case 04 食べて歩いて驚いて
トンネルから出て、そのまま歩き始める誠と礼人。
すると、誠の上着の腹部にあるポケットと、礼人が履くジーンズの右ポケットが同時に震えだす。
二人は、震えるポケットに手を入れて脈動する端末を取り出した。
スマホの如くバイブスする端末。
誠と礼人は、一旦お互いの顔を見てから、端末の白く光る画面を見る。
画面は、水面に波紋を広げたようなエフェクトを浮き立たせていた。
若者二人が注目する中、白い画面は、徐々に色づき、やがて、様々なアイコンや文字を表示する。
驚く礼人が、不意に周囲を見渡すと、その場にいた他の若者たちも、各々、端末を凝視したり、狼狽えた様に、辺りを見渡す。
「ミッチャン!見て見て!」
声に誘われ、誠が振り向くと、少し遠くの方で、山吹色の髪の少女が手を振り、元気な声で誰かを呼んでいた。
車内で追いかけられていた少女に呼ばれ、慌てて近寄る人影は、追いかけていた長い黒髪の人物。
二人の関係が良く分からない誠は、とりあえず、端末に視線を戻し、隣の礼人が持ってい端末を比較した。
誠の端末の画面は、壁紙が薄紫色。礼との端末の画面は、薄緑色?或は、ライトグリーンと言えば良いのか?
一方、画面を除く端末の表面は、未だ波打っていた。
礼人が見守る中、誠は、画面に映る封筒のアイコンを指先でタッチする。
誠の直感が、そのアイコンをメールに関わるもの、と見抜いたからだ。
指先に押された封筒のアイコンは、一瞬、震えると、封筒のイラストが、画面いっぱいに大きく表示された。
アニメーションとなった封筒が、勝手に開くと、中から手紙が出る。
「どう、なんか出た?」礼人が聞くと、誠は頷いた。
「メールのアイコンみたいなのを開いたら、こんなのが出た」
誠が礼人に見せた端末の画面には、メールの文章が映り、内容は
『この度は、ご入学おめでとうございます。新しい生活に、健康と喜びがありますように』とか、『この学園では、誠実、親愛、謙虚』を大事にとか。当たり障りのない、世辞訓戒が書かれていた。
途中の文から、礼人が朗読する。
「この、学生証明端末は、これからの学園での生活において、欠かせないものです。決して、手放したり、紛失したり、破損したり、盗難されたり、売買しないようにお願いします。肌身離さず携帯してください……だって」
「売買って……」
誠が戸惑う様に呟く。
過去にやらかした者がいたのだろうか。少なくとも、自分はしない、と軽く誓う誠であった。
礼人はその間、朗読を進める。
「なお、この端末の使用方法、その他の機能に関しましては、この端末の画面上に表示された『設定アイコン』(歯車の形をしたアイコン)を押して、一番上の説明書の項目を参照してください……
だってさ?」
「へぇ、何だか、普通のスマホだな」
誠は、少し期待を裏切られたような感情を抱くと、教えに従って、早速、歯車のアイコンを押す。
画面が切り替わり、様々な項目が現れ、一番上に『説明書』という文字が躍る。
だが、誠はその『言葉』には目もくれず。親指で項目を上に流していく。
誠も、現代っ子よろしく、ゲーム機、PC、スマホをはじめ、精密機器の経験は、豊かな方である。
つまり、どれが、どの機能を有しているか。わからないものは、使いながらその仕様を学ぶ。
そう思っていた時期もあった。
スライドさせて、次々と流れる項目を見て見ると『本体』『ソフトウェア』『機能』とかの文字が並ぶ。
少し技術的な意味合いを醸し出す文言に、戸惑いはじめる誠は、試しに『本体』の項目をタップした。
すると、画面が切り替わり、次に並んだ項目は『大きさ』『厚み』『重さ』『配色』など。
上にスライドすればするほど、細かい指定が出てくる。
しかも、その言葉の意味が要領を得ない。
あまり見慣れない文字に、眉を顰める。
迷いながらも、並ぶ文字の中で比較的穏やかで、分かりやすい文言の『配色』をタップした。
そして現れたのは『画面』『機種』の文字。
『画面』は、多分、今見て、操作している画面のこと、だろう。
では『機種』とは?
