19.模造聖剣
「つまり……わたくしに行くなと言っているのですね。この牢から出てゆくなと……」
その声音に、クレフは鳥肌が立つような気持ちでいた。
ニーアの表情は一切変わりがない。しかし、その纏う気配は一変していた。
彼女こそ魔王だ。人でありながらそう呼ばれるに足るものだと、クレフは彼女と初めて会った時からそう感じている。
今から考えれば何故あのような旅に自分が付き合ってしまったのか分からぬほど、彼女は最初から歪んで見えた。
だが。
くつくつと彼女は笑っていた。クレフが、カトランが、アーベルが、カーラさえもが自分に怯えて見えるのが愉快で堪らないというように腹を抱えて笑い、そして思わずこぼれた涙を拭きながら彼女はあらためて口を開く。
「ええ、……構いませんよ。というか、最初からそんなつもりなどありませんでしたわ。わたくしはここに居るのが似合いの者。出たところで何ができるとも思いませんけれど……それだけは確か」
また以前住んでいた場所にもどるというのも良いかもしれない。
まだ決めてはいないことだけれど、おとなしく、封印されていましょうと彼女は答える。
カトランは長い長い息を吐いていた。
「良く分からないけど、決まったようだね。では、君達が最後だ」
そう言ったグレイに対し、クレフは迷いなく答える。
「俺は、残りますよ。スゥとカーラとアーベル、彼ら三人が居るのなら、間違いなくここは俺の居るべき場所だと思える」
それに、とクレフは言っていた。
「新たな精霊騎士が現れた。けれど俺の力もまたそのままだ。世界にたった一人しか居ない筈の人間が二人も同時に存在してしまったらいけないでしょう」
自分はきっと封印街の精霊騎士となったのだ、そう言ってクレフは笑った。
「なるほどね。……そう言われれば、それもそうか。もしかしたら、君を連れ帰ろうなんていうのは、そもそもが決定的な間違いだったのかもしれないな」
グレイはそう言ってうなずいていた。
「そう……最後に一つ訊きたい事があったのだ」
街の外へ向かって歩きながら、カーラはグレイに向かい口を開く。
「正直なところ……お前自身はどう考えているのだ。我々の事を」
王国最強の将。魔族の侵攻を常に一番最初に受ける領地の主。
そしてその度に記憶の継承を行って蘇る転生者。
――でありながら側近にエルフを迎え、黒き民に対し別段変わりなく接する男、グレイ。
カーラは端的に、貴様は何者なのかと問うていた。
「以前にも言ったよね。僕は自分のことを普通過ぎるほど普通だと思ってるって」
グレイはそう前置くように言って、カーラの問いに答える。
「君達は優れている、我々などより遥かにね。クレフ君が惹かれるのも当たり前だと思うよ」
むしろ黒き民の持つ特異な身体特徴に対し余程の拒絶反応でも出ない限りは惹かれない方がおかしい、そうグレイは言う。
個人的な評価では、そうなる。そうならざるを得ない。けれど。
「……君達を敵として見た場合、それは拙いね。ひどくまずい。敵が自分達より優れた"人間"だと認めてしまって、それでまともに戦えると思うかい?」
グレイはそう言っていた。
「しかも言葉も通じて、価値観もそう変わらない。取って食われる訳でもないって言うなら離反する者が相次ぐだろう。実際あの8代が境目だったのさ。7代まではそんな事は良くある光景だった」
神聖魔法が生まれる前、地上の白き民ですら月神を奉じる集団が居た時代などはもっと酷かったとグレイは言う。
黒き民の定期的侵攻がありながら、未だに大穴近くの三ヶ国が連合という形を取るに留まっている事実が、長く続いた白き民同士の殺し合いの歴史を物語っていた。
「君達は魔族でなければならなかった。人ではない、鬼畜生でなければならなかった。そうであってこそ僕たちは、協力して君達に対抗する事が出来た。そういうわけさ」
「……何故、そうまでして」
対抗する必要があったのか。そう言ったクレフに、グレイは苦笑を向ける。
「黒き民が地下で、白き民が地上。こういう風に分けられてしまった後では、黒き民との融和なんてのはこちらから分け与えるだけになってしまうだろう?」
世界は広い。しかし見ず知らずの他人と分け合うにはあまりにも狭すぎる。
あっさりとそう言ってのけるグレイに、その場に居た全員が複雑な表情を向けていた。
「僕は個人的には君達を好ましく思う。戦力として優秀だから側近をエルフで固める事にも躊躇いはない。けれど、公的な立場ではそういったものに対しては最右翼さ。納得いただけたかな?」
グレイはそう言って、この話を切り上げていた。
