プロローグ
冒険者たちは吸血鬼たちの城が聳える近く、そこに発見された銀の鉱脈を掘っている。
巨大な鉱脈はどこまでも続き、尽きぬかのようだった。しかし鉱夫として働きながら、冒険者たちも何も疑問を抱かないというわけでも、流石に無い。
この世界では容易に狩れるモンスターも存在しないし、未だ暴かれぬ古代遺跡も無い。
魔王とその側近クラスだけしか居ない世界であり、自分たちがその中で最も下層に居る存在である事も理解は出来ている。
それでも、自分たちが冒険者だという自負はあったのだから。
いくら自由であるとは言っても、銀鉱脈と格闘して一生を終えるような生き方を本当に自分たちが選べるのか、それで納得がゆくのかといった疑問は常にあった。
故に、50人ばかり居た冒険者たちはちらほらとこの鉱山から去り、また戻ってきた者も居ればそのまま戻らなかった者も居るという具合になっていた。
健全ではあろう。ただここにしか居られないからここに居続けるというよりは。
事実、一度ここを出てからまた戻ってきた者たちに関しては、ある程度の覚悟がもはや決まっており、鉱夫として生きてゆくことを本当に心から決めたようであったのだし。
一度整理し、見つめ直すことは必要であるというのが彼等の概ねの認識だった。
よって誰もそれを止めようとはせず、戻ってきた者たちを自然に迎え入れていた。
男女比はやや男性が多くはあったが、その中で相手を見つけ出し結ばれた者もいる。
徐々に――彼等はここに馴染み、そしてこの地に根を下ろそうとしていた。冒険者ではなく封印街の住人へと、彼等は変化しようとしていたのであった。
「おっと……」
そんな鉱夫たちのうち一人が、地下から飛び出してきた一匹のカエルを捕まえる。
この世界には肉となるような動物は殆ど居ない。このカエルだけであると言っていい。
これがどういった存在なのか、飲食店を経営するアーベルですら正確には理解していなかったが、彼等はカエルを見つけ次第捕まえ、食料としていた。今までそれで何も問題はなかった。
けれど、どうにも。
「最近……カエルの姿を良く見るな」
じたばたと暴れるカエルを袋の中へ押し込みながら、鉱夫はそう呟いていた。
あれから、二ヶ月が過ぎようとしている。
結局デコイたちが送られたのを最後として冒険者たちの転送は止まり、クレフは元の世界で何が起こったのかと、若干気になりはしたものの、自分には知りようもないこととして処理しようとしていた。
それだけを考えていられるほど暇でもない。
はぐれた部下を探したい――その手の依頼はぽつりぽつりとではあるが、クレフの所に舞い込むようになっていたし、解決にもさほどの手間も掛からずこなす事が出来ており。
借金の返済も滞ることもなく、定期的に忙しくなるためにスゥの攻勢にも未だに耐えられており。
現状、クレフにとって問題と言える事はなく、彼はこの生活にだいぶ満足できていた。
「……クレフ様。最近なにか、ぼんやりしておられませんか?」
「……そうか?」
事務所の中でソファに座っていたところを話しかけられ、クレフはスゥを振り向く。
ソファの後ろに膝をついて、肩の上に顎を乗せてくるスゥに特に驚くでもなく、こちらからもその髪を弄ってやれる程度にはクレフにも余裕が出来ている。
「個人的には良いことと思いますけれど。あまり気をはらなくて良いということは」
スゥは嬉しそうにしながらもクレフの指を押さえ、立ち上がりたいということを示して、ゆっくりとその銀色の髪をすり抜けさせてゆき。
クレフの前で半分ほど残ったまま冷めてしまったコーヒーを流しに下げてゆく。
「でも、あまり事務所の中でそんな風ですと、ふやけてしまいますよ?」
そして新しいコーヒーをクレフと自分の分淹れてくると、テーブルに置いて彼の隣へと座った。
「もし、午後も依頼人が来ませんでしたら……二人で散歩に出ませんか」
「そうだな……いいかもしれないな」
クレフはそう言って、新しいコーヒーに口をつけていた。
さて。何故――冒険者が送られてこなくなったのか。
その理由については簡単だった。そんなことをする意味が、もはやなくなったからである。
4度目の冒険者転送、魔王城玉座の間に集められた40人ほどの冒険者たちは、その時起こったことに困惑するしか無かった。
突如として部屋中に精霊たちが現れ、まるで万華鏡のように光を放ちながら回り始めたのである。
神官たちも呆然とそれを見ていた。この場に同席していたグレイ=ジーニスだけが、何やら感心したように精霊の輪舞を眺め、その中央に立つ女性の冒険者を面白そうに見つめていた。
「え……わたし?」
光る精霊に押されるようにして徐々に部屋の隅へと引いてゆく冒険者たちの中で、彼女だけが取り残されるのにさほどの時は要らない。
部屋の中を右往左往し、自分を取り巻く精霊の壁が距離を変えてくれないのを見て、彼女は信じられないといったような顔をしていた。
「……どういう事なのですか」
この場に居た神官の長が、この中で唯一事態を把握しているだろうグレイに小声で問う。
それに、グレイは別に隠すことでもないとばかりに普段どおりの調子で答えていた。
「なに、見た通りの状況でしょう。……当代の勇者が見出された、それだけのことですよ」
「しかし……」
神官は訝しげにグレイと、そして冒険者の女を交互に見ていた。
彼女は20代の前半ほどに思える。異端者クレフがもし死んだのだとしても、それ以降に生まれた者でなければ勇者として認められるわけがない。
そのことをグレイに告げるも、彼は笑ってそれに答える。
「ええ、私も初めて知りましたがね……。もう一つ可能性があるでしょう? 彼女は、女性だ」
「……馬鹿な」
初めは何を当たり前の事をといった顔をしていた神官も、その可能性に思い至って顔色を変えた。
彼女自身が勇者というわけではないのだ。
当代の勇者は――彼女の胎内に宿っているのだ、と。
そして魔王城異界ダンジョンの探索は急遽打ち切りとなったのであった。
冒険者たちはそれなりな報酬をその場で渡され、口止めをして帰された。
勇者を宿す女性は彼女自身も聖剣を持ち上げられることを確認された後、それを携えて王宮へと向かう事を申し渡され、いまだ信じられないといった顔で、それでも命令に従ったのだ。
剣は王宮へと戻った。
勇者の母はそのまま王都で過ごすよう言われ、父も呼び寄せられ、生まれてくるその子は特別に王家がその教育費用一切を出して王都で育てることが許されることとなる。
全ての問題はこれにて解決されてしまい、ジーニスの発言権は更に増し、王家の悩みのタネは一つ減ってまた一つがやや重みを増す事となったわけだが、これはまた別の話である。
「さて……聖剣がまた使えるようになったわけだけど……どうかな、カエデ君」
グレイは隣に控える黒髪の女性へと声をかける。
彼女はしばし沈黙した後、それに答えていた。
「聖剣が発動する異界封印剣、その解析については……あと少しといったところです」
あとは、何度か実際にそれが発動する所を見さえすれば、本当に戻ってくるゲートを開くことも可能だろうと、そうカエデは言う。
「そうか。それなら、楽しみだな……」
グレイはそう言って笑っていた。




