12.決戦前夜
それから、封印街の住人たちはずっと騒ぎ続けていた。
翌日昼から戦いを始めるというのに、祭りじみた気配は深夜になっても収まらず、クレフ達の居る事務所からでも外のざわめきがはっきりと聞こえる。
「……なんか、妙な話になっちまってるっすね」
窓の隙間から外を眺め、言うレイリア。
「元の世界に帰るんじゃなかったんすか?」
呆れたようなその言葉を聞き、カーラは苦笑していた。
「さて。……ここで我々だけ消えるというのもな。出来るか?」
メーネという当面の問題、その一方は片付いてしまったため、それしかないという訳でもない。
もう一方――あの塔については正直な話出来る事などないと思っていたが、明日それなりなプランの元に決着がつくのだという。状況はだいぶ変わってしまっていた。
「つうか逃さぬぞ? 明日の作戦でメインを張るのはそなたらなのじゃからな」
ノエニムはそう言っていた。聞いていない、というようにカーラを始め全員の視線が彼女へと集まるが、ノエニムは当然のことのように続ける。
「あったりまえじゃろうがい。外の連中、その個人戦闘力は高かろうが所詮は寄せ集めよ。この世界でまだ集団としての連携が可能なのはここに居る者共しかおらぬ」
クレフ達が居なければそもそも作戦自体成立しないと言う彼女に、クレフは溜め息を吐く。
「あの塔の天辺まであんたを送り届ける……か」
どうやればいいのか、それすら不明瞭な難業を明日の昼までに纏めろとは。
胃が痛くなりそうだった。
そんなクレフにノエニムはにやりと笑ってみせる。
「なに、難しい事はない。重要なのは吾があやつに接触し、乗り移った後のことじゃ。吾のこのボディをちゃんと保護してくれる事、それこそがそなたらに頼みたい一番重要な事じゃでのぅ」
寄生型の精神生命体。それが彼女の正体であると、告げられて驚きがなかったではない。
だがこの期に及んでそれを態度にあらわすのも馬鹿らしいと思えた――というのがこの場に居るもの達の共通した思いだったのだろう。
ツッコミの一つも入らないことに、ノエニム自身が肩透かしを食ったような顔をしているのが何やら面白くてならない。
「……なんじゃ、信じておらんのか?」
そんな事を言ってくる彼女に、いいからとクレフは続きを促した。
「続きと言っても大した事はないぞ。戦闘自体はまあ、相手があんな代物じゃ。ぶっつけになるしかあるまい。殺すなとは言うたが核への攻撃以外で死ぬような相手でもないためこちらも気にせんで良い」
不安だろうが明日のことはあまり考えず、今夜は心残りの無いように過ごせと言うノエニムに対し、クレフ達は苦笑じみた表情を浮かべていた。
なるほど、外の連中は正しかったわけだ――と。
「じゃあ、そろそろいいかな? クレフ君」
そう声をあげたグレイにクレフは向き直る。
彼とは面識があった。そもそもスゥを使う事を提案したのが彼であるし、魔王討伐パーティの4人目としてクレフの名を挙げ、呼び寄せたのも彼であった。
それでいてあまり会話を交わす機会というのはなかったのだが。クレフが今ここに居るのは大部分、彼のせい――と言って良い。それと今、こうして向かい合うのは奇妙な気持ちだと、クレフはそう考えていた。
「君と会ったら……色々と恨み言を言われるんじゃないかと思っていたけどね」
グレイはそう言って微苦笑のような表情を浮かべた。
このような状況があったとしても、今の今まで――グレイの側から声をかけるまで、クレフがそれに触れなかったのは意外だと言うように。
クレフはどうも、困ったような顔をしながらそれにこたえる。
「いえ……特に、そういったものは無いですから。一切の遠慮なく、ただ正直な気持ちで」
ここへ送られる事となった経緯についてはその始めから納得している。
ここでの生活も思ったほど悪くはなかったし、むしろ良いことの方が多く思えた。
特にスゥと出会った事については、自分が呼ばれたことには感謝すらしている。
だから、何も恨んでなど居ないのだと。クレフはそう静かに言っていた。
グレイはそれを聞き、妙に寂しそうにうなずいて、言葉を返す。
「君は……本当に、選ばれるべくして選ばれたんだねえ」
そして彼はあちらの世界で起こった事、新たな精霊騎士が見出され、もはやクレフを追う意味がなくなった事を告げていた。
