14.蒼く、銀色のもの
ぞわり、と首筋に寒気が走る。
ディーネの顔が緊張にこわばり、魔術の光に照らされたその瞳は、やや赤みを増したように思う。
彼女でなくとも気付いていた。一瞬にして空気が変わったことに。
何か――何か、とても恐ろしいものが近寄りつつあるのだ。
「……まずい、気がしないかい?」
各種の探知魔術を用いながらアーベルは言っていた。
以前の失敗を踏まえ、壁の中や床下の反応まで捉えられるよう、その魔術選択は抜かり無い。
そしてそれらにいっさいの反応は無かった。それなのに。
いや、とアーベルは思う。それこそがおかしいじゃないか。
ついさっきまであれほど多くの吸血鬼達が次から次へと襲いかかって来ていたのに。
「妨害を受けてる? まさか、この僕が!?」
にわかには信じる事が出来ない。
魔術選択によって対象外とした場所や相手を見落とす事があっても。
自分が捉えようと思ったものを真っ向から対抗して覆い隠されるなど。
悪魔の対魔術迷彩くらいでしかされた事はない。
霊的存在としてそれより数段落ちる吸血鬼ごときに、そんなことが。
「言った筈です、彼は――太古の魔術師だって!」
ディーネがそう叫ぶ。そうだ。
彼は吸血鬼である以前に魔術師。それも超級の。
黒き民の、それも魔王であったアーベルが力負けするという事は考えがたいが。
それに互することはありうるかもしれない。
魔術はかけるより防ぐ方が強いのだから。
そして連中はやって来た。
残る戦力すべてを、ここへ投入するかのように。
「くそぉっ!」
加粒子槍を乱射するアーベル。
クレフもその横に並び、加粒子槍を放つ。
キャットウォークから飛び降りてくる吸血鬼を釣瓶撃ちにする二人だが、数が多すぎる。
着地に成功したもの、べつの入り口から迫るものをカーラとスゥが迎え撃った。
次々と斬り伏せられてゆく吸血鬼達。
その身体から上がる蒸気が部屋の中には立ち込める。
ディーネは腰の後ろから金属製の小瓶を幾つか引き抜いていた。
それを纏めて投げ上げ、引き抜いた細剣によって一息に断つ。
小瓶の内部からぶちまけられた水銀が辺りに散らばり、殺到する吸血鬼達の足を焼く。
「デコイさん! デコイさん、まだ無事ですか!」
「ああ、何とかなっ!」
叫び返したデコイだが、こちらも必死だった。
彼に吸血鬼に対する攻め手というものは、もう残り少なくなった銀の矢しかない。
接近されてしまえば最後だ。
何とか援護を受けられる位置に回り込み短弓に矢をつがえるが、出来る事は殆どなかった。
本職の吸血鬼狩人と黒き民。その戦闘に介入することなど並の人間には出来ない。
ならば、と。魔術を撃ち続けているクレフとアーベルの方へとデコイは進もうとする。
あそこならば自分でもまだ出来ることはある、と。
だが。
それを見透かしていたかのように、横合いから伸びた手によって彼の襟首は掴まれていた。
「……終わった……」
ラッシュを捌き切り、一息を吐くクレフ達。
しかし、蒸気が晴れる中で辺りを見回していたディーネが、悲鳴のような声をあげる。
「デコイさんが……いません!」
彼の姿はどこにもなかった。
蒸気となって消え、纏っていた鎧をその場に残す吸血鬼達の残骸。
転がるリビングデッドの死体。
その陰といったどこを探しても、彼の姿を、その死体さえも見つける事は出来なかった。
「……混乱の中ではぐれたか」
カーラはそう言うが、納得しがたい部分が大きい。
彼ならば、戦いが終わったならすぐに姿を現すだろうと思えたからだ。
「トラップに引っかかって分断されたってことも考えられるよね」
アーベルはそう言っていた。
