10.地下に潜むもの
「何も居ないよ。間違いじゃないのかい!?」
「いや、間違いなく……いる」
答えたのはツヴェルケルだ。片手半剣を抜き、油断なく構えた。
スゥも既に2本のトンファーを抜いている。
「探知術式には何も反応がないっていうのに……」
なおも言うアーベルだが、何かを削る音と共に足元が揺れ始めると、ぞっとした顔を浮かべていた。
「下だ!!」
長剣を振り下ろすカーラ。同時に硬い地面を割って、それが姿を現した。
それは――絡み合った植物の根。アダマンタイトの長剣に割られ、緑色の血を噴き上げる。
「術にばかり頼っているからこんなに分かりやすいものに気付かん」
頭から緑の体液を被ったカーラはそれを拭いながら、吐き捨てていた。
と、その顔色が変わる。
膝をがくがくと揺らしながらその場に倒れ、口からは吐瀉物が吐き出される。
咄嗟にアーベルが使った魔術は解毒だ。考えられる幾つかの毒に対し効果のあるものを多重詠唱し、更に失った体力を回復させるために治癒を重ねる。
植物。体液に毒――しかしこれだけすぐに重篤な症状を引き起こすとは。
クレフはまず背負っていた荷物を捨てるとカーラへと駆け寄り、担ぎ上げていた。
暫くの間彼女に元の身のこなしは期待出来まい。そのままにはしておけない――が、重い!
「それなりに長く生きたが……他人に担がれるというのは、初めての経験だ」
クレフの耳元に掠れた声を響かせるカーラ。
「そうかい。貴重な体験、楽しんでくれよ!」
筋力強化の魔術を己にかけつつ、クレフはその場を離れる。
突き上げる根。続いて開いた穴からは蔦が伸びる。
絡め取ろうとする蔦の群れに対し、ツヴェルケルは剣を担いだ。
「幻光剣――赤」
炎の精霊を集めて真紅に燃え上がる刀身。薙いだ空間に冗談のように残った炎が迫る蔦を焼く。
《なかなか……手こずらせるな》
敵の声が響いたのはその時だった。次々と攻撃を続けながら言葉は更に響く。
《だが、ここは私の領域だ。私の狩場だ。逃げることは出来ない》
「このっ!」
アーベルが加粒子槍によって根を撃つが、敵の声は平然として変わらない。
《一部が多少欠けたところで、大した事はないよ。諦めて養分となれ》
「最強の敵なんじゃないかな……?」
引き攣った笑みを浮かべながらアーベル。
「やはり、逃げるのが良いのではないかと思いますが」
スゥは蔦をトンファーで打ち払う。打撃なので毒の体液を返される事はないが、蔦を破壊することも出来ずにいた。
「うん、だけど……どこまで逃げりゃいいんだ?」
敵の攻撃を迎撃しつつ、最初襲われた場所からはもうだいぶ離れている。
しかし、敵の本体から遠ざかったという気すらして来ない。一体どこまで手を伸ばしているのか。
そもそも相手の本体は動けないものなのか、そこからして不明だ。
なにせ、根が襲ってきているのだから。
その時、クレフ達からやや離れた場所に根や蔦とは別の物が出現した。
何やら先端に膨らんだ物を備える茎。それは蠢き、弾けるように大量の種子を飛ばしていた。
「なんだよそれっ!」
アーベルは悲鳴をあげながら対物理障壁を展開する。
慣性制御により種子達は水の壁へと飛び込んだように勢いを緩め、地面に転がっていた。
スゥはそれを抜けてきた種子をトンファーで打ち払う。が、それと同時に背後から、巨大な蔦がスゥへと突き進んできていた。
「スゥ!」
クレフはカーラを担いだまま無影剣を形成し、その刃を投げる。
蔦に命中した不可視の魔力刃は、熱を伴う衝撃によって蔦を弾き飛ばす。
「あ――」
スゥはその時、気付いていた。
あのヴァンパイアロードとの戦いの際、クレフは確かに自分を援護してくれていたのだと。
