【14】
「……なに、これ……」
外に広がる光景を目にすると同時に、呆然とした声がこぼれる。
一言でいうと、惨状だった。
燃え盛る村の家々、あちこちに転がる兵士や村人の体、響き渡る泣き声や怒鳴り声。今も兵士たちが剣を交えていて、上空には騎手が乗ったワイバーンが飛んでいて、サラマンダーが火を噴いている。高台に上った司祭服をまとった人たちが何か印を切ると、轟音と共に雷が降り注いだ。きっとあれが魔法なんだろう。
……終わってない、というのはこういうことか。
敵兵は数を減らしながらも必死の抵抗をしていた。けど見たところヴァイドの軍の方が圧倒的に優勢だ。次々と敵兵が倒れていく。
それだけじゃなかった。兵士でも何でもない普通の村人たちもまた、刃に晒されている。あそこで動かなくなっているのはどう見ても民間人だ。
なんで、こんな……!
足がすくんで動けなくなっていると、キノアたちと少し距離が開いてしまった。急いで、行かないと……
その時だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
獣のような叫び声と共に、焼け落ちた民家の陰から男が飛び出してきた。それがこの村で最初に出会った家畜番だと気付くのと、その腰だめに構えたナイフの光が目に飛び込んできたのはほぼ同時。息を呑むのも忘れて突っ立って、そして。
家畜番は横合いからやってきた兵士の槍の一撃で腹を貫かれ、吹っ飛ばされた。槍が抜かれるとその場に倒れこみ、地面で小さくもがく。そこでようやく指先から震えが全身に伝わってきた。その場にへたり込みそうになっていると、先に行っていたキノアが戻ってきて腕を支えてくれえた。
「大丈夫か」
「……なんで? この人たち、どうして……」
「自分たちが金で自国の領主を他国に売ったとヴァイドに知れたら、どうなるか分からないからな。必死なんだろう」
「でも、そんな……」
私は蒼白になりながらも、もがく家畜番に手を伸ばそうとした。けど、その前にキノアに腕を引っ張られる。放っておけということらしい。
どうして? 死ぬかもしれない人がいるのに?
目で訴えかけてもキノアはこっちを向きもしない。
今も死んでいこうとする人がいるのに?
何もするなって?
ほら、またそこで兵士が死んだ。
村人たちは炎に撒かれて、女子供は泣きながら逃げ惑っている。
あれは、私にシチューを持ってきてくれた女将さんだ。
それなのに、その他大勢の私には何もできない?
……そんなのは、イヤだ。
「おい!?」
私はキノアの腕を振り払って走り出した。息せき切って燃え盛る家屋の合間を抜け、とにかく走る。目指すは魔法使いたちが陣取っている高台だ。こう見えて私は平均よりちょっとだけ足が速い。追い縋るキノアにつかまることもなく、ほどなくして高台にたどり着く。
「どいて!」
三人いた司祭服を押しのけて、私は高台に立った。ここからだと火に包まれた村が良く見渡せる。あちこちで兵士や村人たちが倒れていくのが見えた。
……止めなきゃ。
けど、どうやって?
私には、何ができる?
「……―――、――――」
気が付いたら、唇から意味の取れない言葉がこぼれ出していた。詩吟のような、異界の音律。何コレ?と思っている内にもどんどん言葉はあふれていく。それどころか、操り人形の糸に操られているように指が動き、次々と印を結ぶ。
これは、魔法?
