【15】
たどり着いた領主の館は完全に無人だった。既にヴァイドが伴っていた兵士たちが片を付けたあとらしい。あちこちに血の跡があるけど、それから目を背けて執務室へ急ぐ。
「ヴァイド!」
キノアが呼びかけながら執務室の大きな扉を開けると、そこでは既にヴァイドとドライドが対峙していた。軍装に身を包んだヴァイドが剣の切っ先をドライドに向けている。
「それ以上、弁明はないな?」
「ええ、ありませんよ。お話しした通りです」
「そうか。ならば大人しく拘束されて沙汰を待て。気の毒だが、お前が欲しがっていた手札はお前に牙をむいたらしいな」
「それは、私が大人しく捕まればの話でしょう?」
ドライドがニヤリと笑う。
瞬間、天井から降ってきた何かにヴァイドの剣が弾き飛ばされた。以前見たのと同じく、それは黒衣をまとった暗殺者で、短剣を片手にものすごい勢いでヴァイドに襲い掛かる。寸でのところで刃をかわしたヴァイドだけど、追撃の手は止まらない。距離を取っても詰められて、鋭い斬撃が襲い来る。それをかわし続けることは、いくらヴァイドでも無理だった。
やがて足がもつれて、その隙を突いて刃が繰り出される。銀のきらめきがヴァイドに迫る、その刹那。
「――っ!」
飛び出したキノアがヴァイドを突き飛ばした。刃はギリギリでキノアの二の腕をかすめ、二人はもつれてその場に倒れた。
暗殺者は更に追撃しようとするけど、その直前にヴァイドが腰から抜いた短剣を投げる。ダーツのように飛び出した短剣はカウンターで暗殺者の腹に突き刺さった。よろめく暗殺者の刃が逸れ、ヴァイドは更に足払いをかけた。
けど暗殺者はそれを避け、大きく飛び退って窓を破り、館の外へと逃げていった。
短い攻防の末、静寂が訪れる。
「……馬鹿者。何をしている」
立ち上がったヴァイドが、二の腕を押さえるキノアに手を差し伸べながら苦い顔をする。キノアはまっすぐにヴァイドの目を見つめ返しながらその手を取った。
「知るか。幼馴染が殺されそうになっていて庇うことの何が悪い」
「こんな時まで点数稼ぎか、感心するな」
腕が痛むのか、少し顔をしかめて腰を上げ、キノアは真っ向からヴァイドに相対する。
「言ってろ。突き放したいなら、信じたくないならそうすればいい。けど、俺がお前の幼馴染だってことには変わりない。俺は友達を失いたくなかった、それだけだ。いけ好かなくても、友達は友達だからな」
面と向かって言われたその言葉に、珍しくヴァイドがきょとんとした顔をした。それから、これもまた珍しくくしゃっと顔を歪めるようにして笑う。
「そうか、お前は思っていた以上の大馬鹿者だな」
「バカがバカって言うな、バカ」
「しかし、そういう大馬鹿者は嫌いではない」
「……やっぱお前はバカだ。こういう時もっと他に言うことあるだろ」
ふて腐れたようにそっぽを向くキノアを前にして、ヴァイドはふと考え込むようなそぶりを見せた。言い慣れていないらしい言葉をさぐり、そして、
「そうだな……ありがとう、キノ」
やっと探し当てた言葉に、キノアは満足げに小さく笑って拳でヴァイドの肩を小突いた。それに応じてヴァイドもキノアの無事な方の肩を叩く。
それから弾き落とされた剣を拾い、改めてドライドに突き付けた。
「ああ……やはり、上手くいかないものですね」
逃げずにすべてを見守っていたドライドは、ため息をつきながら他人事のようにつぶやく。取り乱したり命乞いをしたりはしない。潔いものだ。
「さて。このままでは私という存在が国の不利益となるわけですが、こういう場合はどうすればいいのでしょうね?」
誰にとも取れない問いかけに、その場はしんとする。
ややあって、ドライドが吐息のような声でささやく。
「ああ……こうすれば、良いのですね」
そして、腰から護身用の短剣を抜いて自分の首に突き付ける。
何が起ころうとしているかはすぐにわかった。
止めて、と叫ぶよりも先にヴァイドが動き、短剣を剣先で弾く。短剣はくるくると回りながら部屋の中の遠くに飛んでいった。
短剣を失ったドライドは、やっぱり他人事みたいに笑う。
「まったく、上手くいかない。私はここで死んでしまった方がい――」
その瞬間、ヴァイドが拳を振りかぶり思いっきりドライドの頬を殴りつけた。容赦ないグーだ。その場に倒れこむドライドを、ヴァイドは氷の目つきで見下ろした。
「自分の舞台の幕引きを自分でするなど、無様極まりない。虫唾が走る。お前は生きろ。生きて、償いをしろ」
「……償いなど、それが私の国のための何になりましょう?」
苦笑いしながら顔を上げるドライドは、もう空っぽの目をしていた。
主人公が、舞台を降りる。
いや、まだだ。まだ彼は主人公をやれる。
だって、そのために今まで自分の手を汚してきたんじゃない。
国のために国のためにって、頑張ってきたじゃない。
「ヴァイド、ちょっと待って!」
気が付いたら私は声を上げていた。ヴァイドはチラッとこっちを見て、
「何だ? 今忙しい」
