13.運命を分かつ場所
全速力で走りながらも、カトランは少しだけ迷っていた。
ゲッシュの意識を切るべきか、そうすべきでないか。
結局のところ決められないままに彼はゲッシュへと到達し、その後頭部と腹に優しく手を当てる。
「麻痺掌」
そのまま、倒れ込むゲッシュを抱いて、カトランは地面へと降ろした。
「何、をしたんだ?」
クレフの問いに、アーベルは目を細めながら返す。
「魔力を使ったのは見えた。体術に魔力を組み合わせた、魔術みたいなもんかな?」
「……俺の幻光剣と似たようなものか」
ツヴェルケルがそう言えば、ようやく納得出来たとばかりに全員がうなずく。
「ゲッシュ殿、あなたを説得することは不可能でしょう。あなた自身、自分を制御出来ているとは思えませぬし。ですが……あなたの目を見る限り、あなたはそうしようとしている。そう思える」
カトランは痺れたままのゲッシュを抱き上げると、カーラを振り向いていた。
「カーラ殿。申し訳ないが彼女を、その方が見えない所まで送って参ります」
「あ、ああ……」
カーラはそれだけしか口に出来なかった。
随分と自分は、この獣人を見誤っていたのだろうか。そんな風にすら思う。
「では」と言って岩場へと向かってゆくカトラン。
だがそこには――この場所には、居てはいけない者が、今存在していた。
「ほう」
黒に近い緑色の髪。緑の瞳。褐色の肌に開いた口が白い歯を見せて笑う。
「なかなか、面白い連中が揃っているではないか」
霊王ノエニムはクレフ達を見てそう言った。
ノエニムは精霊神達が元々居た世界と、ひどく近い場所から来た――いや、未だに居る。
この身体は器。幾らでも換えがきくもの。よって不死。
まあ、気に入っておるのでそうそう換える気はないがのう?
彼女は精霊神と似ているが、決定的に違う。魔力そのものである精霊神達とは違い、こうやって人間に寄生した状態で安定する寄生生物。
だがその望みは同じだ。他者の信仰を得て、他者から魔力を得ること。
だから大魔王を自称しては居るが、彼女は他の魔王をあまり生かさなかった。自分を心から崇める者だけを配下に加えていた。
面従腹背など言うに及ばず。利で付いて来るようなのも要らぬのじゃ。
よってここでも、この場の指揮を取れるだろう者を優先して仕留めようとしている。
あのでかい女と、虎の獣人かのぅ?
ツヴェルケルはどうでもいい。あれは英雄だ。周囲の望みを映すものだ。
何を期待されるか次第で変わる、自分のないもの。
要らないのには変わりないが、優先すべきものでもなかった。
「では、片付けるとしようかの」
言うと、ノエニムの背後には魔法陣が展開された。
白紫から赤黒まで。
9色のレーザーが射出され、カーラとカトランへと殺到してゆく。
「カーラッ!」
いちはやく気付いたアーベルが叫ぶ。再び総勢で展開される対魔法防御。
だが、5本のレーザーは止まらない。ツヴェルケルが片手半剣を背に負ったままレーザーへと突っ込み、その剣に阻まれたレーザーはようやく弾かれていた。
続いて、ツヴェルケルはカトランへと走るレーザーを迎撃しようとする。
間に合う筈がなかった。
痺れたままのゲッシュは、こちらへとやって来る強力な魔力の波動に歯を剥き出して笑う。
あらゆる魔力を遮断する防御幕が張られ、レーザーを数秒押し止める。
そう、数秒だ。神聖魔法による防御でも精霊魔法による攻撃にはそれだけしか持たない。
だが――それで間に合う。
投げられた剣が虹色に輝き、4本のレーザーを砕き割った。
「うぅぬ、どっちかは防がれると思ったがのぅ。両方防ぐとかどういう事じゃ、一日一回しか撃てぬのじゃぞ、あれは……」
