case 07 私を病院に連れてって
長髪の青年が頬を掻きながら呆れ気味に言う。
「ここは学校だぞ、仲良く行こうぜ?」
答えたのは、化け物になり果てた愛助だ。
「……ココニ来タノハ、仲良シゴッコヲスル為ジャネェ。強クナルタメダ!」
発せられた愛助の声は、低く禍々しい。
斬骸鬼の暗く窪んだ眼窩の奥に、赤い光が灯る。
「ソシテ、オヤジヲ取リ戻スッ!」
斬骸鬼を纏う愛助は、足を踏みしめると、長髪の青年に向かって一気に跳躍し、十数メートル以上あった間合いを一瞬で詰めた。
礼人もロッテも身を乗り出そうとするが、長髪の青年が両手を広げて二人を遮る。
ロッテと礼人が、青年の顔を覗き込むと、その目は鋭く覇気に満ちていた。
斬骸鬼の頭部に生える巨大な鋏が開口し、青年の顔を抉らんと飛び掛かる。
長髪の青年は、なんと、鋏の間に左手を差し込み、そのまま残骸鬼の喉奥に、手首まで押し入れた。
次に迫るのは、愛助が突き出す両手の爪。
全ての指に生え揃う十本の刃が、長髪の青年の胴を切り刻む、かに思われた時、横から飛び出た右手が全ての爪を掴み取る。
愛助は驚愕する。
愛助だけではない。ロッテも礼人も茫然と口を開け、誠もミッチャンも目を丸くした。
斬骸鬼の鋏に左手を差し込み、鋭い爪を素手で束ねた長髪の青年は、涼しい顔をしていた。
礼人は、長髪の青年と愛助を交互に見ながら、誠と共にその場を離れる。
ロッテは、愛助と長髪の青年を交互に眺め、目を輝かせていたが、その背後に忍び寄ったミッチャンに羽交い絞めにされると、後ろへ引きずられて行った。
長髪の青年は、愛助に告げる。
「無駄だって言ったろ?だから仲良k…」
「馬鹿ガッ!俺ノ攻撃ハマダ終ワラネェエッ!」
話を遮られた長髪の青年は、愛助の背後で細長い影がしなるのを見た。
それは、斬骸鬼の尾。先端には、爪や鋏に劣らぬ鋭く長い棘が生える。
尾が蛇の様に地面を這い、愛助の股を潜ると、青年の顔めがけて、鋭い棘を突き込む。
長髪の青年の顎に棘が届く、直前、尾の先端が、力なく地面に垂れ下がった。
青年はもちろん、愛助にも、何が起きたのか、分からない。
だが、地面に横たわる尾が、自分の意志とは関係なく後ろに引きずられていくのを目の当たりにした愛助は、すべてを理解する。
「ぷらんぷらん!ぷらんぷらん!」と言いながら、根元から切れた斬骸鬼の尾を正在が左右に振って遊んでいた。
「こら!正在、人の物で遊ぶんじゃない!」長髪の青年が叱る。
愛助の横を大きく迂回したロッテは、正在に近づき、興味津々という表情で、斬骸鬼の尾を見つめた。
愛助は焦燥に駆られる。
「それで、もう終わりか?」
長髪の青年が問いかけると、愛助は自分が俯いていたことを認識する間もなく、顔を上げた。
両手を拘束され、斬骸鬼も動けない。先ほどまでの威勢は、最早なく、混乱が心中を埋め尽くす。
同時に、不安が痛みとなって、胸を打ち、苦しみを伴って、記憶がよみがえる。
目が覚めると、手足を拘束されて、檻の中にいた。
真っ暗な空間において、天上にぶら下がる電灯が椅子に縛られている俺だけを照らし出す。
「お目覚めですか……」
目の前に広がる暗がりの向こうから、誰かが声を掛けてきた。
俺が顔を上げると、暗がりの向こうから人影が近づいてくる。
やがて、目が慣れると、人影が、おかっぱ頭の男になって、俺を見下ろした。
上から注ぐ光の影になって、男の顔は暗く塗りつぶされていた。それでも、このおかっぱ野郎が俺をこんな目に合わせて、仲間を奪った張本人だと、理解していた。
俺は歯を食い縛ると、拘束を外すため藻掻く。
「単刀直入に…これから、あなたを明現学園に入れることになりました……」
おかっぱの男が淡々と抑揚もなく告げる。
素直に言うことを聞くとでも思っているのか?馬鹿め、すぐにでも、この拘束を解いて、その面を八つ裂きにしてやる、俺はそう思った。
「これは、あなたのボスの要求です」それを聞いた瞬間。俺の思考は停止し、体から、力が抜けた。
