2.いつも通りの静かな街で
あれから、一月と少しが経っていた。
クレフとカーラが座るソファ、その真ん中にスゥが滑り込むようにして座る。
「……このソファは二人用だと思ったのだが?」
カーラが顔をしかめながら言うが、スゥは無言でそっぽを向いていた。
「きつい。それに、何やらぎしぎしと音がする。貴様……自分の体重を考えろ」
「102キロある人に言われたくはありません」
互いに相手を見ないまま、そんな事を言い合っている。地獄のような状況だった。
前回の旅を終えた頃からスゥはこんな感じになってしまった。
何やら、子供っぽくなってしまったような気がする。元々年齢的には子供なのだが。
それにしてもまあ、幼いような。
クレフ相手でなくとも良く笑い、クレフ絡みでなくとも良く怒る。
それも極端に凶暴なところを見せなくなったのは良かったのか、と思う。
要求や不満を述べる事も増えたし、自分自身で判断を下す事も増えた。
だが、今はちょっと、こんな事を微笑ましく思っている場合ではないのだ。
「いい加減状況を見ぬか。何故、我々がここに座っていると思う」
カーラが溜息を吐きながらそう告げる。
「目の前に依頼人が来ているのだぞ」
背の低い女性は、大きく咳払いをしてみせた。
とりあえずクレフは立ち上がり、ソファの隣に膝をついていた。
「すいません、話が進まなくて。では……依頼の内容をどうぞ」
「人を探して欲しいんです」
彼女はそう切り出していた。
改めてその容姿を観察する。灰色の髪、やや赤みがかった黒い眼。
身に纏う装備は一見しただけで吸血鬼狩人であるとわかる。
そして、最も重要な点だが、彼女は人間であると思えた。
この、魔王と魔王の側近だけが住まう封印街で、ただの人間。
「ここへ送られる時は一緒だった筈なのに、こちらに来た時にはもう居なくて」
ディーネと名乗った女性は、焦燥を滲ませた表情で言う。
「この街の中で目を覚ました私は、周囲を……狭い範囲ではありますが、探して。でも、見つけられなくて。……もうだいぶ時間が経ってしまっています」
「なるほど。……転送された時点で、既にはぐれていた可能性は」
「高いと思います。私に何も言わずに消えてしまう人ではありません」
クレフはうなずいていた。
自分がここへ送られた時の事は分からないが、ツヴェルケルとメディアの件がある。
転送先の、更にその座標とまでなると、毎回めちゃくちゃだろう。
この世界に送られるというそれだけではないかと思った。
「一つ、聞かせて貰おう。……貴様、白き民か?」
カーラが言っていた。ディーネはカーラを見返して、うなずく。
「その割に貴様あれだな、我等をあまり――そういった目で見ない」
魔族。忌まわしいもの。汚らわしいもの。
先程のクレフとスゥとのことを見れば、普通の白き民なら汚物を見るような目を向けるだろう。
だが、ディーネにはそのような所がない。
「それは、私の生き様が関係しているのでしょうね。私は吸血鬼狩人だから」
ディーネはそう言っていた。
吸血鬼と自分、それしか世界には居ない。
それ以外のものには、あまり関心を持って生きて来なかった。
白き民――人族と、黒き民――魔族との争いにしてもそうだ。興味がない。
自分とは関わり合いのないものだと思って来たから、偏見も仕入れることはなかった。
俺と似たようなものか、とクレフは思っていた。
「分かりました。事態は一刻を争うようだ。契約については後回しにし、早速動きましょう」
ディーネから聞いた特徴を元に探知魔術を使い、街を回る。
そのくらいしか出来ない状況ではあったが、本当にその男が街の中に居るのなら、これで見つけられる筈である。
けれど収穫は無かった。
共に街を回る中で、カーラはディーネに質問を送り続けている。
「そう、お前と一緒に飛ばされたのは……その男一人か?」
「いえ……私達は、魔王城の異界ダンジョンを探索するという依頼で集められました」
「……異界ダンジョン?」
「魔王城内に発見されたという異界への入り口です。魔王はそこから魔物たちを呼び出しており、私達冒険者は本格的な掃討の前に、そこを探索すべし、と……」
最後まで聞いている事が出来ずに、カーラは吹き出し、大笑いをしていた。
「な、何がおかしいんですか!?」
「……こ、これがおかしくない筈があるか。おい、お前。自分が今話している相手を誰だと思っている?」
「……誰、って……」
