月神のシナリオ
事務所へと帰ってきたクレフは、テーブルの上に何かが乗っているのに気付いた。
それは半分に割れた六面体。
上に向いている面には、片方は1つ、もう片方には6つの丸が刻まれている。
サイコロだった。
「こんな物、あったっけか……?」
クレフはそう言いながら、もう使えないだろうそれを捨てるべく手を伸ばす。
そして、意識を失った。
スゥの身体が地面へと倒れる。糸の切れた人形のように。
メディアの哄笑が響き渡る中、クレフはそれを呆然と見下ろしていた。
「……スゥ?」
彼女の身体に触れる。まだ温かい。どこにも外傷はない。
まるで眠っているかのようだ。
その目が薄く開かれている事を除けば、そうとしか見えなかった。
「……スゥ、目を開けたまま寝るとか、お前……そんな変な寝方、したっけ?」
起こしてやらなければならないだろう。
クレフはスゥの身体を揺り動かす。つい数時間前、野営で、彼女がしてくれたように。
その名を呼びながら。
周囲では笑いと、悲鳴と、怒号が飛び交っていた。
うるさいな、スゥが寝ているのに。
でも、これで起きてくれれば。早く起きて、くれればいいのに。
彼女の身体を抱き起こす。
ぐったりと力なく折れる首を支えて彼女の顔を見る。
半開きの口から垂れる涎。光を失った目。
そこで、クレフの中で何かが切れた。
「う、お――!」
未だに笑っているメディアに向かって手を伸ばす。
スゥに何が起きたのかは認めないまま、あれをそのままにしていてはいけないと思った。
加粒子槍が発射される。ありったけの魔力を注いで威力を高める。
威力だけだ。他には要らない。ひと一人を飲み込むだけの範囲があればいい。
メディアは反射的に神聖魔法で防御幕を張ったようだった。
鬱陶しい。さっさと割れろ。ニーアに比べればこいつの魔力量なんてしれている。
時間をかけるだけ無駄だ、こちらの魔力は途切れない。さっさと消えてなくなれ。
消し炭となったメディアにはもう何の興味もなく、スゥを見下ろす。
変わらない。さっきと何も変わらない。スゥは眠っているままだ。
背後に砂を踏む音がする。アーベルとカーラが近寄ってきていた。
クレフはそちらをぼんやりと振り返っていた。
「っ……!」
アーベルがクレフの腕の中にあるものを見て、頭を抱えた。
カーラはその表情を歪め、歯を食いしばり、顔を背けた。
どうして彼らがそんな顔をするのか分からない。いや、分かりたくない。
クレフとて理解はしているけれど、感情がそれを拒絶していた。
「ふ……ふ……」
誰か笑う者がいる。綺麗な声で、ひどく楽しげに。
クレフがそちらを見ると、黒いローブの女はくるくると回っていた。
その現実味のなさに頭がくらくらとしてくる。何なんだろう、これは。
泣くこともなく、怒ることもなく。
ただぼんやりとスゥを抱いているクレフを見下ろして、ニーアは笑っていた。
「あら……クレフさん、お困りのようですね?」
「あ、あ……。そう、だ。スゥが、眠って起きないんだよ」
クレフがそんな事を言うのを聞いて、アーベルは泣き出していた。
声を出しては泣かない。拳を握りしめ、唇を噛み締めてその頬を涙が伝う。
「あらあら……どうやら、まだ認めることが出来ていないのですね」
くすくすとニーアは笑った。クレフに近寄り、その耳元に顔を寄せる。
「その子は、死んでしまったのですよ」
「死んだ……? 冗談きついぜ、なあ? ……アーベル、カーラ」
二人とも答えない。アーベルが鼻をすする音が返されるだけだ。
「……彼女は……寝ているだけだ……ろ?」
疑問が浮かんでしまう。嫌だ、出て行け。それは違うから。
「そうですか……」
ニーアは残念そうに言っていた。
「では、わたくしがお手伝いすることは何もない、と。それでよろしいのですね?」
「待ってくれ!」
クレフは叫んでいた。心の中がちぐはぐになっていた。