「あなたのボスの命は、あなたにかかっています……あなたが更生し、強くなれば、いずれあなたのボスを監獄から出すことも夢じゃない。
だが、今のあなたでは…何も守れない。ボスも、仲間も、自分さえも……」
男は淡々と抑揚もなく話す。
「僕は国の学校で育ちましたので、学園のことは詳しくないですが、あそこには、強い人が沢山いますよ?あなたより、そして、僕より……」
強い奴がいる、この男よりも、強い奴が、学園とやらに――俺は、決心した。
馬鹿にされても構わない。言いなりになったと言われれば、言い返せない。でも、あの時の俺には、それ以外の選択肢は、なかった。
それに、オヤジの願いなんだ。ならきっと、俺には分からない、もっとすげぇ考えがあるんだ。
だったら俺は、それが分かるまで、学園に入って、強い奴と戦って、そして、強くなってやる。
まずは、舐められないようにしないと、兄貴たちみたく、かっこよくて、強そうな見た目が必要だ。だから、髪をかっこよく、服もカッコよくしないと。
幸い、学園についた後、自由に動けた。
ちんけな学校だと思ったが、そんなもんじゃねぇ、街丸ごと入っている。床屋もあったし、服屋もあった。だが、強い奴がいる様には見えない。
すれ違う奴らは、皆、平和ボケしたガキばっかだ。まあ、偶にごつい奴もいたが、喧嘩を吹っ掛けるのはもう少し後だ。まずは、誰が一番強いか見極めてやる。そして、そいつと戦い、勝利し、強くなる。
いずれオヤジを、仲間を取り戻し、俺の、俺たちの光を『参来徒』の輝きを――
そう思っていたのに、目の前にいきなり現れた男に、手も足も出なかった。
これで俺は、終わりなのか?これが俺の全てなのか?負けた俺に、何が残る?
何も残らない。力こそ俺の全てだ。それをねじ伏せられたなら、俺はどうなる?俺の存在は、全てを否定するつもりか?俺は皆を助けられないのか?俺の仲間を兄弟を家族をオヤジを――
敗北の記憶――
目の前に飛来した雷に乗って、人影が舞い降りる。
人影の目は稲光によって縁取られ、その手に振りかざす雷撃を今まさに、こちらに振り下ろした。
先んじて、顔に降りかかる熱風。耳をつんざく雷鳴。
そして、目の前に、別の影が飛び込んで、雷撃を受け止めた。
視界は真っ白に塗りつぶされ、その後の記憶はない。
だが、力を求める少年の心には、苦く辛い、感情が残される。
残骸鬼の頭に手を入れ、鋭い黒鉄の爪を握り締める長髪の青年は、愛助の眼に闘争の光が戻るのを見つた。
その瞬間、愛助は両腕を後ろに引っ張り上げる。愛助の指先から、黒鉄の爪が引き千切られた。
長髪の青年の手の中で、全ての爪が砕け散る。
愛助の裂けた指先から血潮が飛び散る。
愛助は血と爪の破片を握り締め、作った拳を青年の顔面に向けて突き込んだ。
「往ゥ生ォオセイヤァァアアアアアッ!!」
長髪の青年の顔面に、血に濡れた拳が届く。その前に、愛助の胸元に青年の蹴りが直撃した。
衝撃音とともに、愛助の体が打ち上がると、装甲に覆われた体が放物線を描いて後方に飛んで行く。
誠と礼人とミッチャン、他のやじ馬は、大きく開けた眼で、それを追う。
一方、ロッテと正在は、残骸鬼の尻尾を取り合っていたため、遅れて振り返った。
斬骸鬼の破片と黒い液体が空中に散らばる。
校舎の白い壁が落ちてきた愛助を受け止める。
愛助の胸を抱きしめる黒鉄の腕が、ひび割れ、砕け散った。
愛助は、力なく両腕をぶら下げ、背中を校舎の壁に擦り付けながら倒れこむ。
気を失っているようだが、はたから見れば、死んでいるようにも見えた。
長髪の青年の左手には、千切れた斬骸鬼の頭部がぶら下がる。
黒鉄を幾重にも重ねた醜い断裂面からは、黒い液体が滴り落ちる。
その後ろでは、ロッテが斬骸鬼の尻尾を持って振り回す。それを恨めしそうに見つめる正在。
長髪の青年は、斬骸鬼の頭部と顔を合わせると、眉間にしわを寄せ、誰もいないところに放り投げた。
空いた左手を着物の腰で拭いながら、和服風の上着の胸元に右手を入れ、学生照明端末を取りだす。
長髪の青年は、画面に何やら入力すると、画面の上に埋め込まれたレンズから、人の像が映し出された。