彼の盗賊――いやレンジャーか? のカンといったものはこれまでで見て来た通り信用出来るものだが、あれだけの蒸気が立ち込める中、それがきちんと働いてくれたとも思えない。
「ともかく……彼が死んだのではなく、居なくなったというのであれば」
先に進むしかないだろうとスゥは言っていた。
吸血鬼達の戦力は、数えてはいないがもうあらかたを片付けた筈だ。
その残り僅かな敵が相手ならば、彼ならば問題なく生き残るだろうと思える。
そして。
あまり考えたくはなく、これまで誰も意図して口には出さなかったこと。
彼が囚われものになったのであれば、一刻も早く先へと進まなければならないのだ。
「……わかってます」
ディーネは、彼女にしては珍しく、覚悟しきれないような、そんな表情で言っていた。
「進みましょう。そして……デコイさんを連れて帰る」
そう言ったディーネを、クレフは何か。
元から背の低い彼女が、もうひと回り小さくなってしまったような。
そんな感覚で見つめていた。
何も居ない。気配すら無い道を進んでゆく。
そこから天守まではすぐであった。細い階段を登ってゆけば、それで着く。
王の間。玉座の間としては比較的狭く思える岩石の城の、その天辺で。
クレフ達は待ち構えるその男と対峙していた。
「……あなたが、吸血鬼達の……祖」
そう言うディーネに彼はこたえる。溜息を吐くようにして。
「そうだ。そういう風に呼ばれている」
彼からは大したプレッシャーを感じることもなかった。
彼自身がそう振る舞おうとしてはいなかった。
自然に、ただそこに在った。
「名乗りは……別に要るまいな。お前達もとくに、興味があることでもなかろう」
彼はそう言って笑う。
「私は吸血鬼だ。ただの、吸血鬼だ。私以外にも吸血鬼が居るということをむしろ不思議に思う」
ほんとうの意味では、自分ひとりしか吸血鬼は居ないのだと。
その最初から、最後まで。彼はそう言って笑っていた。
「さて。そんな事を言っておいてなんだと思われるかもしれないが……」
彼は少しばかり目を細めていた。
おもしろがるようにしてディーネを見る。
「お前からは同族の匂いがするな、娘」
「……ッ!」
ディーネの顔が憎しみに歪んだ。
だが、その表情はむしろ、泣き出す直前のように思えた。
「混ざり者か。……不思議なものだ。お前達は……どのような経緯で生まれようと、いつも、其処に居るな。そちら側に。ひととして、私を憎む側へと」
クレフ達は呆然とそれを聞いていた。
そう。吸血鬼にはただのアンデッドとは明確に異なる点がある。
彼らは子をなすことが出来る。それは、相手がひとであっても。
完全に異種の生命でありながら人であり、それら両者の子は混血を作り上げる。
半吸血鬼……ダンピール。
「驚いているな。聞かされなかったのか。言っていなかったのか」
彼は哀れむように笑った。
「白き民と、黒き民、その両者を偏見なく受け入れたようであって、逆に。彼らが自分というものを本当に受け入れられるのかという事については疑わしかったのかな。宿命にあやつられる、呪われた子よ」
「黙れェ!!」
ディーネは叫んでいた。その瞳が今度は、見間違いとは思えぬほどに紅く輝く。
そして、彼女は腰の後ろに手をやっていた。
そこに括り付けられていた鞭をその場に捨てて。今、腰の後ろには何もない。
だが、彼女の手は何かを掴み取っていた。それを彼へと向ける。
青みがかった銀の輝き。神造合金製の銃身を持つ自動式拳銃。
妖精銀で出来たグリップは、小さなディーネの手に吸い付くようにおさまっている。
7発の銀弾を装填できる、シンプルな金属の塊――聖銃。
何も出来ず、何も言えずにそれを見つめ続けるクレフ達の前で、彼は笑った。
「ああ、だろうな。持っているだろうと思った。して……娘よ。それは、あと何発残っている?」