case 08 常人失格
病院前へと続く道は、緑黄色を基調とした優しい色合いの敷石で舗装されていた。
人とすれ違う度、凝視されたり、振り向かれたり、笑われたりと、歩く礼人は居心地が悪かったが、愛助を担いでいる幸也当人は、平然としている。
ロッテの方は、初めての景色に夢中で、人の目なんか気にしない。
これが当たり前なのか?礼人は悩んだ。
三人が、病院のエントランスに入ったとき、受付に居た看護婦さんが幸也の姿を見て、一切笑顔を崩さなかった。
なる程、この学校では、人を担いで歩いても、なんら異常なことではないのだ、と礼人は覚った。
看護婦さんが、受付のモニターを見ながら口を開く。
「ええっと、拘束具とディスポーザーですね。では、一階の特別看護7号室にその方をお運びします」
「いえ、このまま俺が運びます。ありがとうございました」
幸也は、看護婦さんに軽く一礼すると、ロッテと礼人を手招きして、付いて来るよう促した。
暗い廊下を歩き、特別看護7号室の前に到着し、そのドアを引き、幸也たちは、中に入る。
そこは一人部屋で、窓には鉄格子があり、病室にあるような、ベッドを囲うカーテンはなく、棚や椅子もない。唯一のベッドの上には、革製の拘束具一式と、機械的なごつい輪っかが三つ存在した。
幸也は、三つの輪っかをすべて自分の右腕に通し、右手で拘束具をつかみ取ると、空いたベッドの上へ無造作に愛助を投げ落とす。
左手が空いた幸也は、自分の右腕に通した輪っかの一つを、愛助の左手首に嵌た。
輪っかの幅は、10センチ近く、厚みは5センチほど。
輪っかにあるツマミを幸也がねじると、カチッ、という音がした。すると、輪っかの内側が膨れ上がり、愛助の手首と密着する。
幸也が、輪っかのツマミを引き抜くと、それが鍵であることが分かった。
礼人とロッテが見つめる中、幸也は慣れた手つきで、愛助とベッドの手すりを、拘束具でつなげていく。両手両足をベッドに固定された愛助は大の字になった。
幸也は、仕事を終えると、両手を叩き、振り返る
「さてと、少年…礼人だっけ?礼人君も腕を出して、それと、できれば、その腕戻してくれないか?」
礼人の両腕は、未だに、赤い装甲に覆われていた。幸也は眉を顰めると、問い質す。
「もしかして、戻せないのか?アトリ…その装甲を?
あぁ…たまにいるんだよなぁ…だったら…ああ、ディスポーザーでも、出来上がったアトリは、崩せないし……何だったら、俺が壊すか?」
礼人は、首を横に振った。
「いえ、この腕をそのままにしたのは…これ以上危険がないか不安でしたので……」
すると、礼人の両腕を覆う頑強な装甲が、まるで燃焼する紙切れの様に、見えない火に蝕まれ、朽ちていく。
ロッテは目を輝かせて、その一部始終を見ていた。緋色の装甲が塵一つなく完全に消失すると、礼人の引き締まった腕が露わになった。
幸也は、頷く。
「戻せるなら何より…因みに、ロッテちゃんの方も、自分で作ったものを戻せるか?」
ロッテは「できますよ!」と言って、差し出した掌の中心から青い光の粒子が沸き立つ。
光の粒子は、やがて黒い塵に変わると、それが密集し、鉄屑に成長した。
ロッテの両手に収まった鉄屑は、今まで出したガラクタよりは少し小さい。それでも両手で持つ程度には大きい。
その鉄くずの塊をロッテは、両手で押し潰した。
礼人の目には、少女の両手に圧迫された鉄屑が、一瞬にして薄っぺらな紙になり、最後は青白い粒子になって、霧散したように見えた。
ロッテが合掌していた両手を開いても、何もなかった。
「よし…それじゃ、お前たち、これをつけろ」
そう言って幸也は、愛助に装着した輪っかを二人に渡した。
ロッテが「これ何ですか?」と聞くと、幸也が答える。
「ディスポーザーと言って、皆さまの力、『創質能力』の発現を抑制する装置だ」
礼人の顔に困惑の色が浮かぶ。驚きを隠せないロッテが問う。
「なんで私たちがつけねばならぬのですか?」
幸也は、腰に手を当てて、告げた。
「……まあ、この学園で、力を出現させることも、使うことも禁止していない。だが、勝手な戦闘行為はご法度だ。神妙にせい!」
と言って、幸也はロッテの頭を軽くチョップすると、彼女の口から、うべッ、と呻きが漏れる。
更に幸也は、ベッドに拘束された愛助を指さし「従わないなら、ああします」と断言した。
礼人とロッテは観念して、ディスポーザーを各々の左手に装着すると、鍵であるツマミを幸也が捻り、引き抜く。