浮き上がったホログラムの男は、白髪の壮年の男。
『やあ、幸也、どうかしたかい?』
長髪の青年改め幸也は、頬を掻き、視線を上に反らしてから、ホログラムの男に告げる。
「ええぇと……報告します。暴れた新入生をぶっこr…制圧しました。
今から、負傷者を病院へ持っていきます。
それで、拘束具とディスポーザーを用意してください……三つお願いします…はい…」
少しだけ会話が聞こえた誠が「ディスポーザーってなに?」と礼人に聞く。
「ディスポーザー?…って確か、キッチンの排水溝に取り付けるやつで、捨てた生ごみを粉々にする装置の事、だと思う。僕の家にもあったなぁ…骨とか、硬いものでも砕くんだよ」
「…へぇ…しょうなのぉ……」誠は残酷な想像を思い浮かべ、戦慄する。
幸也は通信を終えると、端末を懐にしまって、後ろを振り返り、誠、礼人、その後ろのロッテとミッチャン、正在を見渡して話し出す。
「さて、三人とも俺についてこい」
誠は、三人に自分が含まれていると思い、無言で驚く。
その傍にいた正在が誠に向かって軽く顎を突き出し「この兄ちゃんは見てただけだぜ」と答えた。
「いや、お前が来るんだよッ!」幸也の突っ込みに、正在は愕然とした。
「来るのは、お嬢ちゃんと、少年、そして正在、お前だ!皆事情を話してから、始末書を書いてもらう」
指名されたのは、ロッテ、礼人、そしてもちろん、正在お前だ。
正在は「へぇえッ?なんで?」と聞いたが、幸也は「うるせぇ、行くぞッ!」と言って、手を振り上げて皆の追従を催促した。
ロッテ、正在の顔は不満そうだが、礼人は諦めたように神妙な表情をしている。
誠とミッチャンが見つめる中、ロッテ、礼人、正在は、互いに顔を向け合うと、幸也の背中に向かって行った。
数歩歩いたところで、礼人は振り返り、声を発さず口元で、またね、と誠に告げる。
誠は手を振ってそれに応える。
そのあと、ロッテも振り返り、大手を振りながら、大声で「また会おう!ミッチャン!」と告げた。
ミッチャンは、衆目を気にして、小さく手を振る。
誠は、隣にいたミッチャンに「椎名 誠です」と自己紹介。
不意の挨拶に、ミッチャンも「北崎 美則です」と名乗る。
その間、遠方の木の陰で、眼鏡をかけた少女が一部始終を見ていたことは、誰も気づかなかった。
幸也は、校舎の傍で撃沈した愛助に近づくと、その場にしゃがんで、彼の頬を突く。
年端も行かない愛助の頬は、柔らかく弾むが、目を開けない。
胸元が微かに動いているのを見て、どうやら、息はしているようだ。が
「…やり過ぎた…かも……」と幸也は微妙な表情を浮かべて、頬を掻く。
その後、幸也は、横たわる愛助の体を覆う金属質の残骸を素手で剥がす。
礼人の目の前で、幸也は、生身になった愛助を軽々と、左肩に担いだ。
拘束もしないで、そのまま起きたらどうなるだろうか、見ていた礼人は、心配になったが、愛助が起き上がって抵抗しても、この長髪の男性には、制圧できる自信があるのだ、と思い、納得する。
すると、礼人は、気配を察知し、左を向くと、ロッテの顔が間近に迫っていた。
礼人の顔を見つめるロッテが唐突に口を開く。
「私は、ロッテ・オールト、と申す者……あなたの、お名前は、何ですかな?」
片言ではないか、妙に格式ばった話し方のロッテは、右手を差し出し、返答を求める。
「僕は、鈴宮 礼人」と言って、礼人も右手を差し出し、二人は握手した。
「ほら、行くぞ!」と言ったのは、先に歩き出した幸也。
正在は気怠そうな顔で幸也に追従し、ロッテと礼人も、その後ろについて行った。
ロッテは前を歩く正在に、さっきと同じ言い方で自己紹介する。
すると、正在と幸也が「ロッテ…オールト?」と声を合わせて呟き、眉を顰めた。
礼人は、二人の口調に、疑念を覚えたが、あえて、追及することはせず、自分も自己紹介する。
正在は振り返ると「俺は、鬼頭 正在」と答えた。
幸也も軽く振り返り「俺は、間崎 幸也」と答える。
ロッテは一通り頷いた後、礼人に顔を向け、話しかけた。