興味本位に『機種』の文字を押す。
すると、画面上に、円形のカラーチャートが出てきた。その中で、赤系統の部分を押してみた誠。
次の瞬間、持っていた端末の黒く波打っていた表面が、画面の端から赤色に変化していった。
スマホ有段者の誠も、これには驚く。
表示画面ではなく、本体の色が変わるなんて、思いもしなかった。
横で見ていた礼人も、目を輝かせる。
「どうやったの!?」
誠は、礼人の画面を指さし、導く。礼人は、カラーチャートで青系統の場所を押す。
礼人の端末も、画面の端から青色に変わっていった。
礼人は「なんだこれ!」と思わず声を上げる。
興奮する若人二人。ほかの色を選択する度に、目まぐるしく色が変わる端末のボディーカラー。
それだけでも心が跳ねる。なら当然、ほかの機能にも興味が湧く。
誠は、端末の配色をいったん赤にして、ほかの項目を開いた。
次に選んだのは、すぐ目に留まった『エフェクト』の文字。
即座に押して、項目が切り替わると、目に飛び込んだ『波』の文字を押す。
すると、赤塗の端末の表面に、模様が浮かぶ、と思ったが、その模様が、揺らめき出す。
誠が端末を裏返すと、端末の表面に、幾重にも重なる波のエフェクトが、流れていた。
「おお!みてみて!」誠は、端末の赤い海を漂う波を礼人に見せる。
驚く礼人は、さっそく、やり方を聞くと実践する。
だが彼が押したのは、『波(立体)』であった。
礼人の端末にも、すぐに青い波が立つ。しかし様子がおかしい。
滑らかだった端末の表面が、霞んでくる。
そのまま、端末の表面に、粒子で構築された凹凸が沸き立つ。
奇抜な変化に、目を見張ったが、思ってたんと違う結果に、礼人と誠は眉をひそめた。
しかし、礼人が端末を裏返した後で、すべてが判明する。
直感を働かせた礼人が、裏返した端末を側面から覗くと、浮き立つ粒子で構築された波が飛沫を上げた。
「うおおお、なんだこれ!」誠と礼人は、その場で叫んだ。
少し遠くでも、山吹色の髪の少女が、黄色くなった端末を掲げて、端末表面から溢れ出る泡に、雄叫びを上げていた。
はしゃぐ若者を見る周りの視線は冷ややか。
しかし、少女は勿論、誠も礼人も、周りに構うことなく、興奮し、さらなる機能を捜索する。
そして、誠はとうとう、見つけた。『形状』の項目を…
もはや、思春期男子の心に溢れるわくわくは、止まらない。
礼人が見つめる中、誠は操作を続け、出てきた『腕輪』の文字に、何かを感じると、迷わず押す。
直後、誠は、端末を持つ手に違和感を覚える。
そして、端末がみるみる内に反りあがり、遂に、Cの形へ変貌を遂げた。
手首にはめろ、と言わんばかりの形状。
誠と礼人の声が重なる。
「すげぇぇぇええええ!」
「すげぇぇぇええええ!」
メタモルフォアゼを見せつけられた二人は、既に、学生照明端末の虜になっていた。
だが、理性を失ったわけではない。最初に気が付いたのは、礼人であった。
彼は、周りを振り返り見渡し、人々が自分たちに、冷めた目線や、失笑を向けているのを目の当たりにした。
礼人の顔が、にわかに朱に染まる。
「誠…」
小声で呼ぶ礼人のかわいらしい声を聴いて、振り向く誠は、にやけ面を憚らない。
礼人が周りを指さす。それにつられて、誠も辺りを見渡し、状況を理解すると、すぐに冷静さと羞恥心を取り戻した。
誠と礼人は、端末を各々のポケットにしまうと、無言で、学校の方へ進んで行く。
その十数メートル後方では、山吹色の髪の少女が、目に張り付いた端末を剥がそうと格闘し、それを目の当たりにした長い黒髪の人物が、狼狽していた。
トンネルの上にそびえる墻壁の上で、新入生を見つめる人影が佇む。
墻壁は、学園内と瓦礫の海を隔てている。壁の内側には、なだらかな芝生の傾斜を備え、幅の違う三本以上の道を通していた。
壁の上から地上を見ると、トンネルから出た新入生の姿は、とても小さい。
人影は、それを眺めながら、歩きだす。
銀色の流線形の金具が人の筋肉の様に、幾つも組み合わされた両足が歩く度、硬い地面を打つ音と、耳をすませてやっと聞こえる駆動音が鳴る。
山吹色の髪の少女は、必死になって、顔に張り付く端末を引き剥がそうと格闘していた。
それを黙って見守っていた長い黒髪の人物は、ふと、壁の上に目線を向ける。
だが、その時には、外壁の上に人影は、なかった。
トンネルの出口と校舎を真っ直ぐ結ぶ大通りの幅は、目測で三十メートル以上はあり、黄色系統と赤系統の多彩な煉瓦で地面を舗装している。この大通りは、他より低い。そのため、通りの両端は芝生の坂になっており、その上に並ぶ、街路樹の向こうは、見え辛い。
大通りの真ん中辺りを黙々と歩いていたのは、誠と礼人。
先ほどのはしゃぎようが嘘の様に、二人は、俯いて、沈黙していた。
すると、誠の鼻先に、何やら、おいしそうな香りが届く。隣の礼人も、漂ってくる匂いを嗅ぐと、顔を上げる。
誠と礼人が前を向くと、道端に出店が見えてきた。
続いて、店員たちの威勢のいい客引きの声が聞こえてくる。
