16.最後の一手
「……何だ?」
バエルは唸っていた。支柱の一本が再び破壊された事を感じ取って。
まさか、再生能力をフルで使う今のこの塔を、たとえ支柱であろうとも破壊出来るとは。
しかし予定は変わらないとバエルは思い直す。止める事など出来ない。
あと数分のうちにこの核は頂上へと到達し、若干の遅滞があろうが打ち上げは果たされるのだ。
「グランゾ! 支柱を上から纏めて切り飛ばせぃ!」
「……我に命令をするな」
言いつつも、グランゾは両腕を広げた。
その胸部に∨字型に並ぶ光は、その全てが高位魔術の魔法陣だ。放つ赤は炎属性である事を示す。
「下がっていろよノエニム、攻撃範囲の調整など、これは出来ぬのだからな」
そしてノエニムが軽く旋回するのを見て、グランゾは魔術を解放する。
数百枚並んだ魔法陣から、一斉に熱閃光が発射される。
バエルの頭上で赤い光が瞬いた。そして彼は、頭上に広がる青空を呆然と眺めていた。
「な……」
絶句するバエル。周囲を見回し、千切れ飛んだ支柱がゆっくりと落ちてゆくのを確認し、愕然とする。
「おおう、ご対面じゃなバエル。しかし何やら余計なものがくっついておるのう?」
ノエニムは露出した核をにやにやと見下ろしていた。
彼女は両腕に長大な光波を展開すると、それを一振りする。
「ずばっとやっちまった後に眠らせてくれよう」
「お、のれ……舐めるなぁぁぁぁっ!」
蒸発した先端部を再生させながら、夥しい量の触手を生み出すバエル。
だがノエニムはそれを身体を振って避ける。9色のレーザーと虹色の防御壁を惜しげもなく使い、追いすがる触手の全てを焼き払いながら空を駆ける。
グランゾにもその攻撃は向いていた。近距離で全周囲から降り注ぐ触手に、流石のグランゾも対応出来ずスラスターを吹かして低空へと退避する。一本の槍のようになった触手を、手に持つ大剣が迎え撃って蒸発させる。
「大口を叩いたのだ、早く奴を始末せぬか!」
グランゾはそう叫ぶが、ノエニムとても別に遊んでいる訳ではない。
バエルが単なる防衛本能ではなく、明確な意思によってその能力をフルに使い迎撃して来るなどという状況はそもそもからして想定外なのだ。
残り少ない精霊魔法の使い所を考えながらあれへと接近し、へばりついている物を叩き斬って核に接触する。その手を考えてはいるがどうにも隙がなかった。
あと一人。あと一人だけ欲しい。
無駄な事と思いつつも彼女は地上に居るメーネへとそれを伝える。必死に触手の追跡を捌き、再生しようとする核周辺の肉を焼き払いながら、彼女に残された手は1秒ごとに減りつつあった。
「あと……ひとりだって!?」
迷う時間も惜しく周囲を見回すクレフ。
飛べる奴など他に、この場に居ただろうか。封印街の住人にも存在したか。
いや、とクレフは思い至る。飛行出来る者がただ一人だけ居た。
「サリィは呼べるか!?」
と言ったクレフに対して、カーラとアーベルは揃って苦い顔をする。
悪魔になど頼っても、連中が善意で動いてくれる訳がないではないかと。この場に居るのかどうかも怪しい。そして数秒間無駄な時間を費やし、メーネは探し出す事が出来なかったと首を横に振る。
万策、尽きたか。
そう俯きかけるクレフ達の中で、ただ一人。
スゥが顔を上げていた。
「ニーア様。……私を、先程の魔術で上まで打ち上げられますか?」
「……正気?」
笑いもせずにニーアはスゥを見る。クレフもまた、愕然と彼女に視線を送る。
「人間をあれで打ち上げるだなんて、考えたこともないわ。途中でばらばらになって、肉片だけが空に撒かれるのが関の山でしょう。馬鹿な事を考えるものではありませんわ……」
苦笑しながら言うニーアに、スゥはそれでもと食い下がる。
