010. 巫女と従者の真実(3)
「なぁ、ワガハイ」
あれこれ思案していた吾輩に、ユッカちゃんが尋ねてくる。
「もしもワタシがワタシではない別の何かになってしまったとしたら……ワタシの『体』はどうなると思う?」
さみしげな表情のユッカちゃん。
難しい質問だ。
仮に邪悪な精霊に憑依されてしまえば、その『ユッカちゃん』は、もはやユッカちゃんではない。
彼女自身が表現したように、その姿をしただけの、別の何か――だ。
だとすればユッカちゃんの体は、入り込んできた邪悪な精霊の『道具』と同義……考えたくもないけれど、そんなこと。
「ワタシの『体』に悪しき存在が宿るということは、偉大なるウィヌモーラさまの力を受け入れることができる潜在的な魔力を、その悪しき存在に乗っ取られてしまうということ――そうなってしまった『ワタシ』は、もう……この世界に存在していてはいけないのだ」
悲しみと、それを超えた覚悟が映った瞳で、ユッカちゃんが吾輩を見つめる。
「明日、ワタシはソノーガ山脈の聖地へ入る。その道中、あるいは、たとえ目的の場所にたどり着いたとしても……ワタシがワタシでなくなった瞬間、ワタシは殺されるのだ、ワガハイ」
「…………」
殺される。
ユッカちゃんは『死ぬ』でもなく、そして『命を落とす』でもなく、そう言った。
その瞬間、わかってしまった。
彼女は、どうして、狂言としての試練を提案したのか。
彼女は、なぜ、ユッカちゃんが巫女としての資格を失うことを望んだのか。
さらに彼女の、
『……そうすれば、何があっても私は、あなたの従者でいられるはずですから』
あの言葉の意味も、全部。
「大地の女神の巫女が悪しき存在に飲まれたとき、その従者は、自らの手で、巫女の命を絶つ――これが、巫女の従者に与えられた最大の使命なのだ」
胸が苦しくなった。
確かに、墜ちた巫女など、もはや世界の害悪でしかない。
秩序を乱す破壊者にすらなる可能性を秘めている。
世界宗教であるウィヌモーラ大教としてみれば、そのような存在を野放しにできるわけがない。
しかし、それでも――。
「ワタシは今日までずっと、マルチェにつらい思いをさせていたに違いないのだ。マルチェは、すごく……優しいやつだから」
遠い目をして、かすかに笑うユッカちゃん。
これを、この事実を、わかっていたのか、二人は。
理解して、納得して――ユッカちゃんとマルチェさんはその覚悟で、この村までやってきたのか。
巫女と、その従者。
殺されるかもしれない少女と、殺すかもしれない少女。
お互いを想い合う彼女たちにとって、それはあまりにも無情な宿命だ。
二人の気持ちを考えると、吾輩の心は強く波打った。
「もしもワタシがモルコゴに負け、それで村から追い出されていれば、マルチェは今日、従者としての苦しさから解放されたのかもしれないのだ……そうしたらあいつは、もう、つらくなくなっていたはずなのに」
「……ユッカちゃん」
巫女として、トロールの聖職者が課した試練に打ち勝った彼女だけれど、なぜだか少し、それを悔いているようにも思える。
『ワタシは、立派な巫女になることだけを考えていて、お主の気持ちを無視してしまっていたのだ……つらかったのだろう、マルチェ?』
『ごめんなのだ、マルチェ……』
先ほどの言葉が、彼女の想いのすべてなのかもしれない。
当然、ウィヌモーラ大教の掟を、ユッカちゃんは受け入れている。
だから、こうやって旅をしている。
そうに違いない。
それは自分の死に、自分から進んでいくという毎日。
八歳の女の子には、あまりにも過酷なものだ。
なのに彼女は今、自分の命よりも、自分の命を絶つことになるかもしれない相手のことを考えている。
優しい従者を思いやり、小さな胸を痛めているんだ。
慈悲、慈愛。
これが、大地の女神の巫女。
まったく、頭が下がる。
「しかし、しょげてばかりもいられないのだ」
沈黙してしまった吾輩を気遣ってか、ユッカちゃんが明るく声を上げた。
「ワタシは明日、聖地で導きを得る。そして、ワタシはワタシとして、ちゃんとこの村に戻ってくるのだ――立派な巫女になって、マルチェのやつを安心させてやらなければならないからな」
そうだ。
ユッカちゃんは、巫女としての強さを、吾輩に示してくれた。
信じよう、彼女を。
吾輩には、それしかできないのだから。
「ということで明日は、ワガハイにもついてきてもらいたいのだ。悪しき存在になどワタシは負けないが、道中、今日みたいな昆虫や恐竜のたぐいが襲ってくるかもしれない。だから、お主の力を借りたいのだ」
「もちろん、喜んで」
望むところだ。
ユッカちゃんが安全に目的の場所までたどり着けるよう、全力で協力させてもらうよ。
「ありがとうなのだ、ワガハイ――それと」
そこでユッカちゃんは、すくっと椅子から立ち上がる。
「……もし、もしも、ワタシがワタシでなくなったときは、お主が――マルチェではなく、ワガハイがワタシを殺してはくれないか?」
「ユッカちゃん……」
「ワタシは巫女だ、覚悟はしている。けれどきっと、マルチェはそれに耐えられない……あいつの手を、ワタシの血で汚したくないのだ」
彼女は、吾輩に頭を下げた。
小さな体を、さらに小さく折り曲げて。
「頼むのだ、ワガハイ」
まったく、この子は。
いったい、どうしてこんなにも――。
「悪いけど、それは受け入れられないよ、ユッカちゃん」
そっけなく聞こえたんだろう。
「……ワガハイ」
吾輩の返答に、ユッカちゃんが顔を上げた。
「いいかい、ユッカちゃん。君は君のままで、これからもマルチェさんと旅を続けるんだ。それ以外のことは、何も考えなくていい」
これは、吾輩の誓いだ。
そして、覚悟を持って進んでいく幼い巫女への、ささやかながら決意のエール。
「もしも、ユッカちゃんがユッカちゃんじゃなくなったら、そのときは吾輩が、ぶん殴ってでも目覚めさせてあげるから」
「……ふははっ、そうか」
一瞬驚いたような表情になった後、ユッカちゃんは笑った。
「なら、頼んだぞ、ワガハイ」
「任せてよ、ユッカちゃん」
差し出された彼女の小さな手を、吾輩は握った。
幼くも勇敢な友だちの想いに応えられるよう、そっと優しく――。