荒野に冒険者達とデコイ、それにディーネ、レイリア、パメラが並ぶ。
その脇についたシラヌイとカエデに、グレイは自分のつけていたネックレスを外して渡す。
「じゃあ、いいかな。元の世界に帰ろうじゃないか」
そう言って、腰から装飾の施された長剣を抜くグレイをメディアは制止していた。
「待って! ……何故、あなたがこちらに居るんです」
彼女は自分の後ろに立つクライスを不可解そうに見る。
クライスは一瞬その顔を強張らせるが、やや視線を逸らしながらそれに答えていた。
「あ、いや……俺は別に、帰らなくていいかなってさ」
「そんな訳がないでしょう! あなたがここに残る理由など、何があると言うんです」
メディアはクライスを睨みつける。何故彼女がここまで怒るのか、クレフ達にはいまいち理解が出来ないが、止めるわけにもいかずそのまま話の行方を見守り続ける。
「あなたは……考えてみればいつも私に付き纏って。まさか同情だとでも?」
メディアの剣幕に押されながら、クライスは戸惑いつつも彼女を宥めようとする。だが、彼女はその手を振り払っていた。
「やめて下さい、迷惑なんです。一時の気の迷いでこんな場所に残って、それを見させられる私が喜ぶとでも思うんですか? あなたが破滅するのも死ぬのも勝手ですけど、それを私のせいだと思わせないで」
「……だったら」
クライスはメディアの肩を掴んで止め、ひどく苦い顔を彼女に向ける。
「だったら、一緒に帰ってくれよ。いいじゃねえかよ、あっちでは死人扱いされてるからっつってもよ。他の国にでも行って、ひっそり暮らすぶんにゃ何も問題ねえって」
簡単に言ってくれる、とメディアは俯いていた。
冒険者であるクライスからすればその程度の事なのだろう。
誰からも期待されない、誰にも期待しない、そんな在り方にも慣れている。だがメディアは違うのだ。
自分が既に死者と扱われている。死を望まれ、死を喜ばれている。それに耐えられない。
しかしクライスは続けて言った。
「……じゃなかったら、俺がこっちに居る事くらい見逃してくれよ。俺は別に、もう妙な期待をあんたに抱いてる訳じゃないんだ。あんたが……本当は何一つ諦めてなんかいねえのに、必死で自分に言い聞かせてるのが堪らないだけなんだって」
それを聞いて、メディアは悟った。同じなのだ、と。
クライスが残る事でメディアが負うであろう傷と、メディアを残してクライスが去った際、彼が負うであろう傷は恐らく同質同量のものなのだと。
そう思えば、もう何も言えない。これはどちらかが折れる事でしか終わらない。
そして彼は――折れてくれそうもなかった。
「それなら。……決して後悔しないで下さいね。あの時帰っていれば良かっただとか、そんな事を一言でも口にしたなら……私はあなたを許しませんから」
メディアはそれだけを言って踵を返す。もうこの場に留まる気もないとばかり、封印街へと戻ろうとする。クライスは、やはり素直に喜ぶ事も出来ないというような複雑な表情でそれを追っていた。
「……何もなくあのままよりは、良かったのかな?」
グレイはそんな事を言いながら長剣を振りかぶる。
そしてクレフは彼が持つその剣に、周囲の精霊が集まってゆくのを愕然として見ていた。
「異界封印剣……?」
「そうだよ。聖剣の解析が何とか終わってね、一回限りだけど、僕たちの世界に向けてそれを発動できる魔道具を作る事が出来たってわけさ」
グレイ達が収集したデータは飽くまでも、異界に何かを送り届けるもの。それ以外には無い。
異界へのゲートを開く手段などというものは本当に存在するのかどうかもあやしい。
よって、帰るための手段もまた、ただこの世界からクレフ達の世界へと対象を送るだけだ。
「でも、それじゃあ……貴方は」
言ったクレフに、グレイは笑って答える。
「大丈夫。"グレイ=ジーニス"はちゃんと帰還するから、ね」
その瞳はカエデが胸の前に捧げ持つネックレスに注がれ、クレフはそれがグレイの記憶が収められているものなのだと理解していた。
だが、それは――帰還と言えるのだろうか。
問いかける間もなく剣は振り抜かれ、グレイの手の中で長剣はばらばらに砕ける。
そして彼の前に並んだ者達は白光と共に消え失せていた。
その場に腰を下ろすグレイ。今の一瞬の間に、これまで30代ほどにしか見えなかったグレイの容姿はだいぶ老け込んでしまったかのようにクレフには思えた。
しかし、彼は清々しく笑っていた。
「ああ、何だか……解放されたみたいな気分だな。これで僕は、本当に僕だ」
そんな事を呟きながら。