ニーアが必要だという焦り、いや要らないという叫び。
だってスゥは寝ているだけだから。でもニーアを去らせてはいけない。
――を使えるのは、彼女だけなのだから。
そこでクレフの思考ははっきりとした。
「そうだ、蘇生だ! ニーア、あんたなら出来るんだろう!?」
「ええ、そうですね。出来ますとも。……そう来なくては、ね」
ニーアはくすくすと笑いながら言う。
アーベルはその時、これから何が起こるのか、全てが見えたような気がした。
それをやっちゃいけない、その一言がどうしても言えなかった。
誰もそんな事を聞いてはくれない、それがわかっていたから。
だから、その後の事をアーベルはただ眺めるしかなかった。
「まずはお願いですよね。どうすればいいか分かりますか?」
「あ、ああ! 頼む! お願いだ! スゥを生き返らせてくれ! 俺に出来る事なら何でもする! だから……頼む!」
「良く出来ました。では、次はわたくしに謝らなくてはいけませんね」
「え……?」
何だろう。俺は、何か彼女にしただろうか。だが選択肢はない。
「済まなかった……俺が悪かった……」
「どう悪かったと思っているのです?」
「う…………」
「何が悪いのかも分からないのに、謝ったのですか?」
「それは……済まない。不誠実だったと、思う」
「そして結局、わたくしにしたことについては特に覚えがない、と」
「…………」
「……そうですか」
「待ってくれ!!」
離れようとするニーアを呼び止める。必死で。
「他に、俺に出来る事はないのか?」
「そうですね……特には思い浮かびませんが」
そう言ってニーアはクレフの頬を撫でる。
顔を寄せ、唇を重ねて舌を絡める。
クレフは、今自分が何をしているのか分からなかった。
やがてニーアは笑い始める。声をあげて、腹を抱えて笑う。
まるで一生分を笑ったのではないかというほど笑って、彼女は言った。
「まあ、このくらいでいいでしょうね。満足しました」
「……それじゃあ、スゥを」
「はい」
ニーアはそう言って、にっこりと笑って。
「お断りします」
自分の頭に向けた彼女の手に魔法陣が浮かぶ。
飛散範囲を絞られた散弾針によって彼女の頭は爆ぜていた。
まるで花のように広がる血飛沫を、クレフは呆然と見ていた。
「う――っ、何なんだよ! 何なんだよ、お前っ! お前……何をしに出て来たんだよぉっ!」
アーベルが地面に拳を打ち付ける。
何故自分は止めなかったのか、何故自分は止められなかったのかを責めながら。
「行くぞ、クレフ」
カーラは呆然としているクレフの肩を掴み、そう言っていた。
クレフが一切反応しないのを見て、彼を肩へと担ぎ上げる。
「……アーベル、二人を燃やしておけ」
「え……?」
「スゥだけなら連れて戻れぬでもないが……恐らく、こいつにはそれも良くない」
「う……」
カーラに丸太のように担がれながら、クレフはスゥとニーアが燃えてゆくのを見ていた。
それから、クレフは事務所でずっとぼんやりとして過ごした。
依頼は失敗し、以降客が来る事もない。
一月が過ぎ、二月が過ぎ、それでも動かないクレフに何とか付き合っていたカーラも。
「お前には失望した」
と言って去っていった。
食事をすることも億劫で、今、力の入らない身体をベッドの上に横たえている。
昔にもこういったことがあったような気がした。
こうしていると今にも、足の上に誰かが突っ伏して寝始めるのではないか。
自分がずっと待っている誰かが、そんな気がしていた。
そして、何かの重みがクレフの上に乗る。
「ッ――!?」
跳ね起きるクレフ。その足の上に肘をついているのは、見知らぬ少女だ。
スゥに似ているようにも思う。
だが、その髪には強いウェーブがかかっており、その瞳は金と赤、左右で違うオッドアイだ。
「いやあ、とんでもない事になってしまったのぅ?」
どこかで聞いたような口調で、彼女は言っていた。
