【10】
その後は侍女や衛兵に部屋を元に戻してもらって、いつも通り。
あの暗殺者のことをヴァイドに聞いたら、『鋭意拷問中だ。聞くか?』と言われたので、大急ぎで首を横に振った。言外に関わるな、と釘を刺された形だ。そりゃそうだ、普通のモブ女子高生に暗殺者の処遇をどうたらなんてできるはずがない。ここは任せておこう。
そうやって何事もなかったかのように二日経ち、三日経ち。
――ある夜のことだった。
やっぱり殺されかけたショックが後を引いていたらしく、眠れない夜を過ごしていると、バルコニーの方で物音がした。まさかまた暗殺者?とベッドの上でビクビクしていると、今度は窓を何度かノックする音が。
よく考えてみよう。ノックなんてする礼儀正しい暗殺者、いる?
……いないでしょ。
どうせヴァイドの悪ふざけだとタカをくくって窓際へと歩み寄る。寝間着のままカーテンをめくると、そこにはペガサスを従えた衛兵の格好をした誰かが立っていた。暗がりで顔まではよく見えないけど、多分巡回の兵士だろう。
「はいはーい。異常なしですよー」
言いながらバルコニーの窓を開けると、夜風がざっと室内に吹き込んできた。ずっと引きこもっていたから久しく見てなかったけど、月が丸くて明るい。
何も言わない衛兵をちょっと不気味に思いながら言葉を続ける。
「ご苦労様です。こっちは全然何もないんで、行ってもらってかまいませんよ」
そこまで言ったところで、衛兵は突然私の手首を強くつかんだ。先日殺されかけた恐怖がよみがえってきてびくっと身を震わせる。
慌てて振り払おうとしたところで、ようやく衛兵が言葉を発した。
「しばらく会ってなかったからって、ここまで忘れられてんのか俺は。お前の頭の出来はうちの領地の鶏以下だな」
声を聞いた瞬間、胸にこみ上げてくるものがあった。
彼の名前が頭に浮かぶより先に。
よく見ると、衛兵の格好をしてはいるものの、たしかにその男の顔は、
「――キノア!」
「うるさい人が集まるだろうが静かにしてろ」
感極まって指さして声を上げると、キノアはウザったそうに私の口をふさいだ。モゴモゴ言っている隙に、彼はひそめた声で語る。
「領地に強制送還されて、またここまで戻ってくるのに一週間。衛兵の装備やペガサスを闇市で調達するのに数日かかって、ここまで遅れた。とはいえ、ちょうど良かったみたいだな。急に警備が増えて、おかげで紛れ込みやすくなった」
「もごっ、もがっ」
「何だ、文句でも言いたいのか? できるだけ静かに言えよ」
そうやって口から手を外したキノアを前に、深呼吸。それから、片手を上げて、
「キノア、久しぶり!」
満面の笑みで、やっとそれだけ言えた。会いたかったなんて言えない。
キノアは思いっきり呆れた顔でため息をついた。
「久しぶり、って、お前なぁ……」
「だって久々だし」
あっけらかんと告げる私に、ますますキノアの肩が落ちた。そんな変なこと言ってる?