誠と礼人は、お互い顔を見せ合った後、前に向かって走り出す。
大通りの左右に並ぶ出店は、まさしく、縁日の屋台を思わせる。
若い衆が前掛けを着やエプロンを纏い、いらっしゃいませ!、とご挨拶。
中には、棒付きキャンディーを陳列する出店もあり、その店員は、駅で見た様なアンドロイドだった。
機械の胴体には、エプロンだけを身に着け、顔面は様々な大きさのカメラが密集し、頭頂部には、ケーブルが絡み合い、アフロヘア―の様になっていた。
アフロアンドロイドは、機械の右手にメタリックパープルのキャンディを握り閉める。
『ヒミツノアジ、タベタラ、アナタハ、モドレナイ』
些か物騒な販売文句を唱えるアフロアンドロイドの店には、流石に、誰も寄り付かず、ほかの普通の食品を扱う店に向かって行く。
一方、誠は、礼人の目に留まった店に立ち寄ることにした。
「いらっしゃい!」笑顔の爽やかな青年が出迎える。
青年は頭にバンダナを巻き、黒いTシャツを着て、ジーンズに前掛けをしていた。
二人にとって、この学園でのファーストコンタクト。
「何にしますか?」と青年が聞く。
礼人がアメリカンドッグを所望すると、誠も同じものを頼んだ。
「かしこまりました!」と答えた青年は、金網の上で油を落されたアメリカンドッグを手際よく紙で包んで差し出す。
品物を受け取った礼人と誠は、代金を支払おうと、財布を取りだす。
店先に掛けられたフランクフルトの値札には『90円』の文字が書かれていた。しかし、その文字の隣に『25リソース』という謎の文言も、記入されていた。
誠がこの言葉の真意を聞くと、店員である青年が答えた。
「ああ、このリソースってのは、お客さんの持っている端末にチャージていうか、表示?された…
まあ、学園内通貨みたいなもんだよ。
通貨といっても、その他、いろいろな用途があるし、ここじゃ、お金よりリソースの方が価値は高いから、ぶっちゃけ、安い買い物は、円とかの方がいいよ。
今後の生活で、いざ使いたいとき、リソースがありませんでした、じゃあ、元も子もないから……」
誠と礼人は軽く頷く。結構重要で、ありがたいアドバイスをタダでもらった誠は、90円を払う。一方礼人は、静々と一万円札を取り出した。
「……少額が、なくて……」
青年と誠は悲しい眼差しで一万円札を見つめる。
その後、誠と青年が一万円を崩した。
「まいどあり!」青年の掛け声を聞き届け、お腹が空いていた誠と礼人は、その場で食べ始める。
すると、突然青年が自己紹介を始めた。
「俺、平 元気ここの学生」
先に答えたのは、アメリカンドッグの温かく柔らかく、ほんのり甘い生地をちょうど咀嚼し終わって飲み込んだ誠。
「おれ、椎名 誠」
「僕は、鈴宮 礼人 中二、今年で三年です」
ここで誠は、礼人が同い年であることが分かった。
「同年代だったんだ!」
「えっ!そうなの、一つくらい、年上かと思った……」
驚く礼人の言葉に、元気は腕を組む。
「なんだ、二人とも、一緒に飯を食うほど仲いいのに、お互いの歳も知らなかったのか?
ちなみに俺は、今年で高一になります」
元気は二人の先輩だ。
ちなみに誠は、礼人が年下の天使だと思っていたので、入学した後、先輩風を吹かせようか、と画策していたことは、内緒である。
元気が言う。
「ちなみに、うちは共学で校舎も共有してるから、どこかで会うかもね」
「その時はよろしくお願いします。先輩!」
誠はアメリカンドッグを貪りながら敬礼する。元気も精悍な顔になり、「任せろ!」と言って敬礼し返した。
礼人は、その間、アメリカンドッグの内部にあったソーセージを堪能する。
その後、食べ終わった二人の手元に、太い串が残った。
当たりを見渡し、ごみ箱を探す誠と礼人。
そこへ、元気が手招きをした。
二人は元気に注意を向ける。何やらジェスチャーを始めるようだ。
元気は、まず、誠と礼人を指さす。次に、自身の右手を握り締め、握った右手を左手で指さす。
その一部始終を見ていた二人は、理解の証に頷いて見せると、元気は最後に、右手を思いっきり振りかぶった。
投げろというのか?!誠と礼人は、猛烈に首を横に振る。
元気は両腕を振り、串の投擲を強く催促した。
誠と礼人は、互いに憂いの表情を見せ合った後、意を決して、後方に串を投げた。
二本の串が、放物線を描いて宙を舞う。
そして、地面に落ちて、軽く跳ね上がった後、緩やかに転がった。
誠と礼人の胸に罪悪感が去来。元気は、満足げになる。
その時、大通りの向こうから、高速で何かがやってくる。
出店に並ぶ客や店員の目に映ったのは、履帯で高速走行する円筒形の物体。
体色は鉛色、大きさは一メートル以下。円筒形の胴体の上には、監視カメラのようなものが付いていて、それが小刻みに動く。まとめると、その姿は、カメラ付き走行寸胴。
『ゴミハッケン!』カメラ付き装甲寸胴から鳴り響く音声を聞き、ロボットと認識を改めた誠。
ロボットは、寸胴型の胴体の左右から、二本のアームを伸ばす。