ロッテと礼人の腕とディスポーザーの内側が密着すると、幸也が腕を組んで言った。
「どうも…ご協力感謝します……
いやしかし、この愛助って奴、頑丈だねぇ……腕の一本…最悪の場合…全身折っちゃったと思ったんだけど…五体満足で何よりだ……
ほんと、何よりだ……」
色々と思うところがあるのか、幸也は暗い表情になる。
「こういうこと、いつもあるんですか?」
礼人がディスポーザーの感触を確かめながら問うと、幸也の表情が一転し、軽妙に話し出した。
「うーん、たまにな。こういう攻撃特化のアトリビュートを持ってると、使いたがる奴もいるな……」
「アトリビュート?」その聞きなれない言葉が礼人には気になった。
すると、ロッテが補足する。
「アトリビュート、というのは、私が知っている意味ですと、絵の題材になった人物の象徴とする品のことですよね?キリスト教の聖人が持ってたりする。例えば、ペテロだと鍵とか、ほかの聖人では、石だったり」
ロッテの意外な博識ぶりに、礼人は素直に驚く。幸也が記憶を巡らせ言う。
「ああ、確かそのアトリビュートだよ、うん、確か」
そう言いつつも、幸也は腕を組み、眉間にしわを寄せて、考えこんだ様子になる。
誠は、先ほどの乱闘が繰り広げられた現場から少し離れたところに設置されたベンチに座っていた。
そばに植えられた街路樹が木陰を作り、日差しから逃れるには最適の場所だ。
隣には、誰かの背負いバック、さらにその隣には、長い黒髪にマスクをつけた美則が、自分のバックを抱きしめて座っている。
乱闘現場では、ロッテが生み出した瓦礫を処理するためか、作業着姿の人と、清楚なメイド服の人々と、あのゴミ収集ロボットが入り乱れて往来している。
誠がその様子を見ながら口を開く。
「君って、あの女の子の友達?」
返答を待つ。沈黙が続く。返答を待ち続ける。だが、返事がなかなか来ない。
やだ、どうしよう。
誠は、気まずくなってきた。その時
「友達…と言うか、今日あったばかりで、よくわからない……」
美則の返答は、素っ気ない。でも、会話が成立したのは誠にとってありがたかった。
誠は沈黙を避けるように話を続ける。
「やっぱり、ここに入学する人って、やばい人が、多いのかな?」
やばい人、と言うのは、あの愛助とかいう男を想定して言った。
美則が答える。
「つまり、私もあの男みたいに、暴れそうってこと?」
誠は、自信の言葉の不都合な箇所を問い質され、慌てて訂正する。
「いやいや、そういうことじゃなくて、いや、一部の人間は暴力的なのでは、なかろうか…という不安を感じた訳で…あなたをそう思った訳ではなく…」
じっとりとした目で誠を見る美則。全体の表情は、マスクでいまいち判断できない。
笑顔で硬直する誠、美則はそんな彼から視線を外すと、答えた。
「まあ、いいけど……そうね、居るんじゃない、ほかにも、あの男みたいな奴」
「そ、そうですか……」誠は項垂れる。美則は話を続ける。
「でも、一部の人に限られる、とも思う。
校内を少ししか見てないけど、何処も奇麗で、荒れてない。
会う人みんな明るいし、親切そうだし……」
「そ、そうだね。出店の人も親切だったし…礼人が突撃した後も、忍者…か警備の人?か分からないけど、すぐに戦闘も収まったし、治安は、大丈夫、かな?」
「それに、ロッテやあんたの連れはともかく、あんたが脅威になると思えないし…」
美則の言葉に、誠は苦笑い。
「そ、そりゃ、どうも…そうだね、君も危ない人には、見えないし」
誠は、リニアの車内で見た美則の狂った瞳を思い出す。が、今の彼女は、ほかの誰よりも理性的に見える。よって誠は、美則を真っ当な人と判断した。が
「私は、そんなに、安全じゃないわ……」と美則は呟く。
しかし、誠はその言葉をよく聞き取れなかった。それでも話を続ける。
「そういえば、死傷者の話なんて、四年前の襲撃事件以外、聞いたことない、よね?」
誠の話を聞いて、美則も思い当たる。
「女子生徒が一人亡くなった、ていう事件?」
「そう……たしか、俺が小六の時で、その時は、あまり興味なかったから、深くは知らないけど、連日テレビで放送されてたから覚えてる」
美則も、記憶を紐解いた。
「日本国内で、平成初めての武力テロ。怪我人多数。死亡者一人。色々議論が巻き起こってたっけ?」