片手半剣が突き刺さる一瞬前、ヴァンパイアロードは何かの衝撃に身体を折っていた。今のはそれと全く同じものだと、スゥは理解していた。
「幻光剣――黄」
続いてツヴェルケルの黄色に光る剣閃が刺さり、蔦は一瞬にして石化する。
「ところで……クレフはさっきから何やってるんだい?」
少しずつ後退しながらアーベルが聞く。クレフは根や蔦といった敵の手足が突き出してきた穴に、何やら魔術で作り出した魔力球を投げ込み返していたのだ。
「ああ、これか。何もいい手が浮かばないもんでな……そろそろ効いてきてくれるといいんだが」
答えになっていない、とアーベルが更に問おうとした瞬間、それは来た。
《ぐ――》
先程の声が、呻きのようなものをあげる。
《貴様……何をした。一体何を……》
蔦の動きが僅かではあるが鈍っていた。その程度のダメージに過ぎない、が、声の主は戸惑っているようであった。一部ではなく自分の身体全てが不調を訴えているのだから。
「毒には毒ってね。ただの除草魔術さ。まあ、適量が分からないんでしこたま投げ込んでみたが」
《お、おのれ……おのれええええええっ!!》
辺り一面から蔦を出し、更にありったけの実を出して種子をばら撒いてくる植物の魔王。
それに対し、ツヴェルケルは剣を担ぐようにして構える。
「幻光剣――虹の橋よ!」
射出されるのは想像を絶するほど巨大な魔力刃。それは視界内にある、ありとあらゆるものを薙ぎ倒して彼方に聳える山へと突き刺さり爆煙をあげていた。
「今のうちだ、逃げるぞっ!」
叫んで、クレフ達は逃げ出してゆく。
その後ろには生き残った蔦がゆらゆらと、いつまでも揺らめいていた。
「こ、ここまで来りゃあ……もう追ってこないだろ」
息をきらしてしゃがみ込むクレフ。同時に肩に担ぎ上げていたカーラの足から手を離し、地面に下ろそうとする。途中で筋力強化の魔術は切れていたが、かけ直す余裕もなかった。
だが、カーラは少しだけ姿勢をずらしてクレフの背中におぶさるようにしただけで、退いてくれない。
「あの……カーラ?」
「まあ待て、クレフ。人に担ぎ上げられるというの、悪くはなかった。お前にも少し褒美をやろうと思ってな。もう暫く……このままで居てもいいだろう」
耳に熱い吐息が吹きかけられる。背中にぴったりとくっつけられている二つの膨らみ、その柔らかさと弾力はたとえるものすら見つからない。
と、そんな事を言っている場合ではないのだ。
「カーラ、そういう物は今度また別な形で、食い物とかで貰ってもいいかな?」
「遠慮はするなよ。そう、私には一つ夢があった。お姫様抱っこという奴なのだが」
「出来るわけねえだろ。きみって確か100キロ近いんじゃなかったか」
「いや、超えているぞ普通に」
そんなやり取りを小声でしていると、とうとう来てしまった。恐れていたものが。
「カーラ……クレフ様。何を二人でこそこそとお話をしているのですか?」
笑みを浮かべて立っているスゥ。すごくこわい。怒ってるより数倍こわい。
「見てわからないだろうか」
カーラが面倒そうに言い返すと、スゥはトンファーを再び構える。
「貴女に決闘を申し込みます」
「……良かろう」
笑って、ようやくクレフの背から退くカーラ。だが。
「……?」
スゥも、クレフもすぐに気付いていた。
カーラの足取りはまだおかしい。重心が定まらない。
「待て。彼女はまだ、戦えるコンディションに無いようだ。……ここで休憩としないか」
ツヴェルケルに言われてクレフ達は緊張を解いていた。
そうだな。あのカーラが、まだ歩けないだなどと言うはずが無い。
あんな事を言い出した時点で何か理由があるのではないかと疑うべきだったのだ。
何を自分は舞い上がっていたのかと、クレフは頭を掻いていた。