アームの先に動く三つ指は、今まさに、地面に落ちた串を掴まんとしていた。
そのとき、そのロボットに向かって、ものすごい勢いで、横から何かが突進する。
追突してきた何かの正体、それは、同じ形のロボットB。
最初に来たロボットAは、跳ね飛ばされた。
受けた衝撃はすさまじく、ロボットAの精密で重厚なボディーは地面を転がり、機体を擦る度に、火花を散らす。
ロボットAは、やっと止まると、ぎこちない動きで、アームを伸ばし、今は遠くになった串を指し示す。しかし、力尽き、アームをだらりと地面に投げ出した。
結局、串を拾い、胸元に開口した穴に入れたのは、突進してきたロボットBだった。
誠も礼人も、目の前の惨劇を、呆然と見ているしかなかった。
すると、辺りから激しい衝突音が聞こえてくる。
誠が周囲を見ると、寸胴型の別のロボットたちが、同じロボット同士、殴り合い、ぶつかり合い、客が落とした地面のゴミを巡って、乱闘を繰り広げていた。
殆どの新入生たちが狼狽する中、出店の販売員たちは、気にする様子もなく、平常営業を続ける。
好奇心旺盛な一部の若者は嬉々として眺める。
いつの間にか居た山吹色の髪の少女に至っては、その手にメタリックパープルの『モドレナイキャンディ』を握り「いけいけーっ!」などとヤジを飛ばし、乱闘を観戦していた。
真っ当な意識が残っている人々は、誠たちのように唖然としているか、そそくさと、その場を後にする。
振り返る礼人は、悲し気な、何かを訴えかける様な、悲痛な表情で元気を見る。
元気も、言わんとしていることを理解し、礼人に頷いて見せた。
「気にするな、清掃ロボットは、いつもこんな感じだ。
寧ろ、下手に手を出した方が危ない。何もしなければ、無害だし有益だ」
そこへ誠が口を挿む。
「でも、何か、胸を締め付けられる感じが、まっとうな神経が、争うことの虚しさを訴えるのですが……」
元気は、何か思うところがあったのか、営業スマイルから一転、誠達から目を背け、愁いを帯びた眼差しを遠方に向けると、答えた。
「弱肉強食は、自然の摂理、人もロボットも、そこからは逃れられない……」
一時の間、沈黙が三人の間に流れる。
「…それはそうと、学園案内は、もうもらった?」
元気は、名前のごとく元気を取り戻し、弾んだ口調で聞く。
「なんですかそれ?」と誠が答えると、元気は腕を組んで、考え深そうに頷く。
「そうかそうか、まだもらってないか……まあ、学園案内ってのは、学園のマップだよ。
このまま学園内を歩いていたら、いずれ端末が、自動ダウンロードすると思うから。ぶらぶらするといいよ!」
それを聞いた後、誠と礼人は、元気に別れを告げ、屋台の広がる大通りを校舎目指して進んだ。
途中、通りの端である坂の向こうに、金網を見る。
校舎を向いたまま、通りの右側端に寄り、左方向にある金網を覗く。が、全体を把握するには至らなかった。それでも、そこが軍事施設と思ったのは、金網の向こうから、まれに銃声のような炸裂音が聞こえたからだ。
誠と礼人は気になったが、それでも真っ直ぐ進み続ける。大通りの丁度中間まで来たとき。甲高い旋回音が近づいてきた。
校舎の方から、小さな機影が飛んでくる。
それは、四枚のプロペラを回転させた四角形のドローンだった。
ドローンが飛んでいる高度は、地上から十メートルほどで、通りを歩く人々の頭上を通過していく。
ドローンが誠たちの真上を飛び去った時。二人の端末がバイブスする。
二人ともポケットから端末を取り出す。
誠の端末は、画面が反り返り、見づらい様子。
二人の画面には、メールのアイコンが新着を知らせて、震えている。
早速開いて、内容を見ると、それは元気に聞かされていた『学園案内』学園の地図であった。
学園全体の地図を見ると、今いる大通りの画像に、赤い点が印されている。
自分の現在地を示している、らしい。
地図上の赤い点からは、同じ赤色の点線が伸びていた。
点線は学校の方ではなく、高層建造物群の方へと導いている。
誠は礼人を向く。彼も同じく送られてきたマップをみていた。
「そっちも、道案内されてる?」と誠が聞く。
「うん、向こうのビルが建ってる場所に向かってる……ああ、もしかして、点線の先が、居住地域、なのかな?」
礼人は、東側を指差し、小首を傾げた。
誠が告げる。
「じゃあ、まず学校よりも先に、部屋に行けってことか?」
二人は、芝生の斜面を区切る階段を発見し、そこを登って、大通りから横道に入って行った。
大通りより、高い位置に上がったので、先ほど視認した金網に囲まれた施設の全体が遠目から見える。
軍事施設と言う仮説が確信に変わったのは、金網の中に広がる灰色のグラウンドと、そのすぐ脇に立つ頑丈そうな建物を確認したからだ。
「なあ、あれって、軍事基地…だよな?」と誠が口を開く。
「たぶんね。確か、この学園って、国から自治裁量権を認められてて、その代わり、国に有事が起きたら、力を貸すことになっていたはず、だよ……」
