9、見ちゃダメ!
9、
ある日土曜日、1人で留守番を任された。客が来るから応対して欲しいとの事だ。
しかし、全員留守ならば客の訪問を断るという選択肢は無かったのだろうか?
朱莉と緑と桃花が出かけると、インターホンが鳴った。
「菫~!!会いたかった~!」
玄関のドアを開けると、そう言って見知らぬ男がだきついて来た。
「何だか菫、少し背が伸びた?」
しばらく抱きついた男は、菫ではないと気がついてやっと私から離れた。
「…………誰?」
いや、そっちが誰だ?
見たところ、菫や朱莉より年上の眼鏡をかけた学生のように見える。眼鏡の形がテレビに出ていた『チャラ眼鏡』と呼ばれている芸能人と同じだ。こいつはチャラ眼鏡だ。
「びっくりした~菫が急に骨ばってたからどうしたのかと思った。あれ?菫は?」
「友達とサイン会へ行った」
「え?俺行くって連絡したんだけど?」
おそらく菫は、お前が来るから出かけた。どうりでわざわざ私1人の時に客の対応など命じると思ったら……
「え?お兄さん1人?」
「葵は仕事、朱莉は緑と桃花を連れて歯科へ行った」
すると、隆介は私をまじまじと見て訊いた。
「あの、そちら……菫とどうゆう関係ですか?」
「お前こそ誰とどうゆう関係だ?」
「申し遅れました!菫の未来の夫、山崎 隆介です!」
あぁ、山崎青果店の次男坊か。菫が幼い頃遊んでいた子供が、いつの間にか成長して姿が変わっていた。
こいつが菫の男?それはあまりに信じがたい。
恋人の来訪に合わせて留守にする真意など私には知った事ではない。だが、普通に考えて菫はこいつに会いたくないから外出したと考えるのが妥当だろう。
しかし、対応しろと命ぜられた以上このまま帰すわけにはいかない。
「中へ入れ。茶を入れてやる。茶を飲んだら速やかに去れ」
「それ、歓迎されてるの?されてないの?どっち?」
「歓迎などされるはずがないだろうが。菫は男を妄想の材料としてしか見ていない」
もしかすると、今もその辺で様子を伺っているかもしれない。サイン会は確か来週だと言っていた。
隆介は先に中へ入ると、慣れた様子でリビングのソファーに座った。
「もしかして……お手伝いさん?男のお手伝いは珍しいからなんか勘違いしちゃったな~!」
こいつ……まだ私はそうだとも言っていないのに、私を家政夫だと決めつけて話を進めている。
ここで「チョリース!彼氏っす!」などと言って一発かましてやろうかとも思った。その方が菫にとっては良いのかもしれない。
いや、チョリースは古い。朱莉にそう指摘された。この前真白に教えてもらったばかりなのに、既に古いとは……覚えても使いどころの無い言葉もあるものだな。
「あの、それ……何すか?」
「茶だ」
茶など入れた事の無い私はコップに茶葉と水を入れて隆介の前に置いた。
「これは……本当に歓迎されて無いですね」
すると隆介は、テーブルの上に置きっぱなしになっていた朱莉が持ち帰ったラブレターを見つけた。
「これ……ラブレター!?菫さんへって書いてある!!」
「朱莉が持ち帰ったものだ」
「誰から!?これ誰から!?」
隆介はラブレターに震えていた。
「江頭ではない奴からだ」
「江頭!?それ誰ぇ~?!誰よ!ねぇ!誰なの~!?」
何故オネエ言葉になった?気色が悪いな……
「菫に直接聞け」
「聞けないよ!こんな紙切れ1枚に嫉妬する小さい男だと思われるのやだもん!」
そこへ朱莉達が帰って来た。
「りっちゃんただいま~!あ、隆ちゃんだ!」
「二人とも先に手ぇ洗って~!」
三人はリビングへ入って来ると、隆介に気がついた。
「あー!隆介!イリス、こいつ入れちゃダメなんだぞ~?」
「え!隆ちゃん……まだいたの?」
朱莉はあからさまに嫌そうな顔をした。
「何その扱い?酷くない?未来のお兄さんに酷くない?」
「隆ちゃんが来るとお姉ちゃんがなかなか帰って来ないんだよねぇ……さ、手洗いに行こう~っと」