「で、その……何か酷いこととかされなかったか?」
「ひどいこと?」
「いじめられたり、無理に迫られたり。そういうのはなかったのか?」
「別になかったよ。ヴァイド思ってたよりイイヤツだったし」
「い、イイヤツ?」
自分の中のヴァイド像とまったく違う意見を聞いて、キノアが目を剥く。そりゃそうだ、あれだけ酷い別れ方をしたんだから。私も最初はイイヤツとは全然思わなかったし。
「けど、そうやって聞いてくれるってことは、心配してくれてたんだ、私のこと」
「そ、それは……」
「その上、わざわざ危険を冒してまで助けに来てくれたんだ」
「べ、別にお前のためじゃないからな!」
出た、ツンデレ。うーん、久しぶりに聞くと感慨もひとしおだなあ。
生ぬるい視線でうんうんとうなずいていると、キノアは言い訳のように言い募る。
「せっかく喚んだ恋神が取り上げられたんだ、こっちとしてはたまったもんじゃない。だから……」
「それだとおかしいよ。キノアはこの恋が成就しない方が良かったんでしょ? だったら、恋神の私が奪われてほっとしたんじゃない?」
「それは、俺個人の感情で、やっぱり領地にとっては必要なことだし……いや、そうじゃなくて、」
そこまで言って、キノアはイラついたように首の後ろをかきむしった。それから、観念したように一息つくと、ぼそぼそとつぶやき始める。
「……あの時後先考えずあいつを殴ってくれたのが、うれしかったんだ。俺が頑張ってるってこと一生懸命喚き散らしてくれて、それで何だか救われた気がした。俺はそれまで当たり前のことしてるだけだと思ってたし、みんなもそう思ってたから、頑張ってるって褒めてくれる人間なんていなくて。だから、俺は頑張ってるって、胸張っていいんだって気づかせてくれて、だから俺はお前を……」
それ以上は声が小さすぎて聞き取れなかった。なになに?と耳を寄せると、キノアはぺちんと私の額をはたいて思いっきり明後日の方を向く。
「ともかく! 俺はその借りを返しに来ただけだ! 妙な勘違いするなよ!」
「はいはい、分かってるって」
これだからツンデレは萌える。けしからん、もっとやれ。ほわほわした笑顔でうなずき返して、改めて、ああ、キノアだなあと実感する。
キノアがここにいる。
私なんかを思って助けに来てくれた、それで充分だ。
「さあ、行くぞ。衛兵に紛れ込んできたとはいえ、長くはもたない。いずれバレる」
私の手を引いてペガサスの方へと向かおうとしたキノアを、慌てて制する。
「ちょっと待って、ヴァイドに挨拶してかなくていいの?」
「バカ言え、妃候補をさらいに来たんだぞ。どのツラ下げて挨拶なんてするんだ」
「いや、妃候補はキノアでしょ。だから、受けとしてせめてちゅーとかのサービスくらい」
「ぜっっっっっったいイヤだ。あいつの妃になるのはまだ諦めてないが、あいつのことが気に食わないのは変わらないからな」
「えー、ヴァイドそんなに悪いヤツじゃないよ? 攻めとして優秀だと思うんだけどなあ」
「ったく、どんな手を使って懐柔されたんだか……」
「別に懐柔された気はないよ。っていうか、受け攻めより前に、ヴァイドの友達になってあげなよ。既に私は友達だから、二人目。友達増えたら絶対喜ぶと思うよ」
ヴァイドと友達という二つの言葉がうまくつながらなかったのか、キノアはちょっとぽかんとした。その顔がおかしくて思わず笑ってしまう。そうか、ヴァイドのああいう一面を知ってるのは今のところ私だけか。キノアにもいずれ知ってもらおう。
そうしたら、ヴァイドの孤独はもっと癒される。
決めた、妃とか結婚とかそういうの後回しで、まずは二人を友達にしよう。
恋を結ぶとまで言われた恋神なんだから、友達くらいはお茶の子さいさいだろう。
……それに、ケンカップルからの友情からの恋愛成就だなんて、幼馴染カップリングの定石だし。
「ってワケで、友達としてちょっとヴァイドに置き手紙だけ書いてくるから! 急に友達いなくなったら不安になるだろうし。あと、制服に着替えてくるね」
「……早くしろよ」
