【5】
それから数日経ってからも、私は変わらず形式的な儀式をこなし、ウザがられながらもキノアたちにくっついて異世界ライフを満喫していた。
とりあえずの目標は決まったものの、当然ながらそう簡単に王子様に会う機会なんて訪れない。今は待機の時間だ。待ち時間を妄想で潰すのには慣れてる。
一応、どういう人なのかキノアに聞いてみたら、
「……心の底からいけ好かない野郎だ」
という苦い反応が返ってきた。思いっきり渋い顔つきや口ぶりからして、もしかしたら何か過去に因縁があるのかもしれない。けど、ケンカップルもイケるクチなのでそれはそれでアリだと思う。
キノアは時折近隣の農村へと視察にも出かけていった。私もついていったことがある。
貧しい村だった。通りは閑散としていて、数少ない商店に並ぶ商品もスカスカで、活気がない。老人ばかりで若い人は少なく、いたとしても女子供ばかり。牛馬や鶏さえも痩せていて、農地も荒れてるし、民家だってロクに修繕もされてないのかボロボロだ。
想像以上のさびれっぷりに私が唖然としている間も、キノアは色々とせわしなく動いていた。水車小屋の修理を手伝ったり、子供たちに字を教えたり、昔馴染みらしい老人たちの話を聞いたり。
はたから見ていても、地域密着型の良い領主の息子だった。キノアは領民たちと共に生きているということをよく分かっているし、領民たちも貧しいながらキノアたちを慕っているようだ。
……ただ、村長のもとで行われた村の寄り合いでの雰囲気は少し違った。
税収と今年の作物の出来。兵士として駆り出される人手。やってくる冬。
苦い顔で現実を突きつける村の顔役たちに、キノアは何も言えなかった。どこの世界にもある、上と下からの板挟みだ。
彼に言えたことは、ただ、『耐えてくれ』という一言だけだった。
その一言に、顔役たちは不穏な視線を交し合う。
何だか、イヤな予感がした。
――その予感が現実になったのは、三日後の夜のことだった。
深夜、何かが破裂したような大きな音で目が覚めた。暗い中、寝間着のままで居室を飛び出すと、音のした方に走る。何かが起こったんだ、その何かを見届けたくて、私は逃げ隠れすることよりも事件の渦中に飛び込むことを選んだ。
そうしてたどり着いた大広間には、音を聞きつけて同じように集まってきたメイドさんや執事さん、キノアとフィルケもいた。みんな一様に玄関の方を凝視している。
さっきのは玄関が蹴破られた音だったんだろう、突破された大きな扉の向こうには、いくつかの松明の明かりが揺れていた。明かりに照らされているのは、十数人の老人たち。誰もが鍬や鋤で武装していて、鬼気迫る表情を顔に張り付けている。先頭に立っているのは、先日農村で見た顔役の数人だ。
何をしに来たのかは、聞かなくとも何となく分かる。それはこの場にいる全員そうらしくて、硬い顔つきを突き合わせて張りつめた空気の中で黙りこくっていた。
その沈黙を破ったのは先頭の老人だった。
「領主様のご子息、キノア様に嘆願させていただきたい!」
しゃがれた声を精一杯に張って、老人は述べた。
「どうか、今年の小麦の税収を3割、いや、2割でも減らしてほしい! 今の状況ではとても全部は支払えない! 気候は悪い、土地は痩せる一方、男手は足りない、このままでは無理だ!」
悲痛な声音で叫ぶ老人の言葉には切羽詰った響きがあった。
紛れもなく、これは一揆だ。
けど、領民の嘆願一つではいそうですかと税を引き下げることはできない。キノアたちはあくまで王家から領地を任されているだけだ、一存で今年は減らしましょうなんてことは不可能だ。それは松明に照らされたキノアの険しい横顔で読み取れた。
黙っていると、領民たちはますますヒートアップして口々に叫び始めた。
「俺たちにだってな、生活があるんだ! このまま税だけ払って飢えて死ねっていうのか!?」
「兵役に取られていった男どもの帰る村がなくなってみろ、ヤツらはどこに帰ればいい!? 嫁も子供も待ってるからヤツらは行ったんだろうが!」
「俺たちはまだいい、放っておいてももうすぐ死ぬんだからな! だが、女子供だけはどうにかしてやってくれ! あの子らにはまだ先があるんだ! 今年生まれてくる子供もいる、どうか無事に産ませてやってくれ!」
「今の収穫じゃダメなんだ! せめて今年だけでも、今兵役に出てる男たちが帰ってくるまで待ってくれ! じゃなきゃ俺たちは食うに困って木の根までかじることになっちまう!」
中には泣いている人もいた。誰もかれもが痩せ細った老人ばかりだった。
こんな弱々しい一揆、成功するはずもない。それは本人たちも分かっているはずだ。そして、失敗すればタダでは済まないことも。
老人たちは自分たちの命をなげうって窮状を訴えようとしている。決死覚悟だ。自分たちが死ぬことでしか未来ある子供たちを救えないと、そう悟った上でこの蛮行に及んだのだ。
みんな必死だった。家族を守るために、なりふり構っていられなくなった。
一触即発の空気が流れる。それ以上は誰も何も言わず、あとはただ爆発を待つのみだ。老人たちの目がぎらついている。追い詰められた獣の目だ。
そうだ、キノアは?