「おい、何やってる! やめろ!」
追いついたキノアが肩をつかんで止めようとしても、止まらない。私はよく分からない力に突き動かされて魔法を組み立て続けた。
「――、――――」
「バカ! うちの神官長も言っていただろう、素人が魔法を使って失敗すれば、何が起こるか分からないんだぞ! 下手に異界に繋がっているお前のことだからなおさらだ! まずお前に危害が降りかかる!」
「―――、――」
「最悪死ぬかもしれないんだぞ! やめろ、頼むからやめてくれ!」
「ああもう、うるっさぁぁぁぁぁぁい!!」
とうとう私は呪文を中断して声を荒らげた。その勢いのままキノアの胸ぐらをつかみあげる。突然のことに目を丸くするキノアに、私は涙目で顔を近づけた。
「わた、私だってねえ、それくらい分かってんの! 死ぬんでしょ私!? し、死んじゃうんでしょ魔法使っちゃったら! けど、けどねえ! こんなの見てらんないじゃん!」
声が裏返っている。泣きそうだ。それでも私は怒鳴り散らすように続ける。
「私は、今ここで私にしかできない役目を果たすの! 私が止めなきゃいけないんだよ! 私は、わたしは――やっぱり、主人公になりたいの!!」
言っていて気付いた。
キノアやヴァイド、ドライドがやっていた自己犠牲は、決してただの自己犠牲じゃなかった。
ただ、自分ができることを精一杯やろうとして自分を殺していただけなんだ。
主人公として、舞台に立って役目を果たそうとしていただけなんだ。
臆病な私には今までそんな覚悟はなかった。
けど、今そんなこと言ってられない。
私がやるしかないんだ。
私は、主人公なんだから。
他の誰でもない、私にしかできないことがあるんだから。
私はキノアの胸ぐらを離して、また魔法の組み立てを再開した。私の剣幕に気おされたのか、キノアはそれ以上何も言わず呆然とこっちを見ている。
呪文を唱えて、印を結ぶ。魔力を練って、望む形に変えて、他の世界から奇跡を呼び寄せる力にする。
「――、―――――」
命が吸い取られていくような脱力感を覚えた。死ぬってこういうことなのかとものすごく実感する。そうか、私はここで死ぬんだ。けど、主人公として死ぬんならそれでいい。
ただのモブで終わるよりは、ずっといい。
「――――、―――!!」
ぐっと脱力感が深くなる。呪文はそこで終わりらしい。高らかに結句を叫ぶと、空を裂くように指を振り下ろす。
……ふっと、世界が変わる感覚があった。
涼やかな風が吹くと、今まで燃え盛っていた家々の炎が唐突に消え去り、その焼け跡に植物が芽吹いた。早回しのようにつぼみを膨らませ、花を咲かせる。
戸惑う兵士たちの剣に、槍に、するすると何かが巻き付く。それは植物の蔦で、瞬く間に淡い色の花をたくさんほころばせた。
ワイバーンやサラマンダーの首に花輪が現れ、吹き出されていた炎が止まる。
戦場は、瞬く間に花であふれ返った。かぐわしい香りが焼け跡のにおいをさらっていく。すすけた村に華やかな色合いを連れてくる。
満ちていた殺気をどこかに追いやってしまう。
いきなりの事態に兵士たちは完全に手を止めていた。誰もかれもがぽかんとして戦闘行為を忘れている。
その隙に、私は高台から大声で叫んだ。
「今すぐ戦いをやめなさい! ヴァイデンセル殿下からのお達し! もう戦うなって!」
嘘八百。けど、こうでもしないと止まらない。
思った通り、その声で兵士たちは花まみれになった武器を下ろした。両軍とも、戦意は完全になくなっている。
良かった、これでもう誰も死なない。
安堵と脱力感に襲われてその場にへたり込むと、キノアが慌てて肩を揺さぶってきた。
「おい、大丈夫なのか!?」
「へ?……ああ、なんか、大丈夫、みたい……すっごい疲れたけど……あはは、私死んでないや……やっぱ主人公は死なないんだね……」
「バカなこと言うな。まったく……お前ときたら、とんでもない無茶しやがって……! いいか、俺は怒ってるんだからな!」
「はいはい、心配してくれてたんでしょ」
「ばっ、違う! 単に怒ってるだけだ!」
分かってるって。疲れた顔でクスクス笑いながらキノアの手につかまって立ち上がる。
ともかく、私は死ななかった。
私の覚悟が運命に勝った、と言ってもいいのかもしれない。
それはとても誇らしいことで、とても気持ちいいことだった。
一瞬だけだったかもしれないけど、私はたしかに主人公だった。
役目を、果たしたのだ。
「さあ、行くぞ。ヴァイドのところへ」
キノアに手を引かれ、私は歩き出した。
別の主人公たちの結末を見るために。