009. 巫女と従者の真実(2)
「あれは全部、マルチェがワタシのためにしたことなのだ。だから、だからどうか――」
「聞かせてくれるんだよね? さっきの一件が、いったい、どういうことなのかを」
「……うむ」
うなずいたユッカちゃんが、静かに語り出す。
「ワタシは、立派な巫女となるために、マルチェを伴い旅をしている――そのことは、もうワガハイにも伝えているはずなのだ」
「うん、そうだね」
だから、縁あって出会った彼女たちパーティーに同行して、吾輩は、このオトジャの村に来たんだ。
「正しき未来への導きを得るために、ワタシは、ソノーガ山脈にあるウィヌモーラ大教の聖地へ入らなければならない――それは、巫女として成長するための、大きな一歩なのだ。けれどワタシの旅は……もしかしたら明日で、もう終わってしまうかもしれないのだ」
ユッカちゃんは、どこか自虐的にはにかむ。
それは、この数日間にはない、彼女の表情だった。
「明日向かう聖地でワタシは、ソノーガ山脈に住んでいる大地の精霊と出会う――と思うのだ。きっと大地の精霊は、ワタシを試すことだろう……大地の女神の巫女としての力が、本当に、ワタシに備わっているかどうかを」
「……大地の女神の巫女としての力なら、ユッカちゃんには、もう十分あると思うけど」
八歳の幼い女の子が、一回の呪文詠唱で複数の魔法効果を発動させているのを、しっかりと吾輩は確認している。
魔術師としての感性も鋭いし、潜在的魔力量も膨大だ。
もちろん、まだまだ心身共に成長が必要なんだろうけど、彼女が特別な人間であることは間違いない。
「この世界が何でできているのか、ワガハイは知っているか?」
聞き覚え――ならぬ、言い覚えのあるような、ユッカちゃんからの質問。
「……空と海と大地、かな?」
「うむ、その通り」
満足そうにうなずいて、ユッカちゃんは続ける。
「人間やエルフ、ミノタウロスにトロール、ワガハイのようなゴースト――空と海と大地には、他にもたくさんの命が生きている。そして神や精霊たちもまた、世界には数多く存在しているのだ」
幼くとも、やはり聖職者。
命、神、精霊――それらを語る言葉には、八歳の少女だとは思えない重みがある。
「ワタシたちがそうであるように、神や精霊にも、いろいろな者たちがいる――善き神や善き精霊もいれば、悪しき神や悪しき精霊がいたりもするのだ」
当たり前だけど、神や精霊も多種多様ということだな。
「大地の神々や精霊を信仰する者たちにとって、山という場所は、すごく宗教的で、さらには魔術的な領域。この大陸を横に走るソノーガ山脈は、数ある山々の中でも、さらに特別なものなのだ。きっと、あのそびえ立つ広大な山脈には、たくさんの神や精霊が暮らしていることだろう。もちろん彼らが、ワタシたちに姿を見せてくれるとは限らないが」
吾輩は納得する。
だからこそ、ソノーガ山脈にはウィヌモーラ大教の聖地の一つがあり、そこにいるであろう大地の精霊に、巫女であるユッカちゃんが会いに行くわけだ。
「多くの神や精霊らが住んでいる、宗教的で魔術的なソノーガ山脈……ならば当然、ワタシたちが関わるべきではない邪悪な存在もまた、そこを住処にしているということに他ならないのだ」
邪悪な存在。
それは、まさに――。
「汚く濁った負の魔力を持つ、悪しき神や精霊たち――他の神や精霊だけではなく、ワタシたち各種族を含めたすべてを呪い、すべてを害する彼らも、間違いなく……ソノーガ山脈にはいるはずなのだ」
邪神や、魔の精霊と呼ばれる存在の彼らが住処としている地域――だとしたら魔境だな、ソノーガ山脈は。
確か、キューイの母親が降り立ったのがソノーガ山脈の奥地だったはず。
あのレベルの成竜だからこそ、そのような場所を選べたというわけか。
「とはいえ悪しき彼らは、ソノーガ山脈の善なる神や精霊たちの力によって、その負の力の大部分を封じられているのだ。だから、ワガハイのような強いゴーストなら、彼らの領域に足を踏み入れたとしても、全然心配はいらないぞ。それどころか、お主の清らかな魔力に怯え、向こうから逃げていくかもしれない……けれど、ワタシのようなタイプの聖職者は、彼らにとって最高の獲物なのだ」
最高の獲物。
話の流れからして、血肉として捕食される――という意味ではなさそうだ。
「悪しき彼らは、常に狙っているのだ――自分たちが支配できる体を。しかもそれは、魔法能力に長けた者であれば、なおさら」
なるほど、そういうことか。
邪悪な存在たちは、ソノーガ山脈に住まう善なる神や精霊たちの力によって弱体化させられている――要するに、この大陸を東西に走る頂は、宗教的で魔術的な牢獄でもあるんだ。
そこに、ユッカちゃんが入ればどうなるか。
