8.カトランという男
大気が放電する。
雲もないというのに雷が走り、乾いてひび割れた大地を紫電が駆け回る。
異常な事態が起こっているというのは明らかだった。
やがて雷鳴と共にその場に現れたのは、ひざまずいた一人の女。
彼女を囲む丸い空間がその瞬間入れ替えられたかのように、地面は丸く抉れていた。
金色の髪を持つ彼女はゆっくりと立ち上がり、そのアイスブルーの瞳を開く。
生まれたままの姿で。
「ここが……クレフ殿の、そして魔王達が飛ばされた、異界……」
メディアはそう呟いて辺りを見回す。
どうにも頭がぼんやりとして焦点が定まらなかった。
神聖魔法による転送を受けたのも初めてだが、今回はそれともまた違う。
聖剣を触媒とし、その魔術式を一部借りるという強引なもので何が起こるか分からないと。
風が吹いた。乾いた砂が流されてゆく。
身体に受ける感覚がどうも、妙である事に気付いて、メディアは自分の身体を見下ろしていた。
「き――」
出そうになった悲鳴を何とか堪える。ここは敵地なのだ。
だが、近くの岩場からひょっこりと顔を出したツーテールの魔族を見て、今度こそメディアは悲鳴を上げていた。
「ぎゃあああああああ!」
「わああああああああ!」
両者共に声を張り上げる。
「あああああああああ!」
「うおおおおおおおお!」
もはや悲鳴ではなく威嚇合戦になっている。
「とまあ、このへんにしときましょ。はい、いーもん見せてもらいました」
ツーテールの黒き民――レイリアはそう言って、肩をすくめる。
「魔族……いきなり、出遭ってしまうだなんて」
メディアも言いながら、自分の身体を隠していた手を下げる。
レイリアはそれを見てむっとしていた。
ああ、白き民か、と。白き民は魔族を獣だと思っている。
そりゃあ動物相手に裸を見せても恥ずかしい事などあるまい。
女性同士という事もあったが、どうやらそういった反応ではなかった。
しかし取り敢えずは確認をしてみよう。
「白き民がこんな所へ送られて来るって、いったい何をやらかしたんすか? それも全裸で」
「お、お黙りなさい! 私は使命あってここへ送られた者。封印されたお前達などとは違います!」
なるほど。
「じゃあ聖剣の力じゃなくて、ずるっこしてここへ来たんすね。だから武器も鎧も服すらも取り上げられちまったと。無生物には効かない時点で、この辺は月神のサービスっぽいっすからね」
「くっ……!」
「ま、そんな格好じゃ何も出来ないっしょ。最初にあたしと出くわした時点で使命とやらもジ・エンド。前の世界の事は忘れてフレンドリィに振る舞った方が利口ってもんだと思うっすよ?」
言いながら、大鎌を引きずり近寄ってゆく。
メディアは顔を青ざめさせて後ずさった。
「ひ――よ、寄るな! 魔族! 汚らわしいっ!」
あちゃあ。こりゃダメだな。こんな状況でこんな事を言うようじゃ生存力検定は不合格だ。
てめーの頭の固さと間違った教育を恨むっすよ、とレイリアは大鎌に力を込める。
だが。
「待つのだレイリア! その判断はまだ早い」
岩場から現れた虎顔の獣人――カトランは、それを制していた。
「う……」
再びしゃがみ込み、身体を手で隠すメディア。
カトランは頭部が虎、首と背中側の大部分を毛皮に覆われているが、身体の前面は概ね人間男性だ。メディアは彼を獣でなくヒトと判断したのだろう。
それを見て、カトランは自身の腰を覆っていた装甲つきのボロ布を外した。
「着るがいい。我には人族の見た目というものは良く分からんが、ここの砂を含んだ風は人族の肌には厳しかろう」
だが。
「ぎゃあああああああ!」
「わああああああああ!」
再び悲鳴をあげるメディアとレイリア。首をかしげるカトランに、パメラはその肩を叩く。
「隠して下さい。毛布なら私が持ってきましたので、さっさとそれをもう一回着けて」
「なるほど、な。しかしそういった感覚などというものはそうそう変えられまい」
焚き火と、その前には毛布にくるまったメディア。
それを囲むようにしてカトランとレイリア、パメラは座っていた。
「でもじゃあどうするんすか。こんなガチで何も持ってない白き民生かしといて」
ふむ、とカトランは考え込む。
「人材を得る機会というのは貴重だ。特に、ここではな。何か使命を負ってやって来たと言うのなら、彼女もまた優秀なのだろう」
「そんなん白き民基準っすよ。あたしらには勝てない」
レイリアは鼻で笑っていた。カトランはそんな彼女をじろりと見る。
「戦闘ではな。だが……料理以前に火も起こせない兵というのを我は初めて見たのだが」
うっ、と笑みを引きつらせるレイリア。
彼女も魔術は使うのだが、焚き火などは出来ない。吹っ飛ばしてしまうのだ。
メディアは、この輪の中に入らずにぼんやりと座っているローブ姿の女性を眺めていた。
顔には包帯。盲目なのか。
と、その顔が不意にこちらを向く。くす――と唇が笑みを刻む。
神官戦士であることがバレている……? メディアはぞっと背筋を震わせた。
「あーもう、めんどいっす。多数決で行きましょう」
レイリアは言って片手を挙げた。
「キュッとやっちゃって何も見なかったことにしちゃうの、賛成なひと!」
パメラはじっと黙っていたが、静かに手を挙げる。
「まともな白き民を置いておくのは危険でしょうね。いずれ牙を剥く、そう思えます」
ああ、と。メディアは溜息を吐いた。
こんな所で終わりか。こちらの世界に送られて、まだ殆ど時間も経たないうちに。
考えてみれば当たり前だ。誰一人味方など居ない世界。
元の世界の白き民として振る舞えばこうなるのが当然のことだ。
辺境伯は当然このことを予想していたのだろう。生まれ変わったと思え、死んでしまえと。
その助言を活かせなかったことが残念でならない。
かといって今更命乞いも出来なかった。
「3人中2人賛成、こいつは決まりっすね」
大鎌を引き寄せるレイリア。しかし、カトランはくわっと目を見開いていた。
「我は反対する!」
「……それがどうしたっつうんすか。あたしらはあんたの部下じゃない。同列っすよ」
「分かっている。ゲッシュ殿にもこちらに賛同していただきたい」
先程の盲目の女性がふらりと立ち上がり、はいと呟くように返していた。
「え、そ、それはずるいっすよ! そのヒト使うのは反則っす!」
レイリアが慌てたように言うが、確かに何もルール違反はしていない。
ゲッシュの票がほしければ先にそう言っておけば良かったのだ。
「くっそ。2対2……でも割れただけっすね。この際公平に、力こそパワーじゃなくて力こそ正義、剣で決着を付けるっすか?」
レイリアはそう言って大鎌を振り上げる。だがカトランは座ったまま、にやりと笑った。
「いいや。まだ決を取り終わった訳ではない。彼女の処遇だ、彼女にも意見を述べる権利はあるはずだ」
そう言われて、メディアはぽかんと口を開けていた。
「どうだ、人族の女性。我々の同士になれ」
カトランにそう言われ、メディアは消え入りそうな声でこたえていた。
「わ……かり……ました……」




