case 05 喧騒と平和
青年の肌は浅黒く、整った顔の鼻梁は高く、黒い瞳は大きく鋭い。
誠の目には、青年がインド系の人に思えた。
そんな青年の優れた容姿で最も目についたのは、彼の右目を覆い隠す銀色の眼帯?
目を隠しているから、眼帯と思ったが、紐で結ばれているわけではなく、被せモノ、と言った方がいいかもしれない。何の支えもなく、青年の右目に張り付いている。
そして、被せモノの縁の肌は、醜く爛れて、褐色の肌を赤く歪ませていた。
誠と礼人は、硬直する。
だが、青年と向かい合う礼人が最初に気を持ち直す。
「ご、御免なさい…」礼人は、狼狽えた様に謝罪した。
しかし、青年は、眉一つ動かさず、手に持っていた紙袋に腕を入れ始める。
外国の方との面識が全くなかった二人は、直感で『やられる!』と思った。
青年が出したのは、プラスチックの透明な容器で、その中に見えたのは、二つ並んだ、おにぎり、だった。
青年は、それを礼人に差し出して「ゴ、メンナ、サイ、ノ、キモチ…」と言いいながら、腰を低くし、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
誠と礼人は並んで頭を下げながら、手を振って「いえいえいえ、お構いなく…」と答えた。
結局、青年と礼人と誠は、一通り謝り合った後、何事もなく別れを告げる。
因みに、食べ終わった後の食器は、青年のジェスチャーに導かれて、礼人と誠がカウンターにある食器の返却口に運び込んだ。
レストランを後にした礼人と誠が今歩いているのは、吹き抜けの大螺旋階段。
この長い階段を登るのは気が引けるが、下るなら話は別だ。
手すりから下方のエントランスを覗くと、自分の部屋のベランダから覗いた時より、人が小さく見えた。
そして、下から見た天井にぶら下がるモニターとスピーカーの塊は、今は同じ高さに見える。
モニターの何台かは、人の身の丈より大きい。
この吹き抜け空間全体が明るく開放的なのに対し、この垂れ下がる集合物は、機械的で無機質な印象を受ける。まったく風景に溶け込んでいない。
屋上の塔も、そういった意味では、同じだ。屋上の作りこまれた景観を台無しにしている。
居住地区の野菜も、あの洗練された風景に似合わない。
この学園は、ところどころ、ちぐはぐだ。
そんな考えをめぐらせながら長い階段を降りていた誠は、一階エントランスに到着。
そのまま外に向う。
校舎内を探索しようか、とも思ったが、ここは学校。授業もあるかもしれない。
見物するのは、些か気が引けた。
それに、広い学園。外に何があるか興味が尽きない。
誠と礼人の二人は、エントランスから外に出て、校舎の周りを時計回りに歩き始めた。
外には、噴水が設けられ、緑も豊かだ。そして、所々、野菜が植えてある。
二人は、なぜこんなにも野菜が植えてあるのか、というテーマで議論を交わす。
誠の中学時代には、家庭菜園部があり、校内の小さな畑で、菜園を営んでいたような気がする。
礼人も、小学校の時、校内でジャガイモを育てたらしい。
つまり、ここは、広大な学園を利用して、授業の一環か、或は部活動で、菜園を運営している、かもしれない、というのが、二人の出した結論だった。その時
遠くから、若者の怒号が飛んできた。
「ざっけんなっ!チビッ!」
礼人と誠が、声の発生源に目を向けると、校舎の壁の傍で、頭髪を鶏冠のように整髪料で固めた若者が、自分より背丈の小さい少年と向かい合っていた。
「んだとてめえっ!」と言い返したのは、背の低い少年。
小さい少年は、学ランの袖をまくり上げる。
学ランのボタンは、全開にしており、中に着ていた黒いTシャツには、光の巨大宇宙人戦士が拳を突き上げたポーズをしている。(因みに、その戦士の名は『宇宙貴公子ネビュライザー』だから、著作権侵害には成らない筈……)
一見すると、少年は、学生服を着た小学生に見える。
一方、若者(以降、鶏冠君と呼称)は黒いタンクトップを着て、肩に革ジャンをかけ、下は擦り切れたジーンズとごついブーツを履いていた。
服装と剣幕が相まって、纏う雰囲気は、往年の不良そのもの。
まあ、剣幕だけなら、幼い顔立ちの少年も負けてはいない。
両者とも、見るからに激昂していたが、恐らく、元から目つきが悪いのだろう、平常時でもお近づきになりそうにない、と誠は心の中で思った。
鶏冠君が少年に怒鳴る。
「てめぇが最初に因縁ふっかけたんだろうがッ!
