1.盗賊デコイと吸血鬼狩人ディーネ
「ここが魔王城、ねぇ……」
光もささないような森を抜け、今は王国の旗が立ち並ぶ漆黒の砦へと入り。
デコイは周囲を見渡していた。思っていたほどおどろおどろしくはない。
いやまあ当たり前か、もう三年半も経っているのだ。
元がどんなに酷かろうと掃除の一つもしたろうよ、とデコイは思い直した。
駐留する兵たちが、他ならぬ自分たちのために。
しかし仮に、元からこれだけ綺麗だったのならば、もしかしたら城主は女性だったのか?
魔王が女――そんなはずもないか、とデコイは笑って首を振る。
兵たちに先導されながら松明の掲げられた通路を歩む。
ぞろぞろと付き従う冒険者たちはみな一様に、物珍しそうに辺りを見回していた。
中級以上の冒険者であることが条件であったため、彼らの装備は中々に良い。
と、その中で、何やら列を乱してこちらへ向かってくる者が居るのにデコイは気付いた。
背は低めのようで見えない。
押しのけられた冒険者たちの反応で、そういう者が居るとわかるだけだ。
列の前の方がいいってのか。せっかちなヤツも居るもんだね、とデコイは思って前を向き。
後ろから甲高い声で名前を呼ばれ、ぎょっと背後を振り向いていた。
「デコイさん、あなた、デコイさんじゃないですか?」
「んぁっ!? ……お前、ディーネか?」
見覚えのある灰色の髪、赤みがかった黒目。
以前一緒に働いたことのある女性が、彼を見上げていた。
玉座の間にて、神官の説明を適当に聞き流しながら小声で会話する。
「……なんだって、こんな所に」
「異界ダンジョンの探索。デコイさんと一緒でしょう?」
「いや、その理由についてだよ」
デコイも相手が彼女でなければこんな事は聞かない。彼女はすこし特殊だった。
腰の後ろに纏めた太い鞭。剣帯に吊った純銀の細剣。
太腿に括り付けた小型のボウガンと太矢の筒。
そして右手と胸部上面だけを鉄で覆った軽装の防刃装甲服。
相打ちとなっても眼前の敵を滅ぼす、吸血鬼狩人の見本というような装備だった。
「読んでなかったんですか? 魔族はこのダンジョンから魔物を呼んでたって」
確かにそんな文はあったが。
「ヴァンパイアが居る可能性があるなら、私は行かなきゃいけません」
「まぁ、なぁ……そう言われりゃわかるが」
デコイは唸るようにそう言っていた。
「しかし、良く俺の事なんて覚えてたな。一回依頼が一緒になっただけだろ?」
そんな事を口走ってようやく、自分の気持ちに気づく。
そうだ、あんまり知り合いに会いたくなかったんだ、今の俺は。
魔王城異界ダンジョン。
再び王国の管理下に入った魔王城を調べる中で発見された、隠された迷宮。
異界に存在するここは魔物の巣であり、魔王はここから魔物を呼ぶ事でおのれの軍勢を作り上げていたのだという。
依頼の内容は探索だ。内部の敵の殲滅ではなかった。
何があるか分からない場所に、情報もなく騎士団を入れたくはないのだろう。
探索ならば今の自分でも何とかなるのではないかと思った。多数の冒険者が一度に送られるというのも都合が良いことだ。
更に報酬である。
有益な情報を持ち帰れば爵位を与えられる事もある、というのは魅力だった。
領地はなくとも爵位か、あるいは何処かの衛士にでもなれれば。
冒険者でなくとも誰かの所有物にならなくて済むのだ。
そう都合が良くいくとは思えないが、どのみちこれを最後の仕事にするのも良いかと思った。
この結果次第であれば納得はゆくだろう。どう転ぼうとも。
だから、冒険者の知り合いにはあまり会いたくなかった。
「銀の太矢を一本、いつも持ち歩いてる盗賊なんて忘れるわけありませんよ」
ディーネはそう言って笑っていた。
「逆にデコイさん、良く私の事なんて覚えてましたね?」
「そりゃ、狩人同士でつるまずにソロで冒険者やってる吸血鬼狩人なんて相当目立つぜ?」
くすぐったさを誤魔化すようにそっぽを向いて頬を掻きながら、デコイはそう返す。
吸血鬼狩人は大抵、吸血鬼狩人だけで集まって行動する。