「ねえ!その腕何なの?」
ロッテが指さす、礼人の両腕は、未だに装甲に覆われていた。
礼人は自分の腕を見つめて、悩み出すと、戸惑いながら答える。
「ああ…ええっと……この腕は、その…武器、というか、装甲で……推進装置を発動することが、できるんです……」
それを聞いたロッテは、興味津々、と言う表情をしながら、目を輝かせ、次に、正在の方を向いて尋ねる。
「あなたの能力は、どうゆうものなの、ですか?」
正在はロッテを振り向くと、直ぐに前に向き直り、腕を組み目を閉じて、少し考えた後
「秘密」とだけ答えた。
ロッテは、期待していた回答が得られず、頬を膨らませて「どうしてですかな?!」と聞く。
正在は肩をすくめ「まあ、何となく…」と口角を釣り上げる。
するとロッテは、どこから取り出したのか、斬骸鬼の尾を引っ張り出した。
「まだ持ってたのか?」という正在のツッコミは気にも留めず、ロッテは尻尾を左右に引っ張りながら解説し始める。
「この尻尾、柔らかいけど丈夫なんだですよ。それをキズくんは千切ったのですよ!だから、すごい力だと思うのです!!」
曲げたり、引っ張ったり、齧ったりして、ロッテは、様々な手法で斬骸鬼の尾の強度を立証する。
すると、幸也が立ち止まり、振り返って、早く来るよう急かした。
礼人、ロッテ、正在の三名と、幸也の間は、十メートルほど離れていた。
三人は足早に幸也に追いつく。するとロッテは幸也にも問う。
「あなたの能力は何なのですか?」
幸也の返答も「秘密」の二文字。ロッテはむくれ面になるが、すぐに持論を展開する。
「多分、テレポーテーションだと思うのですが?」
正在が鼻で笑うと、にやけ面で「ばれてるじゃないっすか?」と幸也に迫った。
「うるさい」と幸也は僅かに語気を強めて答える。
ロッテは、礼人に残骸鬼の尻尾を見せて、色合いや、構造について、見解を述べる。
一方、幸也は、足を遅め、正在の左側に並ぶ。後ろでは、ロッテと礼人が雑談中だ。
「何があったんだよ?」幸也が小声で正在に尋ねる。正在は、少し俯く。
「…まあ、事の発端は、俺が笑った事?」
幸也は「何に?」と聞く。正在は「そいつを見て…」と言って、担がれた愛助を見上げた。
「お前……」呆れ交じりに幸也が呟く。すかさず、正在が弁明する。
「いや、バカにしたんじゃなくて、なんか…思い出したんだよ……いろいろと」
「いろいろって、何を?」
そう聞かれて、正在は、口籠りながら答えた。
「……昔の自分…とか」
幸也は昔の正在の姿を思い出す。いまより、幼く、もっと背が低く、目つきが悪く……
「…鶏冠はなかったぞ?」幸也が真面目な声で告げる。
「あったり前だ!ちげーよ!」聖愛は立腹し、否定した。それから、目を伏せると、迷うように口を開く。
「……見た目じゃなくて…周りに対してさ……敵意むき出しの感じ、というか…あの、オーラが似てたんだよ…」
幸也は、少し考えた。
「……そうだな、確かに、昔のお前は、野生の獣みたいに、誰彼構わず襲ってたもんなぁ……」
「そんなに見境なかったか?じゃあ今から襲おうか?誰かで再現しましょうか?」
正在は、牙と敵意を剥き出しにして、幸也を睨む。
「いや、冗談抜きで、ほんと、そうだったって、実際、怪我人も出してたし……
死人が出なかったのは、爺さんや先生たちのおかげだぞ?」
幸也にそう言われて、正在は目を瞑り、記憶をめぐらす。そして、一つ頷いて、納得した。
幸也は微笑むと、前を向きながら聞く。
「で、鶏冠以外の、全体のオーラが似てたから笑った?」
「……うん、なんか…昔の自分を見てる気がして……嗚呼、俺もこんなだったのかなって…思って…
つい吹きだしたんだよ。そしたら、そいつが詰め寄ってきて、チビ呼ばわりしやがってッ!」
正在の顔にあの時の怒りが蘇る。だが、すぐに平静を取り戻し、話を続ける。
「昔は、ねーちゃんと会うまでは、この世はひどく陰惨で、周りは敵ばかり、と思ってた。
だって…知らなかったから……知らないから…何にも……
