006. 騒然とする宴(3)
「刃を向ければ殺します、呪文を唱えれば殺します――あなたが少しでもおかしな真似をした瞬間、私は彼女の首を落とします」
「……マルチェさん」
「脅しではありませんよ、ワガハイさん。私は本当に、クーリアさんに手をかける覚悟ですから」
疑問が疑念に変わり、今、吾輩にとって最悪の形で顕現してしまった。
マルチェさんは現在、吾輩の相棒を人質にしているんだ。
口をふさいでいるのは、魔法が使えるクーリアを完全に制圧するため。
あれでは、呪文を唱えることすらままならない。
そこで気づく。
周囲のトロールたちが、この事態にまったく戸惑っていないということに。
宴の会場は、もはや無惨なものだ。
悲鳴の一つや二つ聞こえたところで、何もおかしくはない。
けれど彼らは落ち着いた様子で、吾輩たちを囲むように直立している。
それぞれに手をかざし、次の瞬間にも、何か呪文を唱えてきそうな気配だ。
「キュ……キュイ、キュ」
キューイはといえば、一人のトロール男性によって地面に頭を押さえつけられ、翼で飛び上がることもできずにいた。
「か、かっ……あ、は」
しゃべることすら不可能な状態で、魔法により捕縛されてしまったユッカちゃん。
「ん、ん……んっ」
「キュイ、キュ……」
身動きがとれない、クーリアとキューイ。
そして、
「さぁ、剣を捨ててください」
相変わらずの口調、感情のない瞳で、吾輩に訴えてくるマルチェさん。
あなたは何をやっているんだ、マルチェさん――そう叫びたい衝動にも駆られるが、この状況で、それは愚かな行為。
ユッカちゃんを守るべき彼女が、それをすることもなく、無関係なはずのクーリアに刃を向けているんだ。
すべて仕組まれていたと、そう考えるのが妥当だろう。
「くっ……マジで効いたな、今のは」
顔をしかめながら口元を拭い、倒れていたターボフさんが立ち上がる。
意識を刈り取るつもりで殴ったが、彼の打たれ強さが勝ったか。
「あんたの言ってたように、このゴーストは厄介だったな、本当に」
そこで確信する。
ニサの町でマルチェさんが会っていた大柄の男性は、間違いなく、このターボフさんだ。
「これ以上刺激したら、命すら奪われかねない……物腰は低いくせに、ずいぶんな武闘派だぜ、あいつは」
「大丈夫ですよ、ターボフさん。このクーリアさんに刃を向けている限り、彼はもう、何もできません――そうですよね、ワガハイさん?」
もはやマルチェさんは、ターボフさんとのつながり――というか、この村のトロールたちと通じていたという事実を隠しもしない。
声を荒らげるようなことはしないが、完全に、吾輩に対する脅しだった。
詳しい経緯は不明だが、つまりは村民全員が敵。
吾輩が下手に動けば、クーリアはもちろん、キューイやユッカちゃんも危ない。
選択肢は、たった一つ。
吾輩は無言のまま、持っていた剣を捨てた。
「賢明な判断です、ワガハイさん」
言いながらも、マルチェさんはクーリアを解放しない。
わかっているんだ。
たとえ剣がなくとも、吾輩には魔法がある。
もしも『錬鉄の拳』や『火の飛礫』を唱えでもしたら、その瞬間、あのハーフミノタウロスの戦士は躊躇なく、斧槍を赤く染めることだろう。
吾輩は、もう詰んでしまった。
傍観すること以外、この状況下で、できることなんてない。
静まりかえった村の広場で、再びモルコゴさんが――いや、非情なトロールが口を開く。
「大地の女神の巫女さま」
「はっ……か、あっ、か」
魔法によって麻痺し、さらには拘束されているユッカちゃん。
そんな彼女の頭を軽々と持ち上げたオトジャの長は、聖職者を名乗るにはあまりにも冷酷な言葉を吐く。
「あなたは、巫女として成長すると語った。多くを学び、真の聖職者になると――しかし、どうでしょう? あなたは幼く、そして未熟だ」
ユッカちゃんの信念を、心ない言葉で汚していく。
「ウィヌモーラ大教本部から立派な肩書きと立場を与えられているというのに、今のあなたはこの有り様。その非力な体では、魔法の蔦から逃れることはできないでしょう。人並みはずれた潜在的魔力を宿しているとはいえ、このように呪文が唱えられないのなら、それは宝の持ち腐れ――大地の女神の巫女? ウィヌモーラ大教の司祭? 聞いてあきれますね、まったく」