「――みんなの嘆願は聞き届けた。だが、税を下げることはできない」
感情を押し殺したような声音で告げる。いよいよ老人たちの殺気立った気配が膨れ上がってきた。一揆は成功しなくても、この場にいる誰かを傷つけることぐらいはできるかもしれない。そうなれば……
背筋を冷やしながら見守っていると、キノアは今にも襲い掛かってきそうな老人たちを前にその場に膝を突いた。何をする気なんだろうと思っている内に、両手を床について深々と頭を下げる。
「兄上、何を!? やめてよ!」
慌てるフィルケの声も無視して、土下座の体勢のままキノアは声を上げる。
「みんな、すまない。分かってるんだ、俺たち一家は領民のみんなに育てられてきた。ここまで生きてこられたのはみんなのおかげだって。もちろん生活の糧の話だけじゃない。雑貨屋のおやじには計算を教えてもらったし、ご隠居にはよくおもちゃを作ってもらった。宿屋の女将には結構怒られたけど、挨拶の仕方を習った。兵役に行っている肉屋の兄貴とはよく悪戯をした」
滔々と語るキノアの言葉に、老人たちがたじろぐのが分かった。みんな思い当たる節があるのだろう。キノアと共に過ごした日々の記憶が。
「俺たちは領民のみんなにここまで育ててもらった。だというのに、迷惑をかける。本当にすまない。みんなの思いは伝わった。だが、今の俺たちの力じゃどうしようもないんだ。現状、申し訳ないが俺たちは無力だ、税に関してほとんど何の決定権も持たない」
キノアの必死の謝罪に、急速に老人たちの間の殺気がしぼんでいく。懇願も脅しもきかない、しかも突っぱねるでもなくキノアは真摯に頭を下げた。これ以上何かを言っても無駄だと、誰もが悟ったのだろう。
しぼんだ殺気は絶望へと変わっていった。当然だ、このままじゃ老人たちの村は飢餓に苦しむことになる。誰もが苦い表情でうつむいて、すっかり精気の抜けた顔つきで憔悴していた。
「でも、必ず約束する」
それでもキノアは、領民たちの絶望を打ち砕こうと言葉を継いだ。顔を上げ、老人たちの目をまっすぐに見て告げる。
「もう少しでいい、待ってくれ。俺は必ずこの国の王子に輿入れして、みんなに苦しい思いをさせずにすむようにする。これは政略結婚だ、俺さえ国の中枢に入り込めばここは直轄地になる。きっと人も流れてくるし、税収が少なくとも取り潰しになることもない。だから、みんなは待っているだけでいい」
キノアの声は老人たちと同じくらい必死だった。その声音に、老人たちの間に立ち込めていた絶望がゆっくりと薄らいでいく。それだけキノアの言葉には説得力があった。
「時間をくれ。それまでの間、何とかしてこらえてくれ。俺はみんなの期待を裏切るようなことは絶対にしない……必ず、結果を出す」
この人は、本気で自分の身を犠牲にして領民たちを救うつもりなんだ。
決死を覚悟で一揆を起こした、この痩せ細った老人たちと同じように。
一個人の好き嫌いなんて関係なくて、幸せも不幸せもたくさんの領民たちの前では些細なことでしかない。
――一人っきりで、戦うつもりなんだ。
その覚悟を改めて目の当たりにして、胸が詰まった。やっぱり、キノアが言った通り全員が幸せになれるようなご都合主義のやり方なんてないのかな。誰かが割を食わなければ、誰かは幸せになれないのかな。
そんなのは、悲しい。
けど、私はそのために喚ばれた。だから、その務めを、覚悟に見合った仕事をしなきゃいけない。ここまできて、私一人だけ甘いことを言っていられないのだ。
「……あの、みなさん」
おずおずと前に進み出ると、老人たちの間にどよめきが走った。
「恋神様だ!」
「いるかいないか分からなかったが恋神様だ!」
「影の薄い恋神様だ!」
……まあ、その歓声に思うところはあるけど、ぐっと我慢しておく。