謝んのは、てめぇの方だろうがよッ!クソガキッ!」
そう言われて、少年は目を見開き、言い返す。
「何が因縁だッ!てめぇがバカみてーにガン飛ばしながら歩いたから、笑っただけだろうがよ!
それだけで人様をチビ呼ばわりしやがって、お前こそ慰謝料込みで謝れッ!馬鹿鶏冠ッ!!」
鶏冠頭の若者も、背の低い少年も、表情と雰囲気で怒りを露わにしていたが、どちらも顔つきに幼さが見え、年端もいかないと見えた。少なくとも、鶏冠君は、誠と同じくらいに見える。と礼人は思った。
「チビをチビって言って何が悪いんだよ!」
「こんの、鶏野郎ぉッ!その鶏冠ごと細切れにして、つみれ汁にしてくれらッ!!」
「上等だぁあッ!!」
鶏冠君も少年も、拳を握り振り上げる。一触即発、とはまさにこのこと。その時
「まていッ!!」
どこからともなく少女の声が飛んでくる。
一部始終を見守っていた誠の目に留まったのは、風に靡く山吹色の長髪。
「そこまでだ!悪党!」少女が鶏冠君を指差す。
突然の闖入者に、水を差された少年と鶏冠君は、お互い、殴り合うポーズで制止する。
いがみ合っていた二人は、同じ方角へ、同時に、顔を向けた。
少女の声が、語り出す。
「この世の悪が見える限り!生まれる不幸を成敗ッ!」
少女は、握りしめた左手を引き、右掌をいがみ合う若者たちへ突き出した。
その姿を見た鶏冠君と少年(以降、チビ君と呼称)は攻撃態勢を解き、互いから完全に意識を外し、目の前に突如現れ、意味不明の台詞を言う、奇怪としか言いようのない女の子を静観する。
少女が鶏冠君を指差す。
「解ったか!悪党!」
指名された鶏冠君は、思わず「俺?」と聞いて、自分を指さす。少女は深く頷く。
「だって、明らかに小さい子をいじめてるじゃん」
その説明に納得できなかったのは、鶏冠君よりチビ君だ。
恐らく、小さい子、という文字がお気に召さなかったのが、チビ君は仰天したように顔をしかめる。
逆に鶏冠君は、ざまあみろ、と言わんばかりのしたり顔だ。
少女は気にすることなく、話を進める。
「いいかい?いくら頭髪がおかしくなっても、心までチキンになっちゃいけない」
面食らった鶏冠君。おもわず「なっ!」という声が漏れる。
若者二人の心を上手に逆撫でした少女は、腕を組むと、考え深そうな顔になった。
「どんな悪の組織に、そんな面白い髪形にされ……ふふッ…たのかは知らないけど、髪は戻らずとも、きっと心は元に戻る!だから、仲良くするんだ!」
両手を広げ、心を開く少女。彼女の口の端からは、割り箸ほどの太さの白い棒が飛び出ていた。
チビ君は最早、戦意を失い、うつろな目で、「小さい子……」とつぶやく。
一方、鶏冠君は俯き加減で、口を開く。
「て、てめぇ……好き勝手なこと、言いやがってぇッ……」
鶏冠君は、顔を僅かに上げ、少女を睨みつける。
その鋭い眼光を見た少女は、少したじろぐ。
チビ君の方は、今までの激情は何処へやら、我に返り、落ち着いた視線で鶏冠君を見据える。
誠と礼人が離れた所から見守る中、鶏冠君が、怒号を轟かせた。
「調子こいてると、痛い目見せっぞッ!!」
その瞬間、鶏冠君の背後から、黒い炎が沸き上がり、渦巻きながら、彼の上半身を包み込む。
炎から時折、銀色の光が鈍く蠢く。
驚きの声が、やじ馬から発せられる。誠も礼人も、肌に触れる熱気に、息を飲み、捩じれ上がる火柱を目に焼き付けた。
うねる黒炎は、生きているかのように、何度も収縮を繰り返し、やがて、風に煽られたか如く激しく揺らめくと、一気に、消し飛んだ。
掻き消えた炎から、露わになったのは、鶏冠君の肩と首を包み込む、骨のような形をした、くすんだ銀色の物体。
それは、逆さまで抱き着く、人の腕の骨を模った装甲。
腕の骨は首元で交差し、鶏冠君の両肩を包み込む。
直後、何かが鶏冠君の背後で動く。
その正体は、鋼でできたムカデ。
鶏冠君背中には、肋骨の様な外装が覆う。その中心から生え、上へと伸びる背骨の様な太くて長い管には、鋭い爪を生やした無数の虫の脚が連なっていた。
