5.伸びゆく塔の下で
「採掘場の地下から、妙なものが現れただと……?」
カトラン達と合流したカーラ達は、その報告に面食らったような顔をみせていた。
こちらもそれどころではないというのに、あちらも大変なことになっているものだ――などと、そんな事を言っていられる状況ではないのはすぐにわかった。
何せ、あのニーアまでもがただ逃げてくるしかなかったと言うのだ。尋常なことではない。
それはこちらと同様、最早自然な事態の収拾など望めないという事を示していた。
「ええい、何故こうも厄介なことが重なるのか」
と、言いつつカーラはカトラン達に交じる新顔へと気づく。
「お前は……またどこぞの魔王か?」
その問いかけにグレイは笑ってみせる。
「そんな風に呼ばれた事は流石に無いかな。君の方は……黒き民の魔王なのかな?」
どこかで会ったような気がして、カーラはグレイをじっと見つめていた。
しかし思い出せぬというように溜め息を吐き、その問いに答える。
「ああ。貴様が白き民なのであれば、知っていよう。そちらの世界では4~5年前か? 侵攻した魔族を率いていたのが、私だ」
「やあ。光栄だな、確か……戦場じゃ赤黒い仮面を被っていたような気がするんだけれど」
そう言うグレイに、やはり敵将かとカーラは目を細めていた。
それにしては不思議な男だ。自分を黒き民と呼び、その反応にも全く魔族を蔑むところがない。
「あとそちらの彼は、もしかして魔王アーベル? 黒き民は300年生きるって聞いてたけど本当なんだねえ。若々しいままだ」
え、と。アーベルは呻くようにして言っていた。
単に当代の魔王と先代の魔王、そうあたりを付けただけの発言なのかもしれないが。
グレイの言葉はそんなふうには思えない。アーベルの方をむしろ良く知っているかのようだ。
「この方は、グレイ=ジーニス伯。大穴に最も近い領地の主。そう言えば、お分かりになるのでは」
カエデが言い、カーラは納得したというようにうなずく。
「なるほど……な。パメラの軍を終戦まで張り付かせてくれた奴か」
「カエデちゃん、こっちの身分を明かしちゃうのはいいの?」
シラヌイはそう言っていた。カエデはやや言葉に詰まったようではあるが、気を取り直したように口を開く。
「名を告げればどうせ知れる事です。相手は魔王だと言うのですから」
むしろ、先のグレイの発言で不審を抱かせないためには必要なことだとカエデは言う。
「まあ、それならば、他で不審はあるといえばあるのだが」
カーラはグレイを真正面から見据え、続けていた。
「何故貴様が自らここへ来たのかということだ」
「……だろうね、そこは気になるだろうと思うよ」
グレイはそう言って、彼もまたカーラを正面から見、笑顔を向ける。
「でもその理由だって、君は既にわかってるんじゃないかな?」
ち、とカーラは舌打ちしていた。自らの口からは言わないというのは、彼女にとって不快な態度だ。
それでも彼女は推測を述べていた。これ以上、この男と付き合うのが嫌だったために。
「戻ることが出来る――そういったわけだろう。しかもあちらからゲートを開いてもらう必要もなく、お前ただ一人だけの力で」
「……本当なの?」
疑わしげにアーベルは言っていた。この封印牢から元の世界へ戻ることなど。
ここへ送られた大勢の魔王たちが試さなかったわけもなく、そして誰一人としていまだ成功させることが出来ていないことだ。
降神を使うという手法で可能とする――そんな思いつきも以前には聞いたが、神聖魔法の使い手などほぼおらず、居たとしても使用者の死を代償とするその秘術に挑む者など誰も居ない。
それが、そんなに容易く?
