10.書き割りの村
メーネは大きな輿の中に居る。
彼女は眠っていた。少しでも眠気があるのであれば眠ることにしていた。
それが一番なにもせず、なにも考えず済むことだからだ。
極力何も見ない。意識をてばなすことが出来るのであればそうする。
意識がある間は、何か一つ集中出来るものにそれを傾ける。
それがメーネの覚えた竜の心との付き合い方である。
配下であるとはいえ常に下剋上を狙っている者達の中でそう出来るのは、メーネを倒す事は、彼らには寝込みを襲ってすら不可能であるからだった。
龍鱗の義足が備える自動反撃機能は、そこらの古竜が持つものなどよりもはるかに強力である。
寝ている彼女に刃を振り下ろしたが最後、展開する龍鱗によってその者は細切れになる。
いや、ほんとうにこの呪いが彼女を古竜と化すものであったとしたら。
彼女を殺すことが出来たとして、彼女がそれで滅びるのかどうかというのは怪しいものだったが。
彼女が寝ている間に何かがあったとしても、いちいち報告しなくて良いとも言っていた。
誰かに目覚めさせられてしまったとしたら、彼女は高確率でそれを殺してしまうからだ。
どうしようもない事が起きたとしたら、自分の輿を置いて逃げてしまっても良いとすら言っていた。
よって、彼女の配下であることは概ね、彼らに不満なく受け止められていた。
たまの遊びに付き合う以外はほぼ自由。
時折の事故によって死ぬ者が出る以外、前評判ほどの恐ろしさは彼女にはない。
彼女は必死でそれを抑制しようとしているのもわかった。
手に入れたものにもはや興味のないグランゾ。
現人神であろうとするノエニム。
期待を映す鏡、英雄であるツヴェルケル。
大魔王4者の中で最もめちゃくちゃでありながら、メーネは忠誠といったものを向けられることについては上位と言えたかもしれなかった。
寝ているメーネを抱えた彼女の軍勢はクレフ達に気付きながらも回避に動く。
もし戦闘の騒音によって彼女を起こしてしまい、機嫌の悪いメーネが出てきてしまったら、その被害は彼らにも及ぶからだ。
自然に起きてくれることが望ましい。
その後は適当な者を捕まえ、また輿の中に引きこもってくれるのが最良である。
こちらから声をかけることもない。ただ整然と進み、その進路をわずかに変える。
クレフ側に戦意がなく、こちらの意図を受けて逆へ動いてくれるのには、まあこれだけの軍勢を見れば当然のことだろうと考えるのでべつに感謝するでもないが。
だが鉱山へと向かうクレイゴーレムだけはそのまま直進していた。
クレフ達が大きく迂回路を取ったため、メーネの配下達も安心してしまっていた。
その中でただ一つ直進してくる者がいるとは思わなかった。
不覚である。良く見ればそれが見慣れたクレイゴーレムであると気付いたのに。
列へと飛び込むのが避けられない距離となってようやく彼らは気付いていた。
それでも大声をあげて伝える事は出来ない。
何とか周囲へと小声や身振りで伝えて道を開けようとするだけだ。
城の一室をそのまま持ってきたような大きな輿を支える者達は、それに気付きながらもどうすることも出来なかった。
輿が大きく傾ぐ。
支える者の一部は、中で何かが転げ落ちる音がするのをぞっとしながら聞いていた。
そして、しばらくの後。
ひどく機嫌の悪そうなメーネが輿から顔を出す。
悲鳴を上げながら輿から離れる配下達。
――鬱陶しい。と思ってしまえばもう止められなかった。龍鱗の義足が地面へと叩きつけられる。
すさまじい土煙が上がり、小石と粘土質の土が辺りにぶちまけられた。
またやってしまった、と思いながらメーネはそれを見下ろしている。
身体まで竜に変わらなかった事は、メーネを竜よりも危険なものに変えていた。
あらゆる攻撃行動に対しそれなりな準備動作を必要とする竜に対し、メーネは一瞬だからだ。
それでも、誰も死人が出なかったのは幸運だった。
彼女の中にはそれが配下であるという意識があったし、この荒野は基本的に平坦ではあるが、場所によっては岩場のような地形もあり、このくらいの事は起きるだろうと思っていたためでもある。
それでもこんな事をしてしまうのが、竜の心というやつのどうしようもなさだったが。
「何があった、説明せよ」
メーネはそう告げる。いつもの甘い声ではない事に顔面を蒼白とさせながら、配下の一人が輿が傾ぐにいたった経緯を説明する。
「そうか……」
メーネは遠い採掘拠点に向かって逃げてゆくクレフ達を見る。
追いかけるのは面倒だ、と思うことが出来た。
傷を負っている配下達をそのままにしておく事も出来ない、といった思考もあった。
メーネは一度目を瞑り、そしてまた開くと、配下へと告げた。
「あんな場所にそう長くはとどまらないでしょう。あれが戻ってきたら呼びなさい」
それまでは待機と告げ、輿の中へと戻ろうとする。
と、思いついたように彼女は、先程自分へと説明を行った配下の腕を掴んでいた。
「それまでの伽はおまえ。私はもう起きてしまったのだから。また妙な事を考えないように……ね」
デコイは採掘場の中で数人に話を聞き、今は宿舎らしき場所へと腰を落ち着けている。
ある程度の結論は出ていた。ここは――書き割りの村であると。
内部で食料生産を行っているようには見えない。
魔族が街から送ってくる食料のみ、しかも必ず届くわけでもないものにそれを頼っているというのに、住人に焦りがない。
こんな、50人からの人間がいきなり入ろうとしたら難色を示すのが当たり前だろう。
次に、元の世界とこちらでは時間の流れが違うというもの。
そんな、幾ら自分達に帰るべき場所や待っている者が居ないとは言っても、あちらでは10倍の速さで時間が過ぎていくという事を重大事ではないと思える人間ばかりでもないだろう。
異界探索の報酬もある。もどる機会があるなら戻ろうとして当然。
あの化物二人の決戦があったとしても、未練がましく門から外を眺めている人間の一人や二人とはすれ違っていいはずだった。
「あの衛兵に言われた街……そっちへ行こうとすりゃ、多分もっと分かりやすく状況は動いたんだろうが」
試す気にはなれなかった。自分は英雄でも勇者でもない。
罠にかかればあっさりと死ぬ、慎重に床を叩いて回避するしかない人間なのだ。
結論は出た。では次は原因についてだ。
こんな物が何故、なんのためにつくられたのか。
やしなうあてもないのに人間を歓迎し、すぐには仕掛けてこない。
配置されているのは自発的に協力しているか、不都合な事を考えないようにされている人間。
魔物が化けているような様子もない。
となると、こいつぁ――。
「なあ、ディーネよ。今いったい何処にいるのかわからねぇが……」
デコイはベッドの上で、壁にごつりと頭をぶつけていた。
「早く来てくれ。こいつは、俺の考えが間違ってなけりゃ、たぶんお前の専門分野だろ……?」