1.やって来た依頼人
喫茶店の店内では、小柄な青年がカウンターに肘をついてクレフを迎えていた。
「……そっか、じゃあ昨日から営業開始か」
「ああ。なので、依頼が入ったらスゥを一週間ばかり借りる事になる」
クレフは申し訳無さそうにそう言っていた。
もしスゥに報せずカーラと二人で仕事に出かけたりなどした日には、クレフの身に惨劇が降りかかることは想像に難くない。青年――アーベルは苦笑しながらうなずいていた。
「まあ、仕方ないね。本人の気持ちがそうなら仕方ない。……痛いけどさ」
「やはり、人気があるのか?」
クレフは複雑な心境で聞いていた。
「そりゃもう。男性客はもう、結構な割合であの子目当てだよ。こんな普通の喫茶店で目当てってのも変な話だけどさ」
クレフにはわからなかった。普段のスゥは真面目ではあるが無愛想そのものなのだが。
アーベルは「そこがいいんじゃないかな」などと言っていたが、どうにも理解がしがたい。
「じゃあ、俺があまりここに顔を出すのはまずいのか?」
「んー……そこは大丈夫かな。どっちかって言うと、カーラがご執心ってことの方が広まってるから」
誤解を呼びそうな言い方だが、『そういった』意味ではない。
カーラは自分と同じ"ヒト"で、自分と互角以上に戦える相手を求めているだけだった。
スゥは剣だけなら数年で自分を超え得ると彼女は見ている。
「だから、それを前提として考えてるヒトが殆どさ。そうじゃないのは……カーラ曰く『ヤツの刃を鈍らせそうな連中』は、何故かいつの間にか居なくなってるしね」
それもどうなのか。
クレフはそう思ったが、流すだけに留めた。
「それにしても……探偵ねえ。この街で需要があるのかな」
アーベルの問いかけにクレフは苦笑する。
「カーラにも同じ事を言われたよ」
この華奢な青年は、その黒い肌と銀髪と、額の中央から突き出した一本の角がなければ、カーラと同じ種族だとは到底思えないだろう。
それだけではない、アーベルはカーラの兄なのだ。この街に居ることからもわかるように、カーラより64年も前に白き民の領土へと攻め入った先代の魔王でもあった。
クレフよりも若く見えながら、その齢は既に三桁を数える。
女性は大柄で身体能力に優れ、男性は小柄で魔法力に優れる黒き民。
その中でも王であった彼はクレフなど及びもつかない高位の魔術師だ。それが喫茶店の店主などをやっているのだから、凡庸というしかないクレフにとってこの世界は生きづらい。
「ところで彼女……スゥちゃんだけどさ」
アーベルは思い出したように話を戻していた。
「人として扱われていなかった割には、彼女凄い発音いいよね。貴族みたいだ」
「ああ、それはな……」
クレフは水をすすりながら、スゥと初めて会った時の事を思い出す。
その唇にはやや誇らしげな笑みが浮かんでいた。
スゥはチェンジリングである。
確実に白き民同士の子でありながら、黒き民として生まれてきてしまった突然変異。
白き民は黒き民を徹底して魔族として、人ではないモノとして扱っていたためその多くは生かされないが、一部の女性のみは労働力として利用されるケースがあった。
彼女はその中から、本来の勇者を見つけ出す事が出来なかった聖剣の管理人――王家によって、勇者の代わりとして選び出されたのだ。
魔族に魔族をぶつける。アーベルなどは馬鹿らしいと笑い飛ばした発想だが、彼等はそこまで追い詰められていたわけだ。
結局、信用出来る魔術師を求めて呼び出されたクレフが勇者であったと分かった際の王の表情は、苦虫を噛み潰したようなものであった。彼はそれを隠しすらしなかった。
「スゥには出発の前、一通りの戦闘訓練が行われる予定だったが。騎士団にはまともに彼女に戦いを教えられる人材が居なかったんだ。身体能力と反応速度だけでスゥは彼等を圧倒していた。まぁ、それ以上にスゥが振るう素人剣でうっかり撲殺される事を連中が恐れたってことの方が大きいんだろうが」
ならば何を教えたのかと言えば、そう、言葉だ。
「作戦が理解出来なくては話にならない。言葉が通じなくては使えない。なので、連中はそれまで牛馬と同じとして扱っていた彼女に、三ヶ月間みっちりと王宮基準での会話、戦術論、ついでに礼儀作法を教えることになったって訳さ」
無論、そんなことに貴族連中が耐えられる訳がなかったので、大半はクレフに押し付けられた。
「君にとっちゃ、まるで娘同然かい?」
アーベルはそう言って笑っていた。
領主の息子として働かずとも生活に困らず、齢30を数えるまで祖父の残した膨大な魔術書の解読のみに人生を費やしていたクレフは、白き民の中でも異端も異端だったのだ。
彼には黒き民を人ではないと見るような感覚は無い。
見た通りの人だろう、としか思えなかった。
「さて、言われた通り需要があるかも分からん。需要があったとしてもまだ知られてもいない、依頼人がやって来るなんて事は当分無いだろう」
クレフはそう言い、頭を下げた。
「だがツケで何か食わせてくれないか?」
「いいよ。貸したお金を数えられるってだけで今までよりはだいぶん気楽さ」
アーベルは笑いながらメニューを差し出してくる。
クレフも苦笑しつつ、それを受け取っていた。
「こっちもこの言葉がずっと言いたかった。試作品でいいから奢ってくれとか2日ごとに言うのも、スゥに奢ってもらうのも心苦しいわ恥ずかしいわでたまらなかったんだ」
腹を満たして事務所に戻れば、事務所の前には壁にもたれて立つカーラが居た。
彼女はクレフの姿を見るなり声をあげる。早くこちらへ来いとばかりに手招いてみせた。
「どうしたんだ?」
「客が来ている、クレフ」
客――と言われても思い浮かぶものがない。
誰なんだ、と問い返すとカーラは彼女にしては珍しく、困ったような表情を浮かべていた。
「この事務所への客、つまり……依頼人だ」