【3】
慣れない異世界トリップということで、キノアが去った後も神官長は色々と気を使ってくれた。私としても、たとえ他人の空似とはいえ、見覚えのある顔の人が世話を焼いてくれるので安心できる。
といっても、私はある程度異世界トリップファンタジーに慣れ親しんでいるので順応は早かった。
神殿の奥にある居住スペースらしき部屋は清潔で、私と同じ年頃の巫女さんたちが身の回りの世話を手伝ってくれた。お風呂に入ってみそぎをしたり、なんかいかにも神様らしいそこかしこに装飾がされたゆったりした服に着替えさせてもらったり、それ用のメイクをしてもらったり、供物みたいなご馳走を用意してもらったり。
本当に神様扱いだ。
私はただのモブなので、ここまでされたら逆にちょっと居心地が悪い。
なので神殿で過ごして数日後、近づくなと言われたにも関わらず屋敷の方に顔を出してみた。
領主の館はたしかに大きくて手入れも行き届いているけど、決して豪華なつくりではなかった。古びた建物には蔦が這い、調度品の類もほとんどない。すれ違うメイドさんの数も多くはなかった。
その中の一人にキノアの場所を聞き、儀式装をずるずる引きずりながら執務室の扉を叩く。返事があって扉を開くと、そこには大きな机で書類に目を通しているキノアの姿があった。顔も上げてくれなかったけど、できるだけ友好的な態度で声をかける。
「仕事? 大変だね、お父さんはどうしたの? 領主なんでしょ?」
「父上は基本的に年中視察に出ている。それに、将来領地を経営するための修行にもなるからな、机仕事は俺の役割だ」
「へえ、そうなんだ。私も神様として修行とかしなきゃいけないのかなぁ」
「神様になってる時点で修行とか必要ないだろ。大人しく奉られておけ」
「それでもやっぱり何かやりたいじゃん」
「余計なことはするな。大体、ここへは来るなって言っただろう。何しに来た?」
「いや、ちょっと見てほしいなと思って、この姿」
そう言って、両手を広げてくるりとその場でターンする。そこでようやくキノアは顔を上げた。
「どう? 似合わないでしょ。なんかこういうカッコ、いかにも神様ーってカンジでちょっとムズムズするんだよね。こんなメイクも自分じゃしないし、変じゃない?」
てっきり『そうだな似合わんだからとっとと去れモブ平民』とか言われるかと思って情けない笑みを浮かべていると、キノアは無言のままこっちを見つめ続けていた。あれ? 予想以上におかしかった? すごい不安になるんですけど。
「……いや、」
どこかぼーっとした様子で私を見つめていたキノアが小さく口を開く。
「別に、変じゃない。似合わないこともない……俺は、悪くないと思う」
意外と褒められた、らしい。予想外の感想に目を丸くしていると、キノアは取り繕うように早口で先を続ける。
「あくまで変じゃないってだけだからな! 悪くもないが良くもない! お前は最初に会ったときのペラペラした変な服が一番……じゃなくて、マシに見えるってだけだからな!」
また視線をそらして顔を赤くしてる。初対面の時から知ってる、それって照れ隠しだよね、このツンデレ受けめ。今すぐ俺様攻めの山に放り込んでやろうか。
思わずニヤニヤして机に近づき、ちょっと身を乗り出して顔を覗き込んでみる。
「じゃあ神官長に頼んで制服姿に戻ろうかな。そっかぁ、キノアは制服姿の方が好きかぁ。けどこの姿もいいでしょ」
「誰も好きとかいいとかは言ってない! どうせ何を着たって中身は変わらないからな!」
「う、そうだけど……うん、そうですよねー……」
ちょっと調子に乗りすぎた。何を着ててもモブはモブ。馬子にも衣裳ってだけの話。改めて思い知らされて、しゅんとして引き下がった。
するとキノアは急に慌てだして、
「いや、別に中身が悪いとかそういう意味じゃないぞ? 何を着てたってお前はお前ってだけの話だからな? そりゃあお前のことは嫌いだが、それは恋神だからであってだな、」
「……なんか慰められてる?」
「慰めてない! 慰めてないからな! ただお前がへこんでるのを見るのが気分悪いだけだ!」
「それ、世間一般では慰めてるって言うんだよ」
あまりのツンデレっぷりについつい吹き出してしまう。キノアは不服そうな顔をしつつなおも何か言いたげだ。
ちょっと心温まる思いをしていると、どこからか、うううう、と風の鳴る音が聞こえてきた。古いお屋敷だけど、そんなに隙間風ひどいのかな? 怪訝に思っている内にも、風の音は段々大きくなっていく。
……ちょっと待って、これ、なんか人の声に聞こえない?
「ううううううううう……!」
恐る恐る唸り声のする方に視線を向ける。
執務室の扉をちょっとだけ開けて、その隙間から誰かが覗いていた。かなり恨みがましい視線を感じる。
「ひっ……!」
「兄上と知らない女が仲良くしてる……僕の兄上と……!」
扉の外の人物が怨嗟の声を上げた。かなり古いお屋敷だから、幽霊の一人や二人住み着いていてもおかしくはない。それにしたって、これはホラーだ。モブゆえにもちろん零感な私にだって見えるはっきりとした心霊現象だ。
けど、心霊現象、兄上とか言ってたような……?