誠もその話を全く知らなかったわけじゃない。だから、そのことについて、親に心配された。
それでも、自分の意志でここに来ることを選んだ。礼人もそうだろう。
直接聞いたわけじゃないが、誠の見識からの判断では、それ以外で、ここに来る理由など、考えられなかった。
「俺たちも、その有事の際は、駆り出されるのかな?」
誠の言葉に、礼人は苦笑いを浮かべ「かもね…」と口にする。
暗くなりかけた雰囲気を一変させたのは、歩みを進める度に近づいてくる居住地域の光景。
遠くから見たときは、オフィス街のように見えた建物群。
しかし、間近で見ると、どの建物にもベランダがあり、洗濯物がかかっていたり、観葉植物の鉢があった。
これらの建物は皆、居住するための建物、ひいては、マンションだと、誠は判断した。
そのマンションの膝元の風景は、都会というより、住宅地の公共広場を思わせる。
きれいに舗装され、植え込みも点在していた。
花々と緑が、人々の行き交う道を遮ることなく茂る。
人と自然の調和と共生ができていた。
花壇には、手入れがされた奇麗な花が咲き、たまねぎ、レタス、かぶ?キャベツ?や…ソラマメなど、野菜が実っている。
全体の雰囲気は、まるで高級住宅地なのに、妙に生活感を醸し出しているなぁ…と誠は思った。
その時、礼人が何かを見つけ「あれ見て!」と誠の肩を叩き、遠くを指差す。
誠が示された方を見ると、ビルの間の上空にコンテナのようなものが浮かんでいる。
よく見ると、周りのビルの屋上から突き出したアームの先端からケーブルを渡して、コンテナを吊るしていた。
吊るされている構造物を注視すると、どうやら、コンテナに見えたのは、部屋のようだ。窓ガラスに、ベランダが付いている。
宙吊りコンテナハウスと同じくらいの高さに、そのコンテナハウスがすっぽりと嵌りそうな四角い穴を開けたビルが建つ。
すると、四角い大穴の四隅からレールのような真っ直ぐな構造体が伸び始め、吊るされたコンテナハウスの四隅と連結した。
コンテナハウスから、重い連結音が響く。直後、吊るしていたケーブルが外れ、そのままビルの屋上のアームに巻き取られて行いった。
コンテナハウスは、ビルの穴に静かに格納される。
そのほかのビルも、ジェンガの途中みたいに、ところどころ四角い穴が部屋一つ分開いていた。
誠の推測では、居住者のニーズに合わせた部屋を別に作り、最後に、ビルの穴にはめ込む建築スタイルルと思われる。
もしや、自分の住むはずの部屋も、大穴だけ、かもしれない。
誠は、ちょっとした不安に駆られながら、歩き続け、反り返った端末の画面に映るマップを見た。
「ここだ……」
立ち止まる誠が見上げ、その目に映したのは、高層マンション。
不運を除いて、知能も才能も生まれも平凡な自分では、一生縁のなかったであろう建物が、眼前にそびえていた。
おそらく、親の年収では一番安い部屋も住めないだろう、などと、失礼なことを考えた誠は、この場所で間違いないか、再度マップを見る。
しかし、歩く度、短くなっていった道標の赤い点線は、すでになく。到着の文字が、小さく表示されていた。
隣の礼人にも訪ねる。彼も、このビルが終着らしい。
すると、端末が震え、画面に現れたのは、メールのアイコン。
すぐ開くと、部屋の番号が書かれていた。誠が見たのは『四階、B54』礼人は『五階C7』
晴れて彼らは、ご近所さんとなった。
誠と礼人は、マンションに入る。自動ドアを潜ると、すぐにまた自動ドア。
誠は、開くものと思い、二回目の自動ドアの傍まで近づくが、なかなか開かない。
すると、礼人がドアの横に備え付けてあったコンソールの画面に端末をかざす。
『おかえりなさいませ』のアナウンスのあと、誠の目の前の自動ドアが開いた。
知らなかったとはいえ、誠は、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
じつは、部屋番号のメールには続きがあり、入る方法も書かれていた。そのことを誠は後で知る。
礼人は、友人をあげつらうこともなく、気まずそうに微笑みかけるのみ。
誠は頬を朱に染めながら自動ドアを潜り、エントランスに入り、二人一緒に、エレベーターへ乗り込む。
ついさっきの羞恥心はどこへやら、今は期待に胸を躍らせる誠。
対照的に隣の礼人は落ち着いている。
四階に到着した。誠は「またあとで」と告げてエレベーターを降りる。礼人は手を振って見送った。
廊下を進み『B54』の部屋を探す誠。
最初に見た『A84』の部屋の隣は、『G41』その隣は『905』と、順序に規則性が見当たらない部屋番号だったが、やっと『B54』の扉を見つけた。
しかし、入れない。なぜなら、鍵を持っていないからだ。
礼人の見せたテクニックを使えるか。ドアを見渡す。だが、どこにも何かをかざすような機械はない。あるのは鍵穴だけ。完全に詰んだ、と思った。
エントランスの入り口など比にならない試練。慌てて端末を起動する。湾曲した画面が、誠の苛立ちを助長する。