世界が広い事も、いろんな人が居ることも、優しい人たちが、居ることを知らなかった。
そいつも…多分……同じなんだ。
知らない奴は、怖い。他人は、俺を傷つける。だから、誰も近寄ってほしくない。
だから、ああやって、凄んで、俺は強いんだ、って周りに見せつけて、自分にも、言い聞かせて来たんだ……」
だって、それしか、方法を知らないから――
何時も一人で、怖くて、分からなくて、寂しくて、苦しくて――
でも、誰かを信じることも、同じくらい不安で、それなのに自分一人では、孤独を癒せない。心に開いた大きな穴は、埋まらない――
正在は、かつて自分を覆っていた闇を思い出す。
その闇は、思い出すほどに、広がっていき、小さい体に重くのしかかると、体の奥から凍てつく様な寒気を生み出し、胸を締め付け、感情を奪っていった。
その時、遠くから幼い少女の声で「おにぃちゃぁぁあああん!」という元気な声が轟く。
眼に光を取り戻した正在が顔を上げると、あどけない少女が、白く大きな狼に跨って、走って……突っ込んできた。
正在は、狼にのしかかられる。狼は正在をム〇ゴ〇ウさんと勘違いしているのか、大きな頭に見合ったその舌で、押し倒した少年の顔を舐め回す。
正在は目を瞑り、白い体毛を抱きしめると、されるがまま、顔面を狼の唾液に濡らす。
狼の背から降りた幼女は、髪を後ろで団子に結い。花柄のワンピースを着用して、小さなスニーカーを履いていた。
幼女は、自分より大きな少年少女を見上げて、小さな手を前に重ね、丁寧なお辞儀を披露し「こんにちは」とご挨拶。
それを見た、幸也、礼人、ロッテも、丁寧にお辞儀をして「こんにちは」と返答した。
「どうしたんだ唯?」と幸也が聞く。幼女改め、唯が話す。
「お爺ちゃんが、お兄ちゃんを探しているんです」
幼い唯の顔に困惑の表情が浮かぶ。その視線の先にあったのは、幸也に担がれている愛助の姿だ。
心配そうな声で聴く。
「その人どうしたんですか?」
顔を狼の唾液まみれにした正在が立ち上がって説明した。
「この兄ちゃんがアホやってたから、みんなでしばき倒したんだ。大丈夫、死んでねぇよ、多分…」
学ランの袖で顔を拭きながら正在は適当に言う。その間、白いオオカミは地面に仰向けにされ、目を輝かせたロッテに、〇ツ〇ロ〇さん張りのハグ&スリスリを強いられていた。
「お兄ちゃんがやったの?」
唯は不安げな顔で、正在を見上げる。
「いや、にーちゃんがやった」という、一見自白のような返答の後、正在が本題に入る。
「で、爺ちゃんが何用?」
「あ、秘密の要件で話があるって。暇なとき来てくれ、って」
正在は、何のことだか見当もつかず、目を瞑ると、頭を傾げて、記憶をめぐらせる。
そのうち、目を見開き、思い出したように「嗚呼」と声を漏らす。
その流れで、唯とともに、正在は狼に乗った。
「それじゃ、後は頼んだよ!兄さん!」
「嗚呼」と言いそうになった幸也。だが、気づく。その小僧は、これから行くところがあるはずだ。
「待て、お前これからッ!」
言いかけたがもう遅い、「GO!シロ!」正在の掛け声と同時に、二人を乗せたオオカミ改め、シロは、全速力で走り去る。
「じゃあなぁあッ!説明謝罪反省文ッ!その他諸々は、あんたに任せるぜッ!」
「はっはっはッ!」などと高笑いを残し、正在は華麗に去っていった。
ロッテが手を伸ばし、「モ〇ぉーッ!」と叫んだ。すかさず「いや、シロです!」と礼人がツッコミを入れた。幸也は、額に血管を浮かべ、握りしめた右手を震わせる。
その時、愛助が目覚め、顔を上げた。しかし、気付いた幸也が愛助の後頭部に一発の拳を振り下ろす。
打撃音がこだますると、愛助は、また深い眠りについた。
その様子を木に留まる一匹のカラスがみていた。が、彼らは気付かない。
歩き始めて、十分以上経ったころ、大きな建物が見え始めた。
校舎ほどではないが、それでも、その半分ほどは大きい。
そこが病院だと、ロッテと礼人が知ったのは、敷地前の石碑に『明現学園総合研究病院』という文字を見た後、幸也に「ここが病院だ」と教えてもらったからだ。