「わらわが誰であるかは、まあ知らんでもよかろ。今日はの、そなたに一度だけチャンスを与えるためにやって来たのじゃよ」
何の話だか分からない。チャンスだと、就職口でも持ってきてくれたのか。そんなものに興味もないが。
クレフに今チャンスを与えられる者が居るとしたら、神くらいのものだ。
「だから来てやったのじゃと言うに」
自分を神であると認めて少女は笑う。
「そなた、精霊騎士じゃろ? 精霊に最も愛された者じゃろ? その元締めの一つが、まあ死に際にくらいちょっくらサービスしてやってもいいじゃろうて」
「俺は……死ぬのか?」
クレフが問うと、少女は笑っていた。
「そなた、何日食っておらんかったか覚えとらんのか。あと数時間のうちには確実に、くたばるじゃろうな」
そうか、と。特にどうということもなく受け止める。
今深刻がらなければいけないことでも、どのみちない。
「何をしてくれるんだ」
「うむ。戻してやろう、好きな時間に。そこからやり直させてやろうではないか」
それならば、と。クレフは即答するように言っていた。
「スゥが死ぬ直前。俺が……彼女に抱き起こされた所だ」
クレフがそう言うと、少女はやや、顔をしかめる。
「ふむ……そなた本当に、それで良いのか?」
「ああ。もしかしたら、この旅自体が失敗だったのかもしれない。だが俺は、スゥさえ助けられればそれでいいんだ。そうすれば俺は、また始められるんだ」
そうか、と少女はうなずいた。
「それでそなたが後悔しないのであれば、そうしよう」
少女は立ち上がり、ゆっくりと部屋を出て、しばらくの時間が経った後。
クレフの周囲に見えている景色が歪んでいた。
「ッ……!」
「クレフ様?」
びくり、と身体を震わせたクレフに、スゥが何かあったのかというような顔を向ける。
ああ。スゥだ。生きている。ここにいる。
しかし今は、彼女の生存を喜んでいる場合じゃない。やらねばならない事がある。
クレフは掌に隠して魔法陣を展開すると、無影剣を抜いた。
すばやく投擲する。こちらの魔法陣が見えず、防御の意識すら無かったメディアが首に刃を突き立てられて即死する。
「な――いったい何をしたんだよ、クレフ!?」
魔力の見えるアーベルがいち早く気付き、悲鳴じみた声をあげた。
そうだ、たとえ不可視の刃であろうと、アーベルには見える。
「彼女は俺を殺そうとしていた」
それだけをクレフは答えた。結果的に以前は、庇ったスゥが犠牲になった訳だが。
アーベルやカーラの顔に浮かんでいたのは、それで納得して良いのだろうかという表情だ。
「カーラは分かっているだろう。俺が生きている限り、聖剣は使えないという事が。彼女は……それを解消するために、教会が送り込んだ刺客だ」
「……確かに、そうだな。私自身がそれを狙っていたのだからな」
カーラはそれを認めつつも、信じられないもののようにメディアの死体を見下ろす。
いや、クレフがこれほど迷いなく人を殺した事についてか。
だが……彼女なら、そんな事をそれほど長く考えはしないだろう。むしろ良い変化だと思ってくれるかもしれない。問題なのは、やはりスゥか。
スゥは、まるで知らない人間を見るような目でクレフを見ていた。
「悪いな、スゥ」
彼女を安心させる事は出来ない。
「もうひとり、ここには危険極まりない人物が居る」
そうだ、もうひとり。
「ふ……」
彼女は笑っていた。見えない目でクレフを見ていた。
包帯は外しているが傷を癒やしてはいない。
どういうつもりなのかと、クレフは警戒を深めた。
「素晴らしい変化ですね、クレフさん。まるで……一度死んできたような」
……全てを知っているかのような事を言う。
クレフが沈黙していても構わず、ニーア――いや、この姿ならばゲッシュと呼ぶべきか――は言葉を続ける。
「少し考えればわかること。あなたはまるで別人のように、あっさりと人を殺した」