「まあ、信じられないのも無理はないかな」
グレイはひどく、軽い調子でそう答えていた。
「でも、そうでなければ僕自身が来ないだろうってのはその通りだよ」
そのままの調子で認める。彼がいちいち、やや遠回しな言い方を選ぶのにカーラは更に苛立ちを募らせるが、グレイは気にした風でもなく笑っていた。
「けれど、そんなに気軽に出来るってものでもないからね。君達が今すぐに元の世界へ帰りたいって言っても、それに応えてあげることは残念ながら出来ない。そして、僕がここへ来た理由はただの観光じゃなく――」
「クレフに用事があるということか」
被せるように言ったカーラの言葉に、グレイは苦笑しながらうなずいていた。
だが、カーラは特に愉快そうでもなく鼻を鳴らす。
「そうか。だが……それならば間が悪いことだ。クレフは今、この街には居ない」
「そうなのかい? では何処に行ったのか」
グレイは言い、カーラはそれに答える。
「竜の、巣の中さ」
彼はそれに、やや首をかしげるようにしていた。
「……それで、あんたは俺に何を望むんだ」
クレフはようやくにしてメーネの腕から解放され、彼女と向かい合っていた。
輿の中である。メーネは武装したままベッドに腰掛け、クレフを見ていた。
「そうね……何を望むか。あまり具体的なことを考えていたわけではないわ、いつも通り」
メーネは苦笑するように言う。
「ただ顔を見たくなって、連れて来たくなってしまった」
そうなればもう思い留まることは出来ないのだと。わかるでしょう? とメーネは笑う。
わかりたくもない。口には出さないがそう言うように、クレフは溜め息を吐いていた。
「ではもはや満足したと。俺はもう街へ帰っても構わないのか?」
「ええ、構わない。けれどたぶん……すぐにまた連れて来たくなってしまうのでしょうね」
メーネはそう言って笑った。
「何を望むか。先にそう訊いたわね。ここに居て、私の配下に加わりなさいと言ったら……?」
クレフは苦い顔をしていた。全く、なんと面倒な。
たちの悪さではニーアなどよりも遥かに、いや比べ物にならないほど上ではないか。
彼女は互いに不干渉たることを許してくれ、また自らにも課してもくれたのだから。
メーネは執着されたら最後だ。
もう逃れることなど出来ない――どちらかの死、以外には。
けれど古竜となる呪いを受けたメーネが本当に滅びるのか。それすらもわからず、現実的なのはクレフ自身の死しかないとあってはもはや手詰まりである。
「迷っているようね。でも今は……」
金属音を立てて除装されるメーネの鎧。そして過剰と言える身体がクレフの前にあらわとなる。
「私がまた、妙な思いつきをしないようにしなければいけないのではなくて?」
クレフの好みはかつて言った通り両極端である。よって、メーネはそれにこの上ないほど合致していると言えたが、クレフは今どうしようもなく馬鹿らしい気持ちでそれを見下ろしていた。
もはやどうなろうと知ったことか、と。自棄になったように考える。
龍鱗の自動反撃機能を気にしながら手探りを続けるなど下らない。自分の知る限りの術と手管で、可能な限り速やかに意識を刈り取ってくれると。クレフは幾つかの魔術を紡ぎ始める。
だが、彼の前に浮かぶメーネの魔術――感覚操作系に特化した障壁の数々を見て、彼の表情は今度こそ強張っていた。
「術を使っているのは知っていたわ。特に不都合もないから素通しでいたけれど。二度目までそのまま受けるのは……流石に芸がないでしょう」
笑みを深めるメーネの顔を見ながら、クレフの額には冷や汗が伝う。
その時である。
輿の内部を外界と隔てる薄布が捲られ、かつてクレフたちの案内をつとめた魔族の男が飛び込んできたのだ。
「メーネ様、失礼……ッ!?」
反射的に数枚の龍鱗が射出され、男の肩と耳を浅く切り裂く。
メーネは目を瞑って何とか自身の衝動をその程度に収めつつ、彼に報告を促していた。
「……何があった」と。
男は顔色を青ざめさせながら、しかし己の仕事を全うする。
「は、申し上げます。……北西の方角に、巨大な緑の塔が現れ、未だ伸び続けております」