その全長は二メートルほど。細くくねる背骨の様なムカデの胴体は、身体を丸める。
鶏冠君の頭上を超えて、ムカデが頭をせり出す。
その形相は、胴体によく似合う、人の頭蓋骨そのもの。
下顎の骨の代わりに生える鋭く長い二本の牙は、人の胴体をたやすく貫けそうである。と、誠は思った。
野次馬の中から、若い女性の叫び声や男性のどよめきが聞こえる。
静かに静観するもの、騒ぎ出すもの。様々な反応がその場に広がる。
異常な光景。だが、この場に居た誰もが、化け物の正体を半分理解していた。
なぜなら、あの鶏冠君も、山吹色の髪のの少女も、礼人も、この俺、椎名誠も、この場に居る誰もが、同じ人種『創質者』だったから
誠は驚愕した表情で鉛色のムカデを見つめると、一筋の汗がこめかみから流れる。
隣の礼人は、鋭い目で鶏冠君改め、鶏冠野郎を睨む。
礼人の目には、鶏冠野郎が、今にも、少女を傷つける様に見えた。
だが、鶏冠野郎は、言う。
「俺も鬼じゃねぇ…てめぇらが、今すぐ詫びるっつんなら、ここで引いてやる」
鶏冠野郎の目は血走り、口元は怒りに歪み、背後のムカデは、その牙を微動させる。
それとは対照的に、鶏冠野郎の口調は、何とか、平静を保っていた。
しかし、少女は、口の端の棒を抜き取ると
「てめぇ、ら?てめえ、じゃなくて、てめぇら、って言ったんだよね?」
と、質問した。鶏冠野郎は一瞬、眉を顰める。が、少女の容姿を見て、即座に理解する。
「手前ぇ…外人かッ?なんだ…日本人かと思ったぜ」
彼がそう思うのは無理もない。なぜなら、少女の容姿はともかく、発する日本語は、ネイティブそのものだ。言葉の組み合わせと、話す内容を除けば、何の違和感もない。
しかし、少女は立腹したように頬を膨らませて言う。
「外人って言葉は、差別用語なんだぞ!日本人なのに知らないのか!」
誠もそれは知らなかった。勿論言われた鶏冠野郎も知らない。
期待した返答を貰えなかった鶏冠野郎は、苛立つ。
「知るか!ンなことよりッ、謝んのかッ?」
「……私も、謝るの?」と、少女はキョトンとした表情。
「そうだよッ!」と鶏冠野郎が怒鳴る。
「なぜ?」と聞く少女。
「てめぇもッ、俺をッ、舐めたからだよッ……」鶏冠野郎は、怒りに声を震わせながらも、普通の語調で告げた。
だが、次の少女の一言で事態が急転する。
「舐める?……んなことしねぇよ……汚い君を舐めるなんて…あり得ないぜ?」
似つかわしくない台詞を言った少女は、両手を上に向け、やれやれ、というように首を振った。
その時、鶏冠野郎は目を見開き、震えながら俯く。その脳裏に、言葉がこだまする。
――このッ!――汚ねぇガキがぁッ!――
誠が見つめる中、鶏冠野郎の目が見開かれ、額に血管が浮かぶ。
背後のムカデが高速で体を伸ばし、少女に迫ると、彼女の白く細い首を己の鋭く尖った二本の牙で挟み込んだ。
誰かの叫び声が上がる。山吹色の少女は一瞬、何が起こったのかわからず、理解した後は、沈黙し、生唾を飲み込んだ。
鶏冠が口を開く。その声色は、震えていたが、先ほどのやり取りを聞いていたものにとって、不安を誘うくらい、落ち着いていた。
「お前…分かって言ってんだろ?分かって言ってんだよな?だよなッ!だって、お前すげぇ日本語上手じゃん?俺のことバカにしてんだろ?なあ?」
鶏冠野郎は、三歩分、前に進み、少女へ近づく。
もはや、どんな言葉も、鶏冠野郎を止められそうになかった。それほどまでの気迫が、彼の言葉から、彼自身から、放たれていた。
余裕と能天気を発揮していた少女も、首に触れるムカデの刃が、肌をなぞるのを感じて、額に汗を生む。
その時、「おい!」と声が上がる。
鶏冠野郎が振り返り、睨みつけたのは、チビ君だった。
「俺のこと忘れてねぇか、クソトサカ……」
チビ君は、恐れるどころか、鶏冠野郎を睨み返す。
その鋭い眼光は、恐れを知らないが故の抵抗、とは見えない。少なくとも、鶏冠野郎にそう思わせるだけの力が、少年の目に宿っていた。
「お前は後だ。後で殺す…」