「そのあと、法改正されたり、とか聞いたけど。実際何が変わったんだ?…調べときゃよかった…」
誠が首を傾げると、美則が答えた。
「確か、創質者の保護を強める、とか言って、国で創質者の管理をする法案が出されたんだけど、人権に配慮して、結局、うやむやになったような気がする。と言っても、昔から創質者の個人データは、国が管理してるんだけど」
「どうせだったら、やってくれりゃいいのに。巷じゃ失踪事件もよく聞くし」
誠の言葉に、美則は鼻で笑った。
「そう考えると…あんな危険人物がいたとしても、守ってくれる人間がいるだけ、この学園の方が安全ね。私たち『創質者』にとって……」
『創質者』『異質者』『アノマリー』あらゆる言葉で、誠や礼人やロッテ、愛助のような人は言われる。
彼らの特異な能力故に。
最近でこそメディアを介して知識が普及すると、世間の認識が少しずつ変わってきたが、礼人や誠が生まれる少し前までは、創質者たちは、公害のような扱いを受け、迫害されていた。
しかし、今でも創質者は一般人にとって、忌諱の対象であることは変わらない。
アメリカでは、隔離政策が一部行われていると聞く。
この『明現学園』は、自治権利をもち、創質者を匿う施設だ。
美則が分かりやすく、誠に説明してくれた。
「事件から四年が経って、壁とかも出来て、さらに防御機能が強化されたって聞いたし…まあ、ロッテからの情報だから、当てになるか、微妙だけど……
それでも、少なくとも、私たちにとって、ここは、外よりも安全、だと思う。それに……」
美則はどこか遠くに目線を向ける。
「私たちに、ほかに行く当てなんて、ないもの……」
彼女は、寂しそうにつぶやいた。
幸也はロッテと礼人に説明を続ける。
「まあ、俺が言ったアトリビュートってのは、俺たち『創質者』に潜在するエネルギーで、擬似物質を特定の現象に構築して、物質世界に求める事象を媒体する形状と構造……
という説明を昔されたと思うな……まあ、あやふやな記憶だけど。俺、座学苦手だから……」
幸也は苦笑い。礼人は愛想笑い。ロッテは口を半開き。
「そうだなぁ…要約すると、礼人君の腕の装甲や、こいつの化け物ムカデ、ロッテちゃんの、あのガラクタ山とかを、総称して、俺たちはアトリビュートって呼んでる。
まあ、固定した形を持たないモノもあれば、何の変哲もない塵とか液体しか作れない人も居るけど。多種多様な事象を己の身一つで生み出せるのは皆共通で、そこが、創質者が『創質者』と言われる所以だな……」
二人は説明を黙って聞く。
「ちなみに、アトリビュートの正式な名称は『擬似的物理現象媒体構造』とかいうやつだ」
しかし、ある学者が、一人一人違う形状を発露することを観察し、美術的表現に着想を得て、アトリビュート、と形容したのが定着したらしい。その説明に、ロッテと礼人は、納得する。
幸也は微笑み、口を開く。
「それじゃ、学校に戻ろうか」
その言葉に、ロッテと礼人は眉を顰める。幸也は、二人を見比べた。
「なんせ、ここは学校で、お前たちは学生だ。問題行動を起こしたら、勿論、生徒指導を受けなきゃ、だろ?」
なるほど、二人は再度納得して、病院を出ようとした。そのとき。
「あとロッテちゃん…その手に持ってる尻尾、捨てたら?」
幸也は、ロッテが未だに引きずっている斬骸鬼の尾を指さす。
ちなみに、愛助は気を失っている間に、治療された。打撲と擦り傷の軽傷だったそうだ。
病院から外に出たところで、歩く礼人が前を進む幸也に聞く。
「あの、その、僕たちの『擬似的物理現象媒体構造』というのは…」
「アトリビュートでいいよ?というかそう言って、じゃないと、俺の頭じゃ、わけわからなくなる」
幸也の懇願に、「じゃあ、アトリビュートで」と言い直す礼人。
「そのアトリビュート、というのは、詳しく言うと、どんなものなんですか?」
幸也は、その質問に対し、考え込んだような顔をして、長い髪を掻く。
「すまんが、俺はアトリビュートの扱いは心得ているが、詳しいメカニズム的なことは、さっぱりなんだ、ごめん」
「つまり、スマホは使えるが、その構造は分からない、ということ、ですかな?」
ロッテの的確な補足に「それな!」と幸也が答え、話を続ける。
「そもそも、アトリビュート自体、人それぞれで全く違う。
昔、先生に言われたのが…アトリビュートが二つあったら、一方は機械で、もう一方は、生物的に振舞う可能性がある。そう思って扱え…だったかな?