先ほどのメールを開き、文章をスクロールする。
エントランスの入り方を今確認した。
次の文章、『鍵が遠隔キーの場合はこの学生証明端末をドアの前にかざしてください。鍵穴があった場合。この学生証明端末を鍵に変形してください』
今年で十五歳になる椎名 誠くん。
生活に支障がない程度には、日本語を習得している、はずだった。
だが、『変形してください』の文言の意味が、全く理解できない。
感極まり、その場で崩れ落ちそうになった時、誠の脳内を電撃が駆け巡った。
画面のメールを閉じる。そして、歯車のアイコンを押し、探し出したのは『形状』の文字。
その中には、動物や、乗り物、中にはコップなども書かれていたが、やっと見つけた『鍵』の文字。
すぐさま押す。
端末の端から、鍵の剣先が生えた。
今日一日、いろいろなものを見てきたが、今までで、最も、訳が分からない光景だった。
生まれた鍵を鍵穴にさす。そしてゆっくりと鍵を回す。
ガチャ、という音がした。
ドアノブを捻ってドアを押すが、びくともしなかったので、引いてみると、ドアは素直に開いた。
こうして、誠は自室に足を踏み入れた。
玄関で靴を脱き、フローリングの廊下に上がる。廊下の左右にあるドアを素通りし、突き当りのドアを開けた。
目に飛び込んできたのは、一人暮らしには広すぎるリビング。
ダイニングキッチンもある。使わなさそうだ、と直感した。
だが驚いたのは、家具一式がそろっていたこと。ソファーもテーブルもテレビもレンジもコーヒーメーカーもある。しかも、どれも新品に見える。
荷物をソファーに放り投げ、意味もなく、リビングの真ん中で回りだす誠。
次に目を付けたのはベランダ。
窓のクレセント錠を外し、ベランダへ出て、手すりから顔を出して下を覗く。
四階からは、道を行く人々が小さく見えた。
このマンションはさらに高い。最上階から見るとどうなのだろう、そう思い、上層を見上げる。
「誠!」と上の階から、礼人が顔を覗かせていた。
誠の部屋から、右斜め上が礼人の部屋。
「今からそっちに行っていい?」という礼人の提案を窓辺で快諾する誠。
礼人が顔を引っ込めたと同時に、誠も室内へ戻る。
ソファーの荷物を部屋の隅に置く。しばらくして、インターホンが鳴ったので、出迎えた。
「お邪魔しまーす」入室した礼人は部屋を見渡す。
「僕の部屋と一緒だね」と礼人が言った。
誠「結構、広いよな」
礼人「結構、狭いよね」
二人の声は、最初の二文字は、重なったが、その後は、重ならなかった。
一瞬の静けさを噛み締めた後、二人はソファーに座り、テレビをつける。
映ったのは、ニュース番組。いろいろとチャンネルを変える。
どうやら、テレビは普通にみられるようだ。BSもつく。
そのほかに、トイレ、風呂、寝室など、いろいろ検分して、またリビングのソファーに戻った。
「これからどうする?」と礼人が聞いた。誠は少し考えだす。
「入学式は明日だけど、校舎を見に行かない?
時間もかなりあるし…それに、すこし早いけど、何か食べたい」
誠は部屋の掛け時計を見る。
今は午前9時50分。
入学式は翌日で、今日は特にやることもない。
二人は、散策することに決めた。のだが、地図を見ようと端末を見た誠は、そろそろ、形を戻すべきと判断した。
『形状』の項目を開き、すべてを元に戻す魔法の言葉『デフォルト』を押した。
端末は元の形状に戻る。ついでに、鍵も引っ込んだ。そして、ほかの役に立つ機能を見始める。
礼人も、学園を巡るにあたって、この端末を使いこなしていた方が有益だと思い、機能を検分。
アイコンを押すことばかりしていた誠だったが、最初の画面を横にスライドすると、顔写真付きの身分証明が表示される。
おそらく、入学時にあの部屋で撮ったものだ。その時の驚き顔で写っていて、なんとも恥ずかしく、願わくば撮り直したかった。そう思っていると。隣の礼人が「これみて」と端末の画面を見せてくる。
そこには、電話番号設定とメールアドレス設定の文字が綴られていた。
誠も礼人に教えてもらい。そのページを開く。操作した結果、自分たちで番号を設定すると、通信端末にできる事が分かった。
早速出てきたガイドラインに従い、パスワードやら、電話番号などを入力し、この端末を通信機器に変えることに成功した。
即座に、誠と礼人は、お互いの電話番号とメルアドを交換。それから、家に電話をかける。
誠は、財布から電話番号が書かれた紙を取り出し、それを見ながら、端末の通話画面に浮かぶ番号を押して、実家につなげようとした。
コール音が数回鳴ったあと、通信が途切れた音が鳴るばかり、一向に家と繋がらない。
礼人も同じだったらしい。二人は諦めて、当初の目的通り、外に出る。
廊下に出た誠が、自分の部屋に鍵をかけるとき。礼人が目を丸くした。その時の表情は、数日は忘れられないだろう。ちなみに、礼人の部屋の鍵は遠隔操作式だった。
マンションを出ると、来た時には気にしなかった自転車の駐輪場が目に留まる。