もし、もしもクーリアが無事だったのなら、吾輩は感情のままに、あの最低なトロールに殴りかかっていただろう。
旅の相棒の苦しそうな息づかいが、かろうじて吾輩を止めていた。
「大地の女神の巫女とは、あなたのような子供が、おままごと感覚で名乗れるような存在ではないのです。魔法の才能に恵まれ、何不自由なく育てられたあげく、何でも言うことを聞いてくれる従者を引き連れて旅立ったところで、そんなものは、修行でも何でもないのですよ」
とうとうと語る彼は、そこでユッカちゃんを、マルチェさんへ向ける。
「非力で未熟で、わがままでどうしようもないあなたのことを、あの従者の女性は、ずっと、ずっとずっとずっと、ずーっと、うとましく思っていたのです。名ばかりで中身のない巫女であるあなたのことを、今日までずっと、ずっとです」
「か、は……ぁく」
苦悶の表情ながら、ユッカちゃんはマルチェさんを見ていた。
「だから、私たちに求めてきたのです。あなたのことをこの場で消して、それで解放されたいと。本部から与えられたつまらない使命などこの場で清算して、これからは自由に生きたいと――そうですよね、従者の方?」
血も涙もないトロールに問われたマルチェさんは、クーリアを人質にしたまま、ただユッカちゃんをながめている。
「どうですか、名ばかりの巫女さま? あなたは裏切られたのです――いえ、違いますね。あなたは最初から、あの従者の方に信頼などされていなかったわけですから。もはやこれは当然の結末。起こるべくして起こった、あなたの――」
「の、か?」
ユッカちゃんは、まだ苦しそうに悶えている。
けれど今、確かに、彼女のまとう魔力量が跳ねた。
「……だっ、たの、か、マルチェ?」
受けた魔法が解けたわけじゃないだろう。
それでもユッカちゃんは、はっきりとした言葉を口にする。
「ワタシのことが、嫌いだったのか、マルチェ?」
彼女の瞳に、力が宿る。
「…………」
ろれつすら回らないはずの幼い少女の気迫に、冷酷なトロールの聖職者も圧倒されているようだった。
「確かにワタシは、まだまだ未熟なのだ。野菜は食べたくないし、マルチェみたいに『ないすばでぃ』でもない。わがままな部分もあるだろう。生まれてから今日まで、お主には迷惑をかけっぱなしかもしれない。だから……嫌いになられても、それは仕方のないことなのだ」
麻痺から回復したのか?
いや、押し返したんだ。
状態異常の魔法効果を、ユッカちゃんは、自分の魔力で。
「でも、いいのだ。ワタシを殺してお主が幸せになるのなら……それを責めることなんて、ワタシにはできないのだ――けれどマルチェ、ワタシは、お主を許せないぞ」
ユッカちゃんは泣いていた。
きっと苦しいからでも、悲しいからでもない。
怒りの感情が、涙になって現れているんだ。
「狙うなら、堂々とワタシを狙え! ワタシだけを狙うのだ、マルチェ!!」
直後、ユッカちゃんに絡まっていた魔法の蔦が弾けた。
「そのクーリアは、ワガハイの旅の仲間なのだ。そしてワガハイは、ワタシの友だち――友だちの友だちは、やっぱり友だちなのだっ!!」
「くっ……」
驚いたのか、口汚くののしっていたトロールの聖職者も、ユッカちゃんから手を離す。
当然、上手く着地はできない。
痺れも、完全には消えていないのだろう。
それでも転がるように立ち上がったユッカちゃんは、力強く呪文を唱える。
「〈大地の腕〉」
三、四、五、六、七――一度の詠唱で、大地の力を宿す腕を、七本も生成したユッカちゃん。
大木の幹のような荒々しい剛腕の出現に、冷静だったトロールたちも声を漏らしていた。
「安心しろ、ワガハイ。クーリアは、ぜったいに救い出してみせるぞ」
マルチェさんを見つめながら、ユッカちゃんが言う。
「従者の不始末は、巫女であるワタシの責任――友だち一人救えないようでは、ワタシに大地の女神の巫女を名乗る資格なんてないのだっ!!」