「あのね、知ってるとは思うけど、ドライドの国今大変なんだよ。だからドライド、こんな無茶なことしたんだ。そりゃあ、褒められたことじゃないよ? けど、ドライドにできることはこれしかなかったんだよ。それを咎めるのは、ちょっと待ってほしい」
「お前も殺されかけたのに、か?」
「殺されかけたよ。けど、意外とドライドのこと恨んではないんだ。仕方ない流れだったんだよ。ドライドはそれに従って自分にできる最善を尽くしただけ。だから、私は結構ドライドのこと尊敬してたりするんだ」
熱弁していると、ヴァイドが、ふっ、と吹き出した。あれ? おかしいこと言った? 戸惑っている内にそれは爆笑へと変わる。
「ははは! 自分を殺そうとした相手に尊敬か! まったく、お前は大物なのか馬鹿者なのか分からなくなる! それだけでなく、キノのライバルだぞ? 分かっているのか?」
「分かってる! けど! せめてドライドの国をちょっとでもマシにするために、何かしてあげてよ! お願い、頼む!」
「ふふっ、本当にお前は面白いな……まあ、いいだろう。その点については俺にも考えがある」
言って、ヴァイドはうずくまるドライドのそばにしゃがみこんだ。空っぽの目をしたままでその目を見つめ返すドライド。ヴァイドはニヤリと笑って、
「政治上の札遊びに関しては、お前より俺の方が格上らしい。まだ活路はあるぞ。ここは実利主義に徹することにしよう」
「……活路?」
「そうだ。今回我が国の領地に兵を展開し、住民を巻き込んで他領地の領主を監禁したことについては不問にしてやる。その代り、『例の条約』を受け入れろ」
「『例の条約』……それは、」
初めてドライドの表情が歪む。『例の条約』というのは相当イストアリア王国にとって不利な条約なのだろう。この場で飲むことをためらうほどに。
それでもヴァイドに容赦はなかった。
「それほどのことをしたのだと反省するのだな。しかし、『例の条約』を飲むことによってお前が犯した罪は誰にも知られずに済む。アデレンシアとの国交問題にもならない。お前は手札を失うことなく、お前が王座に押し上げようとしていた人物も失墜しない」
「……しかし」
「まだごねるか。ならばおまけをつけてやろう。そうだな……」
ヴァイドはふと私の方を振り返った。え、私?ときょとんとしていると、彼は最上級のニンマリを見せる。イヤな予感がした。
そして次の瞬間には予感が的中した。
「お前の国に恋神を派遣してやる。親善大使の名目でな。そこで恋神の目に留まれば、お前の王子様だかお姫様だかは俺の妃になる可能性が出てくる。そうすれば、労せずしてお前の目論見は達成されるな」
「ちょーっと待って!」
さすがにストップをかけてヴァイドとドライドの間に割って入る。
「勝手に決めないでよ! 私はキノア押しって言ってるじゃん! そりゃあドライドの国を何とかしてほしいとはいったけどさ、お妃様にするのはキノアだから!」
「しかし、お前は『俺にも妃を選ぶ権利がある』とか何とか言っていたな?」
「……う」
その通りでございます。無理矢理結婚させることに疑問を抱いていたのは本当だ。ヴァイドだって色んな人を見た方がいいに決まってる。キノアだけをゴリ押しするのもどうかと思うのだ。
たくさん人を見て、その上でやっぱりキノアが一番いい、となるのが理想。
そのためには、私も恋神として色んな人を見なきゃいけない。
「……分かったよ、親善大使しますよ」
不承不承告げると、ヴァイドは満足げにうなずいて見せた。
「良かろう。では近日中に恋神をお前の国に送ってやる」
「俺もついてくからな!」
「何だキノ、子供のクセに保護者気取りか?」
「うるせーな、こいつは俺がいないと何もできないんだよ」
「そんなことないし!……いや、やっぱ一人きりの国外旅行はちょっとハードル高いから、キノアついてきて……」
私たちが喧々と言い合っていると、ドライドは急に天を仰いで深くて長いため息をついた。もう空っぽの光は瞳に宿っておらず、どこか愉快そうな色が浮かんでいる。泣きだしそうな笑い顔で、
「……最後まで悪役でいさせてくださいよ……これじゃあ、まるで中途半端な良い人だ。恋神様、貴方のせいで色々台無しになりましたよ」
「え、なんで!? 私のせいなの!?」
「はい、貴方のせいです。私はね、汚れきった最悪の悪役で良かったんですよ。なのに、貴方ときたら……」
「だって、ドライドだって主人公じゃん」
「……そう、ですね」
当たり前のことを言っただけだっていうのに、ドライドは小さく笑い出してしまった。
ヴァイドは相変わらず愉快そうに様子をうかがってるし、キノアまで笑いそうになってる。
……目立たないその他大勢のモブに、何をそんなにウケる要素あるの?
釈然としないまま、とりあえず私は安堵のため息をついた。
――終わった。
たくさん血は流れたけど、全員が不幸になる結末だけは避けられた。
私は私にできることをやった。
みんながみんな、自分にできる精一杯のことをやれた。
それで充分じゃない。
収束した事態の真ん中で、私は結局みんなと一緒に笑い出してしまった。