そこに整然と並ぶ自転車は、すべて同じ形、同じ色で、傍の標識には『ご自由に乗車ください』と書かれていた。
使い方は、自転車置き場の上に浮かぶ空中標識に記されている。
自転車のフレームに取り付けてある読み込み装置に端末をかざす。すると自転車の後輪をロックする鍵が開く。二人は自転車にまたがると、とりあえず、今までの道のりをたどることにした。
先ほど歩いた景色を真逆から見ると、建物の雰囲気も違って見える。
自転車を快速で飛ばす誠と礼人は、やがて、大通りに到着した。
大通りに下る階段の手前で止まり、一度自転車から降りて、階段の脇にあるスロープに自転車を乗せる。そのまま、階段を下りつつ、自転車共々大通りに出た。
人の往来はあるが、自電車を漕いでも、よっぽど注意が散漫でない限り、誰かにぶつかることはないだろう。そのまま二人は、遠くからでも見える学園の校舎を目指し、自転車を漕いだ。
段々と、校舎が近づく、そして、二人は自転車を止めた。
目の前に現れた建造物、その外観は、形容すると、ガラス張りのプリン。これは、誠の感想。
それをよそに、見上げる校舎の大きさに圧倒された。
「でかいなぁ……」とつぶやく誠に、礼人が答える。
「校舎だけで、300メートルあるって話だからね」
校舎だけ、というのは、その校舎上には、さらに高くそびえる塔が立っているからだ。
それを含めると、この建物は、日本一の建築物、らしい。
(スカイツリーは人の力と、一般科学のみで建設された建築物としては、日本一である)
「なあ、校舎に入らね?」
誠の提案に礼人が頷いて快諾する。
自分たちはこの学園の生徒になるのだ。文句は言われまい。
二人は、近くにあった自転車置き場に自分たちが乗ってきた自転車を置くと、自身の両足で、校舎に入っていった。
エントランスは、吹き抜けになっていて、見上げると、天井から太さがバラバラな無数のケーブルが密集するように垂れ下がる。
更に、大小様々なスピーカやモニターがケーブルに絡み付いていた。
天井までの高さと、塔を除く外から見た校舎の大きさに、差がないように思える。
この広い空間は巨大な円筒形になっている。
その中で、二対の螺旋階段が、壁に張り付くように上へと延びていた。
エントランスの真ん中で、二人とも、上を見ながら周囲を見渡している。そのせいで、一回転した。
その時、端末がバイブスする。
ポケットから取り出した端末の画面を見ると、校舎内の図が表示されていた。
どこかを訪れる度、マップを手に入れる、まるでゲームを進める過程を現実で体験しているように思え、思春期真っただ中の男子二人は、興奮で心を躍らせた。
マップを見ていた誠がエレベーターを見つけ、二人はさっそく上階に行くことを決める。
階段を上る、という発想は、エントランスを見上げたときから失せている。
二人が目指すのは、最上階。一番上のボタンを押す。
エレベーターはエントランスに向く面をガラス張りにした円筒形の構造で、高速で昇るにしたがって、遠のいていく地上を目の当たりにした誠は、本能的な恐怖心を芽生えさせる。
到着したのは、最上階を突き抜けて屋上。
屋上に出るエレベーターを覆う建屋はガラス張り、エレベーターの半分もガラス張り。つまり、上った瞬間に外の景色が飛びこんできた。
扉が開き、二人は屋上に出る。
そこは、床が板張りで、所々に点在する花壇に植樹や花が植えられていた。
設置されたベンチに座り読書する人や、手にドリンクや軽食を携えて談笑する人々が居る。
まさに憩いの場。それに、眺めもいい。
ここからだと、学園全体が三百六十度、上から見渡せる。それほど高い。
だからなのか、背中に何か機械を背負った集団が、一人ずつ飛び降りていた、しかし、誰も気にも留めていないので、誠も見なかったことにする。
絶景は、人をおかしくするのか、高所が人を駄目にするのか。誠も興奮しているので、この後、何をしでかすか、自分自身分からない。でも、気にしない。だって、ここより高い場所が、目の前にある。
屋上の中心に巨塔がそびえていた。
黒い金属質のプレートをつなぎ合わせたような外観。この場に似つかわしくない、誠も礼人もそう思った。が、それより、その塔をどうやって上るかが、彼らにとって、重要だった。
二人は、塔の周りを一周する。そして、入り口らしき扉は、見つけた、が、固く閉ざされていた。
扉には、ペンキで書いたのだろう、黄色い文字で、ご丁寧に『関係者以外立ち入り禁止』と力強い書体で綴られていた。
遠くから、この塔を見初めたときから、上ることを悲願としていた誠と礼人にとって、残念でならなかった。
違うところに、入り口はないか、と辺りを見渡しても、人ほどの大きさの岩を斜めに切断したオブジェを見つけたぐらい。そのほかに、塔に上れそうなものはなかった。
仕方なく、二人はあきらめて、何か別の楽しみを探すことにする。
そして、かねてより感じていた空腹を満たす旅がはじまった。
礼人と誠は会話の中で、入学の緊張もあってか、お互い、朝食を食べていなかったことが判明する。
