月神の短編分岐集
――ズギャッ
右の拳を真っ直ぐ上に突き上げるシェルディア。
その後ろではプレディケが、錐揉み回転しながら落ちてきて地面へと叩きつけられる。
プレディケの上にふぁさりと投げられるなぞのタオル。
そしてシェルディアは空中からマイクを掴み取り、宣言する。
「月神がマットに沈んでしまったので今回は月神のシナリオはなし!」
だがプレディケはシェルディアが歓声を浴びている間にこっそりとリングを這い出し、逃げ出していた。
「ふふ……ちょっとした分岐はあるんじゃよ、ちょっとした、の」
[ガイムさんがニーアの加速砲の露と消えなかった場合]
「……貴様の欠点は、その過小評価だな」
退屈そうに窓辺に座りながら、自分の細い顎を撫でていたカーラがそう呟く。
ガイムはしばらくの間、彼女が何を言っているのかわからず怪訝そうな顔をしていた。
自分に向けられた言葉だというのは明らかだ。
クレフはアーベルの店へ行っているし、スゥもそちらで仕事をしていた。
「さっきから貴様が話していることは、要約してしまえば全て『このような馬鹿が居た』で済むことばかりだ」
カーラはそう続け、ガイムもようやく自分が言われた事を理解していた。
「世界には自分より愚かな者しかいない。そう思っているのだろう?」
「……そんなことか」
ガイムはそう返していた。そんなことは、耳にたこが出来るくらい聞かされたことだ。
お前は自分を過信している、過大評価だ、妄想だとまで。
その度に俺はそうでない事を示してきたのだ、とガイムは笑う。
俺の自分への評価が正当であり、他人への評価もまた正当であると証明してきた。
「なるほど、貴様は確かに優秀なのだろう」
カーラはそう言う。ガイムにとってはこちらの方も聞き飽きたことだった。
もう少し他人のことを考えられないのか。
全員がそう出来るわけでもない。無駄に敵を作るな、などと。
その度にガイムは言い返してきた。付き合う人間くらい自分で選ぶ、と。
無能が去ろうが俺をうらもうが、そんなものがどうした。やつらがこの俺に何を出来る。
「だが……貴様は他人を見切るのがはやすぎるな」
「む……」
ガイムは唸っていた。こう言われるのは初めてだ。
「というか、他人を見た瞬間そう思っているだろう。取るに足らぬと。よって過小評価だ」
「それが、どうしたのだ」
ガイムの反応を見てカーラは微笑する。そして続けた。
何かおもった事があってもそれを言わない。
自分の言った事に納得出来ないでいる相手にそれを説明しない。
期待する事をしてくれない相手にそれをたのまない。
出来る筈だと思ってやらせた事、それを出来ない相手をたすけない。
全て意味がないからだ。したところで、次からはそれをしなくて良いとも思えぬ。
「分かるぞ、私もそうだったからな。しかし……それでうまく行くのは一人か二人の時だけだ」
ほんらい他を統率するという事が出来ぬ人間。だがそれは認められまい。
むしろ率先してそう振る舞い、めちゃくちゃにするのだ。何もかもを。
「お前が認められるのはお前の想像を越える者だけだ。しかしお前が許せるのはお前の想定におさまる者だけだ。自分以外の全てが愚者なのだから」
だから常に苛立ちを抱え、その先には常に破滅がある。
「ち……」
ガイムは苦々しくカーラを見た。しかし、ふっと笑う。
「俺の想像を越える者だと? 今までにそんなものが居たかな」
だが、カーラはガイムのこたえに笑ってみせる。
「貴様、奴一人を侮って負けたのだろうが。たかが魔族の女一人と。奴のほうは、貴様こそ最大の脅威であるとひと目で見抜いたと言うのにな」
これを持ち出されては何も言えなかった。
彼以外皆殺しになったのは伏兵が居たためだが、それがなくとも一人を殺され、一人の戦意を挫かれ、ああなるのは時間の問題だったろう。
というかパメラが出て来た時点で他にも居ると思わなかったのは不覚としか言いようがない。
魔族に対する感覚というものは、主に教会か学校の教育によって仕込まれる。
教会側が教えるものは、魔族は穢らわしいものということであり。
学校側が教えるものは、魔族は劣ったものということであった。
一般的には前者。
平民にあたえる必要最低限の教育というものは、教会が担っている。
べつに善意からではない。神官たちが行う説法を理解させるためだ。
また貴族たちの教育は、貴族社会に慣れた家庭教師などを雇って各貴族家で行われる。よって財力や地位などによって教育レベルはほぼ固定されていた。
さいごに学校だが、これは魔術学校を示す。これまで述べた通り、他に学校を必要とする者は居ないからだ。
魔術師は基本的に魔族を、それも魔族の女を見下してかかるものであった。
まあ、ガイムなどは、相手がたとえ獣であってもひとが素手では勝てまいが、などと思ってはいたが。
「ならば、どうすればいいというのだ。お前はどうしたというのだ」
カーラは当たり前の事を聞くな、というようにこたえていた。
「ひとを見下すのをやめろ。仲間と呼べるものを作れ。相手に話をし、相手の話を聞け。私は最初から特別な事は何も言っていないし、この言葉も受け売りだがな」
結局のところこんなものは、自分に受け入れる気があるかどうかだ。
だから何度聞かされても良かろう、とカーラは言っていた。
「以前に言われた事があるなら、その時と心持ちが違っていれば良いな」
カーラはそう言ってひとつあくびをし、再び窓の外へと視線を向けた。
[邪神どものコメント]