鶏冠野郎は、ちび君に向かって、そう告げた。
その言葉を聞き取ることができた周りの人間は、眉を顰める。
静観を決め込もうとした人間も、固唾をのむ。だが、チビ君だけは、鼻で笑う。
「殺す、か……そいつは、プロの言葉じゃ、ねぇなぁ……」
チビ君の余裕の言葉に、鶏冠野郎は、何も言わない。チビ君が言葉を続ける。
「俺が聞いた話によると、まあ、実体験もあるけど……プロってのは、殺す、と頭に思い浮かべたときには、既に、その行動が終わってるんだとさ。つまりだ…わざわざそれを口に出すってこたぁ…
お前、人を殺したこと、ないだろ?」
勿論、そんな確証はない。寧ろ、鶏冠野郎の今の姿を見れば、人一人を殺したことがある、と言われた方が納得できた。
鶏冠野郎本人も、口元を怒りに歪め答える。
「ガキが…分かってねぇなぁ……殺すってのはよぉ…ぶちのめすってことだ。相手を完膚なきまで、徹底的に、二度と立ち上がって来ねぇように……」
「でも息の根は止めねぇ…」チビ君は、最後にそう付け加える。
鶏冠野郎が眉間にしわを寄せると、チビ君は口角を釣り上げた。
「ぶちのめすが、命は奪わねぇ…暴力は振るうが、息の根は止めねぇ……はッ……
どこが殺しだよ…甘ちゃん」
鶏冠野郎の額に追加で血管が浮かぶ。小さな少年は言う。
「いいか、殺すってのは、命を奪うことだ。息の根を止めることだ。二度と、そいつが目を覚まさないことだ。それが、本当の、殺すってことだ」
鶏冠野郎は、激しい怒りと、言い知れない動揺を顔に表すと、脳裏に古い記憶を蘇らせる。
――男が血に濡れた自分の顔を押さえ、涙目でこちらを凝視し、唾を飛ばしながら何かを言っていた。
ぶかぶかの薄汚れたTシャツを着た幼子が、鋼の百足の蜷局に抱擁されていた――
「……俺だって、俺だって!人をッ!」
俯き、視線を彷徨わせる鶏冠野郎に、小さな少年が問う。
「殺したことがあるか?自分の意思で?」
鶏冠は目を見開く。記憶に映る自分は、そんなことが出来るほど、大きくもなく、強くもなく、賢しくもなく、背中に纏った異形の意味さえ、分からなかった。
「じゃあ…てめぇは、人を、殺したことが有んのかよ?」
鶏冠野郎は、虚ろな目で小さな少年を見ると、口角を釣り上げる。
あるわけがない、そう思ったからだ。
「あるよ」
チビ君は、あっさりと、そう答えた。その言葉が聞こえた人々の表情が凍り付く。鶏冠野郎も真顔になり「嘘つくんじゃねぇッ」と吐き捨てる。が
「いいや、ある」チビ君は撤回どころか、断言した。
「何人も殺した。それこそ、両手で数えきれないほど、何人も……」
その顔にあどけなさを残す少年は、むなしそうな表情で自分の掌を見つめる。まるで、自分の過去を見つめるように。
「……俺は知ってる。お前以上に、知らなくていいことも……それが、俺とお前の差だ…クソトサカ」
小さな少年は、顔を上げ、真っ直ぐ鶏冠野郎を見た。
少年の雰囲気が変わったことを、鶏冠野郎も感づき、身構える。
少年は語る。
「お前は、知らないんだよ。本当のことを、世界を、自分のことを……だから、怖いんだ。
だから、虚勢を張ってごまかして、粋がって、自分は強ぇって叫んで、暴力が全て、だと思い込んでいる。いや、思い込もうとしてる、のか?
だから、誰かを守るために力を使わず、誰かを傷づけてでも、自分を守るために力を振るう。
自分を正当化させるためだけに、力を誇示する。
そんなガキに、俺は恐れねぇし、負けねぇし、謝る気もない。
もし、俺がお前くらい弱かったら、そのねぇちゃん助けるために、いくらでも媚売ってただろうよ。
でも……」
少年は微笑むと、言った。
「俺は弱くねぇんだ。少なくとも、お前よりはな…ク・ソ・ト・サ・カッ!」
鶏冠野郎の憤怒は、沸点に達した。
少女の首から髑髏ムカデが高速で離脱し、鶏冠野郎の横っ面を駆け抜けて、その牙を広げて、少年に迫る。その時。
「くらえぇーーッ!」炎を上げた轟音が広がる。
直後、鶏冠野郎の後頭部を覆う鋼の骨格から、激しい金属音が鳴り響いた。