5.異界のこと
「ところで……どうやら、可能みたいなんだよ」
唐突に言われた言葉にちゃんと噛み合った返答を返す事が出来たのは、最近そのことばかりを考えていたからだろう。
「クレフ殿の、捜索ですか」
勧められた席に座り、出された茶が冷めてゆくのをただ見下ろしながら、メディアは言っていた。
正確には抹殺だ。たとえ行くことが出来たとして連れ帰る事は決して出来ないのだし、見つけたからといってそれで良かったねでは済まない。
向こうで生きているクレフを見つけたなら殺さねばならないのだ。
だが、そうだとしてもそれを口に出すことは出来ないが。
グレイ・ジーニスは満足げに頷くと、続けていた。
「聖剣がいったい何処へ、相手を送り込んでいるのか。これについては気になっていた人達が昔から居たようでね。調べられてはいたんだ。個人単位でだけどね。その結果、どうやら毎回適当な場所に送り出しているのではなく、同じ場所へ――少なくとも同じ世界へ送っているのだという事はわかっていた」
酒盃を傾けながらゆっくりと喋る彼は、確か40代ほど。
しかし少しばかり東方の血が入っているそうで、もうすこし若く見える。
優しげな顔をした男だった。
彼には二つの地位が贈られている。伯爵と、枢機卿。後者については大した意味がない。もはや贈答品よろしく、それなりな地位にある男性信徒なら誰でも貰えるようなものだからだ。
しかし、メディアは教会所属としてどちらで呼ぶべきか迷っていた。
「そして座標さえわかるなら、神聖魔法で転送することは出来るのではないか、とね。無茶苦茶な話だな。送られる方としてはたまったものじゃない」
グレイはそう言い、困ったような笑みを浮かべていた。
続く言葉はメディアにも予想出来る。
「それに選ばれるのは……まだ決定してはいないが、きみだ」
「はい……」
この場所へ呼び出された時点でこういった話であることはわかっていた。
グレイ・ジーニスはただの伯爵とは呼ばれない。辺境伯と呼ばれる。最も敵地に近い領地を任され、その領地は防衛のため、通常伯爵に与えられる領地よりはるかに大きい。守りの要だ。
黒き民の領域、地下へと続く大穴の周辺を囲っている黒き森。その一部を領地に含むような場所が彼の所領だった。
「転送の儀式が行われるのは魔王城でだ。やはり、聖剣が要るのでね。正式な辞令が来るまで、ここでのんびりとするのがいいんじゃないかな」
「ありがとうございます」
どうしても感情の乗ってくれない声でメディアはそうこたえる。
「何故、とは聞かないんだな」
「……わかっていましたから」
メディアの返答を聞いて、グレイは溜息を吐いた。
「魔術師クレフの顔を知る者の中で、教会が『死ね』と命令出来るのはきみだけだ。……確かに、わかっていただろうね」
そう言って立ち上がる。動かないメディアの後ろへと回り、椅子の背もたれに手をかける。
「……あっちへ行ったら、もうこんな殺伐とした任務のことは忘れておしまいなさい。失敗して当然の計画だ。誰にも文句を言う資格は無いし、誰が文句を言ってもきみには届かないよ」
やや、声を潜めて告げられた言葉に、麻痺したような感情がわずかに揺さぶられた。
「猊下?」
「ここでは盗み聞きを心配する必要はないんだけど、まあ気分的にね?」
グレイはそう言って、部屋の入り口に立つ女性に目をやった。
黒髪、黒目。日に当たってもあまり赤くならない肌――東方系か。
その腰には見慣れない、細い剣を差していた。正方形の鍔を持ち、柄が片手剣にしては長い。
メディアに思い浮かぶものとしては、ニンジャ――奇妙な魔術を使う、魔導暗殺者の亜種――そのようなものが居ると聞いた事があった。
「彼女が慌て出さないうちは、多分大丈夫さ」
グレイはそう言って笑ってみせる。
「正直なところ、ね。聖剣が持ち上げられないのは、未だに前の所有者――クレフ君が生きているからだっていうのも、僕は疑問視してる。なにせ……クレフ君が別件で王宮へ呼び出されるまでは、聖剣が持ち上げられない事なんて気にもせず、彼等は当代の勇者なんて居ないと思い込んでいたんだからね。今回は違うって言われても誰がそれを信じられるんだい」
「それは……そうですが」
「だから、ね。生まれ変わったと思ってあっちで頑張りなよ。死ねって言われたんだ、死んでしまえばいい。二年間クレフ君が生きてるなら、きっと悪い場所じゃないはずだ」
メディアは戸惑いながらも、一つの疑問を抱いていた。それを問うてみる。
「失礼ですが……猊下は、あちらの世界について随分楽観的な見方をしておられます」
何か、確信めいたものでもあるのだろうか。
そう言うとグレイはずっとテーブルの脇に置いていたものをメディアへと押しやっていた。
それはひどく古いものと、新しくはあるが若干の損傷が見えるものというふたつの分類が可能な、書物の山だった。
「古い文献とね、魔族が持っていた本を読んでみたんだ。きみは、神話にある闇の神の名前と、聖剣の名前が同じプレディケだって事を知っていたかな。自分を奉じる魔族に対して振るえと言わんばかりに僕たち人族に渡された聖剣。放逐される異界がそんなに悪い場所だとは、僕にはどうも思えなかったんだよ」
「へえ、もう依頼人が来たのかい? 驚いたな」
「看板を見てふと――と言っていた。タイミングが良かったのだろうよ」
カウンター席にどっかと座るカーラ。
とりあえず酒を頼もうとするのを制してクレフは水を受け取る。
「で、その……なんか凄そうな人は?」
「ここへと送られてきた何処かの間抜けだ。登場早々にうちの備品を壊してくれたので、弁償の手段が見つかるまでこうやって連れ回している」
間抜け呼ばわりされた赤髪の男は俯いていた。
「それで、ここで皿洗いでもしてもらうかって話になってね」
「あーダメダメ。うちはそういうシステムやってないから。従業員は足りてるんだから、タダ働きしてもらったって何も利益なんか発生しないじゃないか」
アーベルはそう言って手を振る。
クレフとしては、もうどうでもいいから適当に何かして貰って解放してやりたかったのだが。
「っていうか、そんなのがあるんならクレフがまず喜んでやってたろ?」
「それは確かに、違いない」
苦笑で返す。と、アーベルはカウンターを出て店の裏口へ回っていた。
「スゥちゃんを呼んでくるよ。それとも伝えるだけでいい?」
「ああ。捜索は明日からになるだろうから、今は伝えるだけでいいかな」
了ー解、と言って出ていこうとするアーベルだが、ふと思い出したように顔を戻す。
「思ったんだけど、君らが手伝ってもらえばいいんじゃない? 人探しなら人手が増えてもいいだろ」
「…………」
何故それに気付かなかったのか。クレフとカーラは顔を見合わせていた。