「フィルケ、別に仲良くはしていないから安心しろ。それより、入ってくるなら入ってきたらどうだ?」
え、仲良くしてなかったっけ私たち? ちょっと傷ついている内に、フィルケと呼ばれた心霊現象はおずおずと扉を開けて執務室に入ってきた。
よくよく見ると足はついてるし、禍々しいオーラはあるものの見た目は普通の少年だった。少し年下だろうか、黒い髪をしたか弱そうな少年。瞳はオリーブ色で、言われてみればキノアによく似ていた。
「え、なに、ひょっとして弟さん?」
「弟だ!」
キノアに聞いたのに、牽制するように少年が声を張った。あからさまな敵意ある視線を向けられてちょっと怯む。
キノアは呆れたようなため息をついて、
「弟のフィルケだ。フィルケ、こいつは例の恋神のアンリ。俺と王子の恋を結ぶ予定だ」
「ご、ご紹介にあずかりました、恋神のアンリです。フィルケ、よろしく――」
「認めないからな!」
友好的に接しようとした途端、フィルケは鋭く声を上げた。兄弟そろって初対面でなかなか辛辣な対応をするなあ。途方に暮れていると、フィルケはなおも言い募る。
「僕は認めないからな、領地のために王子と結婚だなんて……僕の兄上が身売りだなんて! 兄上は僕が守るんだから、そんなの絶対にイヤだ! それくらいならいっそクーデターを起こして僕が王子になってやる!」
「おい、フィルケ、滅多なことは言うもんじゃない」
「だって! 僕はずっと兄上に守られてきたんだから、今度は僕が兄上を守りたいんだよ! そのためなら王家だって打倒してやる。手始めに反王権派を取り込んで軍を率いて王城を占拠して、王家の人間を血祭りに上げて……」
「物騒なことを言うな。大体、そんなこと簡単にできるか。俺が王子と結婚すればすべて丸く収まるんだ、お前は余計なことを考えなくていい」
「でも……」
「いいから。もう決めたんだ」
キッパリと言い張るキノアに、フィルケは渋々と口をつぐんだ。
これは……ヤンデレ弟!
エンダアアアアアアアイヤアアアアアア!!
思わぬ伏兵に私は脳内で床を転がりまわった。
ヤンデレ! の! 上に! 弟! 禁断の歪んだ兄弟愛! 弟を守ろうとするあまり無茶をする兄に、キレた弟が病んで暴走! 兄弟という越えられない壁を絶望の眼差しで見上げながら静かに狂気に侵食されていく弟! 果ては駆け落ちという名の拉致監禁か!? ああ、夢が膨らむ無限大に! メリーバッドエンドもいいよね!
頬を上気させて期待に目を輝かせハアハア言っていると、お構いなしのフィルケに詰め寄られた。咄嗟に脳内の私をフルスイングの金属バットで黙らせる。脳漿ホームラン。
「大体、恋神! お前兄上になれなれしいんだよ! 王子だろうと恋神だろうと、兄上に妙な色気を出して近づいてみろ……分かってるな!?」
「うん、分かってる! 性別女のモブはお二人の邪魔したりしませんから! 思う存分睦み合……いや、仲良くして! 麗しい兄弟愛だね! うんうん、美しい!」
「そ、そうか、ならいいけど……」
私の勢いにさすがのヤンデレもちょっと引き気味だ。おっと、ちょっと興奮しすぎた。あくまで私は隠れ腐女子なんだから、自重しないと。
それに、私が成就させなきゃならないのは王子とキノアの恋なんだよなあ……惜しい、ヤンデレ弟も惜しいけど、それはそれで実らない悲恋っていうのもヤンデレらしくていいし……でも、フィルケにも幸せになってほしいし……
どうしたものかと個人的に悩んでいると、キノアが半眼でこっちを睨んできた。
「それで、用事は何だ? まさか用事もないのに遊びに来たなんて言わないだろうな?」
「よ、用事? あるよ、あるある!」
実は半分遊びに来ただけなんだけど、慌てて言い繕う。
「この動きにくい服装もそうなんだけど、なんか神殿の方は居心地悪くて。あ、巫女さんたちはちゃんと丁寧にお世話してくれてるよ? けどそれが何だか落ち着かないんだよね。だから、できれば神殿じゃなくてこのお屋敷で寝起きしたいんだけど、ダメかな?」
「……俺はお前が嫌いで、できる限りここには寄り付くなと言ったはずだが」
「う、それはそうだけど! ああやって奉られるの慣れてないんだってば! 慣れない環境で全力出せって言われても難しいでしょ? それに、恋神としてちゃんとくっつける人の属性……じゃなくて、人物像って見ておきたいし!」
「それはお前個人ではなくて恋神としての要求か?」
「そう、それ!」
勢い込んで言うと、キノアはしばらくの間考え込むようにうつむいた。ハラハラしながら見守っていると、やがて顔を上げて、
「分かった。お前がここにいるのは気に入らないが、恋神としての力が存分に揮えないのも問題だ。部屋や食事や服はこっちで用意してやる」
「ホント? やった!」
思わず小躍りしていると、急いで付け加えるように続けるキノア。
「ただ、あくまでも俺はお前が嫌いなんだからな! 勘違いするなよ、別に態度が軟化したわけじゃないからな! お前に興味なんてないし、食事だっていやいや同席するだけだからな!」
「そうだぞ! 僕と兄上の大切な晩餐に勝手に割り込むんだから、身の程をわきまえろよ!」
「分かってるって。まあ私のことは置物か何かだと思って」
ツンデレとヤンデレをそれぞれ発揮したライツェルン兄弟に向かって、気軽にそう告げる。よかった、これであの肩の凝る神殿生活からは脱出だ。
ほっとしていると、ふとこっちを見ているキノアと目が合った。へらっと笑いかけると途端に目をそらされる。
そんなツンデレ具合に笑いをこらえきれず、私はこっそりと吹き出した。