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顔なしゴースト『ワガハイ』の、つれづれならない国境なき冒険  作者: 渋谷 恩弥斎
[第2章 第3節] パジーロ王国>グシカ森林>オトジャの村_01
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017. 無表情な彼女の胸の内(3)

「その方が、ユッカさまお母さまです」

「ユッカちゃんの?」

「はい――とはいえ、まだユッカさまを身ごもる前のことになりますけれど」


 だとするとマルチェさんは、ユッカちゃんが生まれる前から、ユッカちゃんの家族と関係があったことになる。

 長い付き合いなんだな。


「ユッカさまのお父さまは、以前にもお伝えしたように、ウィヌモーラ大教の現在の教皇――あの頃はまだ、今のユッカさまと同じ司祭という位階でしたが、町の教会を守る優秀な聖職者でした」


 当時、ユッカちゃんの父親は、この村におけるモルコゴさんのような立場だったのだろう。

 きっと、魔法能力に長けた誠実な男性に違いない。


「ユッカさまのお母さまは、位階を持つような聖職者ではありませんでした。あくまで、ウィヌモーラ大教の一信者。けれど、非常に優しい女性で……ユッカさまのお父さまを妻としてサポートしながら、貧しい方や孤独な子供を教会に招き、食事とベッドを与える活動をしていたのです」

「なるほど――それでユッカちゃんの母親に当たる女性が、町で見かけたあなたに声をかけてきたと?」


 吾輩の問いに、マルチェさんは小さくうなずいた。


「もちろん、逃げ出すこともできました。けれど、甘えたくなってしまったのでしょう……温かい言葉をかけられたのは、もしかしたら私にとって、それが初めてだったのかもしれませんから――私は、町の教会でお世話になることになりました」


 ユッカちゃんの母親の善意は、自分を異質な存在だと感じてしまっていた幼いマルチェさんを、その心ごと包み込んでくれたのだろう。

 だから彼女は、素直になることができたんだ。


「教会での生活は、故郷での暮らしとは真逆の、とても幸せな日々でした。ユッカさまのお父さまからは、ウィヌモーラ大教の教義と社会的知識を、お母さまからは、女性としての言葉遣いや振る舞いを教えていただきました」

「…………」


「おや、ワガハイさん。何か気になった点でも?」

「……いえ、どうぞ話を進めてください」


 マルチェさんをうながす吾輩。


 とはいえ、ユッカちゃんの父親から教えてもらったというウィヌモーラ大教の教義と社会的知識はとにかく、ユッカちゃんの母親から学んだらしい事項についてはどうだろう。


 確かにマルチェさんの言葉遣いはていねいだけれど、その振る舞いに関して、若い女性としては問題があると思う。


 豊かな胸を意図的に揺らしたり、恥じらいもなく差し出すような行為をしてみたり。


 仮に、ユッカちゃんの母親が現状の彼女を見聞きしたら、いったいどう感じるだろうか?


 もしも出会う機会があれば、ぜひとも尋ねてみたいものだ。


「そういう経緯がありまして、私はウィヌモーラ大教の信者になったのです――しかしながら、私がそれを決意したのは、教え自体に共感したというより、私を温かく迎えてくれたユッカさまのお父さまとお母さまがそうだったからだと……幼い私には、お二人こそが救いの神でしたから」


 まぁとにかく、今のマルチェさんがあるのは、ユッカちゃんのご両親のおかげなんだな。


「教会を訪れた当初は小さかった私も、ハーフミノタウロスという性質上、どんどんと体が成長していきました。当時、町で交流のあった人間やエルフの子供たちと比べて、一回りも二回りも大きく」


 マルチェさんが、今のユッカちゃんくらいの頃の話だろう。


 教会の近くで遊び回る子供たちの中で、頭一つ二つ抜きん出た身長の、整った顔ながら無表情な女の子――想像できるな、何となく。


「そんな私に興味を持たれたのが、教会にやってくる信者の女性騎士の方でした。同性というのが大きかったのだと思いますが、彼女は私の中に、武人としての才能があると、そう言いました――それから、ユッカさまのご両親の勧めもあって、彼女から手習いを。戦士としての私の基礎は、その女性騎士の方から与えられたものです」

「本当に、素晴らしい出会いですね」

「ええ、感謝してもしきれないほどに」


 故郷から逃げ出した少女が、とある町で優しい聖職者夫婦に助けられ、信仰と知識と礼儀を学び、それを起点として、武人としての師とも巡り会う――世界にはさまざまな問題もあるのだろうが、それでも捨てたもんじゃないと、そう思わせてくれる話だ。


「教会での雑務を手伝いながら、武人としての修行の日々を送っていたある日、ユッカさまのお母さまが身ごもったことを、私は知りました」


 そうか。


 それが、ユッカちゃん。


「それまで、ユッカさまのご両親には、お子さまがいませんでした。もちろん、いろいろな理由で教会を訪れる子供たちはいましたが、私のように、数年にも渡って、彼らご夫妻と暮らしている者は誰も。ですから私は……すっかり、教会の『一人娘』のつもりでいたのです」


 彼女から漂ってきたのは、どこか重い感情。

 それはかすかに、罪悪感を帯びているようでもあった。


「もう、ここにいてはいけないのだと、そう思ってしまいました。恥ずかしながら私は、生まれてくる小さな命に対して、下品にも嫉妬しっとしていたのです。そして自虐的に、本当の子供ではない私は、もはや彼らご夫妻にとってじゃまな存在でしかないと……けれど、そんな浅はかな私に、ユッカさまのお母さまは、抱きしめてこう言ったのです――『あなたは、もうすぐお姉さんになるのよ、マルチェ』と」


 わずかに彼女の声が震えたのを、吾輩は聞き逃さない。


「彼らの『一人娘』を気取っていながら、あのお二人を『家族』と認めていなかったのは、他でもない私の方だったのです。当時も、そして今も、私は礼儀として、ユッカさまのご両親を『父』や『母』と呼んではいません。けれど、その時からは――ユッカさまのお母さまに『お姉さん』と言われた瞬間からは、私は確かに、自分の存在を認めることができたのです。ああ、私はずっと、ここにいてもいいのだと、初めて、心から」


 聞いているだけで、それが伝わってきた。


 マルチェさんが、その言葉で、自分自身を肯定できたんだということが。


 探し求めていた居場所を、やっと見つけられたんだという想いが。

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