ディーネは困惑するばかりである。仕方のない事だ。分かる筈がない。
「ディーネさん……実はその人が、今回地上へ侵攻して来た黒き民の王――魔王なんだ」
クレフが言うと、ディーネはぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
「そう。その魔王から言わせて貰えばだ、お前……担がれたな。ここは確かに異界ではあるが、ここから何かを呼び出す事はおろか、戻ることさえも出来ん」
ここは牢。様々な世界から追い出された者だけが集う、封印街。
そのカーラの説明を、ディーネは冷静な表情で聞いていた。
「ふん、なるほど? こちらの方は、どうやら予想がついていたか」
「はい……送られる直前になって、そういった事ではないかと、思ってはいました」
「さてこれをどう見る? クレフ」
カーラの言葉にクレフはやや考え――るまでもなく概ね整理はついていたことだが。
こたえていた。
「前回のメディアの転送は失敗だった。あっちにはすぐにそれが分かったんだろうな。まあ、そりゃそうだ。装備が全部向こうに残ったままなら失敗だと明らかだ」
そして自分達の懐がいたまない兵、冒険者達を大量に送り込んできたと。
「だがそれだと、俺を殺せと命じられていないのがわからないが……」
クレフはディーネを見ていた。その顔に浮かんでいる困惑は自然なものだ。
申し訳ないとは思ったが、話がこういう事になった時点で魔術によって彼女の感情は読ませてもらっている。特に演技をしているような不自然さは無い。
「一部には告げられている、そういった所だろう。転送先の探索。その中にお前の抹殺を命じられた者が数名含まれている。どちらにとっても邪魔にはならぬし、後者にとって前者は利用出来る」
カーラはそう言い、再びディーネへと視線を向けた。
「では次の質問――というか確認だ。お前は一人で、この街で目を覚ました。そう言ったな?」
「は、はい……」
「我々が以前送られた状況とは異なる。クレフと私、そしてあやつ。三人一緒に送られた時には、我々は同じ場所に転送された。一人ずつ送ったのであればばらばらの場所に出る事もあろうが、同時に送られたのならすべて同じ場所に出る筈だ」
「……そうなのか?」
クレフはカーラに問い返していた。
その時クレフは死の淵にあったのだから、わからないことだ。
「そうだった。しかも、あのニーアの宿の前にな」
カーラは彼女にしては珍しく、皮肉げな笑みを口許へと刻む。
「ツヴェルケルが事務所のテーブルの上に送られてきたことなどから考えても、転送先はランダムに選ばれているわけではないのではないかと思うぞ。何らかの縁――あるいは、必要とする気持ちか? そのようなものに導かれるのではないか」
カーラの言葉を聞き、クレフはディーネに問いかけていた。
「そうだ。そういや、なんでまたうちの事務所に?」
「あ……はい。偶然通りかかった人に、あの人――デコイさんを見なかったか聞き、事情を話したんです。そうしたら、人探しをするのなら、あの事務所に行けばいい……と」
その人間の容姿を聞けば、すぐザウロンであると分かった。
客を紹介してくれたのかと嬉しくなると同時に、別のことを思う。
「確かに、都合が良すぎる」
「まあ、それ以外にも理由はあるのだがな」
とカーラは続けた。いつも通り静かな街をざっと見回し、クレフに言う。
「街が静か過ぎるだろう」
「……いつもと同じじゃないのか」
クレフが返すと、カーラは溜息を吐く。
「ふむ。平和過ぎてお前、少し鈍っているのではないか? 良く考えてもみろ、そんな大量の白き民がこちらへ送り込まれてきて、この街がこれだけ静かでいられると思うか?」
…………確かに、ありえない事だ。
「よって、街の外。どこか遠くに、ひとかたまりになって送られたのだろうよ。そしてこの女だけが、どういうわけかそこから弾き飛ばされた――と。そう考えるのが自然のなりゆきだ」
なるほど。
「カーラ、なかなかの名探偵じゃないか?」
そう言って褒めると、カーラは鼻で笑ってみせる。
「私の中に考えるだけのパーツが全て揃っていたというだけだ」
と、不意に何かに頬をつままれ、クレフはそちらを振り返る。
「……スゥ、いったい何をしてるんだ」
「会話に……全く入れないのが、寂しくて」
やはり、彼女は少し幼くなってしまったようだと、クレフは苦笑しながら思っていた。