4.赤い髪の『英雄』
契約自体は滞りなく進み、クレフ達はザウロンを見送りに出ていた。
期間は1週間。それで相手が見つからなくとも一旦捜索は切り上げ、報告書を書く。
その後捜索を続けるか打ち切るかを選ぶといった感じに収まっていた。
「なかなかいいスタートだな」
クレフはそう言って、契約書の内容を読み返す。
ついでに着手金として受け取った金袋の重みをたしかめ、少しだけ笑みを浮かべていた。
「アーベルから借りた金も少しは返せそうだ。随分と世話になってしまっているし」
事務所内に置かれている最低限の調度類も、彼に出資してもらっているものである。
「そんなものは暫く良かろう。依頼が続くかどうかも分からぬのだし」
と、カーラはあまり興味が無さそうに返す。
「……では、俺はこれで」
しかし隣に居た赤髪の男が立ち去ろうとすると、むんずとその肩を掴んでいた。
「待て。貴様が乗った事で我が事務所のテーブルはお亡くなりになった。これを何とかしてくれた後でなければ、貴様を何処かへ行かせる訳にはいかぬな」
クレフは驚いたようにカーラを見る。まさか、彼女がそんな物の事を僅かでも考えていたとは。
「何だ。私とて、必要な金があるという事はわかる。そして今の事務所には余裕など、建物ごとひっくり返しても出て来はしない事もな」
赤髪の男は申し訳無さそうに顔を伏せていた。
「悪いとは思っている。だが、俺にはあれを修理出来るとも思えないし……代わりのものを買う金も、生憎と持ち合わせがない」
「だろうな。この世界へ送られたばかりであれば、そうだろう」
カーラは理解を示すように言ったが、その後をすぐに続ける。
「そんな時、私がどうしたか教えてやろう。身に着けている武具を売ったのだ。見れば、随分と大層な鎧を纏っているようではないか」
確かに。赤髪の男が纏っている鎧は、一見しただけで目を奪われるほど見事なものだった。
関節部の装甲を廃し、動きやすさと快適さを重視した冒険者向けの中装板金鎧。
その表面は傷一つ無く、青みがかった銀の輝きを放っている。
使われている素材は恐らく神造合金。それもこれほど贅沢に、全体を覆うほどの量をオリハルコンのみで賄っている鎧など見たことがない。
「これは……」
戸惑ったように自分の身体を見下ろす赤髪の男。
流石にこれは売れまい。というか、適正な値段で引き取ってくれる所があるとも思えない。
そう考えるとあっさりと自分の鎧を(二束三文で)売り払ったカーラはとんでもなかったのだと、改めて思う。長剣の方は買い戻せたものの、鎧は未だにあの店にあった。
なお、値段は五桁が付いている。銀30枚で売った彼女はそれを見た後だいぶ荒れた。
「まあ、それを売れとは流石に言わん。あのテーブルなぞせいぜいが銀10枚、高くとも15枚といった所だろうよ。だが、お前のような者が武具以外に何か換金出来るものを持っているとも思えん」
言うと、カーラは赤髪の男の首をがっしりと抱え込む。
「私に付いてこい。なに、馴染みの武具商人への店へと案内をしてやるだけだがな」
そのままずるずると連行されてゆく赤髪の男を見つつ、クレフは苦い顔を浮かべていた。
「あの店へ……行くのか」
「うぬっ、おぬし。今日はあの詐欺師は一緒におらんのかっ!」
カーラの姿を見るなりすっ飛んでくる武具商の店主。白い髭を蓄えた竜人である。
「私の顔を見る度そう言っているな」
最早普段の挨拶といった感じでカーラはそうこたえる。
クレフは近くの物陰に身を隠し、魔術によってこちらの様子を伺っていた。
この店主とはちょっとした因縁があった。
クレフには後天的に学んだ魔術師としての力以外に、持って生まれた精霊使いとしての力がある。