どうやら隆介はこの家の誰からも歓迎されていないようだった。
「ねーちゃん俺、今から公園行って来る!」
「暗くなるまでには帰って来なよ?」
「りょーかい!」
そう言って緑は出かけて行ってしまった。
「隆ちゃん、久しぶり!」
「桃花~!」
しかし、誰からもとは違うようだ。手を洗い終えた桃花が隆介の元にやって来た。そして、屈託のない笑顔で隆介に訊いた。
「隆ちゃん、いつ帰るの?」
「あ、うん、もう少ししたら帰るよ……」
悲しいな、隆介。その気持ちはよくわかる。幼児の純粋な眼差しは時として凶器だ。
「そうだ!桃花にお土産があるんだ!」
「お土産?」
隆介は鞄の中から色鉛筆を出して桃花に渡した。
「はい!お絵かきするだろ?これ、水でぼかすと絵の具みたいになるんだって」
「……………………」
桃花はもらった色鉛筆をそのまま黙ってテーブルに置くと、どこかへ行ってしまった。
「あれ~?不発?もしかしてこれ持ってたのかな?カブリ?」
そこへ朱莉が洗面所から戻って来た。その後ろに桃花が隠れていた。
「あ~隆ちゃんごめん!桃花はお絵かきはあんまり好きじゃないの」
「え……?でもこの前一緒にやったのに」
朱莉は小声で「ほぼ隆ちゃん1人で書いてたよね」と言った後、隆介に申し訳なさそうに言った。
「それ、多分使わないから持って帰ってよ。うちで使ったらすぐボロくなるから勿体ないよ」
確かに、38色の色鉛筆はとても高価そうに見えた。しかし、そんな色鉛筆をもらっても桃花は喜ぶどころか、自分のスカートを握ってずっと下を向いていた。
「遠慮とかいいから!これ持って帰っても使い道無いし」
朱莉は少し息をついたように見えた。
「じゃあ、緑に。緑は使うかも!隆ちゃんありがとう!」
「それより朱莉ちゃんこれ!これ誰から?」
隆介は朱莉にラブレターの事を問い詰めた。朱莉は少し困って適当に答えた。
「あ~それは……江頭じゃない人?」
「だからそれ誰ぇ~?!」
「お姉ちゃんに直接訊きなよ」
何故か同じ問答の繰り返しをしていた。
「聞けないよ!江頭って誰?なんて聞けない!しかも本人家にいないし!」
「お姉ちゃんさっき友達と駅前のカフェにいたよ?」
「それ本当!?」
菫の居場所を聞くと、隆介は風が吹いたようにあっという間に去って行った。
隆介が帰った後、色鉛筆を見て桃花は朱莉に謝った。
「ごめんなさい……」
「桃花は何も気にしなくていいよ。大丈夫、きっと隆ちゃんも全然気にしてないよ」
この家に来て1ヶ月、1つわかった事がある。
それは、桃花は色が正確に見えない事だ。おそらく先天性の色覚異常。そのせいか桃花は色を使う事に自信が無い。
だから桃花は、隆介の持って来た色鉛筆に素直に喜べ無かった。
桃花はみるみるうちに涙目になった。
「桃、隆ちゃんにお礼……言えなかった」
隆介にお礼が言えなかった事に後悔して泣き出した。朱莉はそんな桃花を懸命になだめた。
やれやれ。仕方がない。
私は置き去りにされたラブレターの封筒から便箋を出して手紙を読んだ。
「ちょとイリス!何勝手に読んでるの?」
「間違った」
「はぁ?」
便箋をヒラヒラさせ、読み終わった事を見せつけた。
「これは意図的に間違った。他人の手紙を勝手に見る事は悪い事だ。しかし、これはわざとだ。わざと間違った。でも、桃花のわざとじゃない」
すると、少し落ち着いた桃花は手紙の中身が気になったのか……
「何て書いてあったの?」
そう訊いた。しかし……手紙の内容は見せられなかった。これは幼児に見せていいのか甚だ疑問だ。私は何も言わず便箋を封筒にしまった。
その様子を見て、朱莉がその手紙を見た。
「あーちゃんも間違うの?」
「あ、うん。間違えた……間違えた!?」
朱莉は何も言わず持っていた手紙を封筒の中へ元に戻した。
「なんて書いてあったの?桃も見たい!」
「ダメ!見ちゃダメ!絶対に見ちゃダメ!」
手紙の内容は……自作のポエムという名目の下ネタだった。