そう、か? それほどのことか、と今のクレフは思う。
これまで戦いはして来た。とくに……敵を倒す事を忌避した覚えはない。
けれど、そうか。俺は、そもそも眼前の彼女を殺したくないと言い続けたのか。
アーベル、カーラ、そしてスゥの視線がクレフへと集まる。
ゲッシュの言葉を肯定しているかのように。
「それ以外にすべがないのならば、わかります。誰に頼る事も出来ない。誰に告げる事も出来ない。自分一人で、即座になさねばならない事であれば、あなたとて――そうならざるをえない」
そう。そうせざるを得なかった。
必死で、自分のやるべきこと以外を忘れるほかなかった。
「何があなたをそうまでさせたのです? 全てを見て――また、戻ってきたのでは?」
「それで……そうだとして、あんたはどうするんだ」
否定するのも面倒だと言うようにクレフは言っていた。
一つ一つ、確認させるように言うゲッシュの言葉がいちいち癇に障る。
「まだ、俺を殺そうとするのか」
ゲッシュははいと即答する。
「どうして?」
クレフは自分でもうんざりとしながら再び問う。
このような問答を行わねばならないのは、今のクレフにとっては彼女への情によるものではない。
もう殺せるものならば殺してしまいたかったのだ。そう出来れば最早憂いもない。
ただ、改宗した宗派の呪いに縛られ彼女を殺す事が出来ない――。
それを当然分かっているのだろう。ゲッシュは余裕をみせて応じる。
「理由は特にありません。ただ、あなたを殺したいから」
「では何をしても駄目か。代わりのものを捧げても駄目か。あんたは――魔力が欲しいんだろう。その力に俺がこの先なると言っても駄目か」
クレフは言い募った。
終わらせたい。彼女に殺される事を考え続ける日々を。
そのために彼女と縁を繋がねばならない、手を汚さねばならないとしても耐えられる。
スゥを、守れるのなら。
「クレフ……?」
流石にこれはアーベル達が困惑の声をあげたが、他に仕様もないだろう。
スゥ、は。彼女だけは、俺を分かってくれて――いないのか?
向けられるのは恐れるような眼差しだ。
クレフとスゥは、互いに愕然として相手を眺めた。
「誰も、誰かの代わりになることなど出来ない」
ぽつりと、ゲッシュが呟くように言った言葉が、二人の間に響いた。
「クレフさん、死んだのはあなたではないんでしょう?
あなたは――自分のために非情になれるひとではありませんからね」
続く言葉はクレフの胸を掻き毟った。
「そう考えれば、自然思い浮かぶのは一番近くにいたあなた」
ゲッシュのその言葉に、スゥの瞳にクレフを憐れむような色が宿った。
「そしてそれ以外の者にまで犠牲が出たとは思えない」
アーベルとカーラが、俯いていた。
自分たちは生き残りながら、このクレフの変質にいっさい関われなかったのかと、そう言うように。ゲッシュは見えない目でそれらを眺め、薄笑いを浮かべる。
「……その後クレフさんの前に現れるのはわたくしでしょうから……そんな時、わたくしがどうしようと思うのか、自分自身のことですから良くわかります」
ああ、やってくれたよお前は。
俺の心を粉々に砕いた。
だが、ゲッシュの独白じみた言葉は止まらない。
「あなたは、カーラさんでは満足出来なかったのですね」
嘲るように言われた言葉にはっとする。考えた事もなかったのだ。
あの後、事務所で腐る日々の中で、クレフの中にそもそもカーラは居なかった。
カーラは寂しげにクレフを見る。その瞳を、クレフはまともに見られない。
「いいえ、カーラさんに魅力がないというわけではないのです。今のわたくしには見えませんが、記憶にははっきりと焼き付いている……貴女は美しい方でした。これまでに見たこともないほどに」
ゲッシュの言葉が悪意を持った雪のように降る。
「自分で選んだのであれば、クレフさんは何の不満も抱くことはなかったでしょう」