寝間着姿で迫力には欠けると思うけど、私はキノアの横に立って精一杯神様らしく振る舞ってみた。
「大丈夫です、私がついてますから! 王子様とキノアの恋は必ず成就させます! そうしたら、きっと領民のみなさんは幸せになれます!」
腕を広げて、できるだけ大演説をぶつ。
「だって私は恋神様ですから! キノアの覚悟、あなたたちも聞いたでしょ! 絶対、何が何でも、全身全霊でくっつけますから! だから、安心して!」
「……恋神様がそう言うのなら」
付け焼刃の口八丁で、何とか村の顔役たちは納得してくれたらしい。携えていた武装を下ろし、神妙な顔つきで頭を深々と下げる。
「このたびのご無礼、ご容赦くださいとは言いません。ですが、これは我々だけの独断で行ったことで、村の者たちには何の咎も……」
「分かっている。ついでに、お前たちに何か責めがいくこともない。今夜ここにいる者だけが知っていればいいことだ。父上が帰ってきたら村の窮状についてはしっかり話しておくが、それだけだ。心配しなくともいい」
「……キノア様」
ようやく立ち上がったキノアに、涙ぐんだ眼差しを向ける老人たち。その目にはまだ絶望が居座っていたけど、同じくらいの希望も潜んでいた。先頭の老人がすがるようにキノアの手を取り、両手でぎゅっと握りしめる。鶏ガラのような荒れた手だ。
「お一人に辛い思いをさせて心苦しいが……頼みましたぞ」
「ああ、任せておけ」
キノアの手はその弱々しい手をしっかりと握り返す。
少し震えているように見えたのは気のせいだろうか。
……その後、領民たちは大分落ち着いた様子で帰っていった。後に残ったのは、扉の修繕をするメイドさんたちとキノアとフィルケ、私くらいだ。
「兄上……兄上は領民に甘すぎる。それに、自分をないがしろにしすぎてる。あんな風にひざまずいて頭を下げるなんて……」
「俺たち領主一族が頭を下げないで誰が下げるんだ。それでこの場が収まるならいくらでも下げてやる」
「それだけじゃない、王家に嫁ぐなんてやっぱりいけない。少なくとも、僕はイヤだ。兄上は僕が守るんだから、いざとなったら兄上だけでもどこかへ連れ去って――」
「バカ、だとしたら誰が領民を守るんだ。みんなが飢えて死ぬのを見ていながらぬくぬくと自分だけ幸せに、だなんておめでたい頭をしていないぞ、俺は」
やや強い口調でそう言うと、フィルケはびくっと体をすくませた。その頭をぽんと撫で、今度は幾分か和らいだ口調でキノアが語り掛ける。
「お前が俺を守ってくれるっていう気持ちは嬉しい。けどな、弟は弟らしく兄貴に守られておけ。お前は何も苦労しなくてもいい。俺が全部片づけるから」
「……っ! 兄上のそういうところが嫌いだっ!」
頭に置かれた手を振り払い、拳を握ったフィルケはうつむき加減で吐き出すように言葉を紡ぐ。
「兄上がみんなに幸せになってもらいたいのと同じくらい、兄上自身の幸せを望む人もいるんだよ!? 全然分かってない! 僕は弟だ、だけど男だ、愛する人の幸せくらい願わせてよ!」
「……すまないな、フィルケ」
うなだれるフィルケの肩を抱き、苦笑いしながらキノアが言った。
分かってる、ここは萌えていい場面じゃない。掛け値なしの兄弟愛と腐った妄想の区別くらいはつく。
こんな風に、彼はいともたやすく我が身を売る。自分の幸せを犠牲にして、好きでもない人のところへお嫁に行くつもりだ。
私はこんな悲しい縁を繋がなければならないのか。
所詮モブには主人公たちを大団円へ導く力はないのか。
けど、私は決めたのだ。
キノアの覚悟に報いよう、と。
それがたとえ、望まない結末に繋がるとしても。
私は、そのためにここに来たのだから。
評価コメントなどなどいつもありがとうございます!
なんとなーく火曜・金曜更新で安定しそうです
次回、とうとう王城に潜入です!