013. 夕暮れの宴は和やかに(3)
それで、残されたのは吾輩と、
「やっと二人きりで話せるな、ワガハイ」
急に距離を詰めてきた、こちらのターボフさんのみだ。
「…………」
「安心しろよ、ワガハイ。ウチの親父は、村の古いものを見せびらかしたり、何やかんやうんちくを垂れるのが好きなんだ。迷惑でもなんでもないさ」
吾輩の無言を、彼なりに解釈してくれたらしい。
そういう意味の沈黙ではなかったけれど、モルコゴさんも楽しんでクーリアに付き合ってくれるというなら、吾輩としてはありがたい。
「しかし……さっきのは、さすがに効いたぜ、ワガハイ」
これ見よがしに、自分のほほをなでるターボフさん。
かすかに緑と土の香りがするのは、腫れている部分に、薬草の軟膏を塗っているためだろう。
「ええ、まぁ……吾輩も、それなりに本気を出しましたから」
殺し合う――なんてつもりは当然なかったが、少なくとも、彼を戦闘不能に追い込むレベルまでは考えていた。
状況が状況だ。
ああする以外、他に手段はなかっただろう。
「とはいえ、自分がついさっき殴った相手を前にするのは、やはり落ち着きませんね。あなたにも事情があったのだと思うと、こちらとしては申し訳なくなってしまいます」
「何だよ、別に責めているわけじゃないぜ」
吾輩の態度が不満なのか、ターボフさんが言う。
「あの時の俺とお前は、互いに武人として向き合ったんだ。それぞれの腹の中なんて、それこそ、腹を割らないとわかりゃしない――大事なのは、男としての覚悟があるかどうかだろ?」
「……ターボフさん」
「だから、申し訳ないだなんて思うな。それは、覚悟を決めてお前と対峙した俺を、ある意味で侮辱する行為。それよりも『今度は一発で意識をとばしてやる』くらい言ってみろよ、ワガハイ」
握り拳を示しながら、笑うターボフさん。
この男性は、根っからの戦士だ。
しかも、心に芯の通った武人。
相手を制圧するために腕を振るうのではなく、己を高めるために腕を磨いている、言うなれば求道者。
なるほど。
聖職者と王国騎士――同じ道ではないけれど、モルコゴさんとターボフさんは、やはり親子で、やはり似ているのかもしれない。
「そうですね、あなたの言う通りです」
武人にとって、形だけの優しさなど無意味。
誠意と敬意を持って、相手を全力で倒す――そんな荒々しい対応が、最高の礼儀だったりするのだから。
「おう、わかればいいんだ。それに俺にとっちゃ、これは巫女のために負った名誉の負傷なんだよ」
痛くないとアピールするためだろう。
ターボフさんは大きな手で、自分の腫れたほほを叩いていた。
「でもな、あれで俺に勝っただなんて思うなよ、ワガハイ。あくまでさっきの俺は、お前に親父のじゃまをさせないための足止め役。ハーフミノタウロスの嬢ちゃんに、お前が厄介だってのは聞いていたからな」
「やはり、ニサの町でマルチェさんと会っていたのは、ターボフさんでしたか」
「……何だよ、知ってたのか、お前?」
吾輩の返答に、ターボフさんが続ける。
「俺は普段、パジーロ城下町で暮らしているからな。ウィヌモーラ大教本部の関係者とは、いろいろと連絡をとりやすいんだよ。司祭である親父の息子ってこともあるし、一応は王国騎士だからな、これでも」
確かに都市部の方が、異国からの情報も入ってきやすいだろう。
外部とのやりとりにはうってつけかもしれない。
「前々から、ニサの町で、巫女の従者とは会う予定だったんだ。例の件については、親父の方にも連絡が行ってて、俺が最終確認をな。本当にいいのかって尋ねたら、あの嬢ちゃんは迷いなく『はい、ユッカさまのためですから』って」
どうやらマルチェさんは、パジーロ王国に入る以前から、今回のことを計画していたらしい。