「……この設定解説って、本編でだすべきだったものじゃないの」
「まぁのぅ。じゃが西門でこやつとばったり会って、別れて、エピローグまで登場せずこれって、あれじゃろ。テンポも悪くなるし説教臭いばかりじゃろ?」
「ぎせいになったのだ」
[真祖とか聖銃とかそんなものなかった場合]
「ディーネっ!」
デコイはヴァンパイアロードの腹から引き抜いた銀の太矢をディーネへと投げる。
しかし、思わぬ場所からの一撃に逆上したロードは腕を振り抜き、デコイの腹を貫いていた。
「デコイさん!」
眼の前の光景に愕然としつつ、しかしディーネの身体はマシンのように正確に動いた。
身に染み付いた吸血鬼狩人としての本能が、太矢を受け取りボウガンに装填し、ロードへと放つ。
眉間へとそれを撃ち込まれたロードは顔を押さえながら蒸気に包まれ、やがて動かなくなる。
「う……」
アーベルは咄嗟に治癒術を紡ぐ。だが――。
以前カーラが致命傷を受けた時とは違う。失血による緩やかな死ではなく、これは。
たとえ復元であってもその生命を繋ぎ止めることは叶わないと思えた。
「デコイさん……」
ディーネは崩れ落ちるデコイの身体を抱きとめる。その顔を夥しい血がまだらに染めた。
死に瀕したデコイの身体から、それを抱くディーネの腕の隙間から。
生命が流れ落ち、どこかへ消えていってしまうのを彼女ははっきりと感じとる。
いやだ、と思った。
わたしはこの人をなんとかしてあげたかったのに。
初めてその名乗りを聞いた時から。
自分をデコイなんて呼んで、使い潰そうとしているこの人をなんとかしたかったのに。
だから、彼女は。
それが彼にとって最も許容し難いことであるとわかりながらも。
その首筋に牙を突き立てた。
再びデコイの意識がもどったと言うのに。
ディーネは叱られるのを待つ子供のような表情でその前に座っていた。
デコイは自分の身体を見下ろし、ディーネの顔をすこしだけ見て。
そのまま、無言のままにそこで俯いていた。
「……治療法を、探しに行こうと思うんです」
数日後、街の西門前でディーネはそう言っていた。
あれから、坑道から出たクレフ達を待つものは何も居なかった。
メーネの軍は再びまた気まぐれを起こし、その場を去ったのだろう。
街へと戻ってきたクレフ達は今後の事について話し合い、今日、こう決まったという訳だ。
吸血鬼となってしまっても、高位の神聖魔法ならばそれを解除することも出来る。
大抵の吸血鬼はそれを望まないか、そうしたところで本来ならばなっているべき乾いた死体へと戻るだけであるため殆どそんな事が行われることはないが、一応可能ではある。
だが、この世界では神聖魔法の使い手などというものはひどく少ない。
「今どこに居るかはわからないが……カトラン達の仲間には、メディア……神聖魔法の使い手が居る筈だ」
クレフはそう言っていた。
彼女が以前の旅で会った時のまま、10階位の神聖魔法を使えるのであれば、必ず。
デコイを人へと戻すことが出来るだろう。
また、そうでなくとも――とクレフは考えていた。もうひとりの、ニーアであれば。
だがニーアにそれを頼む場合、それはメーネ以上の気まぐれを期待しなければならないことであるとも思えたのだが。
竜のような力に竜のような心。彼女もまた竜であった。
「はい、必ず……探し出してみせます。デコイさんと一緒に」
ディーネはそう言って笑っていた。
吸血鬼となったデコイはあまり喋らない。若々しい姿ではあるが、どうも、デコイが持っていた独特の空気といったようなものが薄れてしまったようだとクレフは思っていた。
「それじゃあ……必ず、また会いましょうね」
ディーネは手を振り、そして街の外へと消えてゆく。
クレフ達はそれを見送っていた。
「……行ったな」
カーラが呟く。クレフはそれに、ああ、と返す。
「だが、結局契約の方は話も出来ずじまいだったな」
踵を返しながらのカーラの言葉に、そういえばと思い出す。
サリィへの借金返済はまた遠ざかりそうであった。
[邪神どものコメント]
「これはこれで」
「というか、初期案はこっちだったんじゃよな。まず真祖出していいのかって所からして」
「6でいっかい書いたのがつまらなかったからこうなった。でもどうかとおもう」
「ネタもオチも小道具も、全てがだいぶギリギリじゃしな。ギリギリアウトじゃし」
「どっちにしろ、どっかで見たかんじはかわらない。ついでにいえば『ここ』すらも」
[クレフの代わりにアーベルが"竜"狩りに出向いた場合]
「僕に任せてくれよ。これでも僕は……魔王だぜ?」
そう言って輿の中へと消えたアーベルは、二度ともどらなかった。
二時間ほどが過ぎた頃、使者をつとめた魔族から、他の者はもう帰って良いと言われたのだ。
アーベルだけをここに残してゆくわけにはいかない。
そう思いながらもクレフ達に出来ることなどなく、ただ言われた通り去るしかなかった。
「……カーラ」
歩きながら、クレフはカーラに声をかける。
アーベルならきっと大丈夫だ、何とかなる、戻ってくる。
そんな言葉をかけたかったが、何一つとして声にはならない。
「……いいのだ」
そんなクレフに、カーラは言っていた。
「対竜戦術の1だ。一人で竜を狩るべく向かった者は、決して帰って来ない。……分かっていた。だから、いいのだ。仕方がないのだ」
そして振り返らず進んでゆく。
クレフは、そんなカーラにもう、再び声をかけることも出来なかった。
[邪神どものコメント]
「のーこめんと」
「わらわも、ノーコメントで」




