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SC&C探偵事務所  作者: 上月晶
3.
44/63

1.拐われたクレフ

 メーネは自分の輿の中でぼんやりとしていた。

 生まれたままの姿でベッドに横たわり、まどろむように薄目を開いて、その唇からは時折溜め息が漏れる。

 あれから――二ヶ月前のあの時から、彼女はこんな風になってしまっていた。

 西方への侵攻も止まり、元の封印街南側へと戻ってとどまり続ける毎日。

 彼女の配下たちも妙にそわそわとしたまま、しかし彼女に何も問いかけることは出来ないので解決の手がかりすらも得られないまま、物資の調達のみを行って過ごしていた。


 彼女が、その配下を取っ替え引っ替え輿の中へと誘っていた時はまだ良かった。

 ある程度彼女の考えを知ることが出来たし、時折暴発するとはいえそれは大したことのないレベルに収まっていた。

 けれど今は。彼女という爆弾がどういった状況にあるのか知ることすらも出来ない。

 そして彼女がもし何かの思いつきを抱いてしまったのなら、とんでもない事になるとわかっていて。ここにとどまり続けるというのは配下にとっても恐怖ではあったのだが。

 どこか現実味のないところがあって、彼等も離散することも出来ずにズルズルとそのままで居た。

 自分が、いつ噴火するとも知れぬ活火山の上に居るに等しいと知りながらも、ズルズルと。


「――あぁ」

 今日何度目かの溜め息が漏れて、メーネはぼんやりと滲む瞳を開く。

 どうすれば良いだろうという具体的なことは、これまで何も考えずに居られた。

 ただ余韻に身を任せていることが出来たのだが。

 どうにも。頭がはっきりとして来つつあることを、彼女は自覚していた。

 遠からず、なんらかの欲求を自分が抱いてしまうだろうことを。


 無意識的に魔術を使い、自身の身を清める。石鹸などを使うよりもむしろ理想的な状態となった身体と髪からは、花のような甘い香りすら立ち上りはじめる。

 そして、彼女はその上体を起こしていた。身綺麗にするということは、起きねばならないから。

 起きたということは、やらねばならないことが出来てしまったということだから。


 メーネが立ち上がると同時、部屋の壁際、飾り台にかけられた彼女の鎧がまるで生きているかのように分割され、地面を這って装着される。腰には黒い長剣が吊られ、外へ出る準備が整う。

 彼女は未だ夢見るようにぼやけた目で、重ねられた薄布によって外と仕切られる、輿の入り口を開いていた。

 そして次の瞬間飛び上がる。


「ッ……! メーネ様っ!?」

 配下たちの上げる悲鳴じみた声を背後に聞きながら、メーネは跳び、空を駆けた。



 店のカウンターでグラスを磨いていたアーベルと、その前で昼間から酒を呷っていたカーラは店の中へと飛び込んで来たスゥの姿を見て目を丸くする。

 あの彼女が、肩で息をしながら顔面を蒼白にしていたのだ。

 その服は所々土埃に塗れており、何度か道で転びでもしたのか、軽く血が滲んでいる箇所もある。


「……どうしたんだい?」

 冗談の一つも口にすることすらできず、治癒術を使いながら口を開いたアーベルであったが。

 スゥはその前で何かを言いたそうではありながらそのための酸素が確保できないとでも言うようにぱくぱくと口を動かすと、アーベルの待つカウンターへと突っ伏すように身体をもたれる。

「落ち着け。まずはこれでも飲め」

 カーラによって差し出された水を振り払おうとし、しかし思い直して受け取るスゥ。

 彼女は息を整えてからそれを飲み干し、それでも少し咽るようにしてから口を開いていた。

「ク、クレフ様が……クレフ様が…………拐われました」

「はあ?」

 間抜けな声をあげるアーベル。その襟首をスゥはつかみ上げる。ぶんぶんと前後に振られたアーベルの手からグラスが落ち、割れてけたたましい音をたてる。


「クレフ様が拐われたんです! アーベル様、カーラッ! 早く、早くしないと……!」

「落ち着けというのに。まずは詳しく話せ、あとアーベルが死ぬ」

 なんかもうえらいことになっているアーベルからスゥの手をもぎ取るように離すカーラ。

 スゥはその場にへたり込み、泣きじゃくり始めてしまった。こんな様子のスゥを見たことなど、封印街へ送られた時、クレフが死にかけた時すら無かったというのに。

 カーラは困ったような表情を浮かべ、スゥの脇にしゃがみ込む。なおアーベルはカウンターの中で転がっていた。

「……泣いていてはわからぬ。クレフがどうしたというのだ。……くさっても奴は精霊騎士、そこらの魔王ごときにそうやすやすと拐えるような男ではないと思うが……」

「っ……そこらの、魔王ごときじゃ……ッ……大魔王が、あの、メーネがっ!」

 言われて、カーラの顔色がさっと変わった。


 そう――思い浮かばぬ方がむしろおかしい。何しろ二ヶ月前、クレフはメーネを下したのだから。

 しかしもしそれで彼女がクレフに僅かなりと執着を抱いたとするなら、二ヶ月も平穏だったということがメーネという竜としては信じられぬこと。

 故に彼女は特段、クレフに興味など抱かなかったのだと、そう思っていたのだが。

「……甘かったか」

 カーラはそう言っていた。

 クレフもまた、竜の単独討伐――ドラゴンスレイヤーの呪いからは逃れられなかったか、と。

「……いやでもアレだよね? 深刻そうに言ってるけど拐われた先ってベッドだよね?」

 空気の読めぬ事を言ったアーベルをスゥが今度こそ撲殺する前に彼女を止めるカーラ。

 溜め息を吐いたカーラはアーベルを振り向く。


「冗談を言っている場合ではない。拐われた先がベッドだろうと奴の胃袋の中だろうと、メーネ相手であれば全てが冗談にはならぬ。……連れ戻す事が現実的でないという点ではどちらでも同じなのだから」

 どうすべきか、とカーラは考えていた。

 巣穴の中からそのお気に入りを回収するなど、相手が犬程度でも尋常なことではない。

 しかも相手はまともに戦って勝てるかどうかすら怪しい相手、殺して死ぬかどうかもわからぬ魔人だ。

 諦める以外の言葉がどうやっても見つからず、カーラは頭痛を堪えるしかない。


「ともかく、だ。……これは迂闊には動けん。出来るだけ人を集めて、僅かなりと出来る事を増やし、その上で妙案が出るのを待つしかなかろう」

「そんな……悠長な!」

 スゥは言うが、カーラは彼女を睨みつける。

「もしお前が本当にクレフを助け出したいと思うのなら、これが最短だと思え。ただ策もなく我々だけがメーネの元へとむかっても何も出来ぬ。比喩ではなく本当に、何一つとして」

 しかも、時間を無駄にするどころかその後自分たちが帰れるかどうかすら怪しいとカーラは言う。

「機会はおそらく一度、それも周到に準備を進めた上で一度きりだ。現状ではクレフ自らがまた奴の巣穴から脱出して来ることが最も穏便に済む可能性が高いとすら言える。それを心得よ」

 言われたスゥは、もはや何も言い返すことが出来なかった。


「それで、最初はどこから当たるんだい?」

 いつものコートを羽織りながら言うアーベル。

 カーラもまた自分の長剣を腰に吊りながら、店を出る。

「もはや手当たり次第だ。思いついた者を片っ端から当たるしかあるまい。そのうえで、ここから最も近い人間と言えば――」

 デコイとディーネだ。カーラはそう言い、彼等が資材を調達している店へと歩き始めた。

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