彼らは吸血鬼を狩るものだからだ。
吸血鬼との戦いとなれば命を惜しまずそれを滅ぼす。
生きていく以上金銭を必要とするが、それは目的ではなく敵を殺すための資金に過ぎない。
吸血鬼に対する深い恨みを持った者が多い、復讐者と宿命に導かれた者の群れである。
よって、ただの流れ者である冒険者とは相容れない。
自由を求める者と、否応なく破滅へ進んでゆく者が共に居られる筈がない。
たった一人の吸血鬼狩人、それはやはり異質であった。
また、それにどんな事情があるのか、デコイは聞けなかった。
だから、デコイは吸血鬼や狩人についてあまり知らない。そんな風に装っていた。
怖いから銀が手放せないんだ。それだけを言って。
眼前では神官の説明が続いていた。
そちらへとやや意識を移し、必要な情報だけは耳に入れる。
神官達が開くゲートを使わなければあちらとの行き来は出来ないこと。
このゲートを開くには大量の魔力を使うため、一月に一回に限られること。
その時僅かな時間だけ開くゲートに間に合わなければ戻れないこと。
全て事前に説明を受けたことだ。それを繰り返しているにすぎない。
「……でも、気を付けてくださいね、デコイさん」
ディーネはぽつりと、そう口を開いていた。
「何に、だ?」
「この冒険者たちの送り出しは確か、もう三回目になると思うんです。でも、私は誰も……戻ってきた人の話を聞かない」
「……そう、か? だが、そんなもんじゃないか? 戻るチャンスがこれで二度目なら」
「はい、30日間ですからね。すぐに戻ってこれるわけじゃない。戻るためにゲートが開く時間もとても短いらしいですし、無理のないことかもしれない」
そもそも、流れ者である冒険者同士の交流は乏しい。
冒険者ギルドを通じての依頼成否報告や調査依頼の結果などは広まるのが早いが、そうでない噂などについて流れるのはひどく遅い。
耳に入っていないだけ、という可能性が一番高かろう。
「けど、私はここに来て思ったんです、デコイさん」
真剣な表情でディーネは続けた。
「異界に入ってからじゃない、こここそが、もう死地であるような気がして、たまらないんです」
デコイは口を噤んでいた。
考えないようにしてはいたが、同じような事は彼も思っていた。
神官どもの胡散臭さがどうにも鼻につく。
自分でも信じていない事を語っているような気がする。
本当に連中は、帰りのゲートで誰かが帰ってくる事があると、思っているのだろうか。
と言っても背後の扉は兵によって厳重に固められ、もはや戻る事など出来ないのだが。
「では、ゲートを開きますぞ」
大勢の神官たちはそう言って、床に落ちた剣を囲んで祈り始めた。
「ふん……雑魚どもが阿呆面を下げて」
冒険者達の後方、転送範囲ぎりぎりに入る場所で集まる4人の冒険者達。
彼らはひときわ良い装備に身を包んでいた。この中でも最上位の冒険者だ。
「異界探索、せいぜい頑張ってくれというものだ。我等の露払いをな」
魔術師風の男はそう続ける。魔術を用い、仲間内にしか声が通らないようにしていた。
「ガイム、声は届いてなくてもその顔はやめて。流石に怪しまれるわ」
剣士風の女が言っていた。ガイムと呼ばれた男は短い鼻息を漏らして応じる。
「あと、あんた達も別に仲間じゃないから。報酬は山分け出来ないものだしね」
「異端者クレフを討った者にはマイヤード領がそのまま貰える、か」
重戦士風の男がにやにやと笑みを浮かべた。
「領地の運営には興味がない、お前らにくれてやるさ。そこで遊ばせてもらえるならな?」
最後に神官風の男が告げて、彼らは雑談を切り上げる。
彼ら、一部の上位冒険者にだけは真実が教えられていた。
多少の真実と、残るは嘘だが。
勇者ではなく取り替え子の魔族娘を用いて魔王を討ったこと。
その後始末される筈であった魔族娘を連れ、異端者が異界へと逃げたこと。
やつを見つけ出し始末することがこの転送の目的であること。
自分たちもまた欺かれている事に気付かず、彼らは笑う。