15.敗北
「先に言っておくが、俺に同じ術は二度効かない。命が惜しければ使うな」
無造作に歩みだしながらツヴェルケルは言っていた。
「ほら、何してんのさ」
アーベルに強く肩を小突かれ、クレフはようやく頭をはっきりとさせる。
「あ、ああ……」
「こっちもクレフに言っとかないとな。感謝とかしたら君から殴り倒すぜ?」
「……おう。頼りにしてるよ、アーベル」
アーベルはにやりと笑っていた。
「ああ。今回の僕はどうも役に立ててなさそうだからねえ、ここでいい所を見せるさ」
「しかし、参ったな。……以前出遭った魔導司祭も相当なもんだったが、今回はそれ以上に分からん。何をしてくるのか想像もつかない」
クレフはそう言っていた。魔導司祭とは、クレフとアーベルが話し合って作った二人だけの造語だ。敵を識別するための分類として作ったのだ。
あんなものと似た存在がまた現れるとは思いたくなかったが、念のために。
何より、ニーアの名を二人ともがあまり口に出したくなかったという事もある。
「俺がすること、出来ることはこれまでに見せた。他には無い。……ついでに言えば、俺に戦闘分類と呼ぶべき物も無い。強いて言えば、ドラゴンスレイヤーなどと呼ばれはしたが」
ツヴェルケルは律儀にそんな事を告げてくる。これもハンデのうちか。
「ドラゴンスレイヤー、古竜の単独討伐で与えられる称号か」
カーラが呟くように言う。
「古竜を、単独で? そんな事が可能なのか」
問うと、カーラは大したことでもないというように続けていた。
「できる。やらねばならない時はそうする。対竜戦術の1……最初の息吹を避ける段階で顎の龍水晶を狙撃する」
顎の竜水晶が制御している術式の中には息吹が含まれている。
よって息吹の準備中にそれを砕けば息吹は制御を失って暴走し、自爆に至るというわけだ。竜は大体死ぬが、それをやった者も確実に死ぬ諸刃の剣。素人にはお勧めできない。
「よって、基本的に死人に与えられる称号なのだがな?」
カーラはそう言うが、クレフは別のことが気になっていた。
「大体って……たまに生き残るのかよ」
改めて古竜とはとんでもない生き物だ。
「その生き残ってしまった時が問題なのだ。流石に損傷が大きいのですぐに死ぬのだが、それまでの間。パターン通りに攻略されなかった竜はひどく気分を害し、えげつない呪いを残してゆく」
辺りに百年単位で残る瘴気を撒き散らしたり、自然には考えられない感染速度と潜伏期間を持った死病を齎したりと効果はさまざまだが、その中で自分を殺した相手に向けられる呪いというものが幾つかある。
その場合――ひどいものが生まれるのだ。
「我々の王にも一人居たな? 8代――」
「ひぃっ!?」
寝かされたゲッシュの周囲を固めていたパメラが悲鳴をあげ、がたがたと震え始める。レイリアの方は驚いたような表情でそんなパメラを見上げていたが。どうやら、それにまつわる話をいくらか聞いた者には、名前を出してはいけないレベルで恐れられているようだ。
「って、待ってくれ。魔王に居るってことは、まさかここに居るのか?」
クレフはうんざりとしたような気持ちで聞いていた。カーラはそれに答える。
「いや……数百年前だからな。流石にもう没しているとは思うのだが、わからんな。生きていると言われて納得が出来るほどには訳の分からん存在だ」
さて、戦闘前の会話とは思えないほど脱線してしまったが、ツヴェルケルは笑みを浮かべてその会話を聞いていた。
「そうか、他にも居るのか……俺のような存在が」
そのひどいものが眼前に居るという事実に、あらためてクレフとアーベルの気持ちは暗くなった。しかし売ってしまった喧嘩を始まる前に逃げ出す訳にも行くまい。
「じゃあ、行くよ」
そう宣言して、アーベルは加粒子槍を放つ。
生成される光の槍はこれまでに見たことがないほど大きい。全力の発動だった。
それをただ腕を交差させるだけで受けるツヴェルケル。対魔法障壁すら張らない事に、撃ったアーベルの方が驚愕の顔をみせる。
「……これ一発で終わってくれると嬉しいんだけど」
だが、当然そんな事はなく、爆炎の中からツヴェルケルは歩みだす。
「冗談だろ? 障壁無しであんなもの受けたら、即死してなきゃおかしいって」
「神造合金の鎧の力……か?」
クレフはそう言っていた。精神感応物質であるオリハルコンは、鎧として用いられた場合使い手の意思に応じてその姿を変える。受ける攻撃に応じた形状へと変化するのだ。
これにより、オリハルコンを使用した防具はたとえ胸甲であっても通常の全身鎧より高い防御力と被覆率を誇る。だが――。
それだけとも思えなかった。あまりにも損害が少なすぎる。
「この!」
もう一度加粒子槍を撃つアーベル。だが、今度はツヴェルケルは防御姿勢すら取らない。
「二度使うなと言ったぞ?」
そう言って拳を構え、その拳には藍色の光が灯る。
「幻光拳――藍」
直撃する光の槍に身じろぎすらせず、打ち返されてくる凍気。全身を一瞬で冷却されまともに動くことも出来なくなりながら、クレフとアーベルは必死で魔術を紡いだ。
断熱の魔術が完成し、ようやく凍気が途切れる。それでも暫くの間痙攣するような吐息を漏らして、クレフとアーベルは愕然とツヴェルケルを眺める。
「効かないって……そのまんまの意味だっての?」
「どうやら、そうらしい。……タネが尽きるまで手を換えるしかない、か」
何故霊王があのような戦いをしていたのか。
クレフとアーベルはそれを噛みしめるかのように次々と使用する魔術を換える。
火炎、氷の槍、電撃、水弾、酸の雨から毒の霧まで。
それらすべてを受けてツヴェルケルはまだ立っていた。それ自体はいい。不死であることは最初から告げられていたことだ。クレフとアーベルが勝利するには、彼が痛みに屈すること。
いくら死なないと言っても傷が生み出す痛みには耐えられない。
全身が訴える痛みに彼が動けなくなった時が、クレフとアーベルの勝利だ。
だが。
「幻光拳――白紫」
ツヴェルケルが足元に撃ち込んだ拳は白い光を吹き上げ、彼の傷が癒やされてゆく。
「回復するなぁぁぁぁぁぁ!!」
思わずアーベルは叫んでいた。それは無い、それは無いだろう。
そして。
一時間に渡る死闘の果て、クレフとアーベルは大地に倒れていた。
魔力は未だ残っている。精霊騎士であるクレフに至っては魔力切れ自体存在しないに等しい。傷の回復も問題なく出来る。しかし――。
もはや、使える魔術が存在しない。
ありとあらゆる事を試した。石化や昏睡が効かないかとも思ってみた。だが、無駄だった。
立ち上がった所で出来る事がない。その事実が、彼らの戦意を奪っていた。
だが、それでもクレフはまだ立ち上がろうとする。
無影剣を片手に生み出し、ツヴェルケルの胸に振り下ろす。
「……それは、三度目だ」
悲しげなツヴェルケルの声が迎えていた。彼の胸に触れた無影剣は弾け、クレフを熱を伴った衝撃が襲って再び地面に跳ね飛ばしていた。
「終わった……」
ツヴェルケルの疲れたような声だけが、辺りに響く。