不承不承っぽく引き下がるキノア。私は寝間着を翻して部屋の中へと戻っていった。ええっと、紙とペン……何書こうかな、メールと同じようなノリでいいのかな……
ほどなくして手紙を書き終え、取っておいてもらっていた制服に着替えて、バルコニーに戻って来た。
「お待たせ」
「よし、行くぞ。後ろに乗れ」
ペガサスにまたがったキノアは私がよじ登るのにも手を貸してくれた。初めて会った時と同じ二人乗りスタイル。また怒られないように背中にしがみついていると、ふと思いついたことがあって笑いがこみあげて来た。
「……ふふ」
「何だ、気持ち悪い」
手綱を引いてペガサスを羽ばたかせるキノアが軽く振り向く。
「いや、こういうの、何だか『ロミオとジュリエット』みたいだなーと思って」
「ろみ……何だそれは?」
「私の世界……神の世の恋物語。バルコニーのシーンがあって、ちょうどこんなカンジなんだ。塀は恋の翼で飛び越えてきましたーってね」
「俺とお前が恋物語? 寝言は寝て言え」
「……デスヨネー……」
一蹴されて急に恥ずかしくなる。おこがましいこと言いました。モブのクセに。
馬上で小さくなっている内に、ペガサスは夜風を切り裂いて高く舞い上がる。月に近づくにつれ、王宮の明かりは遠くなっていった。
ごめん、ヴァイド。私は行くよ。けど、今度はきっと友達として会いにくるから。
心の中で別れを告げていると、手綱を握るキノアがぼそりと問いかけてきた。
「……その話、最後はどうなるんだ?」
「え? 悲劇だから大体みんな死ぬよ」
「はあ!?」
ものすごい勢いで返ってきた声に、危うくペガサスから落ちそうになる。気を取り直してしがみついていると、更にすごい勢いでキノアが言葉を継いだ。
「冗談じゃない、俺は悲劇なんて御免だ! 絶対に喜劇にしてやるからな! 俺は俺のジュリエットを不幸にしたりなんてしない!」
「しっかりロミオになる気満々じゃないですかー」
「うるさい、言葉の綾だ! 調子に乗るな!」
天高く舞い上がりながら、私たちはひとときぎゃあぎゃあと騒いだ。
そうしたら、ふとキノアが黙り込んで、その後渋々といった風に言葉を挟む。
「けどまあ、今だけはお前が俺のジュリエットだ。いいか、今だけだぞ!」
制限時間付きのジュリエット。授業中に聞いたら笑える話だったと思う。
けど、今の私にはそれを笑えなかった。
悲劇とはいえ、主人公。
私は今、物語の真ん中に立っている。
ずっと枠線の外側にいた私が。
「……私、主人公になっていいのかな」
いざ舞台のど真ん中に立たされると急に心細くなって、キノアの背中にしがみつく。
そうか、私が逃げてきたのはこういう心細さだったんだ。
けど、その背中をどやしつけるように力強くキノアが答えてくれる。
「なっていいも何も、お前はお前の人生の主人公だろう」
その答えに、一瞬目を丸くする。それからすぐに笑いがこみあげてきた。
「ふっ、あはは、それ、ヴァイドも同じこと言ってた!」
「なっ! 違うぞ、俺はあんなイヤなヤツとは違うからな! たまたまだ!」
「あはは、はいはい、やっぱさ、結構お似合いなんじゃないかな、キノアとヴァイド」
「うるさい、落とすぞ!」
おお怖い、と大げさに体を震わせて口をつぐむ。そうしている内にもペガサスはどんどん王宮を離れていった。
さよならは言わないよ。
今度はまた、新しい友達を連れてくるからね。
こっそり小さく手を振りながら、私は友達の孤独なお城を後にした。
「ヴァイデンセル殿下、キノア・ライツェルンが恋神を連れ去りました。今なら追手も間に合いますが、いかがいたしましょう?」
「いい。行かせてやれ」
「ですが」
「行かせてやれと言っている……ふん、『私じゃなくてキノアをお嫁さんにしてあげてください』『今度まずは友達としてキノア連れて行ってあげるからね』『一人じゃないよ、友達だからね』か……まったく、あの女は何も分かっていないな」
「本当に良いのですか?」
「本人が言っているのだ、いずれまた俺に会いにくる。それに……」
「殿下?」
「籠の鳥は、逃げたところを捕まえる方が面白い」