思い返すと、誠の昨日の夕食も、早く済ませており、最後の食事から、長い時間が経っていた。
そして今、安堵感が心を満たし始めると、徐々に飢餓感が迫ってくる。だが、エレベーターで下階に降りると、すぐに解決した。
屋上の真下のフロアは、食堂になっていたからだ。
テーブルと椅子が幾つも立ち並ぶ広い空間。
その中心、塔の真下がキッチン兼カウンターである。
現在、午前10時半頃。
すでに幾人か食事を楽しんでいた。
少し華美に見えるフリルのついた制服を着たウェイトレスが歩き回る中、食事を運ぶ棚が自動で、椅子と椅子の間を走行している。
天井の至る所にモニターが吊るされて、メニューが表示されていた。
今日のお勧めは『カニグラタン風スパゲッティ』らしい。
しかし、礼人が見つけたモニターには、今日のお勧めに『ベジタリアンかつ丼、すき焼き載せ』が掲載されていた。どうやら、今日のお勧めは当てにならないらしい。
空いている席を見つけて、そこに腰掛ける誠と礼人。
すると、端末がバイブスする。
画面に現れたフォークとスプーンのアイコンを押すと、この店のものと思われる、写真付きの料理のメニューが開いた。
ハンバーグや普通のスパゲッティもあるなか、斬新なメニューも数多く並ぶ。
『合成肉のXE醤炒めモドレナイ風味』はやめておいて、誠はオムライス、君に決めた。
だって、そのレストランがいい店かどうかは、卵料理で決まるって、海外ドラマで言っていたのだ。
そんな誠の正面に座る礼人も決めたらしい。
誠は、画面の端っこに書かれた説明通りに、オムライスの写真を掲載したワイプを押す。
次にお支払方法を選択する画面が出てきた。
『リソース』の文字がやたら大きく感じたが、先輩の忠告通り『現金』を押す。
ちなみに、キャッシュカードの類も家に置いてきた。学校の指示だ。
待っている間、膝下を隠す清楚なメイド服を着こんだ薄水色の頭髪の女性が、おしぼりと水を持ってきてくれた。いきなり鉄球は……ないようだ。
それが、レストランの制服なのかと思ったが、ほかのウェイトレスの女性は、膝の見えるスカートと、ベストの上に、フリルのエプロンを着用しているあたり、この女性の個人的衣装なのだろう。
因みに、学園内では、同じような服装と髪色の人を、大通り、居住区近くで度々目撃した様な気がする。
その後、椅子と歩く人を避けるようにして、一台の棚が誠と礼人が座る席の横に到着した。
やってきた棚の側面には、料金を入れる装置と数字を入力するパネルが取り付けられている。
誠はそこにきっちり480円を入れた。
次に、誠は自分の端末に表示された番号をパネルに入力する。
すると、上から二段目の引き出しが自動で開き、中からオムライスを乗せた盆が出てきた。
誠がオムライスを受け取ると、次は礼人が一万円を投入し、番号を入れる。
お釣りの受け取り口から、紙幣数枚と、ジャラジャラと音を立てながら硬貨が出てきた。
一番下の段の大きな引き出しが開く。そこから、礼人が持ち上げたのは、様々な種類の揚げ物と、ハンバーグやスパゲッティなどの洋食の定番を一つのどんぶりに乗せた非常識なランチだった。
間違えたわけではない、だって、それを頼んだ本人の目は、きらきら輝いていたのだから。
テーブルに鎮座する『御馳走のパンデモニウム』を見せつけられた誠は、それだけで食欲が薄れたように感じた。
しかし、オムライスをスプーンですく上げ、厚みのあるふわふわの卵生地を頬張ると、口いっぱいに、たまごの風味と、バターのコクが広がる。
かけられたデミグラスソースの複雑な味とトマトライスの酸味が混然一体となって、大変美味。完食することができそうだ。
スプーンでオムライスを崩す誠が聞く。
「この後どうする?俺は、学校をさらに散策しようと思うけど?」
礼人は、頬袋を作って、スパゲッティをすすりながら話そうとするが「もごもご」としか聞こえない。
誠は「飲み込んでから話しなさい」と自分も幼いころ、親に言われた台詞を口にした。
礼人は、まん丸の目をしながら頬袋にためた食物を高速で咀嚼し、飲みこんで、先ほど言った内容をリピートする。
「僕も、今日一日は暇だし。一緒に行こう」
こうして、二人の冒険の続行が決まった。それまでは、早めの昼食と礼人の頬袋を堪能する。
途中、礼人の『御馳走のパンデモニウム』から零れ落ちた唐揚げを誠がもらい。
誠のオムライスを礼人が一口頂く場面もあった。それを含めて、穏やかな時間が流れる。
二人とも、頼んだ料理を、お残しすることもなく完食。
束の間、お腹を休めた後、席を発とうと、椅子を引く。その時
礼人は、自分が引いた椅子に足を押し返されて、思わず前につんのめると、テーブルに手を突いた。
誠が見たのは、椅子を引いた礼人の後ろに、人が立ってる光景。
礼人が振り返ると、白いシャツに、ワインレッドのベストを着て、黒いスラックスをはいた青年が、こちらを見下ろしていた。
レノボ……お前のことは忘れない――(私事)