つまり、それだけの違いが、個人個人で生まれるってことだろう。
だから、一概にアトリビュートとは、こういうものである、という確定した概念がない。それこそが、アトリビュートの本質……とも、言われた、気がする」
なるほど、とロッテは顎に手を当てて考え深げな顔をする。その隣で、礼人は浮かない表情だ。
「じゃあ、アトリビュートは、危険なモノ、なのでしょうか?」
礼人は思い詰めた様に聞く。幸也は、腕を組んで答える。
「うーん、陳腐な言い方になるかも、だが……危険じゃないもの、なんて、ないと思うぞ?
アトリビュートを含めて、俺たち自身、普通の人、人工物、そして自然――
使い方、物事の捉え方、その時々の心ひとつで、何でも害を生むし、害になりえる。
包丁一本で、魚の活け造りを作れれば、人だって殺せる。ようは、形じゃなくて、それをどうするか、その心構え次第、なんだ。少なくとも、人が関わっているなら、な……」
「……それなら、この力が、アトリビュートが、人の心を変えてしまうことは、ないんですか?」
幸也は礼人が何を言わんとしているか理解した。
「ああ、なるほど、アトリビュートに心を乗っ取られる…あるいは、アトリビュートを使うことで、無自覚の内に、意識が変わる。それが心配なんだな?」
礼人は幸也に頷く。
「さっき…あの、愛助?っていう人の姿を見て…僕も、自分のアトリビュートを使う時…なんだが、気分が高揚するというか…強くなった気がするんです」
「……そうか…まあ、アトリビュートによって、本人の心に影響が出る可能性は、あるな」
幸也のその答えに、後ろを歩く二人は驚く。幸也は言葉を続ける。
「アトリビュートは千差万別。あらゆる法則を一人の人間が、いとも容易く体現する。
まあ、個人差はあるけど。中には強力な能力を持ってる奴もいる。その中には、人を操る力を持つ奴も居るかもしれない。いや、いるな……もしかしたら、自分のアトリビュートに操られる奴も居る、かもしれない。あるいは、無意識のうちに、影響を受けているかも……」
礼人は俯き、暗い目で己の両手を見つめる。
あの時、自分の力を発現したのは、愛助が躊躇いもなく力を発現したからだ。
その瞬間、彼を制圧する、という免罪符を手に入れた気がした。
速度超過の車を追うパトカーが、自分も同じく、速度超過をするように――
あの男が人を傷つけようとしていた。だから、それを止めるためだったら、僕が力を使うことは許される。そう思ったのかもしれない。
幸也が静かに答える。
「まだ解らないんだ。この力が、俺たちが何なのか……」
礼人は思う。
ここにきて、解放された気分になって、舞い上がっていたのかもしれない。
仲間がいると、もう誰も自分を傷つけない、そう思った。だから、気が大きくなったのかもしれない。
それとも、せっかく手に入れた平穏を壊される恐怖心から、力を振るったのか。
あるいは、元から持っていた、衝動か。
礼人の脳裏に浮かんだ昔の風景。
血に染まる壁。傷ついた自分の体。目を開けたまま動かない男が横たわっている――
次に思い出したのは、ついさっきの出来事。
愛助の背中に叩きつけた掌の衝撃。
あれがもし、生身の人体に向けられていたら――
今更そう思うと、全身に寒気が広がる。
両手を肩に回し、しがみ付く。そうしないと、今にも震えだしそうだった。
隣のロッテも、礼人の強張った表情を覗き込み、心配そうな顔になる。
彼女が、声をかけようとしたとき。幸也が立ち止まり、後ろを振り向く。そして、笑顔で言った。
「まあ、一人で心配する必要はない。皆で考えよう。そのために、この学校がある、俺がいる!」
幸也の左手がロッテの右肩に置かれる。
礼人の左肩にまわされた彼自身の手の上に、幸也は右手を重ねた。
「君たちが、一人で考え込まないように、正解のないことに、自分なりの答えを見つけられるように、その答えが、人を、自分を傷つけるものでなく、他人と自分を守れるものとなるために、この学校が在って、俺がいるんだ」
幸也の手から、二人に温もりが伝わる。
「俺たちを信じてくれ……なんて、とてもじゃないが、言えない。
だって、俺たち自身、いつも、いろいろ失敗してる。
恥ずかしながら、知っていることより、知らないことの方が多い。
だけど…少しだけど、分かったこともあって、何が正しいかは、知っているつもりだ」
礼人は顔を上げる。やさしく微笑む幸也は、二人を交互に見つめ、告げた。
「だけど、残念なことに、幸せになる方法も、傷つかない方法も、教えてやれない……
けど、幸せに近づく方法と、傷ついても、また立ち上がるコツは知ってる。あと、力の使い方」
目を瞑る幸也の脳裏に、笑いかける少女が見えた。彼女は――
「だから、俺たちと、かんばってくれないか?」
歯を見せて少年のような笑顔を二人に向ける幸也。
ロッテと礼人はお互いを見合ったあと、幸也に向き直り、微笑みながら「はい」と告げた。