「……そうですか」
クレフは安心したようにうなずいていた。
本当にあちらでの自分の役割は終わったのだと、もはや憂いもないのだと、そう言うように。
「それで、僕がここへ来たのは君にこれを告げなければいけないと、その責任があると思ったこともそうなんだけどね」
君をあちらの世界へ連れ帰ることも出来る。それが可能であるとグレイは言う。
「……帰る」
クレフはぼんやりと、言われた言葉を繰り返していた。
この世界に封じられた者全てが願ってやまないだろう、元の世界への帰還。けれどクレフはその最初から、ニーアを守って旅をしたあの時から、特にそれ自体には心を惹かれなかった気がしている。
元々魔王を討伐した後はスゥと共に国を出るつもりだったのだ。誰も知らない場所へ行きたいというのは、クレフの中で始めから決められていたことだったのかもしれない。
「……まあ、この騒動が終わったら、僕も若干の観光をしてから帰還するつもりだからね」
それまでに考えておいてほしいとグレイは言っていた。
明日にこの世界が滅ぶかもしれない決戦を控えて、まるでどうという事でもなさそうに言うグレイに対して、その場に居た全員が呆れたような笑いを漏らしていた。
全く、気が抜けてしまう。そしてそれが、有り難い。
「でもさ、ずっと見てたけどあんたって変な人だね」
アーベルはグレイにそう声をかける。
「まるで、自分を責めてくれる人を探してるみたいじゃないか」
その言葉に、グレイは苦笑しながら俯いていた。
「……そうだね、そうなのかもしれない。僕は自分のやった事というのがとても、希薄だから」
その実感を得たいのかもしれないとグレイは言う。
「なるほどのぅ」
ノエニムはそう言って笑っていた。解析を起動しながらグレイを見る。
「そなた……記憶を継承しておるな? 吾と似たような生き物じゃろう」
ノエニムと違い、完全に人格を乗っ取っている訳ではない。転生のようなものか。
飽くまでその人間をベースにしては居るが、継承された歴代の経験情報がどうしてもそれには強い影響を与える。
そして"過去の自分"がしたことと"今の自分"がしたことの境界というものが曖昧であり、どんなことをしてもそれが自分の選択なのか、それとも動かされてしている事なのかわからない。
それが、今ここに居るグレイという男なのかと、アーベルは憐れむようにして彼を見ていた。
「いや、そんな風な目で見られるのは心外だな。僕が恵まれているのは確かなんだし」
グレイはそう言って苦笑していた。
「僕は僕だ、14代目グレイだよ。大抵の事を"そういうものだ"と思って受け入れてきたし、僕への評価がそう悪くもないなら、それも"そういうものだ"と納得するだけさ」
「ニーアは……二階でメーネの蘇生を続けているか」
クレフは上階を眺めながらそう言う。階段脇にスゥと二人並んで彼らは立っていた。
「心置きなく過ごせと言われたところで、二人きりにすらさせてもらえませんね」
スゥは苦笑するように言う。
そうだな、とクレフはこたえていた。あまり実感のないことだが、あのメーネがあっさりと死んだ、という事実を思い出せば、ざわざわと胸の辺りで蠢く不安を感じることが出来る。
明日を境に、今ここに居る者達が全て揃わなくなる事も十分あり得るのだと。
ニーアの蘇生は当てには出来ない。蓄えられた神聖魔法の魔力にも限りがあることだ。
彼女が今そうしてくれているのは、明日の決戦を控えて強力な駒は一つでも欲しいからというだけに過ぎない。
その後に損失した者を呼び戻してくれるようなことは、期待出来なかった。
自然にスゥを抱き寄せる。ただ触れたかったから。
そしてしばらくの間見つめ合って、軽く、触れ合わせるだけのような口づけを交わす。
「……こんな事すら、してくれたのって初めてじゃありませんか?」
「そうだったかな」
そんな事を言ってスゥとクレフは笑い合っていた。あまりに近くに居ることが自然になり過ぎていて、こんな風に触れ合っても高揚するでもない。まるで戯れあっているかのようだった。
「では、続きは明日に」
「ああ……明日な」
そう言葉を交わして、しかし離れないまま。二人は長い間そうして抱き合っていた。