「必要なんですよね、あと一人……囮にさえなれればいい人が。私なら出来ると思うんです。私が、全ての魔力を障壁に振り向けて空まで登れば、多分耐えられる」
そしてその後は一撃入れて落ちればいい。その必要すら無いかもしれない。
ただ、一瞬だけバエルの意識を自分に移せれば、それでノエニムが取り付くだけの隙を作れる。
「……その後は? 自由落下で落ちてくると?」
言ったニーアに、スゥは顔を強張らせながら俯いた。
いやそれ以前に敵の注意を惹くのだから上空で触手に貫かれて果てるのかもしれないが、いずれにせよ生きては帰れない。
「いや、待て。それなら俺も一緒に送ってくれ。俺なら……魔力切れは無い。俺が一緒に行くなら生きて戻れる確率もだいぶ上がる筈――いや、多少は出来る筈だ」
少なくともゼロではなくなるとクレフは言った。
しかしそれに対してニーアは困ったような笑みを返した。
「二人もそんな重いものを打ち上げろと? 貴方がた……わたくしをばけものだと思って、何でも出来ると勘違いしていますでしょう」
やはり、無理か。しかし彼女の口ぶりだと、一人は出来るのか。クレフはそう考える。
ならば俺が行くべきだ。
メーネと最初に出会ったときもそうだったが、俺ならば。
自身の幸運をこの世界の誰よりも信じられるのだから。
そんな風に覚悟を決めようとしていたクレフは、しかし横合いから押され、自分の腕の中に倒れ込みそうになるスゥを慌てて支えていた。
「その役目、あたしがやるっすよ」
彼女を押し、ニーアの前に進み出たのはレイリア。
何故、あなたが――そう言うように彼女を見るスゥとクレフに対し、レイリアはにやっと笑って答える。
「お忘れかなー? あたしはあんたら二人のちょっとした気まぐれ、聖剣の力を試しておこうって、そんな程度の気持ちでここへ送られたんっすよ?」
今はこんな馴れ合いをしてはいるが、恨んでいないなんて思って貰っちゃ困る。
「そしてこーんな分かりやすい自己犠牲ヒーローの役目まで、深刻なツラ下げたこの二人に奪われたとあっちゃ……自分の感情に処理なんて絶対付けられないッスよ」
だからさっさとやっちまってくれと言うレイリアに、ニーアはひどく清々しい笑みを向けた。
「ええ……そういう事でしたら、わたくしも共感出来ますわ」
そんな事を言いながら。
「ちぃ……!」
熱閃光を撃ちながら回避するだけになったノエニムは、限界を感じていた。
触手の数は減らない。核を覆う肉も、その再生を押し止められなくなりつつある。
あと数手、それで恐らく自分はこれに捉えられるだろう。それで終わりだ。
だが、悲鳴のようなものを上げながら何かが地上から打ち上げられてきたのを見、彼女は今の状況も一瞬だけ忘れ、呆けたような顔をみせていた。
「なんじゃ、アレは……」
自分が頼んだ援軍。そんな発想は無かった。
元々期待などしていなかったし、出来る者が居るとも思えない。
バエルにしてもそれは同じだ。地上の様子はある程度把握してはいたが、その会話の内容までも聞こえていた訳ではない。
だから、太陽を背に大鎌を構えるその女を見た時、両者はただ唖然としていた。
魔力は障壁の展開によってほぼ全てを使い果たしていた。
酸欠と寒さに意識が飛びそうになりながら、レイリアは残りの魔力を分ける。突撃用の圧縮空気を必要なだけ生成し、それを背中に回して。
最後に残った魔力全てを大鎌に注ぎ、流動刃の魔術を使用する。
「あたしがコイツを振るう時は、常にね……」
咳き込みそうになりながら、レイリアは掠れた声で呟いた。
「たった一度。コイツで全て終わらせる。そんなつもりでやってるんすよ」
今回が、別に特別な訳じゃない。
この鎌を振るう時一回一回で、いつも自分は死んでいる――少なくとも心の内では。
そして歓声のような声を上げながら、レイリアは突進した。彼女がこれまで幾度もやって来た通りに。




