2.家具職人ザウロン
事務所の中には必要最低限のものしか置かれていない。
その必要最低限に、客用のソファとテーブル、ティーセットが含まれていたのをクレフは感謝していた。
「ようやく茶が出て来たのか?」
ソファに座り、足を組んで待っていた依頼人はクレフに向かって笑いかける。
「ええ、お待たせして申し訳ありませんね」
湯気の立つカップを勧めながら、クレフは相手の容姿を確認していた。
青い肌、黒い髪。顔の半分を仮面のような硬質化した皮膚に覆われ、そちらからのみ捻くれ曲がった角が生えるという、黒き民や悪魔族とはまた違ったタイプの魔族だ。
「いいや。昼時にやって来たのはこちらだからな、それ自体はいいさ。……だが誰も居なかったんなら出直す選択もあったんだけどな。そちらの女性が――」
言って、彼はカーラに向かって片手を振る。
「ずっとここに居ながら、こちらの事を完全に無視してくれたのでね。どうしたものかと困惑していた」
「……申し訳ありません」
クレフは今度こそ頭を下げる。
カーラはもうカーラだから仕方ないと思っていたのだが、居ない方がマシでは流石に困った。
何処か、別の場所に待機していて貰った方がいいのだろうか。
とはいえ、そう言って大人しく従ってくれるとも思えないのだが。
「まあ、いいさ。探偵って看板を見たんだが」
魔族の男性はそう続けていた。
「それは、主に人や物を探してくれる職業って事で良かったかな?」
「はい。依頼があれば調査や雑用なんかも引き受けますけどね、一応私が魔術師ですので、そういったものの捜索であればご期待通りの働きが出来るかと思います」
「なるほど。……失礼だが、ただの人であるように見えるな?」
言われて、どきりとした。
ただの人。そうだよなあ、この言葉でずっと就職を断られてきたんだよな。
しかしこうなればもう開き直る他あるまい。ここはクレフの事務所なのだ。
「はい。見ての通り、正真正銘ただの人間です」
魔族の男性はそれを聞いてうなずき、続いてカーラへと視線を向ける。
「人間の魔術師ね。だが、護身程度の戦闘力はあるか。……分かった、詳細を話そう」
見た目によらず話の分かる相手で良かったと、クレフは内心胸を撫で下ろしていた。
「探して欲しいのは俺の部下だ。こちらへ来たのはもう4~5年前になるだろう」
ザウロンと名乗った男は、そう語り始める。
「改めて冷静に考えてみれば、俺はあまり――どころじゃないな。指揮官としちゃ酷いもんだった。好きなようにやり、後のことはみんな連中に任せてた。そして、負けが込む中で最後まで離反せずに付いて来たのがあんたらに探してもらいたい、ソイツって訳さ」
ふん、とカーラが鼻息を漏らす。
「今までずっとそれを探していたのか。それとも今更ふと懐かしくなったのか?」
唐突に口を開いたカーラに、ザウロンはおっと、と声をあげていた。
「想像してたより低いが魅力的な声だな。……後者だよ、部下の事なんざこっちへ来てからも気にしちゃいなかった。誰にも言っていなかったが家具作りが趣味でね。封印ってのを受け入れた後は開き直って趣味に没頭するしかねぇって。今じゃそれなりに名が売れてる」
「なるほど。僅かばかり金を余らせ、ふとここの看板が目に入ったと言うわけだ」
「言うねぇ……だがまぁそんな所さ。そういやアイツは一体どこで何をしてるんだって、ここの看板を見て不意に思い出したのさ」
どうやら嘘や冷やかしの類では無さそうだ、とでも言うようにカーラは頷いてみせていた。
「しかし、家具職人などそんなに儲かるものか?」
「なかなかにね。俺達はどうも……無意味な調度品に無駄に高額な値札が付いているのを見てにやつくのを趣味としているような、そんなような所がある。あんたにも覚えがあるんじゃないかと思うんだが」
