えも、数人の侍女が甲斐甲斐しく世話してくれた。キノアたちのところではとてもお目にかかれないご馳走が並んで、部屋に備え付けの広いお風呂にはお湯がたまっていて、きれいなドレスがより取り見取り。不自由は何一つなかった。
けど、外には出してもらえなかった。最初の一日は私も暴れ狂って出せ出せと喚きまくってたけど、それが無駄だと悟るのは案外早かった。あとは一日の大半をボーっとして過ごす、監禁生活の出来上がり。
二日目の夜にヴァイドが顔を出しに来ると、たまらず襲い掛かってしまった。もちろんすぐにひねり上げられたけど。それでも散々罵詈雑言を吐き散らして、徹底的に拒絶した。
三日目の夜もまた来たから、我ながら酷い言葉をたくさん投げつけてやった。けど、なかなか退散してくれない。
四日目の夜も、五日目の夜も、六日目の夜も。
なぜかヴァイドは私がどれだけ無礼を働こうともイヤな顔をしたりせず、むしろ楽しそうにしていた。勘違い俺様な上にドMなのこの人? 救いようなくない?
そういうわけで、とうとう七日目の夜、私の方が根負けした。
「……ねえ、いつまで私ここにいなきゃいけないワケ?」
ふっかふかのソファで膝を抱えながら問いかけると、対面のソファで優雅に足を組むヴァイドはやっぱり楽しそうに答える。
「ずっとだ。お前は俺の妃なのだから。そうだ、近々国民にお披露目をしなければならないな。盛大に挙式を行い、国を挙げての催事とする」
「……やだよ、こんなの。私、キノアたちのところに帰りたい」
「なぜ嫌がる? 何か欲しいものでもあるのか? 何でも言え、用意してやる」
「……外に出たい」
「今はダメだ。お前がここでの生活に慣れ、俺の妃であることに慣れ、自分の境遇に慣れたころに、衛兵付きで庭くらいには出してやろう」
「……ヴァイド嫌い」
「残念だが、俺はお前が好きだ。なのでお前も俺を好きになるがいい」
「……なんで好きなのか分かんない」
「お前は俺を恐れないからな。俺が王子だからといって無駄に崇め奉ったりはしない。嫌われることを恐れることなくぶつかってくる。だから、面白い」
「……ああもう、いっそ元の世界に帰りたいよ……」
「神の世か? 一体どういう世界なのだ、聞かせろ」
興味津々で無邪気に訪ねてくるヴァイドに、私はとうとうめんどくさそうに顔を上げてうんざりした表情で返す。
「どういう世界って……そりゃあ、こことは全然違う世界だよ。何から説明したらいいか分かんないくらい」
「すべてを説明する必要はない。そうだな、たとえばお前の好きなものを教えろ」
「好きなもの……うーん……」
思い出すのは、こっちの世界にやってくる直前に呼んだ週刊少年ネクスト。『クロスビーツ』は今週も面白かったな。他にもたくさんあるけど、私の好きなものといえばやっぱり、
「……マンガ、かな」
「『まんが』、それはどういうものだ?」
案の定こっちの世界にはマンガはないらしい。早速食いついてきたヴァイドに、渋々ながら説明する。
「紙に書いてあるセリフ付きの絵だよ。小説を絵にしたようなカンジ。登場人物たちがしゃべったり戦ったりドラマしたりするの。笑えるヤツとか、泣けるヤツとか、熱くなるヤツとか、色々ある。神の世のことだけじゃなくて、想像上の色んな世界のことが書いてあって、この世界に似てる世界の話もある。読んでて楽しいよ。ワクワクしたりグッときたりキュンキュンしたり萌えたり」
説明している内に段々興が乗ってきてしまった。つい熱く語ってしまう。いかんいかん、相手は私を監禁している極悪王子様なんだから。
ふいっとそっぽを向いてクールダウンしていると、ヴァイドはその様子を面白そうに見守っている。いけ好かない。
「なるほど、セリフ付きの絵か。小説はこの世界にもあるが、その発想はなかったな。神の世の住人は面白いことを考える。きっとその物語も波瀾万丈で奇想天外なのだろう」
そうだよ早く帰って続き読みたいよ。ふて腐れた顔で来週号のことを考えていると、ヴァイドがソファから立ち上がって私の目の前までやってきた。なに、とうとうヴァイオレンス!?と身構えていると、思いのほか優しい手つきで頬に触れられた。ぱちりと目を見開いて見上げると、相変わらず楽しそうな顔をしたヴァイドと目が合った。
「その『まんが』の中にも、王子と神の恋物語はあったか?」
王子と神の恋物語! ピコーン! 思い出した!