残念で仕方ないというような声をあげて、歩み寄ってくるノエニム。
「なんなんだよ、こいつ……」
アーベルは恐怖に顔を歪めながら呟いていた。
高位の魔術師であるだけに分かってしまう。今の魔術がとんでもないものであったと。
「こやつが、東の大魔王――霊王ノエニムだ」
カトランが忌々しく告げる。その尻尾をパンパンに膨らませながら。
「西の大魔王を連れておる者に言われる筋合いは無いじゃろ。それともまさか、知らなかったのかの?」
ノエニムは口をとがらせながら言っていた。ツヴェルケルを控えめに指差す。
「隠しては、いなかったがな……」
ツヴェルケルはそう答えていた。
そうだったのかと、驚きを込めてクレフ達はツヴェルケルを見ている。
今更冗談を言っているようには思えないし、カトランを見れば深くうなずいていた。
同行しているのは何か理由があるのだろうと思ってくれていたのだろうか。
しかしツヴェルケルはノエニムだけを見ている。
「そちらから仕掛けてくるとは……どういう心境の変化だ」
「なに、面白そうじゃったのでの」
ツヴェルケルが腕を振ると、彼の片手半剣が手元に引き戻された。
「では……あの続きをする気があるのだな」
「面白そうならば、のぅ?」
もはや語ることもないとばかりにツヴェルケルは構える。
ノエニムはゆったりと彼が動き出すのを待っていた。
ツヴェルケルが片手半剣を担ぎながら突進を始める。
迎えるノエニムが展開するのは、あの魔法陣だ。先の戦いと同じものだ。
「俺に、二度同じ術が通じると思っているのか」
「いやいや、そのような経験は無いじゃろうと思ってのぉ。当たってしまったら、そりゃもう大笑いじゃろう?」
言いながらノエニムは動く。火炎、凍結、プラズマといったさまざまな魔術を放ち、ツヴェルケルの突進を阻もうとする、前回と全く同じやり方だ。しかし――。
「大魔王を援護する事になるだなんてねぇ!」
アーベルの展開する対魔法障壁がツヴェルケルの前に現れる。
ツヴェルケルへと着弾しようとする幾つかの魔術が阻まれ、その分彼は前進を遂げる。
「無駄な手出しなぞすると……命を縮めるぞえ?」
不快げに言うノエニム。
片手で地面を叩くと、そこから大地を割って突き上げる石の槍がアーベルへと一直線に走ってゆく。
「ふ……っ!」
アーベルの前に駆け込み、長剣を真横に振るうカーラ。槍が鏡のような切断面を見せて両断される。
「他に構っている場合か!」
ツヴェルケルは吼え、その剣は青く輝いた。
水の精霊が剣に引き寄せられてゆく。
「幻光剣……青」
斬撃から吹き出す冗談のような量の水。乾いた大地にも染み込まず、津波となった水はノエニムを飲み込み、押し流す。
「ごっば……ぶぅっ!」
水面から飛び出し、細長く水を吹き出したノエニムは、背中に二枚の小さな魔法陣を生み出して空へと駆け上がる。その背には透明な一対の翼が生成されていた。
「ひっどい事をするのぅ。確かにこんな場所じゃ、水が欲しかったのはその通りじゃけども。……ほぅれ、こんなに濡らされてはすけてしまうではないかぁ」
言って、ノエニムは纏っていた白い法衣を絞る。ぴったりと張り付き平坦な身体のシルエットを浮かび上がらせるその姿に、眺める者の誰一人として恐怖以外の感情を混ぜ込んだ者は居なかった。
飛びすらするのか、こいつは――!
「参ったな、こりゃ……。見た目10歳の大魔王に負けたって言ったら、精霊界に居るご先祖様たちはなんて言うと思う?」
「……大魔王なら仕方ないって言ってくれるんじゃないか?」
アーベルとクレフはそんな事を言い交わしていた。
こんな事でも言わなければ、正気を保てそうになかった。