精霊の力の本質は物質の変換。よって本来人間は月光からしか魔力を得られないのであるにも関わらず、精霊使いは陽光を月光へ変換することで昼間でも魔力を回復出来る。魔術師としてはこれ以上ない素質と言えるものである……が、その力はそれだけに留まらない。
ただの金属を魔法金属へと変換することも、その気になれば可能であった。
ただしそれは一日限りのまやかし。クレフは初めてそれを使ってみたため、そのことを知らずにこの老いた竜人に大損害を被らせた、と。簡単に語ればそのようなことだ。
「損害のある程度は補填して貰わねばこちらも納得がいかぬ」と、クレフはこの竜人に追い回されていた。
「ふん、せめてその長剣の額くらいは払って貰わねばの」
鼻息荒く言う竜人に対して、カーラは詰め寄る。
「だが、私ははっきりと覚えているぞ。貴様はあの時、もう一振りの剣を"同じように"してくれればこれをタダで譲り渡すと言ったのだ。こちらの剣も砂と化した、そちらの剣もそれと同様。何処に詐欺があったのだ、言ってみるがいい」
「ぬっ、ぐむぅ。……じゃ、じゃが、儂が損害を被ったのは事実」
「それは貴様の勝手だ。こうも言ったな? それはそれこれはこれ、全く別の話だと」
難しい顔をしながら唸り続ける店主。カーラは更に続けた。
「道理があれば私はそれに従う。だが――そうでないのなら、こちらも遠慮はせぬ。どうだ」
「くっ、し、仕方がありませんな。残り銀2800枚については、儂も忘れる事としましょうかの……」
カーラはそれを聞き、しかし呆れたように息を吐いていた。
「という事は……クレフ、やつは1200枚は払ったのか。カネについて監視を付けねばならないのは、私などよりむしろやつの方ではないのか……?」
「と、そうだ。それは今回ここへ来た用件ではない」
思い出したように、無言で隣に立っていた赤髪の男を店主へと押し出すカーラ。
「んん? むおっ、こ、この鎧は……」
絶句する竜人を前に、カーラは赤髪の男に背後からたずねる。
「何か売れるものはないのか。予備の剣やナイフ、ポーションや探索の必需品。大抵の物はこの店で引き取ってくれるのであろう? 方位磁針などがあればそれなりの値で売れそうだが」
「……生憎と、何も持っていない。俺は冒険者ではないから」
苦笑、のような気配を浮かべて、赤髪の男は言っていた。
「だが、これなら――」
しかし彼はそう言って首にかけていた細い鎖を外し、その先にあったものを胸元から引き出す。
それは指輪だった。古い指輪だ。しかし嵌め込まれた宝石は美しく輝いていた。
「形見、のようなものだ。……けれど、もうずっと昔で。俺にはもうあの子の声も思い出せない。だから、いいんだ」
「ば――」
カーラがひどくイヤそうな顔をする。しかし彼女が声を上げる前に、竜人の店主は赤髪の男の手からひょいとそれを取り上げていた。
「ほう。これは魔力を感じますな、宝石自体はただのアクアマリンのようじゃが、周囲に彫られている魔術文字はなかなかに複雑だ。効果は知れませぬが、これなら銀400の価値はありましょうぞ」
「馬鹿が!」
カーラはそれをひったくる。
再びそれを赤髪の男の手へと戻すと、胸に叩きつけるように押して戻した。
「それは、そんな鎧や剣などよりも貴様にとって重要なものだろう。仕舞っておけ、二度と私に見せるな」
そして息を吐くと、再び彼を押しながらクレフの元へと戻ってくる。
「参った。こやつは金に替えられるような物を何一つ持ってはいないようだ」
無言で指輪を胸元へと仕舞い込む赤髪の男。
それを見ながら、クレフは微笑し頷いていた。
「そうだな……じゃあ、とりあえずアーベルの所で皿洗いでもしてもらうか?」
スゥにも依頼が入った事を伝えねばならない。
押されるのではなく、きちんと横について歩いてくれるようになった赤髪の男を連れて、クレフ達はアーベルが待つ喫茶店へと歩き出した。