「うん、あるよ!」
突如スイッチが入って目を輝かせた私を、珍しく怪訝そうな顔で見下ろすヴァイドに、お口のタガが外れた私はペラペラとしゃべり出す。
「最近読んだ『プリンスの懺悔録』っていうマンガでね、ヘタレ王子とクーデレ神様が運命に翻弄されながら愛を育んでいくの! 男と男、人と神っていう越えられない壁を乗り越えて、戦争や宗教の問題を挟みながら展開する厚みのあるストーリー! 特にヘタレ王子が男同士とか神様相手とかそういうのをグジグジ考えて踏みとどまってるのを、クーデレ特有の包容力で受け入れる神様が素敵すぎてもう、この一年で読んだ中では屈指の名作!」
「……他にはないのか」
「他のBLはね、『ガーネット・アイズ』っていうドS吸血鬼と不幸体質青年のほのぼの話も可愛くて良かったし、『ご注文はいかがいたしますか』っていうオヤジバーテンとリーマンのドロドロドシリアスも絵がきれいで話も救われなくて読み応えあった! そうそう、『ディナーの後にこっそり』も外せないなあ、腹黒執事とツンデレ貴族の駆け引きがものすごい萌えてね、腹黒が素直に迫る瞬間ってなんであんなに心躍るんだろう!」
「……いや、他にというのはそういうことではなく、」
「じゃあ青春学園もの? 学生もいいよねー、甘酸っぱくて! それとも主従関係萌え? 軍もの? ショタも悪くないし、ヤンデレも素晴らしいよね! とにかく色んなタイプのイケメンとイケメンが受けと攻めの立場に立ってドラマ展開するBLって最高だよね! 受けにも色々あるし、攻めにも色々あるし、属性の組み合わせは無限大! 広がる夢も無限大! 私的には男同士っていう葛藤はあった方がグッとくるんだけど、何せBLはファンタジーだから、もう何でもアリ! ホモがあるならごはんいらない!」
「……イケメンというのは、男か?」
「うん!」
「……お前は、男同士の恋愛が好きなのか?」
「……え?」
言われて初めて己の失態に気付く。
しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! つい熱く語りすぎてしまった! 分別もなく、恥じらいもなく! 節度ある隠れ腐女子なのに! 何たる不覚!
思わず頭を抱えてうずくまる。穴があったら入りたい。
「……いや、まあ……そうですけど……」
絶対気持ち悪いと思われた……引かれた……いくらホモ合法な異世界だとしても、この性癖は異常に違いない。監禁王子相手とはいえとんでもないことをやらかしてしまった。
落ち込んでいると、ヴァイドがクスリと笑う声が聞こえてきた。
「変わっているな。やはりお前は面白い」
「……へ?」
「興が削がれたが、まあいい。お前の好きなものが分かっただけでも良しとする」
顔を上げると、彼はもう一度私の頬を撫でてからきびすを返して部屋から出ていった。
……何なの、あの男。腐女子が面白いだなんて意味わかんない。
部屋に取り残されて、思わず呆然としてしまった。
何すればあいつに嫌われるか、ちょっと思いつかなくなってきたぞ。
次の日もヴァイドは部屋にやって来た。
額縁に入れられた油彩画を持って。
「見ろ、早速お前の好きな『まんが』を宮廷画家に書かせてみたぞ」
「え、マジ!?」
ダメだと思いつつも食いついてしまった。差し出された油彩画を受け取ってワクワクと覗き込んでみる。
……絵柄が印象派。油彩画の重厚なタッチで描かれた半裸の男二人。その男二人のそばに、口説き文句らしき詩が書きこまれている。全体的に美術品といった趣だ。
「……ちょっと違う……いや、大分違う……」
「そうなのか?」
期待していた分結構ガッカリした私に、ヴァイドが不思議そうな顔をする。なので説明してやった。コマ割りや吹き出し、ライトな絵柄、ポップなセリフ回し。こういうのを数枚、早い人は一週間で仕上げると言ったら驚いていた。
「よし、『まんが』については学習した。次はより近いものを持ってきてやろう」
真剣な顔でうなずくヴァイドに、私はかねがね疑問に思っていたことを尋ねる。