「けれどその翌日、一足先にニサの町を発とうとしていた俺に、彼女から呼び出しがあってな――その理由が、お前だよ、お前」
大きい手が、吾輩の肩に触れる。
「巫女が気に入ったゴーストがいるから、そのパーティーもいっしょに連れていく――そんなことを、いきなり言われたんだよ。しかも、そいつが厄介なやつだって話でさ……まぁ、こっちは協力するだけだからな、ここまで来たら」
ということは、吾輩がニサの町で見聞きしたのは、その時の密談だったわけだ。
「実際にお前と会ってみて、確かに厄介そうだなとは感じたよ。もちろん、ほめ言葉だぜ、ワガハイ」
「それはどうも」
「だからまぁ、体を張るのは俺の役目だろってことで、ああいう事態になったわけだ」
ターボフさんとの会話で、裏で進行していた流れ――その詳細を把握できた。
加えてマルチェさんが、どうしても今回の狂言を実行したかったという強い意図も、また。
「あの、ターボフさん」
吾輩は尋ねる。
推理と想像から、それとなく納得してはいるが、やはり、この村のトロールから直に聞いてみたいんだ。
「オトジャの村のトロールが、ウィヌモーラ大教の信者として、大地の女神の巫女を試す――そのこと自体の意味は、部外者の吾輩も、しっかりと理解したつもりです。聖地入りに伴う危険を考えれば、それも必要なことでしょう。しかし……それを差し引いても、先ほどの一件は、かなり手厳しいように思えました」
「まぁ、そうだろうな」
「歴史的に伝統的に、ああいったことは――もっと踏み込んで表現するなら、あそこまでのことは、今までも行われていたのですか?」
「……さぁな。昔の細かいことまでは、俺にもわからない。ただ、お前の言う『試す』ための手段は、時代によって、大なり小なり違っていただろう――親父が巫女に、聖地入りに対する覚悟を問うていたことは、ワガハイも見聞きしているよな?」
「ええ、同席していましたからね」
「今の親父のような立場にあるトロールが、過去の巫女たちに、その想いを確認すること自体は、もちろんあっただろう。ちょっとしたテストを与え、その力量を判断するなんてのも、一度や二度ではなかったかもしれない」
オトジャの村のトロールは、先祖代々、大地の女神であるウィヌモーラを崇める一族。
しかも、ソノーガ山脈の聖地を管理しているという森の守護者だ。
それくらいのことをするのは、確かに当然だろう。
「けれど、今回のような狂言は、やっぱり、あの従者の嬢ちゃんあってのことだと思うぜ。ウチの親父が、あそこまでの悪役を引き受けたんだ。心を打たれたんじゃないか、巫女に対する愛情――みたいなものにさ」
「……愛情、ですか」
「少なくとも、親父の魔法に屈するような巫女なら、間違いなく飲まれるだろうからな……ソノーガ山脈をさまよう、邪悪な神や精霊に」
飲まれる、か。
あらためて認識する。
ユッカちゃんが挑む試練の、その過酷さを。
「冷たく思うか、ウィヌモーラ大教の信者を? あんな幼い少女を巫女として聖地へ送り出す、この村の俺たちを?」
「どう答えたらいいか……難しい質問ですね、吾輩には」
「ふっ、やはり、お前は優しいな、ワガハイ――けれど巫女にも、さっきの俺と同じことが言えるんじゃないのか?」
ユッカちゃんの方をながめながら、ターボフさんが続ける。
「彼女は、大地の女神の巫女としての覚悟を持っている。だからこそ、はるばる、この村までやってきたんだ。ウィヌモーラ大教の信者である俺たちが、そんなあの子を信じてやらなくてどうする――だから俺は、彼女を聖地まで連れていくんだ。大地の女神の信仰者ではないお前でも、決意ある少女を信じることくらいはできるだろう?」
そう言うと、ターボフさんは吾輩に微笑んだ。