彼女は、大地の女神の巫女。
大地の女神の巫女とは、創世の女神の一柱たるウィヌモーラの力を宿し、その聖なる魔力を操れる特別な女性聖職者のこと。
ユッカちゃんがウィヌモーラ大教の巫女だとすれば、彼女は他の聖職者よりも、神や精霊の力を宿しやすいということになる。
つまり、先天的な憑依体質者。
しかも彼女が真に宿すべきは、大地を統べるウィヌモーラときている。
それを可能にするだけの人間――というわけだ。
仮に、悪しき神や精霊たちが、ユッカちゃんを支配できたらどうだろう。
あの潜在的魔力を、自分のものにできる。
もしも上手くいけば、偉大なる大地の女神の力すら手に入れることも可能だ。
あるいは、その大地の女神を屈服させ、眷属とし、自らがその座を得ることさえも――。
ずいぶんと甘い考えにも思えるけれど、悪しき神や精霊たちが、ユッカちゃんのような存在を利用しようと企てていることは、まったく想像に難くない。
試練。
確かに、これは試練だ。
有象無象の悪しき存在――すなわち、創世の女神の一柱たるウィヌモーラに格が劣る、大小さまざまな邪神や魔の精霊に飲まれてしまうようでは、とても大地の女神の巫女など名乗れない。
数時間前、モルコゴさんがユッカちゃんに覚悟を問うていた意味が今、吾輩にも理解できた。
そして彼女が先ほど、聖職者の先輩に投げかけていた、あの言葉についても――。
「ワタシが邪悪な存在に取り込まれてしまえば、もはやワタシはワタシではなくなる……ワタシの姿をしただけの、ワタシではない『何か』になってしまうのだ」
宴の席での狂言についても、一応は納得できる。
あれはユッカちゃんが、ソノーガ山脈の試練を受けるに値するかどうか――その資質の有無を判断するためのものだったんだ。
麻痺状態によって呪文を封じられ、魔法の蔦によって体の自由を奪われたユッカちゃん。
もしも悪しき神や精霊に憑依されれば、彼女の体は、もはや自分のものではなくなってしまう。
モルコゴさんは、疑似的ながら魔法効果で、邪悪な存在に入り込まれた状態を演出し、ユッカちゃんを追い詰めた。
しかも、言葉による挑発を加えて、彼女の心まで徹底的に。
あれに屈していれば、きっとユッカちゃんは、聖地に入ることすら許されなかっただろう。
しかし彼女は、巫女としての力を示した。
モルコゴさんがかけた魔法を気迫でかき消し、自らの真価を見せつけたんだ。
なるほどな。
オトジャの村は、古くからウィヌモーラ大教を信仰しているトロールたちが住まう場所。
しかも、ソノーガ山脈にある聖地の管理まで行っているという。
この村の長であり、聖職者でもあるモルコゴさんが、後見的に幼い巫女を試すというのは、十分に理解できることだ。
他の村民たちにとっても、大地の女神の巫女であるユッカちゃんの成長は、望ましいことに違いない。
ウィヌモーラを崇める者として、その聖地の一つを任されたトロールとして、指導者であるモルコゴさんに従うのも道理だ。
確かに、この流れの理屈はわかる。
とはいえ、疑問も残る。
あの一件をモルコゴさんたちに提案し、それを飲み込ませたのはマルチェさんだ。
ユッカちゃんが強引な手段で試されることを事前に知っていたが、彼女の成長のために見て見ぬ振りをしていた――というだけならば話は単純だけれど、事実上、マルチェさんは主犯。
しかも彼女は、
『正直なところ私は、ユッカさまがここで――この村で、巫女としての資格を失ってしまえばいいと、そう思っていました』
モルコゴさんからの試練に、ユッカちゃんが屈すればいいと考えていた様子。
おそらく――というか間違いなく、モルコゴさん以下オトジャの村の方々は皆、ユッカちゃんが先ほどのテストに合格することを望んでいたはず。
むしろ、だからこそ一丸となって、自分の信仰する宗教の巫女に対して、あそこまでのことができたんだ。
これから立派な聖職者になっていくであろう彼女にとって、これは必要なことなのだと、そう思っていたから。
一方でマルチェさんは、巫女の従者であるにも関わらず、ユッカちゃんの『敗北』を期待していた。
ある種の愛情や希望から、この村のトロールが、幼い巫女を厳格に試す――もちろん程度はあるにせよ、それ自体は、十分に理解できる。
けれど、モルコゴさんたちが本来は求めていない結末さえ起こる可能性もあった『過度な試練』へと、マルチェさんは、あえて誘導した――結果的には、そういうことになりそうだ。
もちろん彼女は、ユッカちゃんが憎いわけでも、ことさらに嫌っているわけでもない。
口調に感情が表れない女性ではあるけれど、
『大好きですよ、ユッカさま』
あの言葉は、きっと、うそなんかじゃないから。
でも、だとしたら、どうして――。