「ねえ、なんでそんなに私の気を引こうとするの? 私ただのモブだよ? 何のとりえもないその他大勢だよ?」
その質問に、ヴァイドは――ふっと吹き出した。そのままクスクスと笑い始める。
「え!? 私なんか面白おかしいこと言った!?」
「ふふ……いや、言ったとも。普通の『その他大勢』は一国の王子に平手打ちなどせん。それに、これほど良い男に求愛されてなびかぬはずがない」
「い、言うじゃない……けどさ、私、そこまでされるほどすごい人間じゃないよ? ヴァイドの見立て違いだよ」
「俺の目に狂いがあったことはない。そうだな……まあ、座れ」
二人掛けのソファに腰を下ろすと、ヴァイドはその隣をポンポンと示して見せた。油彩画を置いておずおずと隣に腰を下ろす。近くにいると圧倒的な主人公オーラで体がすくみそうになった。
「そうだな、お前は嘘をつく人間は好きか?」
いきなり問われて、少し考え込む。それから、
「ウソの種類にもよるけど、あんまり好きじゃないかな」
当然だろう。心にもないことを言われて好きなように操られるのなんて御免だ。優しいウソなんて言葉もあるけど、結局ウソはウソでしかないわけで。
ヴァイドはその返答に満足したのか、私の方を見てニヤリと笑った。
「だろうな。だが、俺は生まれた時から嘘をつく人間に囲まれて生きてきた。それも、俺のご機嫌を取るための見え透いた嘘だ。最初は真に受けて一喜一憂したものだが、今では胸やけがするほどになった。誰もかれも、俺自身ではなく俺の持つ力を目当てに美辞麗句を並べ立てて、本当のことをひた隠しにする。一人だけ、自分に関する真実を教えてもらえない」
そうだろう。何せ彼は王子様なのだ。ヘタなことを言って痛い目を見るのは誰だってイヤだし、怖いはずだ。そしてその恐れのあまり、彼のご機嫌を取るためイエスマンになってしまう。
ヴァイドの笑みが少しかげる。憂いというよりは疲れの色が濃い。
「孤独だ。嘘で塗り固められた笑顔に囲まれて、俺は独りきりのままでいた。誰も信じず、誰も寄せ付けず、飽き飽きするほどの世辞や賞賛を浴びて、心を固く閉ざして干からびていた。孤独を悲しむことも忘れてしまった」
本心から言葉をかけてくれる人もおらず、彼は一人ぼっちになっていった。頂点に君臨する人間というのはそういうものだ。王者の孤独というヤツだろう。仕方ないとはいえ気の毒だ。
黙って聞いていると、彼は再び楽しげな笑みを浮かべて続ける。
「だが、そこへお前が現れた。心を閉ざす固い殻を平手打ち一発で打ち破って、驚く俺をまっすぐな言葉で打ちのめして。まったく飾り気のないやり方で、俺を孤独の檻から引きずり出した。お前は俺を恐れない。崇め奉ったりしない。何の色眼鏡も通さず、ありのままの俺の姿を見て、思った通りのことを口にして好き勝手に暴れる」
くく、と愉快そうに喉を鳴らして私の顔を覗き込むヴァイド。
「胸がすく思いだった。お前もまた、ありのままだ。だからこそ、どうにかして本心から喜ばせてやりたくなる。本心から俺のことを好きだと言わせたくなる。本心から心を通わせることができれば、俺の孤独も癒される。だから、俺はお前を妃とすることにした。今奪っているのは自由だが、いずれは心を奪うつもりでいる」
鈍い私だって分かる。どうやら私は口説かれて、いるらしい。イケメン王子様に。モブなのに。
けど、なぜか色恋沙汰だっていうのに色っぽい雰囲気は全然ない。それどころか、何となく迷子になった子供に縋り付かれているような気分になった。
そうだ、この人は孤独な子供のままなんだ。
誰にも本当のことを言ってもらえず、誰も本心で彼に寄り添ってはくれない。高い玉座の上で一人ぼっちの孤独な王子様。けど彼は子供じゃなくて力ある大人だ、孤独だからって泣きわめくこともできない。
ただ、孤独に負けないように必死に防壁を張り巡らせて己を守ることしかできない。
だから、近づいてくる人間は全員疑ってかかる。酷いことを言って暴君として振る舞う。みんなが自分を利用しようとウソをついていると知っているから、手ひどく傷つけてやり返してやる。