「いいや、さっぱりわからん」
斬り捨てられて、ザウロンは苦笑していた。
「そうなのか、意外だな。てっきり高級品しか傍に置かないタイプだと思っていたんだが」
「もしそうならば、こんな者を傍に置いている筈がなかろう」
隣に居るクレフを顎で示すカーラ。暫くの間、ザウロンは言葉を失う。
「……違いないね」
クレフが苦笑してこたえると、ザウロンは羨ましそうな笑みを浮かべながら肩をすくめたのだった。
「さて、だいぶ話が逸れたな。さっき言われた通り、俺はこれまでアイツを探しては来なかった。だからもしかしたら、ソイツはうちの斜向かいに住んでいて、毎日同じ食堂で背中合わせに飯を食ってる――そんな可能性も無いたぁ言えない。自分がそこまでぼんくらとは思いたかないがね。そんな感じで調査を頼みたい」
「ええ、街の中の近場も除外せず、と。わかりました。それでは……最後にその方の名前と、分かりやすい特徴などがあれば、何か」
クレフがそう言うと、ザウロンは本来最初に告げておくべきだったな、と言って続けていた。
「そいつの名はカトラン。槍を使う、虎顔の獣人さ」
「ぬぅ……」
虎顔の獣人は長い髭を風にそよがせる。
「鼻の頭が乾いている。誰か、我の噂をしているようだ」
「……カトランさん。虎の獣人にそんな話、ありましたっけ? 私聞いたことがないんですけど」
隣に立つ、眼鏡をかけ軽装鎧を身に着けた黒き民の女性は呆れたように呟いていた。
「気にするなパメラ。場を和ませるための、ただの冗談だ」
言って、カトランはより深く岩場にその身を潜ませる。
「何しろ……我々は今、二大魔王対決の場に居るのだからな」
望遠の魔術を用い、更に念の為、透明化までかけてカトラン達が監視する先には、大量の兵達が向かい合っていた。
ここは封印街を出て北の荒野である。かつてこの地に君臨していた大魔王――魔王達の抗争に勝利し、異界の魔王をも配下に収めた者達はそう自称していた――グランゾは、クレフ達の手によって倒されている。
それにより空白となったこの地に、東西の大魔王がその支配領域の境界線を定めるべく進軍して来ていたのだ。なお、手薄になった南側は、やはり南の大魔王がじわじわと侵食しているらしい。
一つの線となって向かい合う兵達。
その間でたった二人、30メートルほどの距離を開けて対峙する『大魔王』。
その姿は小さく、とても大魔王という名には相応しくないようにも見えたが、周囲に居る者達すべてを今現在彼等が従えているのもまた事実であった。
「ゲッシュ殿、周囲の警戒は貴女にお願いしたい」
「カトラン? 偵察だったらあたしが行ってきてもいいんだけど」
カトランの指示に、銀髪をツーテールに纏めた黒き民の女性は不服げな声をあげる。
「分かっているレイリア。お前の斥候としての能力は信用しているが、今は探知術式を一つ飛ばされただけで危機となるのだ。ゲッシュ殿にやっていただいた方が危険が少ない」
「……承りました」
カトランにゲッシュと呼ばれた人族の女性が、パッシブでの探知結界を小さく周囲に張る。
恐らく盲目であり、顔の上半分を包帯で覆った彼女は決して自発的に動くことはなく、自身の望みを口にすることがなかった。それは食事の好みでさえも。
また、高位の魔術師であり同時に神官でもあると思われるゲッシュが何故、自分の眼を癒やさないのかは不明だった。誰もそれを問わない。
枷なのか――レイリアはそう思っていた。
また、そうまでして抑えねばならないおのれの心情とは、何なのか。
(いや知りたくもねえっすね。絶っ対! ろくでもない事に決まってるんすから……)
斥候兵として高い適性を持ちながら、だいたい大鎌を構えて突っ込んでしまう残念な子ではあったが、こういった物事に対する警戒心というものについては、レイリアはやはりずば抜けていた。