そして彼女は自分の顔を――酷い火傷痕に覆われ、瞳を白く濁らせたおのれの顔を――両の掌でつつむようにして持ち、強調してみせた。
「あなたではなく他の、例えばわたくしのような者でも、自分で選んだのであればきっと納得出来る。……ねぇ?」
ぞくりと背筋に寒気が走る。
このために包帯を解き、このために未だ傷を癒やさないのかと、クレフは戦慄する。
化物め――心の中で彼はそうつぶやいた。
「けれど、選ばされたものにはひとは決して納得出来ない」
ゲッシュの眉が笑みを消して下げられた。
「選べなかったものをひとは決して忘れない」
否応なく手から離れてゆくもの。スゥの姿を。
クレフは今この瞬間も、ほんの近くの場所に見ている。
「絶望は決して消えない。ただその目先をほんの僅かばかりそらして、気を紛らわせるだけ」
そうだ。俺は今この瞬間も、救われていない。
「それ自体を癒やすことなど決して出来はしない」
だから、だから貴女は狂ったのか。
貴女は何を失ったのか。
貴女は何を失い――そして、代わりのものを選べずに狂気を嵌めるしかなかったのか。
「だから、わたくしはあなたの敵であることをやめることは出来ない」
クレフは理解してしまった。
自分が、他人を殺すしかない存在に堕ちてしまったから。
「わたくしはもうそういった存在だから」
俺もまた、もう、そういった存在だから。
クレフは静かにゲッシュの方へ向かって歩きだしていた。
そして無造作に、彼女の首に手をかける。
「血迷ったのですか?」
ゲッシュは笑っていた。自分の言葉がただクレフの怒りを呼んだだけと思ったのか。
しかし、クレフの中に怒りはなかった。
ただ、ただ、ひどく悲しく、そして虚しかった。
「あんたの言葉を聞いて、納得が出来たよ」
ゲッシュの表情が訝しげに変わる。クレフは続ける。
「……どうして、スゥを助ける事が出来たのに、俺の気持ちが一切晴れないのか」
スゥはそんなクレフを見ている。もう自分から失われてしまったものを見ている。
「彼女は……この、生きているスゥは、俺の……死んだスゥとは別のものなんだな」
「……クレフ、様」
泣いていた。スゥとクレフは泣いていた。
やり直した事に何の意味もなかった事に気付き、泣いていた。
何も還らない。何も変わらない。変わってしまった後の者が戻っても、何も。
「俺の気持ちはもう誰とも共有出来ない。誰とも分かりあえない。俺が変わってしまったから」
それでも戻ってきてしまった。この失敗すらも還らない。
「俺の気持ちを分かるのは、もう……ここにはお前しか居ない」
縋りたかった。
何でもいい、けれど、たった一つしか選べるものはなかった。
この場には友人が三人も居て、誰一人として選べるものはなかった。
いや、俺が選びたいと思えるものがなかった。
ただ一つの例外を、別にしては。
「だから、お前は俺のものになれ」
クレフは選び、そして長い沈黙の果てに、ゲッシュは答えていた。
「それならば……そういうことならば…………わたくしは、あなたに仕えましょう」
事務所の中でクレフはぼんやりと立ち尽くす。
今、何かひどく悲しい夢を見たような。そんな気がしていた。
夢の内容は思い出せない。
忘れてはいけないものだった気がして。
しかし思い出してはいけない、いや、知っていてはいけないものだという気がして。
魔術師としての感性が即座にそれを消去した。
扉が開く。カーラか、それとも新しい依頼人か。
クレフはそれを迎えるべく、戸口を振り返っていた。
やはり、鍵はあの獣人だった。
シェルディアは、テーブルの上で半分に割れたダイスを見下ろしている。
あそこで不自然に彼が生き残らなければ、これだけの事が起こっていた。
「わたしはハッピーエンドしか認めない。たかが運で人が躓くことを許さない」
「けれど、起きてしまった事は変えられない。
……あなたはそのままでいい。だけど、こちらの方は、わたしが連れてゆくわ」