思えば、キノアにあんなことを言ったのもそのせいだろう。
領地のためとはいえ権力目的で自分に近づいてきたと分かったから、ひどい言葉で追い返してやったのだ。
……ああ、そうか。
私は半分間違っていた。
今まで自分の身を犠牲にして王家に嫁ぐキノアのことばかり案じていたけど、好きでもない人と結婚させられるのはヴァイドだって同じなのだ。拒否する権利もあるし、怒る権利だってある。
ヴァイドは『王子様』という舞台装置じゃない、ヴァイドという人間なのだ。
キノアのことに心を痛めるなら、同じようにヴァイドのことにだって心を痛めるべきだった。私は、それを忘れてキノアの味方ばかりしていた。フェアじゃなかった。
「……ごめん、ヴァイド」
気が付いたら自然と言葉がこぼれ落ちてきた。うつむいて膝の上で握りしめた両手を見つめて、情けなさでいっぱいの声音で続ける。
「私も、ヴァイドを孤独に追いやって来た人たちと同じだったよ。ヴァイドのこと、権力争いの道具扱いしてた。キノアのことばっかりで、ヴァイドの気持ちのことは考えてなかった。そりゃ、ああやって怒りもするよね。政治のために、好きでもない人と結婚させられようとしてたんだから」
「気にするな、慣れている」
「慣れちゃダメだよ。このままじゃ、ヴァイドはどんどん孤独になっちゃう……だから、まずは私が友達になるよ。何でも言いたいこと言える、気の置けない友達に」
「妃ではいけないのか?」
「モブ腐女子としてそれはちょっと遠慮したいから、友達でお願いします。そもそも王子様権力で妃にするとか、監禁するとか、そういうのは余計に周りの人が怖がっちゃうよ。何でもかんでも好き勝手する暴君気質を治さなきゃ」
「暴君気質か……まあ、善処してやる」
若干納得いかないような顔してるけど、王子様は態度の改善を承服してくれた。
よし、これで私たちは友達だ。
友達にはきちんと謝らないとね。私はヴァイドに向き直り、もう一度言った。
「だから、改めてごめんね。それで、とりあえずは友達としてよろしく。大丈夫、もうヴァイドは孤独じゃないよ。これからはきっともっと友達も増えてくし。そうしたら、一人ぼっちの王子様じゃなくなる。私なんかよりずっと素敵な人と心を通わせられるよ」
「さて、お前以上に破天荒で魅力的な人間がいるかな?」
「またまた、私なんてただのモブでございますからね。きっと主演女優クラスのすごい魅力的な人が現れるよ。そうだ、キノアなんてどう? いや、もう別に権力目当てとかじゃなくてさ、結構いい男だよ? ツンデレで可愛いし、健気だし、きっと一途だし、絶対俺様攻めとの相性抜群。受けとしてのスペックはかなりのもんだよ」
「キノか……まあ、あいつも昔から俺を怖がることなく接してきた人間だからな。仲良くしてやる価値はあるかもしれん」
「でしょ!」
「しかし、妃はお前だからな」
「だーかーらー、友達だって言ってるじゃん! なに、まだ諦めてないの!?」
「こんな面白い女、そう簡単に諦めてたまるか。他ならぬこの俺に平手打ちをしたのだ、責任は取ってもらう」
「う、謝ってんじゃん! 大体、そういう責任の取り方はしませんから!」
たじろぐ私に、ヴァイドは意地の悪い笑みを向けた。暴君顔だ。まずはこの表情から直していかないと。友達としてきちんと責任持って軌道修正していこう。
まだ何か言われるかと身構えていると、意外にもヴァイドはふっと柔らかい笑みを浮かべた。私より年上のはずなのに、妙に子供っぽく見える嬉しそうな顔。
「そうか、俺にも友達ができたのか」
その顔が妙に胸を打って、私も思わず同じような笑みを浮かべていた。
そうかそうか、これが俺様攻めのギャップ萌えというヤツか。
もちろん笑みの成分はそれだけじゃないけど、やっぱり萌えっていいなあ。
「恋神、そういえばお前の名前は何という」
「アンリだよ。アンリ」
「そうか、アンだな。よろしく頼む、俺の友達よ」
そうして私たちは握手を交わして、しばらくの間ほのぼのと笑い合っていた。